人体を構成する細胞数は、本当はいくつか?

 地域柄、中日新聞を購読されている方も多いでしょう。昨日の『中日春秋』に人体の細胞数に関して触れられた部分がありました。コラムの主題ではないのですが、「ヒトの体はおおよそ30兆個の細胞からなる」と記述されていました。授業では「60兆個」としていましたので、簡単にコメントしておきます。

 授業でも簡単に触れたと思いますが、人体を細胞レベルにまでばらばらにして計数することは不可能です。「60兆個」の根拠ですが、以下のような推測に依っています。

 一般的な細胞の大きさは1辺1μmの立方体に擬すことができる。細胞の過半は水であり、その溶質、固形物の比重も1.0に限りなく近い。したがって、細胞1個の重量を
    1×10-3 ×1×10-3 ×1×10-3 =1×10-9 (g)  (1μm=1×10-3mm)
と仮定すると、平均的な成人の体重が60kgであるとして、
    60×103 ÷(1×10-9)=6 ×1012
という計算から 60兆個と見積もっています。

 しかし、全身のすべての部位にくまなく細胞が詰まっているわけではありません。例えば、骨は体重の10数%を占めますが、細胞の占める割合は非常に小さく、骨基質が大半を占めています。血液は体重の8%を占めているものの、これも大半は血漿であり、非細胞性です。細胞ごとに大きさもまちまちで、1辺が1μmの立方体に擬すというのはかなり無理があります。人体に最も多い細胞である赤血球は直径が7~8μmです。

 実際に計数できない以上、いろんな証拠から外挿するしかないのですが、できるだけ実際の細胞の形態や大きさ、細胞の集合状態を考慮して見積もるという研究も少ないながらも行われています。この中で最もおそらくよく知られているのは、2013年に発表された報告で、
 An estimation of the number of cells in the human body (Annals of Human Biology、Volume 40, Issue 6, 2013)
   
ここで原文を見ることができますので、興味のある方はどうぞ。http://www.tandfonline.com/doi/full/10.3109/03014460.2013.807878
という論文です。イタリアのグループのようですが、数理生物学的な分野で、詳細は全く理解できません。要旨をざっと読んだだけですが、細胞数は
   3.72 ×1013個(37兆2,000億)
と結論づけています。

 他にも同様の報告はあるのでしょうし、この論文の結論にどれだけの研究者が納得しているのかは全く不明です。つまり、コンセンサスの得られる数字はまだないと言わざるをえません。非常に単純化した仮定ではあるが、きりのいい数字で、おそらくそれほど大きくズレてはいないだろうというところで、「とりあえず」みんなが納得して「60兆個」と言っています。

 仮に、上記の研究結果が正しいとしても、あるいは、「中日春秋」の引用に従うにしても、30兆個、37兆個と60兆個ですから、たかだか2倍の差(すべての細胞が1回だけ細胞分裂すれば追いつける差です)、オーダーに差があるわけではありません。いずれにせよ、我々のからだが膨大な数の細胞によってできあがっているという事実に変わりはありません。

 ところで、「中日春秋」は『失われてゆく 我々の内なる細菌』(マーティン・J・ブレイザー著、山本太郎訳)という書物の記載を引いています。この著者が何を根拠に「30兆個」としているのかについて、春秋子は触れていません。しかし、一般的な医学、生物学の教科書にはない数字です。

 また、引用ではさらに、ヒトの体には「100兆個の微生物がすんでいる」という意味の記述もありました。もちろん根拠は示されていませんが、この数字も多く語られている数字とはやや異なりますが、かといって大きく外れているわけでもありません。知る限り最も大きな数字は、全身で約600兆個、消化管(特に大腸)に約100兆個、身体表面(つまり皮膚)に約100兆個などと言われています。これもオーダーは同じです。

 これらも実際に計数することは不可能ですから、誰かの、どこかの部分を調べて、外挿するしかありません。ポイントは、人体を構成するよりも遙かに多量の微生物が人体内(表面を含めて)にすんでいるということです。

 さて、今回の「中日春秋」ではこれらの数字の引用元として、「米国の著名な微生物学者ブレイザー博士の好著『失われてゆく 我々の内なる細菌』」と記しています。この引用部分を含めて多くの読者は「30兆個」を信じたでしょう。「米国の」「微生物学者」であることまで間違っているとは思いませんが、はたしてブレイザー氏が「著名」であるのかどうかはわかりません。「好著」であるかどうかも読み手の判断です。大きな影響力を持つ新聞、ジャーナリズムとしてはやや軽率な取り上げ方でしょう。少なくともこの数年の中日新聞を見る限り、ジャーナリズムらしいとしっかりとした取材や論調を幾度となく感じていただけに、やや残念です。