名フィル定期(第456回):《死の家の記録》

 オペラもいいのですが、出発点はオーケストラです。月に一回、名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴きに行っています。名フィルは1966年創立で、現在は小泉和裕が音楽監督を務め、活動の中心である定期演奏会は8月をのぞく年11回、毎月同じプログラムで2回の演奏会が行われます。4月から翌年3月を一シーズンとして、毎年テーマを決めてプログラムを組んでいます。会場は名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールです。ただし、今年11月までは改修工事中のため、金山の名古屋市民会館大ホールです。

 今年のテーマは《文豪クラシック》、多くの文学作品をテーマとした管弦楽曲が作られています。これらを中心にしてプログラムが組まれ、国内外の一流演奏家をソリストを迎えての演奏会です。

 今シーズン第1回目は4月19,20日で、〈ドストエフスキー/死の家の記録〉をテーマに
ヤナーチェク(イーレク編曲):歌劇《死者の家から》組曲
伊福部昭:マリンバとオーケストラのためのラウダ・コンチェルタータ
ゴレミノフ:弦楽のための5つのスケッチ
ヤナーチェク:シンフォニエッタ
マリンバ独奏:大茂絵里子
指揮:ロッセン・ゲルゴフ

 ドストエフスキーは『罪と罰』や『カラマーゾフ兄弟』などが有名な作家です。1821年生まれで、1881年になくなっています。帝政ロシア時代の終末期ですね。トルストイやツルゲーネフとほぼ同世代です。『死の家の記録』は代表作に先立って執筆されたものです。ドストエフスキーは自由主義者として帝政ロシア当局に逮捕され、いったん死刑判決を受けます。その後恩赦によって減刑されて、シベリアに数年間流刑されます。このときの経験を基に書かれたのが『死の家の記録』で、本人をモデルにしたと思われるインテリの囚人の語りとして流刑地での囚人達の生活の様子が描かれています。ドキュメンタリーのような内容ですが、何ともいえず暗い話で、あまり大きな起伏もなく話が進みます。囚人達の出自にはじまり、罪状、あるいは強制労働の様子、監視人達の振るまいなどが綴られ、とてもオペラに向いているとは思えないストーリーですが、チェコの作曲家ヤナーチェクは自ら台本を執筆して成功を収めました。

 今回1曲目で演奏されたのは歌劇の音楽を抜粋して3曲にまとめたもの。ヤナーチェクの故郷であるチェコ東部・ブルノの指揮者であったフランティシェク・イーレクの編曲です。歌劇の序曲をほぼそのまま冒頭に置き、途中に描かれる祝日に演じられる囚人達の素人芝居の音楽などが続きます。管楽器の響きが印象的ですが、打楽器も一日の作業の始まりと終わりを表しているかのような銅鑼(楽器の名称としてはタムタムといいます)の音や、囚人達の手足につけられた手かせ、足かせの鎖の音などを織り込んでいます。時折入る弦楽器のソロも見事でした。CDで聴いているとよく分からなかったのですが、かなりソロが目立ちます。

 2曲目は日本人作曲家の作品です。伊福部の名前は知らなくても、彼の作曲した曲は誰もが耳にしたことがあるでしょう。映画『ゴジラ』の音楽を作曲しています。あのゴジラ登場の音楽も伊福部の作曲です。今回の作品はマリンバを独奏楽器とした協奏曲のような作品です。「ラウダ」とはイタリア語で「頌歌」という意味だそうで、神をたたえる歌を表しています。マリンバは大型の木琴といった楽器で、鍵盤が大きくて共鳴筒がついてるため、大きなホールでも十分に響きます。ソリストの大茂は愛知県立芸術大学卒業で、現在アメリカを拠点に世界中で活躍しているそうです。舞台映えする容姿でマレットを叩く姿はかっこいいですね。30分近い曲で、楽章の切れ目がないため、ソリストもほとんど休みなしにたたき続けている必要があります。何度がマレットを交換して音色を調整する繊細さ、コーダ部分でおよそ2分半ほど強打を続けるパワーには圧倒されました。

 一般的なオーケストラのコンサートは約2時間ですが、途中15~20分ほど休憩が入ります。後半はその日のメインとなる曲が演奏されますが、今回は2曲が取り上げら得れました。

 指揮は、音楽監督の小泉が3回振るほかは、毎回異なった指揮者が客演します。今回はブルガリア人のゲルゴフ、1981年生まれという若手。ヨーロッパではかなり活躍していて、名フィルにも定期演奏会以外で数回客演しているようですが、私は今回初めて聴きました。小澤征爾の薫陶を受けているようで、日本との縁も薄くはありませんね。

 3曲目は、母国ブルガリアの作曲家の作品を是非とも紹介したいという指揮者の提案で取り上げられたようです。1952年初演とのことですが、耳なじみのよい曲です。弦楽器だけの均質な音色で、しっとりと心にしみる演奏でした。CDなどが出ていないため、もう一回聞き直すことはできないところが残念です。

 さて、メインは1曲目と同じヤナーチェクの作品。村上春樹の「1Q84」で随所に登場する曲です。小説が発表された当時、クラシック音楽愛好家の中ではかなり話題になりましたが、編成が特殊であるだけに生演奏を聴けることになるとは思ってもいませんでした。

 「シンフォニエッタ」とは「小交響曲」の意。演奏時間30分未満で、交響曲と思えば短めではありますが、形式は全く異なります。交響曲の多くは4楽章構成で、第1楽章がソナタ形式、第2楽章が緩徐楽章、第3楽章が舞踊形式、そして第4楽章がフィナーレでロンド形式などが多用されます。ところが、シンフォニエッタは5楽章構成で、各楽章に表題が付き、形式的にもランダムです。とりわけ、第1楽章は通常のオーケストラの編成以外の13名の金管楽器とティンパニによるファンファーレ。迫力もあり、ブラスのアンサンブルを堪能できましたが、自由な発想による組曲形式と思って聴いていた方がわかりやすいかもしれません。CDで何種類か聞き比べてみると、テンポや楽器ごとの音量のバランスなどにかなり差があります。今回の演奏もやや管楽器の響きが大きく、弦楽器の厚みが感じられませんでした。また、金管楽器のハーモニーはきれいで全体としてはいい演奏でしたが、やや躍動感に欠けるところがあったり、オケが指揮者について行けていないようなところがあったりしました。

 「1Q84」では2種類の演奏のLPが取り上げられています。1つは、ジョージ・セル指揮、クリーブランド管弦楽団の演奏、もう一つは小澤征爾指揮のシカゴ交響楽団です。前者はバルトークの「管弦楽のための協奏曲」とのカップリングで、そのままCDになっています。ともに名演です。

 今シーズンは毎回名作文学をテーマとしてプログラムが組まれるため、予習をかねてこれらの作品を読破することを目標にしたいと思います。来月は19世紀のイギリスの詩人・バイロンの「マンフレッド」です。

METライブビューイング ロッシーニ《セミラーミデ》

 先週土曜日からMETライブビューイング第7作目、ロッシーニ作曲の歌劇《セミラーミデ》が上映されています。金曜日までですが、どなたか観に行かれましたか?

 舞台作品を録画して映画館で上映して、生の舞台を見る機会のない多くの人々に見てもらおうという試みが歌舞伎やミュージカルなどで広がっています。日本では《ライブビューイング》を呼ばれていることが多いですが、その先鞭をつけたと言っていいのが、ニューヨークにある現代を代表する歌劇場であるメトロポリタン歌劇場(The Metroporitan Opera House; 通称MET)の企画です。アメリカでは”MET live in High Difinition”と呼ばれています。国内では松竹系で配給され、字幕などをつける都合で現地より2~3週間遅れますが、各地で1週間上映が続けられます。東海地方では名駅のミッドランドスクエア・シネマで上映されてます。HPはここです:
http://www.shochiku.co.jp/met/

 現地でのシーズンは9月から5月までですが、国内でのMETライブビューイングは11月から6がつ初めです。

 今回の作品は、19世紀初めに活躍したイタリアの作曲家ロッシーニの作品。《セビリアの理髪師》は題名はご存じでしょう。喜劇を中心に手がけていた作曲家ですが、《セミラーミデ》や《ウィリアム・テル》などシリアルなストーリーのオペラ(オペラ・セリア、正歌劇と訳されます)もいくつかつくっています。彼の活躍した時代のオペラは「ベル・カント・オペラ」と呼ばれることもあり、18世紀にモーツァルトなどによって確立されたイタリア語のオペラをさらに練り上げ、ストーリー性を持たせながらも、歌手により高度な技巧を求めるように作曲されています。”Bell canto”はイタリア語で「美しい歌」というような意味です。

 さて、今回の《セミラーミデ》は古代のバビロニアを舞台にした王位をめぐる争いをメインストーリーとして、敵討ちと母子の争いを絡ませた物語です。ストーリーはとりあえず起きますが、中心となる歌手として
ソプラノ1人:主人公であるバビロニア女王・セミラーミデ(アンジェラ・リード)
メゾ・ソプラノ1人:若き軍人で、実は死んだと思われていたセミラーミデは息子・アルサーチェ(エリザベス・ドゥシュング)
テノール1人:バビロニア王の座を狙っているインド王・インドレーノ(ハヴィエル・カマレナ)
バス1人:時期王位を狙うセミラーミデの重臣・アッスール(インダール・アブドラザコフ)
と、代表的な音域を全てカバーし、それぞれがいずれも超絶技巧を要求される難曲。歌手をそろえることが難しく、METほどの超一流歌劇場でも今回は25年ぶりの上演とか。今作はCDも持っていないため、今回が初めて視聴でした。

 実際に聴いてみないとわかりにくいですが、それぞれの常識的な音域を越える高音を聞かせるかと思えば、非常に細かな動きをこなし、とても人間業とは思えない演奏でした。これまでにいろんなオペラを見て来ましたが、技術的な難易度は非常に高い作品です。どの出演者も最初のアリアではやや??と感じるフレーズもありましたが、徐々に調子を上げて、途中からは圧巻でした。

 オペラの魅力は歌だけではなく、オーケストラの演奏や合唱、そして舞台美術と出演者の衣装です。演劇性も含めて「総合芸術」と呼ばれる所以です。今回は25年前の舞台をほぼ再現しているようで、衣装も金色を基調とした重厚感のあるもの。時代考証的には完全におかしいのですが、それを感じさせないところが舞台の良さ。石造りの柱や石棺を思わせる道具類や直接炎を上げる演出も圧倒されました。

 次回は5月5日からの1週間。モーツァルトの名作《コジ・ファン・トゥッテ》です。ストーリーはやや滑稽ですが、モーツァルトの音楽、とりわけ重唱のすばらしさを十二分に味わうことができます。

マリア・ジョアン・ピリス ピアノリサイタル

 いよいよ新学期も始まりましたが、春休みの最後はピアノのリサイタルでした。
 4月8日・日曜日、岐阜・サラマンカホールでポルトガル出身のピアニスト、マリア・ジョアン・ピリス(マリア・ジョアン・ピレシュと表記されることも多いようです。ポルトガル語表記では、Maria João Alexandre Barbosa Pires)のリサイタルがありました。現代を代表するピアニストの一人で、たびたび来日しているようですが、生で聴くのは今回が初めてです。そして、今回の日本ツアーは、引退前のラスト・ツアーということで、最後の機会となってしまいました。公式HPはここ:https://www.universal-music.co.jp/maria-joao-pires/です。

 74歳、早いような気もするのですが、今回のプログラムは
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第12番 ヘ長調
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調
と、通常のリサイタル・コンサートに比べると演奏時間はかなり短め。慮るに、体調が思わしくないのでしょうか。

 演奏スタイルは実に自然体で、音楽を素直に表現しようとしているように感じました。衣装も普段着のようなラフなスタイル。演奏中も大きな身振りもなく、ただピアノと一体になるために向かっているかのよう。しかし、音と力強く、線も太い。

 前半のモーツァルトは指ならしの意味もあったのでしょうか、淡々と、しかし確実に鍵盤を叩いているようにも聴こえました。それほど起伏の激しい曲ではありませんが、その分親しみやすく、いかにもモーツァルトという曲です。12番の方はテクニカルにもそれほど難易度は高くないようですが、どなたかひいたことがある方はいらっしゃいますか?

 モーツァルトは軽やかで輝くような音色の演奏が好みでよく聴きますが、ピリスの太い音で聴くと全く別の曲を聴いているようです。こんなモーツァルトもあるのかと感じました。しかし、しばらく聴いていると耳になじみ、音に抱かれているような気分でいい気持ちでした。気持ちよすぎて、やや意識が遠くなったような。

 この日のメインはなんといっても休憩後のベートーヴェンです。ベートーヴェンというと交響曲のイメージが強いですが、作曲活動の柱の1つはピアノ・ソナタです。32番はその最後の作品。2楽章構成でありながら、演奏時間は25分以上。特に第2楽章は変奏曲形式で、ジャズのような雰囲気のところもあれば、静かに淡々と音が刻まれるところもあり、さまざまな表現を要求する曲です。技術的にも難しいようですが、ピアノ・ソナタとしては時代の常識を越えた作品です。

 実は半年前にもこの曲を聴く機会がありました。小山実稚恵さんという、日本を代表するピアニストの演奏(ここに記録があります)でしたが、音色も表現も全く違い驚きました。演奏者と楽器がまるで1つになっているかのようで、耳も目も釘付けになりました。第2楽章の、とりわけ後半は内省的で自問自答しているかのようで、ベートーヴェンの音楽の深い精神性を表現するとともに、ピアノ曲の究極を探っているかのような演奏。まるで演奏者ピリス自身の音楽人生を語ってくれているかのようでもありました。聴きに行ったかいがありました。

 しばらく日本にいて各地で演奏するようです。来週末には東京でNHK交響楽団の定期演奏会でベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番が予定されています。たぶん、6月頃にNHK・Eテレのクラシック音楽館(日曜日午後9時)で録画が放送されると思います。

METライブビューイング《ラ・ボエーム》

 先週土曜日(3月31日)から、今シーズン第6作目、プッチーニ作曲歌劇《ラ・ボエーム》が始まっています。今週の金曜日までですが、朝と夕方の2回公演です。今回の配役は若手歌手中心でビッグネームをあえて起用していません。中心になる役柄は4人ですが、それ以外の登場人物にも重要な役割があり、音楽を超えたアンサンブルが重要な演目です。大物に頼らないことが非常に良い効果を産んでいたように思います。

 19世紀半ばのパリの下町、カルチェラタンと呼ばれる地域が舞台です。現在も大学があるなどパリの中心に位置し、学生街として知られていますが、当時も若者が多かったようです。題名の《ラ・ボエーム》は英語で言えば”The Bohemian”、ロマの人たちをさすこともありますが、ここでは「社会の習慣に縛られず,芸術などを志して自由気ままに生活する人」(大辞林)と言う意味でしょう。まさに、その通りの若者達が主人公の物語です。

 ストーリーはすでに書いているのでそちらに譲りますが、4幕構成で、各幕がおよそ30分ずつ、起承転結がはっきりしていて、展開のわかりやすさはこの作品の魅力の一つです。そして、登場人物である若い芸術家たち、今でいえばちょうど大学生であろう彼ら、彼女らの振る舞いを見事に描いていることも見逃せません。あまりに《ボヘミアン》で、なにやらイライラした気持ちにもさせられますが、やはり清々しい気持ちにさせてくれます。そして、なによりも最大の魅力は登場人物の感情や行動に合わせたプッチーニの音楽です。特に、第4幕でヒロインが息を引き取った後は何度視ても聴いても胸がつまります。

 今回の指揮者はイタリア人のマルコ・アルミリアート、イタリアオペラの指揮では定評があります。