閑話休題

 先日、ボッカッチョの『デカメロン』を紹介しました。物語では、10人の男女は街の中心のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会(Basilica de Santa Maria Novella)に集まってから郊外へ脱出します。写真のようなきれいなファサードをもつ教会です。
 
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 2015年前の冬に訪れたときの写真ですが、中には素晴らしいステンドグラス、そして、ルネサンスを先駆けるジョット(ジョット・ディ・ボンドーネ;Giotto di Bondone1267年頃-1337年)の《キリストの磔刑》をはじめ、マザッチョやブルネレスキらの作品がならび、宗教心のない私には教会というよりもさながら美術館のよう。
 
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 教会から15分も歩くと、《ダビデ像》のあるアカデミア美術館やフラ・アンジェリコの《受胎告知》があるサン・マルコ修道院が並び、さらに5分ほどでイノチェンティ孤児院( Spedale degli Innocenti“ spedale”は病院、“innocenti”“innocento;孤児、捨て子の複数形))があります。それほど有名な観光名所ではありませんが、1419年から1424年にかけて、当代一の建築家であったブルネレスキ(FilippoBrunelleschi (1377 – 1446年)が設計してたてられました。半円形のアーチがつなぐ正面上部に掲げられた青い陶板は「襁褓のあかご」で、円形であることから一つ一つを“tondo(丸いものの意)といいます。

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 さて、なぜ孤児院があったのでしょうか。当時は現在とは比較にならないくらい社会全体が貧しく、また医療といえるものもありませんでした。したがって、子どもを育てられない人たちや、親を亡くしてしまった子どもたちが多かったことでしょう。たとえば、ペストが原因で親を亡くした子も多かっただろうし、産褥熱で命を落とす母親も多かったようです。フィレンツェは人口も多く、当時としては都会ですから、娼婦の多かったはず。そんななかで、止むに止まれず捨てられた子もいたでしょう。イノチェンティ孤児院には子どもを受け入れるために、文字通りの窓口(下の写真)がありました。かわいい陶板が掲げられた回廊の突き当たりです。

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 もちろん、孤児院があったのはフィレンツェだけではありません。例えば、港町として栄えたヴェネツィアなどにもいくつかの孤児院がありました(趣味参照)。
 
 乳児を育てるためには母乳が必要ですが、乳母にあたる人はいなかったようです。換わりに牛乳を煮沸して与えていたとのこと。修道院と併設されていたため、修道士たちが保育、子育てにあたったようです。一口に乳児といっても成長段階によって求められる栄養素のバランスは異なります。この施設でも生存率は決して高くなかったと思います。試行錯誤があったことでしょう。こうしたところから乳児や幼児の生育に関する観察・考察、ひいては小児科学が始まったのです。
 
 ところで、今でこそ当たり前のように飲んでいる牛乳ですが、ヨーロッパでも近代にいたるまではヒトのための飲料としては忌避されていたそうです。それは牛乳を飲むとウシの容貌になる、性格が凶暴になると考えられていたため。ありそうな話ですが、現代の日本でも、コラーゲンやグルコサミンを摂取すれば、まさにコラーゲンやグルコサミンが増加するかのような宣伝に騙されてしまっている人々が多くいることを思うと、決して笑える話ではありません。