名フィル第486回定期
2021/01/25 格納先: 音楽の話題
緊急事態宣言下ではありますが、1月22、23日に行われました。土曜日に行きましたが、以前のように1席おきに着席するということにはなっていませんが、客席はかなり空いていました。やむを得ないとはいえ、オンライン配信などいろいろな工夫によって広く伝えられなかったのが残念です。財政的な援助や人的な支援が必要です。
今回は〈変容〉と題して、
テーマである〈変容〉とは、作曲者であるベートーヴェン自身が、自ら作曲したヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲したことを指しています。原曲は数あるヴァイオリン協奏曲の中でも名曲中の名曲。名フィルでは第441回定期で聴きました。CDも多数リリースされ、Youtubeでも簡単に見つけられるはずですから、ぜひ一度聴いてください。
さて、今回演奏されたピアノ協奏曲版は、ヴァイオリン協奏曲の成功もあって友人たちから勧められて編曲し、1年後には初演されています。独奏パートは、右手でヴァイオリンの旋律をほぼそのまま演奏し、左でが伴奏を付ける程度で、おそらくピアノ曲としてはそれほど難しくはないでしょう。しかし、オーケストラとのアンサンブルでの音色の対比はヴァイオリン協奏曲にはない魅力です。また、各楽章の後半に置かれた、カデンツァではピアノのために書かれた部分で、この曲の一番の聴きどころです。
独奏の北村はこれまで名フィル定期で2回聴いています(第359回でモーツァルトのピアノ協奏曲第9番、第369回でラヴェルのピアノ協奏曲)。春日井市出身で、名古屋の明和高校の卒業生です。記録を読み返すと、経験を積んだ後に表現力を求められるベートーヴェンを聴いてみたい、などと偉そうなことを書いています。10年を経て、このときの期待が現実のものになりました。もともと才能があるとはいえ、しっかりと精進した証でしょう。
北村のピアノは非常に優しく丸い音で、非常にロマンティックな演奏でした。時として蠱惑的な響きを感じました。演奏中に見せるややヒネたようなしぐさとも相まって、一夜でファンになった方もいたのではないでしょうか。それほど演奏頻度の多角はない今回の曲を掌中のものとし、オケの音をよく聴き、互いをよくわかりあった演奏だったと思います。次はブラームスやシューマン、あるいはプロコフィエフやバルトークなども聴いてみたい。
後半は、ともにポーランド出身の作曲家の作品です。〈変容〉がどこに生きているのか不明ですが、パヌフニクは1914年生まれ、ルトスワフスキは1913年生まれで、ともに90年代はじめになくっています。激変のポーランドを生き抜いたなかでは、人生も、そして編みだす音楽も〈変容〉せざるを得なかったことでしょう。
パヌフニクの曲を取り上げるのは、名フィルでは初めてのこととか。『カティンの墓碑銘』はパヌフニクの曲の中ではよく知られているようで、初演第二次大戦中のポーランド人捕虜の虐殺事件の犠牲者への追悼でもあり、作曲当時にナチスによるとされていたことから、全体主義への警鐘の意味も込められた曲です(その後の研究で、スターリンの命によってソ連軍によって実行されたことがわかっている)。
ヴァイオリンの高音を弱音で奏でることから始まり、木管楽器、そして弦楽器と重なっていくメロディーは、音楽というよりも、死者たちの語りに聞こえました。それは、悲しみであると同時に、思い出でもあり、さらには生き残った者たちへの励ましかもしれません。全体の音量は徐々に増していきますが、決して快活になることはなく、最後になにか考えることを求めて終わります。いわゆる現代音楽でもあり、口ずさめるようなメロディーはありません。しかし、全体の印象として心に残る曲であり、演奏でした。
メインの『管弦楽の協奏曲』もルトスワフスキの代表作。ハープ2台、ピアノにチェレスタ、打楽器も6人を要する大編成で、ポーランドの民族音楽のフレーズを取り入れながらも、あくまでのオーケストラの曲として、特に各楽器の特徴を楽しめるように作曲されています。音量もあり、どうしても打楽器に目が行きますが、今回の演奏では弦楽器がすばらしい。パートとしてまとまって、あるいは主席あるいは二人、三人、四人ごとに細かく演奏スタイルが支持されているようです。細かな音符を合わせるのは、プロとはいえそんなに簡単なことではないはずですが、ぴったりと合っていました。もちろん、管楽器の妙技の聴きどころです。
後半の作曲者二人は同世代ということもあり、互いに交流があったそうです。また、今回の指揮者・尾高は日本を代表する指揮者の一人ですが、父親の尾高尚忠は作曲家として著名で、パヌフニクとは交際があったそうです。そのような縁からの選曲かもしれません。
今回は〈変容〉と題して、
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲ニ長調(作曲者自身がヴァイオリン協奏曲を編曲)
パヌフニク:カティンの墓碑銘
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲
ピアノ独奏:北村朋幹
指揮:尾高忠明
テーマである〈変容〉とは、作曲者であるベートーヴェン自身が、自ら作曲したヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲したことを指しています。原曲は数あるヴァイオリン協奏曲の中でも名曲中の名曲。名フィルでは第441回定期で聴きました。CDも多数リリースされ、Youtubeでも簡単に見つけられるはずですから、ぜひ一度聴いてください。
さて、今回演奏されたピアノ協奏曲版は、ヴァイオリン協奏曲の成功もあって友人たちから勧められて編曲し、1年後には初演されています。独奏パートは、右手でヴァイオリンの旋律をほぼそのまま演奏し、左でが伴奏を付ける程度で、おそらくピアノ曲としてはそれほど難しくはないでしょう。しかし、オーケストラとのアンサンブルでの音色の対比はヴァイオリン協奏曲にはない魅力です。また、各楽章の後半に置かれた、カデンツァではピアノのために書かれた部分で、この曲の一番の聴きどころです。
独奏の北村はこれまで名フィル定期で2回聴いています(第359回でモーツァルトのピアノ協奏曲第9番、第369回でラヴェルのピアノ協奏曲)。春日井市出身で、名古屋の明和高校の卒業生です。記録を読み返すと、経験を積んだ後に表現力を求められるベートーヴェンを聴いてみたい、などと偉そうなことを書いています。10年を経て、このときの期待が現実のものになりました。もともと才能があるとはいえ、しっかりと精進した証でしょう。
北村のピアノは非常に優しく丸い音で、非常にロマンティックな演奏でした。時として蠱惑的な響きを感じました。演奏中に見せるややヒネたようなしぐさとも相まって、一夜でファンになった方もいたのではないでしょうか。それほど演奏頻度の多角はない今回の曲を掌中のものとし、オケの音をよく聴き、互いをよくわかりあった演奏だったと思います。次はブラームスやシューマン、あるいはプロコフィエフやバルトークなども聴いてみたい。
後半は、ともにポーランド出身の作曲家の作品です。〈変容〉がどこに生きているのか不明ですが、パヌフニクは1914年生まれ、ルトスワフスキは1913年生まれで、ともに90年代はじめになくっています。激変のポーランドを生き抜いたなかでは、人生も、そして編みだす音楽も〈変容〉せざるを得なかったことでしょう。
パヌフニクの曲を取り上げるのは、名フィルでは初めてのこととか。『カティンの墓碑銘』はパヌフニクの曲の中ではよく知られているようで、初演第二次大戦中のポーランド人捕虜の虐殺事件の犠牲者への追悼でもあり、作曲当時にナチスによるとされていたことから、全体主義への警鐘の意味も込められた曲です(その後の研究で、スターリンの命によってソ連軍によって実行されたことがわかっている)。
ヴァイオリンの高音を弱音で奏でることから始まり、木管楽器、そして弦楽器と重なっていくメロディーは、音楽というよりも、死者たちの語りに聞こえました。それは、悲しみであると同時に、思い出でもあり、さらには生き残った者たちへの励ましかもしれません。全体の音量は徐々に増していきますが、決して快活になることはなく、最後になにか考えることを求めて終わります。いわゆる現代音楽でもあり、口ずさめるようなメロディーはありません。しかし、全体の印象として心に残る曲であり、演奏でした。
メインの『管弦楽の協奏曲』もルトスワフスキの代表作。ハープ2台、ピアノにチェレスタ、打楽器も6人を要する大編成で、ポーランドの民族音楽のフレーズを取り入れながらも、あくまでのオーケストラの曲として、特に各楽器の特徴を楽しめるように作曲されています。音量もあり、どうしても打楽器に目が行きますが、今回の演奏では弦楽器がすばらしい。パートとしてまとまって、あるいは主席あるいは二人、三人、四人ごとに細かく演奏スタイルが支持されているようです。細かな音符を合わせるのは、プロとはいえそんなに簡単なことではないはずですが、ぴったりと合っていました。もちろん、管楽器の妙技の聴きどころです。
後半の作曲者二人は同世代ということもあり、互いに交流があったそうです。また、今回の指揮者・尾高は日本を代表する指揮者の一人ですが、父親の尾高尚忠は作曲家として著名で、パヌフニクとは交際があったそうです。そのような縁からの選曲かもしれません。