ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

先週末は名フィルの定期でしたが、昨日はドイツのドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏会がありました.CBCがやっている「名古屋国際音楽祭」の一環で、名フィル定期と同じ愛知県芸術劇場コンサートホールです.

指揮者は、ドレスデン国立歌劇場の音楽監督であるファイビオ・ルイージ、イタリア人ですが、現在国際的に非常に注目されている指揮者の一人です.曲目は
リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」、同じく交響詩「ティル・オリレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、そしてメインがブラームスの交響曲第4番

名フィルの定期と比べると非常にオーソドックスなプログラムですが、外来のオケの演奏会はだいたいこんなふうです.むしろ3曲プログラムなのに協奏曲がないのはやや珍しい.

世界最古のオケといわれ、創立が16世紀半ば、当時のドレスデンの宮廷楽団がもと.現在知られている有名なクラシック音楽のどの作曲家が生まれるより前からの伝統があります.10年くらい前にも別のホールで聴いたことがあるのですが、思わず「CDと同じ音がする」と感じました.

リヒャルト・シュトラウスは19世紀後半から20世紀前半に活躍した作曲家ですが、このオケは彼の曲の初演を数多く手がけていて、シュトラウス自身もこのオケの音色・響きを念頭において作曲していたといわれています.それだけに今回のプログラムはうってつけ.実際、期待通りというか、これこそが本物の音かと思わせる名演でした.

名フィル定期(第357回)

1年生の方は初めてこのページを開くかもしれません.どういうときに書くと決めているわけではありませんが、いつの間にか演奏会記録のようになってしまっています.

さて、名フィルの定期は4月から新年度のシリーズに入りました.オケによっては1-12月で区切りをつけているところもありますが、名フィルは日本の慣例(?)に従って4-3月で切っています.
昨年から常任指揮者が新しくなり、年間を通したテーマを決めてプログラミングしていますが、今シリーズのテーマは「四季」.
ありきたりのようなテーマですが、日本はヨーロッパに比べると季節の違いが際立っているし(常任指揮者はスイス人です)、最近は季節を感じることが少なくなってきているような気がしますし、あえてテーマに選んだのかもしれません.もちろんそれぞれの季節にふさわしい曲をプログラミングしています.

4月のプログラムは、今年がハイドンの没後200年というメモリアルイヤーであることにちなんで、そして年間テーマの冒頭を飾るにふさわしく、
ハイドン作曲:オラトリオ《四季》
指揮者:鈴木秀美、ソプラノ:森麻季、テノール:櫻田亮、バス:清水宏樹、合唱:合唱団ノース・エコー
です.

2時間を超える大曲で、めったに演奏される機会のない曲です.もちろん私も生で聴くのは初めて、というよりCDも持っていませんでした.予習のために全くスタイルの違う2種類を買って聴いてみました.

オラトリオというのは、一般的には宗教的な題材(聖書の中の逸話など)をもとに作られた歌詞を数人の歌手と合唱を伴って演奏するもの.オペラのように衣装をまとったり、舞台をつくったりはせずに、通常のオーケストラの演奏会形式をとります.バロックから古典派の時代にはけっこうたくさん作られています.

この《四季》のいいところ、というか分かりやすいところは、宗教的な題材(つまりキリスト教の話)ではなく、農村の普通の風景を描写した叙事詩をテキストに使っていることです.もちろんドイツ語ですので、聴いてすぐわかるわけではないのですが、音楽的にはやはり曲想が全く違います.あらかじめ対訳歌詞を見て、それなりにストーリーを頭に入れておけば、春の種まきのシーンとか、夏の嵐かなとか、秋の収穫を喜んでいる農民のお祭りかなとか、なじみやすい風景を想像しながら聴けます.実際に鳥や虫の鳴き声、狩人の角笛などを模したメロディーも随所に盛り込まれています.

春、夏、秋、冬の4部構成で、オケだけの序奏に続いてソリストのレチタティーヴォ、そしてアリアや合唱が代わる代わる奏されます.各季節ごとに30分以上あり、夏と秋の間で休憩が入りました.

全体として、自然とそこに根を張った農民の労働に対する賛歌という感じの、非常にすがすがしい曲です.まさに季節を忘れかけ、大地の恩寵をないがしろにしてきた現代のわれわれに、いろんなことを考えさせてくれる一曲です.(^^)

昨日の演奏は新シリーズに入る意気込みが感じられ、また指揮者の鈴木秀美はバッハやハイドンなどの古典派を得意とするひとで、非常にうまく噛みあっていたのではないでしょうか.鈴木秀美はもともとは古楽器(18世紀ごろに実際に使われていた楽器)の演奏家.この日の演奏も、ピリオド奏法という、弦楽器などがビブラートをつけずに演奏する方法を取り入れていました.初心者にはビブラートなどつけないほうがやりやすいでしょうが、いつもつけているプロにはけっこう難しいそうです.音程もごまかせないし.
多分名フィルにとっても初めて(少なくとも定期演奏会では)、私も生でこのピリオド奏法の演奏を聴くのは初めてでした.編成もあまり大きくなかったということもありますが、始めのうちは音量的に物足りないような感じがしましたが、しばらくすると耳がなれたのか、ソリストたちの透明感のある歌声や曲の素朴さともマッチして、十分に聴き応えのある演奏でした.特にコンマスのリードのもと、弦楽器の息の合った演奏が際立ったような気がします.

ピリオド奏法も初体験だったのですが、この曲では「秋」のところで狩人の角笛を模したホルンのファンファーレでナチュラルホルンを使っていました.今までCDでは聴いたことがあったのですが、生は初めて.今のホルンはバルブによって管の長さを自由に変えられるので簡単に音階を奏することができますが、昔のホルンはただ1本の管を丸くしただけなので、倍音(波長の整数倍の音)しか出ません.音階は口元を調節するか、音の出口に手を入れて変えていました.ハイドンの時代には今のようなホルンはなく、このナチュラルホルンが使われていたはずなので、古楽器奏者である鈴木秀美らしいアイデア.大変そうでしたが、効果十分.(ホルンの構造や歴史は
Wikiのここを見てください

今回のコンサートで楽しみにしていたのはソリスト、ソプラノの森麻季です.日本人としてはおそらく最も有名なソプラノ歌手、海外のオペラ劇場でも活躍しています.一昨年来日したドレスデン国立歌劇場の公演でも準主役を演じていました(リヒャルト・シュトラウス「バラの騎士」のゾフィー役).CDも出しているので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう.容姿端麗(個人的にはあまり好きではありませんが・・・(>_<))、ソプラノらしい透明感のある声です.オフィシャルHPもあるようですので、興味のある方は一度ご覧ください.(
http://www.makimori.com/index.php

シリーズの最初でちょっと長くなりましたが、次回5月はグラズノフ、シベリウス、そしてドビュッシーです.シベリウスのヴァイオリン協奏曲は泣かせる名曲です.

夢遊病の娘(METライブビューイング)

新年度にはいって2年生の皆さんはクラス替えもあってまだ落ち着かないところでしょうか?
私は今年度は授業を月曜日に変更してもらったので、明日が初日です.久々に授業で体力に不安を感じながらも、今年はどんな学生がいるのかと、楽しみにしております.

さて、昨日はMETラブビューイングでベッリーニ(Vincenzo Bellini、日本語ではベルリーニと表記することもあります)の「夢遊病の娘」というオペラを見に行きました.主役は、前回ご紹介したようにナタリー・デセイ、相手役は昨年ドニゼッティの「連隊の娘」で一緒だったファン・ディアゴ・フローレス.それぞれ、現在のソプラノ、テノールで屈指の歌手、しかも高音を歌い上げることが得意な2人の協演でした.

ベッリーニは1803年生まれで、わずか34歳でなくなったイタリアのオペラ作曲家.シューベルトより4歳年下、今年生誕200年になるメンデルスゾーンより8歳年上(来年はシューマンとショパンの生誕200年なので、彼らより9歳上ということになります)、ヨーロッパはフランス革命後の混乱期、日本は文化・文政時代のちょっと前(寛政の改革のちょっと後)です.

若くしてなくなったので、わずか10曲くらいしかオペラを作っておらず、現在も演奏される機会があるのは「夢遊病の娘」の他は2〜3曲です.
この時代のイタリアオペラはベルカント・オペラの全盛期で、歌手がその技量を競い合うようなメロディー、つまり、歌詞ではなく母音を伸ばしながら細かく動いたり、高音を張り上げたりといったフレーズが至る所に出てきます.ベッリーニ以外には、ロッシーニやドニゼッティが有名ですが、ベッリーニは特にメロディーの美しさに定評があります.

「夢遊病の娘」は原題は「La Sonnambula」で単に「夢遊病」という意味です.主人公が若い女性なので、日本では「夢遊病の娘」とか「夢遊病の女」と呼ばれています.
ここ(http://ml.naxos.jp/album/8.660042-43)で抜粋を聴くことができます.
主人公であるアミーナ(デセイ)が、婚約したその日に別の男性の寝室にいたために恋人を裏切ったとして、周りから白い目で見られてしまいます.フィアンセであるエルヴィーノ(フローレス)からも絶交されかけるのですが、実は彼女は「夢遊病」にかかっていた.そのために夜な夜な徘徊していたことがわかり、誤解がとけてめでたしめでたし、というおとぎ話というか、子どもだましのようなストーリー.
これに音楽がつくと、なんとも表情豊かになって、いかにもありそうに感じてしまいます.

今回の上演はメトロポリタン歌劇場にとっての新演出、つまり演出家を新しくして、舞台設定や大道具、小道具も全部作り替えての舞台.原作は19世紀のスイスの山村が舞台なのですが、これを原題のニューヨークに移し替えて、しかも劇中劇のようなスタイルでつくっています.つまり、「夢遊病の娘」というオペラの中で、同名のオペラの舞台をつくっているという設定で、舞台上での人間関係と劇中劇の人間関係が同じという、どこからが劇中劇なのかちょっと分かりにくい(説明もしにくい)演出でした.

こういうふうに演出の自由度が大きいのも、オペラの面白いところ.もちろん音楽は同じです.今回も始めのうちは「?」と感じていたのですが、主役であるナタリー・デセイの演技力のたまものか、ベッリーニの音楽ゆえか、いつも間にか作品世界に引き込まれていました.
主役2人の存在感というか、あの声には圧倒されます.デセイはちょっと風邪気味?という気もしましたが、抜けるような高音の美しさと声量は何度聴いてもうっとりとしてしまいます.やや奇想天外なストーリーなのに見事に役柄を表現しています.また、ディアゴ・フローレスの声の美しさは、今や誰にもまねできないでしょう.ソロアルバムも出している2人ですので、ぜひ一度聴いてみてください.