6月生まれの作曲家2:シューマン

 6月生まれの作曲家の第2段は、1810年6月8日生まれのロベルト・シューマンです。ピアノを習ったことがあれば、トロイメライ(『子供の情景』より)を弾いたことがあるかもしれません。

 音楽史的にはドイツ・ロマン派の代表とされますが、まさに、これぞロマン派という曲調で、人の感情や情緒を前面に出し、同じメロディーメーカーであってもモーツァルトなどとは全く違います。

 本人はピアニストを志しますが、指を痛めて断念、作曲に専念します。ピアノ曲、歌曲、そしてオーケストラ曲と、現在もコンサートで頻繁に取り上げられる作曲家です。また、音楽評論の先駆けとも言える文筆家としても成功します。「諸君、脱帽せよ。天才が現れた」と言ってショパンを紹介したはシューマンです。と言っても、ショパンも1810年生まれです。先月紹介したブラームスもシューマンに見出され、その後愛弟子となります。

 ピアニストを志していた若い頃、フリードリッヒ・ヴィークというピアニストに弟子入りします。ここで生涯の伴侶であるクララ・ヴィークと出会います。シューマン自身はピアニストを諦めますが、クララはおそらく当時世界一のピアニスト。彼女のために次々と名曲を作曲します。

 シューマンは大好きな作曲家の1人ですが、中でもピアノ協奏曲は何度聞いても飽きることのない名曲だと思います。もちろん、クララのために作曲し、冒頭の印象的なフレーズは“Clara“のスペルからC・H・A(ドイツ音名のAはイタリア音名でRa)のモチーフを考えたとも。かつて「ウルトラセブン」の最終回でもBGMとして使われました。

 交響曲は4曲作曲しています。どれもいい曲ですが、第3番『ライン』は幼い頃からなじんだドイツの大河を思い描きながら作曲したのでしょう。雄大でありながらも、スメタナの「モルダウ」ほど直截的ではありませんが、様々な情景が思い浮かびます。

 シューマンは作曲家、評論家として名をなすとともに、さらに活動の幅を広げて指揮者としても活躍します。しかし、集団を束ねてリードしていくような性格ではなかったのでしょう。精神的に追い詰められて、自殺を図ります。幸い命は取り留めますが、2年間精神病院へ入院した後、1856年7月29日に亡くなります。享年46歳でした。ピアノ曲などに顕著ですが、非常に繊細な精神を持っていたのかもしれません。