5月生まれの作曲家3:マスネとフォーレ

 5月生まれの作曲家を紹介すると言いながら、もう月末です。今回は3人にほぼ同時代のフランス人作曲家を紹介します。
生年順に、
  1842年5月12日生まれのジュール・マスネ
  1845年5月12日生まれのガブリエル・フォーレ
  1866年5月17日生まれのエリック・サティ
です。いずれもパリを中心に活躍した作曲家ですが、それぞれ得意分野や活躍の場はかなり異なっています。
 
 マスネは20を越えるオペラを作曲し、当時は大変人気があったようです。36歳でパリ国立高等音楽学校の教授となり、教育に携わりながら、現在でも上演される『マノン』、『ウェルテル』、『タイス』などのオペラを作曲しています。これら以外にも『サンドリヨン』(シンデレラ)や『ナヴォラの娘』が知られています。


 『マノン』、『ウェルテル』、『タイス』はいずれも小説を基にして台本が書かれています。アベ・プレヴォーの「マノン・レスコー」やアナトール・フランスの『タイス』は日本ではあまり有名ではありませんが、『ウェルテル』はゲーテの「若きウェルテルの悩み」は読んだ人もいるでしょう。いずれも、男女の愛と死を描いていますが、三様というか、それぞれに読み応え、見応えがあります。音楽としては『タイス』の幕間で演奏される「タイスの瞑想曲」が最も有名でしょう。ヒーリングミュージックとしても単独でよく演奏されます。

 三人の中で作曲家として最も評価の高いのはフォーレでしょう。ただし、有名な曲となると、何をあげれば良いのか、これといってありません。オーケストラ曲などのCDも持っていますが、フランスでは歌曲が有名なようです。「夢のあとで」はどこかで聴いたことがあるかもしれません。また、『レクイエム』は日本でもよく知られ、BGMなどとしても親しまれています。モーツァルト、ヴェルディと合わせて「三大レクイエム」などと称されますが、この三曲の中では、最も美しく心が洗われるような一曲です。

 フォーレはマスネの後任としてパリ国立高等音楽学校作曲科の教授となり、ラヴェルやデュカスなど多くの作曲家を育てました。後に音楽学校長として教育改革も手がけ、高く評価されています。

 サティは三人の中では異色でしょう。十分な音楽教育を受けることなく、また、かなり奔放な生活を送った時期もあるようです。有名な「ジムノペディ」は20代前半での作曲です。この曲もBGMとしていろんな場で使われていますが、エスプリが効いているとも言えるし、虚無的であるとも言えるし、いろんな聴き方のできる曲です。友人であったドビュッシーがオーケストラ曲に編曲をして広く知られるようになりました。サティはこのほかにも数多くのピアノ曲を残し、後世に与えた影響は大きいようです。