フックとレーウェンフック

 「細胞」とは「cell」の訳語としてつくられた語です。そもそも「cell」とはキリスト教の修道院での修道士や修道女たちの個室、あるいは隠遁するための庵を表した語で、ラテン語で「小さな部屋」などを意味する”cella”に由来するそうです。中世には監獄の各房を表す語としても用いられたようですが、17世紀にはハチの巣の房室や植物の構造に対しても用いられていたようです。(参考:Online Etymology Dictionary"https://www.etymonline.com/search?q=cell")

 授業でも触れましたが、「cell」という語を現在の「細胞」に近い意味で使ったのは、イギリスのロバート・フック(Robert Hooke、1635〜1703)です。
フックは最初の顕微鏡を発明してさまざまなものを観察しているほか、バネの伸びに関する弾性の法則(フックの法則)を発見したことでも知られています。彼の顕微鏡を使った観察図を集めた「ミクログラフィア(Micrographia、顕微図譜)」という書物の中に、授業で紹介したコルクのスケッチがあります。ここに描かれた一つ一つの小さな箱のような部分に対してフックは「cell」という語を当てて報告しました。(MicrographiaはWebで閲覧することができます。ここ:http://www.gutenberg.org/files/15491/15491-h/15491-h.htmでひらいて、Schem11 にある図です)

 我々が製品として目にする「コルク」は、コルク樫の樹皮をはいで乾燥させたものです。したがって、フックが顕微鏡で観察した試料が同様のものであるとすると、彼の言う「cell」は、細胞(正確には原形質=細胞質+核)が抜け落ちて周囲の細胞壁だけが残ったもので、「細胞」ではありません。実は、フックは「ワインのビンの栓としてコルクが優れているのはなぜか?」と問われたために、コルク片を顕微鏡で観察したとのこと。そして、コルク片のcellに空気が閉じ込められたために、気密性と弾性が生じていることを見いだしました。生きた細胞ではありませんが、「cell」という言葉を提唱し、意味は変わってもその後も使い続けられているという点で、大きな意義があったと思います。(参考:山科正平 (2009). 細胞発見物語~その驚くべき構造の解明からiPS細胞まで, 講談社.)

 また、フックと同時代に単式顕微鏡を開発したオランダのレーウェンフック(Antonie van Leeuwenhoek、1632~1723)も紹介しました。彼はオランダ南部のデルフトという町で生まれ、おそらく生涯をこの町で過ごしています。彼が顕微鏡を観察している絵を紹介しましたが、どこかで見たことのある雰囲気だと感じた人はいますか? レーウェンフックと同じ年に、同じくデルフトで生まれたヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer、1632〜1675)の絵画(代表作はここにあります:https://www.wikiart.org/en/johannes-vermeer/all-works#!#filterName:all-paintings-chronologically,resultType:masonry)などを意識して描かれているような気がします。レーウェンフックは、フェルメールの友人だったらしく、先に亡くなったフェルメールの遺産管財人を務めています。フェルメール作品の中で、珍しく弾性を描いた『天文学者(The Astronomer)』や『地理学者(The Geographer)』はレーウェンフックがモデルだという説もあるとのことです。