6月生まれの作曲家6:オッフェンバックとアンダーソン

 6月生まれの有名作曲家が多く、あと2人を簡単に紹介します。
 ジャック・オッフェンバックとルロイ・アンダーソンです。
 オッフェンバックは1819年6月20日生まれで、1880年に亡くなっているので、5月生まれで紹介した1813年生まれのワーグナーと同世代です。 ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach)はペンネームで、本名はヤーコプ・レヴィ・エーベルスト(Jakob Levy Eberst)といい、生まれはドイツのフランクフルト近郊です。フランス・パリを舞台に活躍したオッフェンバックの代表作は喜歌劇『天国と地獄』でしょう。序曲の最後に奏でられる「カンカン」は非常に有名で、日本では誰もが知る運動会の定番です。

 この喜歌劇はフランス語の現代をそのまま訳すと「地獄のオルフェ」で、ギリシャ神話のオルフェウスとエウリディーチェの話に着想を得た喜劇です。喜歌劇は、今でいうミュージカルのようなもので、歌劇とは違って音楽、歌唱だけではなく、セリフが入ります。ストーリーには悲劇的な要素はなく、ハッピーエンドです。オッフェンバックは喜歌劇を創始したと言っても良いでしょう。

 オッフェンバックは歌劇も作っており、「ホフマンの舟歌」で有名な『ホフマン物語』は現在も度々上演されています。

 もう1人のルロイ・アンダーソン(Leroy Anderson)は1819年6月29日、アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。北欧系のようですが、「アメリカ軽音楽の巨匠」とも表さることもあるようで、オーケストラのための交響曲などではなく、親しみやすくときに諧謔にとむ作品をつくっています。「シンコペイテッド・クロック」や「タイプライター」などはどこかで聴いたことがあるメロディーだと思います。また、これまた運動会の定番である「トランペット吹きの休日」もうアンダーソンの作品です。

6月生まれの作曲家5:ストラヴィンスキー

 6月生まれの有名作曲家が多く、5回目はロシア生まれでスイス、フランス、そしてアメリカと渡り歩いたイーゴリ・ストラヴィンスキーです。

 1882年6月17日にロシア帝国の首都ペテルブルク近郊で生まれました。ロシア革命の混乱を避けてスイスへ亡命し、その後パリで活躍してフランス国籍を獲得するも、第二次大戦でのドイツに占領されるフランスを避けてアメリカに渡って、1971年4月6日にニューヨークで亡くなりました。

 住むところが次々と変わっていますが、作風も「カメレオン」と揶揄されるほどにコロコロ変わったようです。しかし、現在も頻繁に演奏されるのはパリにいた30代の頃に作曲した3曲のバレエ音楽です。『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、そして『春の祭典』。いずれもディアギレフという興業主に頼まれて作曲しました。それまでのロマン派の影響も感じますが、そこから独自の作風を打ち立てていく過程といえそうです。到達点である『春の祭典』は古代ロシアの風俗に取材したストーリーで、音楽はメロディーよりもリズムに重きを置き、情緒や感情を廃して土俗的と言ってよいでしょう。18、19世紀の音楽を聴き慣れた耳にはとても受け入れられないかもしれません。事実、初演は音楽史上に残る大混乱だったとか。

 『春の祭典』の「祭典」は決してカーニバルでもフェスティバルでもなく、春の訪れを祝う意味を込めているようです。しかし、バレエとしてのストーリーは幼い少女が生贄になる過程を描くもので、キリスト教以前のロシアの古代宗教のしきたりのようです。音楽も優雅さとは程遠く、人間の持つ根源的な欲求や情念のようなものを感じさせます。個人的には20世紀に作曲された音楽の中では最高傑作だと思います。生演奏も何度か聴いていますし、CDも15種類ほど持っています。何度聴いても奥底から突き上げてくるような感情が抑えられません。

6月生まれの作曲家4:グリーグ

 6月の四人目はエドヴァルド・グリーグです。1843年6月15日生まれた作曲家です。組曲『ペール・ギュント』の「朝」は誰もが知るところでしょう。

 ノルウェー生まれとしては唯一と言ってしまうと、ノルウェーの方は怒るかな。確かドイツには留学しているはずですが、基本的にはノルウェーにとどまって作曲をしています。シューマンのピアノ協奏曲を聴いて強く影響を受け、同じくピアノ協奏曲を作曲しました。『ペール・ギュント』と並んで今日でもよく演奏されます。冒頭がシューマンのピアノ協奏曲と酷似しています。

 『ペール・ギュント』は舞台作品への劇音楽です。主人公であるペール・ギュントが世界中を旅して回る、冒険活劇のような物語です。残念ながら演劇は見たことがありませんが、評判になったため、グリーグ自身が数曲ずつを選んで二つの組曲を編みました。「朝」は組曲第1番第1曲です。ただし、演劇では冒頭に演奏されるわけではありません。題名の通り朝を描いた音楽ですが、どんな朝、どこの朝は分かりますか?

6月生まれの作曲家3:リヒャルト・シュトラウス

 6月生まれの3人目はリヒャルト・シュトラウスです。1864年6月11日、ミュンヘン生まれです。父親は当時のミュンヘンの王立劇場のホルン奏者でした。ヨハン・シュトラウスという作曲ががいますが、血縁関係は全くありません。“Strauss“はドイツ語圏によくあるファミリーネームのようです。ヨハン・シュトラウスと区別するためにフルネームで呼ばれることが多いです。

 若くして天才の名を恣にし、作曲家として成功します。オーケストラによって物語を描く交響詩というジャンルで、次々と名曲をつくります。交響詩『ツァラストゥストラはこう語った』の冒頭部分は映画「2001年宇宙の旅」で使われて有名になりました。今でもBGMとしてよく使われています。また、「アルプル交響曲」や「英雄の生涯」のように自らの経験を音楽にした曲や、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」や「ドン・ファン」のように伝説・昔話をモチーフにした曲も作っています。いずれも演奏するには難しい曲ばかりですが、印象的なフレーズもあり、大編成のオーケストラを響かせ聴き応えがあります。ややマイナーですが、ピアノ協奏曲のような「ブルレスカ」がお薦めです。

 作曲家人生の前半は、このようにオーケストラ作品が中心でしたが、後半に入ると一転してオペラばかりを作曲します。『サロメ』は新約聖書を中の物語を題材にしたオスカーワイルイドの戯曲をもとにオペラ化した作品で、当時としては非常に前衛的でした。「七つのヴェールの踊り」は単独でも演奏されることがあります。しかし、その後はやや古典回帰して、分かりやすい作品を作っています。

 リヒャルト・シュトラウスはモーツァルトを大変尊敬していました。そのモーツァルトの傑作オペラである『フィガロの結婚』に対するオマージュとして作曲したのが『ばらの騎士』です。当時の大ヒット作品で、私の最も好きなオペラでもあります。音楽が素晴らしいのはもちろんですが、古き良き時代として描くことによってモーツァルトを称えながらも、世紀末ヨーロッパを懐かしみ、さらに、老若男女の悲喜交々を優しく包み込むように描いています。作中人物の誰かには必ず感情移入できるすばらし作品です。

 この他に、滅多に上演されないようですが、リヒャルト・シュトラウス最後のオペラである『カプリッチョ』は、音楽か詩かという、歌曲あるいはオペラにとっての究極の問いをテーマにした作品です。オペラの中では結論は出していないところが、憎らしい。

 1949年に85歳で亡くなります。当時のことですから大往生といって良いでしょう。亡くなる3年ほど前に作曲した「オーボエ協奏曲」は愛らしくありながらも、楽器の魅力を存分に引き出した佳作です。

6月生まれの作曲家2:シューマン

 6月生まれの作曲家の第2段は、1810年6月8日生まれのロベルト・シューマンです。ピアノを習ったことがあれば、トロイメライ(『子供の情景』より)を弾いたことがあるかもしれません。

 音楽史的にはドイツ・ロマン派の代表とされますが、まさに、これぞロマン派という曲調で、人の感情や情緒を前面に出し、同じメロディーメーカーであってもモーツァルトなどとは全く違います。

 本人はピアニストを志しますが、指を痛めて断念、作曲に専念します。ピアノ曲、歌曲、そしてオーケストラ曲と、現在もコンサートで頻繁に取り上げられる作曲家です。また、音楽評論の先駆けとも言える文筆家としても成功します。「諸君、脱帽せよ。天才が現れた」と言ってショパンを紹介したはシューマンです。と言っても、ショパンも1810年生まれです。先月紹介したブラームスもシューマンに見出され、その後愛弟子となります。

 ピアニストを志していた若い頃、フリードリッヒ・ヴィークというピアニストに弟子入りします。ここで生涯の伴侶であるクララ・ヴィークと出会います。シューマン自身はピアニストを諦めますが、クララはおそらく当時世界一のピアニスト。彼女のために次々と名曲を作曲します。

 シューマンは大好きな作曲家の1人ですが、中でもピアノ協奏曲は何度聞いても飽きることのない名曲だと思います。もちろん、クララのために作曲し、冒頭の印象的なフレーズは“Clara“のスペルからC・H・A(ドイツ音名のAはイタリア音名でRa)のモチーフを考えたとも。かつて「ウルトラセブン」の最終回でもBGMとして使われました。

 交響曲は4曲作曲しています。どれもいい曲ですが、第3番『ライン』は幼い頃からなじんだドイツの大河を思い描きながら作曲したのでしょう。雄大でありながらも、スメタナの「モルダウ」ほど直截的ではありませんが、様々な情景が思い浮かびます。

 シューマンは作曲家、評論家として名をなすとともに、さらに活動の幅を広げて指揮者としても活躍します。しかし、集団を束ねてリードしていくような性格ではなかったのでしょう。精神的に追い詰められて、自殺を図ります。幸い命は取り留めますが、2年間精神病院へ入院した後、1856年7月29日に亡くなります。享年46歳でした。ピアノ曲などに顕著ですが、非常に繊細な精神を持っていたのかもしれません。

6月生まれの作曲家1:エルガーとハチャトゥリアン

 5月を書いたので6月も続けないわけにはいかないでしょう。
 今月、というより今週生まれの有名な作曲家は2人。
 1857年生まれのイギリス人、エドワード・エルガーと1903年に帝政ロシア領グルジア(現ジョージア)に生まれたアラム・ハチャトゥリアンです。

 イギリスといえば、七つの海を制し、いち早く産業革命を成し遂げた国ですが、有名な作曲家はそれほど多くありません。そんな中で19世紀後半から20世紀にかけて活躍したエルガーは最も有名な作曲家です。身分にうるさいイギリスにあって決して、出身家庭は上流階級でも裕福でもなかったようですが、両親や兄弟ともに音楽の際に恵まれていたようです。

 最も有名なのは行進曲「威風堂々」でしょう。また、3曲ある交響曲や「エニグマ変奏曲」は比較的演奏機会に恵まれており、名フィルの定期演奏会でも取り上げられました。また、「チェロ協奏曲」はチェリストにとっても重要なレパートリーで、頻繁に演奏されます。

 ヴァイリン曲の「愛の挨拶」はエルガーが婚約の記念に作曲したもので、愛らしく親しみやすい曲は様々に編曲されています。

 ハチャトゥリアンは、プロコフィエフやショスタコーヴィチと並び称される旧ソ連を代表する作曲家の1人です。残念ながら、日本ではほとんど取り上げられることはありませんが、唯一誰もが知るのは、バレエ音楽『ガイーヌ』の中の「剣の舞」でしょう。この曲にもいろんなアレンジがありますが、原曲ではマリンバで演奏されます。打楽器奏者の見せ場です。

5月生まれの作曲家4:ワーグナー

 月を超えてしまいましたが、5月生まれの作曲家をもう1人だけ紹介しましょう。リヒャルト・ワーグナーです。

 1813年5月22日、ライプツィヒ生まれ。1883年2月13日に亡くなっています。この時代としては長生きになると思います。また、彼ほど自らの野心を剥き出しにし、なおかつそれを実現した音楽家はいないでしょう。満足のいく人生だったのではないかと想像します。

 とは言っても、波乱万丈を絵に書いたような人生であったことも事実で、幼い頃に父親を亡くし、革命に参加するも敗れて亡命、各地を点々としときに借金取りに追われて夜逃げ、その過程で遭難しかけることも。人妻と不倫関係になったり、弟子の奥さんと再婚したり。はたまた、国王に取り入って借金を払わせた挙句に、自分専用の劇場を造らせる。伝記あるいは映画にするとさぞ面白いことでしょう。

 現在演奏されるのは数曲のオペラだけですが、ドイツオペラの頂点を作り、その後のヨーロッパ楽壇に与えた影響は計り知れません。19世紀まで有名な作曲家の中で、その子孫がクラシック音楽界で影響力を持っているのはワーグナー一族だけでしょう。

 彼のオペラはドイツや北欧の神話や伝説を基にした話が多く、台本も自分で書いている点で独特です。馴染みにくいストーリーも多い中で、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が最もわかりやすいでしょうか。特に前奏曲はオーケストラの演奏会で単独でも取り上げられますし、BGMとしても利用されています。

 『ニーベルングの指輪』は四つのオペラの連作で1作品という特異な形式。全曲を演奏または鑑賞するには4日間、合計20時間近くかかります。

 昨年の夏にドイツで『ニュルンベルクのマイスタージンガー』をミュンヘン国立歌劇場で見ました(ここ)。このオペラは1866年にこの劇場で初演されています。また、バイロイト音楽祭では『ローエングリン』をみることができました(ここここ)。この音楽祭が行われるバイロイト祝祭劇場が、ワーグナーが自分専用に造らせた劇場です。