ナイチンゲール生誕200年

 今日、5月12日はフローレンス・ナイチンゲール(Florence Nighingale)の誕生日で、日本国内では「看護の日」、国際看護師協会では「国際看護師の日」に定めています。そして、今年はナイチンゲールの生誕200年にあたります。新聞などでも紹介されています(2020年5月11日付け朝日新聞「天声人語」、5月12日付福島民友新聞「社説」など)ので、すでに読んでいるかもしれません。

 ナイチンゲールの名を知らない人はいないでしょうし、子ども向けの伝記も普及していると思いますが、彼女の業績については正しく知られているわけではないようです。1820年にイギリスの裕福な地主の家庭に生まれました。。何と両親が2年間も新婚旅行を続けたそうで、その途中でイタリア・フィレンツェで生まれたところから、Firenzeの英語読みからFlorenceと名付けられました。

 父親が、当時としては珍しく女性にもしっかりとした教育をするべきという考え方だったようで、幼い頃から一流の家庭教師によって外国語はもとより、哲学、数学、歴史を学んでいます。中でも、外国語や数学が非常に得意だったようです。10代半ばに神のお告げ(?)を受けて、人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになったそうです。

 有名なエピソードは、1854年に英仏などとロシアの間で始まったクリミア戦争で、前線の兵士の悲惨な状況を聞き知って従軍したことでしょう。イギリスから数十人の看護婦(当時は女性しかいなかった)らとともに行ったトルコのスクタリ(Scutari)の病院で、嫌がらせなどの障害を乗り越えて戦傷兵の看病に当たりました。着任当初40%を越えていた死亡率を、5%以下にまで減少させました。決定的だったのが、病院内の衛生環境の改善です。ナイチンゲールは「クリミアの天使」、夜間の病棟の巡回を怠らなかったことから「ランプの貴婦人」とも呼ばれたそうです。

 もちろん、帰国後は大いに賞賛されましたが、彼女の最大の業績はここからです。看護あるいは病院の状態について、自身の記録や他の報告などを基にして、900ページに及ぶ緻密な報告書を作成し、病院や保険制度の改革を提案しました。そこでは、単に文章だけではなく、当時としては珍しい表やグラフを多用して、統計学に無知な政府の高官を説得したとのこと。こうしたところから、イギリスではナイチンゲールは統計学の先駆者、統計学の母とも呼ばれているそうです。19世紀ですから、女性が政治や行政にたいして主張すること自体が偏見との戦いだったと思いますが、それを通して実現したすばらしい功績です。

 ナイチンゲールは90歳で亡くなりますが、クリミア戦争中の無理がたたったのか、帰国直後に心臓発作を起こし、その後も体調の悪い状態が続き亡くなるまでベッドから離れることができなかったそうです。したがって、多くの手紙や論文が残されていますが、そのほとんどはベッドの上で執筆されたものです。

 ナイチンゲールが看護師を務めていたロンドンのセント・トーマス病院(St. Thomas’ Hospital)には博物館があります(Florence Nightingale Museum; https://www.florence-nightingale.co.uk/)。