METライブビューイング《蝶々夫人》

 今週の木曜日までですが、METライブビューイングの今シーズン第3作目、
  プッチーニ:歌劇《蝶々夫人》
が上映されました。
キャストは
   蝶々さん:ホイ・へー(ソプラノ)
   ピンカートン:ブルース・スレッジ(テノール)
   シャープレス:パウロ・ジョット(バリトン)
   スズキ:エリザベス・ドゥシュング(メゾソプラノ)
   指揮:ピエール・ジョルジョ・モランディ
   演出:アンソニー・ミンゲラ
でした。

 同じ演出で何度か観ていますが、いつ見てもわかりやすい、効果満点の舞台です。19世紀末(明治初頭)の長崎、おそらく長崎港を見下ろす丘の上の一軒家なのでしょうが、障子や襖を自由に動かすことによって家の内外をうまく表しています。ストーリーはご存じの方も多いでしょう。

 蝶々さんは15歳、おそらく没落士族の娘で、父親は何らかの理由で自死しています。家計を助けるために芸者としてはたらいていましたが、斡旋業者の紹介でアメリカ海軍の駐在員であるピンカートンの妾になります。蝶々さんはまっとうな結婚のつもりですが、ピンカートンに取ってはいわば“Japanease wife”です。ピンカートンがクリスチャンですから、蝶々さんもキリスト教に入信しますが、親族からは怒りを買います。

 アメリカの長崎領事であるシャープレスは、同じようなケースを何度も経験しているのでしょう。ピンカートンの軽はずみをたしなめます。おそらく半年ほどして、ピンカートンは戻ってくると約束して帰国。

 3年後、蝶々さんはピンカートンを待ち続けていますが、事情を知る周囲は別の「旦那」を紹介します。実は、ピンカートンとの間には男の子が生まれていますが、ピンカートンには知らせていません。

 ピンカートンはアメリカで正式の結婚をして、新婚旅行をかねて日本へやってきます。その旨をシャープレスに知らせ、蝶々さんの様子もうかがっています。事情を知らせに蝶々さんのもとを訪れたシャープレスは、蝶々さんとピンカートンとの間に子どもがいることを知り愕然とします。このことをピンカートンに知らせると、ピンカートンは子どもを引き取ろうとします。女手一つで育てるのは大変だろうという善意ではあるのですが、蝶々さんにとっては全てを奪われることになり、子どもを渡して自ら命を絶ちます。

 全3幕ですが、音楽も台本もよくできています。観る機会を重ねるごとに、良さが分かってきた気がします。第1幕は蝶々さんとピンカートンを中心にしているので、二重唱が大きな割合を占めています。しかし、登場人物の感情の変化に合わせて音楽はダイナミックに変化します。おそらく歌詞の意味が分からなくとも、どんな気持ちを表現しているのかが分かるでしょう。プッチーニの音楽はすばらしい。今回歌ったホイ・へーとスレッジはともに今回初めて聴く歌手ですが、声質も声量も十分。スレッジはピンカートンを初めて歌ったそうで、やや硬さあるというか、余裕がないというか、特に冒頭部分ではぎこちなさも感じました。しかし、第1幕後半の二重唱は息の合った歌唱でした。

 第2幕は蝶々さんの寂しさ、不安、葛藤を丹念に描いています。第1幕ほどに音楽の起伏もなく、蝶々さんやシャープレスのアリアがすばらしい。スズキは蝶々さんの女中ですが、かなりの歌唱を与えられています。有名な「ある晴れた日に」は第2幕冒頭で歌われます。最後にピンカートンの乗った船の入港を知って、部屋を花で飾って待ちながら第3幕へ。

 第3幕ではピンカートンが婦人を伴って蝶々さんを訪ね、シャープレスとともにスズキに事情を説明していると蝶々さんが現れます。婦人の姿を見て察した蝶々さんは、30分後に来るように伝え、子どもに別れを告げて自刃します。

 台本、オペラではリブレット(libretto)と言いますが、残念ながら見ていません。蝶々さんの子どもは歌唱はありませんが、かなりの演技を要求されます。多くの演出では5~6歳の男の子が演じますが、稚拙さは否めません。このMETの演出では本当に子どものかわりに、人行が使われています。日本が舞台ということもあってか、文楽をモデルとした3人の人形遣いによって操作される男の子は、逆にリアリティがあり存在感があります。演出意図は大成功と言ってよいでしょう。

 2月から3月にかけて、この後2作予定されています。21日からフィリップ・グラス作曲の《アクナーテン》、28日からはベルク作曲の《ヴォツェック》です。ともにかなりクセのある音楽とストーリーです。