名フィル定期(第412回)

先週の金曜日と土曜日に名フィル(名古屋フィルハーモニー交響楽団)の定期演奏会がありました。毎年4月から新しいシーズンが始まり、毎月同じプログラムで2回公演が8月を除く年間11回あります。毎年シーズンテーマを決め、さらに毎月のサブテーマを決めて選曲されています。

今シーズンのテーマは「ファースト」。1番、1回目、最初の、などなにがしかの”first”にちなんだ曲がプログラミングされています。

今回は
シベリウスのオリジナル
と題して
サロネン:ギャンビット(日本初演)
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調(1903年オリジナル版)
シベリウス:交響曲第5番変ホ長調(1915年オリジナル版)
ヴァイオリン独奏:三浦文彰
指揮:ユッカ・イーサッキラ

シベリウスはフィンランドを代表する作曲家、交響詩『フィンランディア』が有名で、音楽の授業で聴くことも多いと思います。1865年生まれで1957年に亡くなっていますので、そんなに昔の人ではありません。今回取り上げられた2曲も20世紀に入ってから作曲された曲です。

オープニングのサロネンは1958年生まれ、現在活躍中の作曲家兼指揮者で、シベリウスと同じフィンランド出身。

彼らに限らず、北欧出身の作曲家の曲は何となく「寒い」。独特の響きがあり、透明感と下から巻き上げてくるようなもの(ブリザードのような)を感じます。さらに、シベリウスにはフィンランドらしい「森」や「水」、そしてそこにいる動物たちの「体温」や「におい」のようなものに触れている気がします。そのかわり、決して屋外で聴きたくなる音楽ではなく、やっぱり部屋の中でじっくり聴くタイプの音楽です。

さて、19世紀の後半以降の作曲家に共通する特徴は、いったん作曲して、その曲が初演されても、その後、曲に手を加えることが多いということです。シベリウスも例に漏れず、何度もやっていたようです。特に今回取り上げられた2曲は作曲者が最終稿を仕上げた後、初稿(オリジナル版)や途中の改定稿による演奏を禁じてしまったそうで、初演以降、これまでほとんど演奏される機会はなかったそうです。いずれの曲もオリジナル版による演奏を収めたCDは1種しかありません。今回は遺族から特別の許可を得たとのことで、「オリジナル版」による「オリジナルな機会」といえるでしょう。指揮者もフィンランド人、国内では評価も高いようで、今回のオリジナル版演奏に際して尽力されたよし、感謝したいと思います。(かなりかっこいいです)

これまでに最終稿による生演奏は聴いたことがあります。CDでもよく聴いているため、どうしてもこの耳慣れた曲と比べてしまいます。オリジナル版はいずれも曲もやや冗長な気がしました。もちろん、イメージしている「シベリウスらしら」に欠けるわけではなく、いつもの名フィルらしい、引き締まった演奏で、十分に楽しむことができました。金管楽器がやや迫力に欠けるかなとも思いましたが、全体に指揮者の意図を理解しようとする熱意を感じました。

ヴァイオリン独奏の三浦は、2009年に16歳で国際コンクール優勝とのこと、したがって、まだ21歳? 表現に若干若い?というところを感じましたが、技術はすばらしい! 使用楽器は1748年製ガダニーニの名器ですが、芯のある音で弱音もしっかりと響いてきました。ソリスト・アンコールは
パガニーニ:パイジェロの『水車小屋の娘』の「うつろな心」による変奏曲
はじめて聴く曲でしたが、聴いても超絶技巧、見ても超絶技巧で、堪能できました。

METライブビューイング:マスネ《ウェルテル》

先週土曜日からMET、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のライブビューイングで、
マスネ作曲:歌劇《ウェルテル》
を上映しています。私は日曜日に観に行きました。

マスネは19世紀後半に活躍したフランスの作曲家、決して有名な作曲家ではありませんが、オペラでは《マスネ》が現在でも多くの歌劇場のレパートリーです。また、歌劇《タイス》で演奏される「タイスの瞑想曲」はイージーリスニング音楽として非常に有名で、おそらく聞けば分かると思います。これらのオペラもこれまでにMETライブビューイングで取り上げられました。

今回の《ウェルテル》はゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』を原作として、ほぼ原作のストーリーに沿って台本化され、マスネがオペラ化した作品。フランス語で全体で4幕・約3時間、甘美な音楽で綴られた名作です。現代に同じ事件が起こればワイドショーネタでしょうが、主人公のウェルテルと思われ役のシャルロッテの心情を音楽と歌で巧みに描いています。

今回の上演は非常にすばらしく、現地でも大成功との評判。特にタイトル・ロールであるウェルテルと歌ったテノールのヨナス・カウフマンが秀逸。甘く暖かな歌声、特に弱音で響かせる中低音に魅せられた女性は多いのでは。レパートリーの幅も広く、実力、人気ともに現在最高のテノール。一度は生で聴いてみたい歌手です。

オペラでは、第3幕でシャルロッテと再会するも、永遠の別れを告げて、シャルロッテの夫であるアルベールから拳銃を受け取ります。そして、第4幕で一人暮らしの自室で拳銃自殺。おそらく原作ではそのまま終わるのですが、オペラではシャルロッテが駆けつけて、彼女の腕の中でウェルテルは息を引き取ります。(読んだもはもう30年以上前で、今回は予習できず、悪しからず)

この第4幕は文字通りぞくっとするような迫真の演技。拳銃を撃つ音やその後の流血がリアルだったこともありますが、観客すべてがスクリーンに釘付けになっているのがよく分かりました。生の舞台であれば歌だけですが、映像でアップにして表情も細かく映ります。まるで映画か舞台演劇を見ているかのよう。演技に秀でていることも彼の人気の要因かもしれません、今回の舞台の演出家は演劇の演出家としては有名だそうですが、曰く「ロバート・デ・ニーロに匹敵する」とのこと。

今週金曜日までですが、
ここで一部を見ることができます
次回はプッチーニの名作《ラ・ボエーム》、初めてオペラを観るなら”これ”です。5月10日から、
ここで一部の音声を聴くことができます

恋人との再会:ナタリー・デセイ リサイタル

月曜日は授業のあと、休暇を取り東京・サントリーホールでおこなわれた
ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール デュオ・リサイタル
を聴きに行きました。

ナタリーとは1年半ぶりの再会。現代を代表するソプラノ歌手の1人で、特に透明感のある声と高音を巧みに操る技術、オペラでの達者な演技はずば抜けています。いつもはCDの音とDVDなどの映像でしか会うことができず、生は今回で3回目です。前回はサイン会もあり、間近で会えたのですが、今回は舞台と客席、10メートルも離れていました。

前々回は
ヴェルディ:歌劇「椿姫」(イタリア・トリノ王立歌劇場公演)(ここを観てください
オケは違いますが、『椿姫』の中の代表曲をここで歌っています
前回は
ドニゼッティ:歌劇「ランメルモールのルチア」(ロシア・マリンスキー歌劇場公演、演奏会形式)(ここを観てください
とオペラの主役としての来日でしたが、今回はリサイタル。しかも、母国語であるフランス語の曲が大半を占めており、半年前から予約して楽しみにしていました。

プログラムは
クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームス、リヒャルト・シュトラウス(以上ドイツ語)、ヘンリ・デュパルク、ガブリエル・フォーレ、フランシス・プーランク、クロード・ドビュッシー(以上フランス語)のそれぞれの歌曲を数曲ずつ。作詞者はドイツのハイネやリュッケルト、フランスのボードレール、マラルメなど。

すべてを紹介することはできませんが、この日のメインはやはり最後に歌われたドビュッシーの2曲
現れ(作詞:マラルメ)とアリエルのロマンス(作詞:プルジュ)
です。
ドビュッシーは20世紀前半に活躍したフランスの作曲家、吹奏楽をやっちたかたであれば交響組曲「海」、ピアノをやっていた方は「月の光」などをご存じでしょう。ドビュッシーは歌曲もかなりたくさんつくっており、ナタリー&カサールでドビュッシーの歌曲集CDをリリースしています(これです)。つまり、これらは完全に掌中に収めた曲。さすがでした。
それまでの演奏もすべてすばらしく、うっとりと聴いていたのですが、この2曲は全くの別物。

いずれも恋の歌ですが、全く歌詞を知らなくともそうと分かる見事な表現。ときにうきうきと、ときに寂しく、ときに悲しく。彼女は歌うときにかなり身振りをいれるのですが、差し出された手がまるで自分のほうを指さしているの?と思わせるほどに、聴くものを引きつける力がありました。客席全体の雰囲気も、最後の2曲での緊張感は並大抵ではありませんでした。

前から9列目の端のほうの席。それほど離れているわけではないのですが、それでも目の前にスピーカーを置いているかのようにしっかりときこえてきます。特に、弱音からクレッシェンドしていくときや高音で長く伸ばすときの声の透明感は、いつまでの続けてほしいと思うくらいうっとりとします。

これ以外は大半がはじめて聴く曲ばかりでしたが、当日配布されたプログラムにはすべて原語と対訳がついていました。休憩時間などに斜め読みをしておおよそを頭に入れておけば、あとはナタリーの表現ですべて納得してしまえる演奏。まさに陶酔の一夜でした。