名フィル定期(第455回)トリノ/《悲愴》

 今月の名フィル定期は3月16日、17日に金山の名古屋市民会館大ホールで行われ、
《トリノⅡ/小泉和裕の『悲愴』》と題して、名フィル音楽監督小泉和裕の指揮で
ベートーヴェン:劇音楽『エグモント』序曲
チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調『悲愴』
チェロ独奏:エンリコ・ディンド
でした。

 今回のテーマである「トリノ」の出身であるチェリストを迎えて、今シーズンの最後を小泉得意のチャイコフスキーを中心にしたプログラムで締めくくりました。

 最初のベートーヴェンは、ゲーテが書いた同名の戯曲の上演のための劇付随音楽です。オランダの独立戦争で闘った実在の人物を描いたストーリーのようですが、残念ながら読んだことがありません。全体が演奏されることはあまりなく、この序曲だけが単独でよく演奏されます。私も学生時代に一度演奏会でやりました。大きく3つの部分からなり、基本的なオーケストラの編成です。最近の演奏会では20世紀の曲が多かっただけに、19世紀初めに作曲されたこの曲は落ち着いた響きにきこえました。一つ一つの音が立っていて、非常によくまとまった演奏でした。

 2曲目は20分程度の曲ですが、チェロの独奏を伴う協奏曲風で、チャイコフスキーらしいメイロディカルな聴きやすい曲です。メインの『悲愴』が重たいだけに、非常によい組み合わせでした。そして、何よりも今回の独奏者・ディンドの音色が非常に優しく、また暖かく包み込んでくれるような演奏でした。チェロの独奏を伴う曲は毎年1,2曲取り上げられますので、これまで何人も聴いています。その中でもディンドはとりわけふくよかな音色でした。ぜひCDを手に入れて、他の演奏もいろいろ聴いてみたいチェリストです。

 題名の「ロココ」とは、バロック(音楽史で言えばバッハに代表される17世紀から18世紀前半)とその後に起こったバロック以前の古典的な潮流(音楽史ではこの時期が古典派と呼ばれ、ベートーヴェンに代表される18世紀後半から19世紀初頭)の間に位置する優美で繊細な芸術思潮ですが、チャイコフスキーにとってはモーツァルトがその象徴だったようです。時代的にはぴったりですが、モーツァルトとチャイコフスキーの共通点は、音楽史上屈指のメロディーメーカーというところでしょうか。

 休憩をはさんで後半は『悲愴』。表題があまりにも有名ですが、40分あまりの曲を最後まで聴き通すと、表題の通り、悲しくていたたまれない気持ちになります。

 交響曲の一般的な構成である4楽章から成っていますが、3楽章目で大きく盛り上がっていったん終わったような気分にさせられます。そして、第4楽章がアダージョ・ラメント−ソ(Adagio Lamentoso)、「嘆きのアダージョ」と呼ばれる、それまでの交響曲の常識を覆す暗く陰鬱な音楽で終わります。『エグモント』の作曲者であるベートーヴェンの交響曲などと比べるとは、同じジャンルとは思えないです。始まりもやや特異で、第1楽章冒頭は低弦の音にのってファゴットが「ため息の動機」とよばれるメロディーを奏でます。少し怒りを含んだため息だったのでしょうか、やや割れたような音で、感情を抑えているかのような演奏でした。

 オケにとって技術的にも決して簡単ではありません。しかし、何よりも全体としてどのように表現するかは非常に難しい曲です。誰もがよく知っているからということもありますが、誰もが共感できる「悲愴」を音で表すのは大変です。

 チャイコフスキーの曲はテンポの変化や音量の強弱の指示も細かいのですが、『悲愴』ではダイナミックスレンジの幅も非常に大きい。再弱音はp(ピアノ)が6つ、pianissississississimoです。最強音はf(フォルテ)が4つ、fortissississimoです。ベル単位で測れる音量を単純に示しているわけではありませんが、極端な人です。

 4月からは《文豪クラッシック》と題する新シーズンが始まります。シェイクスピアやゲーテなど、文豪の作品にちなんだ作品が取り上げられます。11回の演奏会で11人の名作がテーマとなりますが、来年度は聴くだけではなく、読む方も全作品を制覇したいと思います。音楽と文学の融合がどんな世界を開いてくれるのか楽しみです。