「細胞」とは? 2

 やや長くなってきたので、後半を分けることにします。

 日本語の「細胞」という語は、江戸時代に出版された宇田川榕庵の『植学啓原』という書物にはじめて登場します。それまでに用例がないようですから、「細胞」は彼の造語でしょう。『植学啓原』のデジタルデータをWebで閲覧することは可能です(ここです:http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/f113/image/1/f113s0001.html)が、残念ながらどのような意味で使われているのかを自分で確かめてはいません。どうやら樹木の横断面に出現する細管に対して使っているとのことで(山科正平著『細胞発見物語』)、現在の生物学での意味とは異なっているようですが、フックの「cell」と同様に、後世に大きな足跡を残したといえるでしょう。

 「胞」とは、もともと「胎児を包む皮膜、母の胎内」(広辞苑)の意です。ここから、生体内に存在する膜で包まれたものを表すようになっいったようですから、「細胞」とは「生体内にある、膜で包まれた小さなもの」の意と考えられます。要を得た造語というべきでしょう。「細胞」は中国にも渡り、中国語でも「cell」は「細胞」です。

 話はそれますが、宇田川榕庵(うだがわようあん、1798~1846)は江戸時代後半に活躍した蘭学者です。もともと医者の家に生まれて、シーボルトとも交流を持ちながら西洋の自然科学を学び、医学、化学、生物学に関する西洋の書物を翻訳して日本に紹介しました。この翻訳の過程で、現在につながる多くの自然科学用語をつくっています。「生理学のための化学」でも紹介しましたが、オランダ語の「waterstof」の訳語として「水素」という語をつくったのも彼です。宇田川榕庵は『舎密開宗(せいみかいそう)』という、化学に関する著作もあります。イギリス人が書いた(つまり英語の)化学の教科書のドイツ語訳のオランダ語訳をもとに、他の文献も参考にしてまとめたそうですが、この中で「酸素」や「炭素」、「白金」などの元素名や「酸化」、「還元」、「溶解」などの言葉がうまれました。

 宇田川榕庵は江戸詰めの大垣藩医の家に生まれますが、当時津山藩医だった宇田川玄真の養子となり、幕府にも重用されたとのこと。養父である宇田川玄真は杉田玄白や大沢玄沢に学び、オランダ解剖学書を翻訳して高い評価を得ていたようで、こうした翻訳作業の中で玄真は「腺」や「膵」といった現在我々が当たり前に使っている漢字をつくった(造字?)そうです。