歌劇《ノルマ》のあらすじ

 主な登場人物と配役は
ガリア地方のケルト人部族の巫女の長、ノルマ(ソプラノ):ソンドラ・ラドヴァノフスキー
ノルマの父で部族長、オロヴェーゾ(バス):マシュー・ローズ
若い巫女、アダルジーザ(メゾ・ソプラノ):ジョイス・ディドナート
ローマ人の総督、ポリオーネ(テノール):ジョセフ・カレーヤ
  この他に、
ケルトの兵士や住民をMETの合唱団が務めています。
指揮はカルロ・リッツィ、演出はデイヴィッド・マクヴィカー。

 舞台は紀元前の共和制ローマ支配下のガリア地方。支配されているケルト人はドルイド教徒とされています。ただし、ドルイド教という宗教はなかったようで、部族内の身分制度、または最も身分の高い階層をドルイドと言うのではなかったかと思います。ただ、今回の演出でも強調されていましたが、森や樹木、特に宿り木を神木として崇拝の対象にしているようです。神木とその周辺に人々が集まり、その地下に神木の根を柱にするようにノルマの住居をしつらえるというこった舞台装置でした。

第1幕
 ローマ人の支配が厳しく、この地方のケルトの部族は反乱のために蜂起することを願っていて、巫女であるノルマを通じて神託が降りるのを待ちわびています。ここへノルマが登場し、ひたすら平和を説き、《Casta Diva; 清らかな女神》と始まる有名なアリアを歌います。このオペラの最大の聴き所であり、歌手にとっては最も難しいアリア。何度聴いても心にしみます。ノルマが平和を説く理由は、ノルマはローマの総督ポリオーネと密かに結ばれていて、2人の子どもを隠して育てているからです。しかし一方で、ノルマはポリオーネの気持ちが自分から離れていることを感じて悩んでいます。この複雑な心境を歌ったすばらしい独唱です。
 ポリオーネは若い巫女であるアダルジーザに心を移していて、一緒にローマへ以降を誘っています。アダルジーザもポリオーネをにくからず思っているため、相手の名前を隠してノルマに相談に来ます。巫女が男性と通じることは禁じられていますが、ノルマは自分のことがあるため、アダルジーザを励まします。そこへポリオーネが現れて、互いの関係が全て明らかになります。事情を悟って悩むアダルジーザ、怒り心頭のノルマ、そしてポリオーネはノルマに冷たくアダルジーザをかばう。ここで3人がそれぞれの感情を歌い上げる三重唱で幕。何ともいえない幕切れです。オペラの見所、聴き所はいろいろあり、独唱はその1つですが、個人的には重唱を外すわけにはいきません。作曲家によって得意、不得意があり、どんなオペラにも言い重唱があるわけではありませんが、《ノルマ》にはこの三重唱と2幕の二重唱がすばらしい。

第2幕
 ポリオーネに裏切られたノルマは2人の子どもを殺して自らも命を絶とうとしますが、どうしてもできません。今回の演出ではこの第2幕冒頭の演技が非常にリアルで、歌詞とマッチしていました。そこへアダルジーザが現れて、自分が身を引き、ポリオーネにノルマとよりを戻すように説得すると語ります。現実の話として、そんなことができるわけもないでしょうが、ノルマは望みを託します。他の映像や実演では気がつきませんでしたが、ここでのノルマとアダルジーザの二重唱が実にすばらしい。今回の上演で最も心を打たれた場面です。しかし、ポリオーネはアダルジーザの提案を拒否したために、ノルマは激怒。突然聖なる銅鑼を叩き(これが巫女の長であるノルマの役割の1つのようです)、部族を集めて、ローマに対する戦いを宣言します。同時に、部族内に裏切り者がいることもつげます。
そこへ、アダルジーザを連れ出そうと神殿に侵入したところをとらえられたポリオーネが引き出されてきます。ノルマは集まった兵士達をさらせた後、ポリオーネに「アダルジーザを忘れれば命は助ける」と伝えますが、ポリオーネは拒否。ノルマは「裏切り者が分かった」と兵士達を集め、「それは自分である」と告げます。子ども達を父親に預けて、自ら火刑台へ。ノルマの姿に心打たれたポリオーネも一緒に火刑台へ進むところで幕が降ります。最期のノルマの鬼気迫るところも迫力があって見応えがあります。また、兵士達の様な群衆を表現する合唱団の迫力はすさまじいものがあります。METの合唱団は特に定評があるようですが、一度生で聴いてみたいものです。

 ポリオーネはとんでもない裏切り者から、最期に改心?するという、やや納得のいかない終わりまたです。演じる方はこの感情の振幅の大きさを以下に表現するかが問われるのでしょうが、そもそもストーリーに無理があるような気もします。オペラであるということで許されるのでしょう。

METライブビューイング 《ノルマ》

 以前にも紹介しましたが、敷居が高いと感じる方の多いオペラを身近な映画館で見ることができます。国内で上演されているオペラはたまにNHKが放送するくらいですが、海外のいくつかの歌劇場では独自の事業として世界中に発信しています。中でも最も成功しているのが、この事業の先駆者でもあるニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の「METライブビューイング(現地では”MET Live in HD”と呼ばれ、日本では松竹系が配給している。”HD”はhigh difinitionの略で、「高精細、つまりきれいな映像で提供すると言いたいのでしょう)」です。Webサイトはここ(http://www.shochiku.co.jp/met/)です

 東海地方では、名駅のミッドランドスクエア・シネマで、それぞれ1週間ずつ上映されています。1上映が¥3,600と通常の映画の二倍の価格ですが、オペラの実演奏時間は2~4時間、出演者のインタビューやバックステージ・ツアーのような時間も含まれるため、一般的な映画の2倍以上の時間になりますので、納得しておきましょう。たいてい途中に1回ないし2回の休憩があります。

 シーズンは11月から翌年の5月か6月までで、10作品が上映されます。今シーズンの第1作目はベルリーニ(ベッリーニ)作曲の歌劇《ノルマ》。19世紀前半にイタリアを中心につくられた「ベルカント・オペラ」と呼ばれる一連のオペラの最高傑作とされる作品です。「ベルカント」とはイタリア語で「美しい歌」という意味ですが、オペラの場合、歌手の歌う技術を極限まで追求しています。したがって、《ノルマ》のような作品は歌手にとっては負担が大きく、必ずしも上演頻度は高くありません。

 主な登場人物は3人で、平たく言えば三角関係の末の悲劇です。いずれも感情の変化の幅が大きいため、演じる歌手は高い表現力が求められます。また、舞台となっているのが共和制ローマに支配された紀元前のガリア地方(今のフランスとその周辺)で、反乱を企てるケルト人を演じる合唱団も大きな役割を担っています。

 今回の上演で主役のノルマ役を歌ったソンドラ・ラドヴァノフスキーは、単にテクニックだけに流れることなく、感情の起伏を見事に表現していたと思います。また、合唱団は分厚い響きで非常に聴き応えがありました。

 《ノルマ》は昨年11月に実演を聴いています(ここです)。このときは歌手目当てで聴きに行きましたが、今回は演出や各歌手の歌唱、オケの演奏などいくつかの聴き所を十分に堪能できました。

 次回は12月の中旬で、モーツァルトの《魔笛》です。非常に有名な作品で、ファンタジーのようなストーリーです。ヨーロッパでは子どもが初めて見るオペラとされているとのこと。やや奇想天外すぎて、大人が見るとキツネにつままれたような気分にもなりますが、ソプラノからバスまで、高度なテクニックを要する歌唱から心にしみる響きまで、いろんなタイプの歌唱や合唱を楽しめます。

 METライブビューイング以外では、ロンドンの英国王立歌劇場(通称、コヴェント・ガーデン歌劇場、またはロイヤル・オペラ)のライブビューイングを東宝系が配給しています(Webサイトはここ:http://tohotowa.co.jp/roh/)。コヴェント・ガーデンはバレエも非常に有名であるため、オペラの上演だけではなく、バレエの上演を併せて年間10数本を、MEtと同様にそれぞれ1週間ずつ上映しています。東海地方では、TOHOシネマ・名古屋ベイ(イオンモール・名古屋港に隣接しています)で上映されています。たぶん、毎回「プレミアム・スクリーン」を使っているようですので、部屋の内装やシートなど高級感があります。

チャリティー・コンサート

 名フィル定期の翌週(21日)に名古屋銀行が主催するチャリティ・コンサートがありました。毎年この時期に行われていますが、入場料が何と¥1,000で、名フィルと世界一流の音楽家の演奏を楽しめるため、毎回発売早々に完売です。

 今年のプログラムは
スメタナ:組曲『我が祖国』から交響詩『シャールカ』
モーツァルト:ホルン協奏曲第2番変ホ長調
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調『新世界より』
ホルン独奏兼指揮:ラデク・バボラーク

 今回のお目当てはなんと言ってもバボラークのホルン、現在世界一とも言われるホルン奏者です。

 今回は指揮もかねての吹き振りです。吹奏楽器であるホルンを吹くことと指揮することを兼ねるので「吹き降り」です。実際に吹きながら指揮棒を振ることは不可能ですが、リハーサル(練習)を含めて、演奏の意図や方針をオケに伝えるというところも「指揮」のうちです。モーツァルトの曲はオケの編成も小さいため、プロであれば棒振りががいなくても演奏は成立します。したがって、自分の意図をくんでくれるオケをバックにしたホルンの独奏です。

 バボラークのホルンは以前に名フィル定期でも聴きました(第409回定期)が、見事としか言いようがありません。長く伸びる音はビロードの手触りのよう、細かく刻むように動くパッセージは噴水から水滴がはじけ飛ぶよう。この時間がずっと続いてくれればと感じるすばらしい演奏でした。

名フィル定期 第451回 アメリカの映画音楽

 先週末(11月18日)に行われた名フィル定期は〈ロスアンジェルス/アメリカン・サウンド〉をテーマに
B. ハーマン:映画《めまい》組曲
J.
ウィリアムス:トランペット協奏曲
酒井健治:交響曲第1番『スピリトゥス』(委嘱新作/世界初演)
ガーシュウィン:組曲『キャトフィッシュ・ロウ』(歌劇『ポーギーとベス』より)
トランペット独奏:トーマス・フートゥン
指揮:エドウィン・アウトウォーター
(酒井健治さんは名フィル・コンポーザー・イン・レジデンス、「お抱え作曲家」ほどの意味になるでしょうか。今後、3〜5年の間、名フィル定期に毎年1曲ずつ新曲を提供する予定のようです。)

 今回のプログラムは独特です。ロスをテーマにしているところからも分かるように、映画音楽あるいは映画音楽の著名な作曲家の作品を取り上げ、同時に、アメリカを代表する作曲家の作品を加えています。さらに新作の世界初演も含め、密度の濃い内容でした。演奏も非常によくまとまっていて、オーソドックスなプログラムの演奏会と何ら違わぬよい気分で帰途につくことができました。

 『めまい』はヒッチコック監督による、高所恐怖症の元刑事が巻き込まれる殺人事件を描いたサスペンス映画です。B.ハーマンはヒッチコック監督と組んで、『サイコ』や『鳥』など多くの映画音楽を残しています。『タクシー・ドライバー』の音楽もハーマンです。事前に映画で予習をして臨みました。いろんなシーンを思い浮かべながら生演奏に浸れ、楽しめました。

 J.ウィリアムスは『スター・ウォーズ』や『ハリー・ポッター』など数々の映画を担当した、映画音楽の巨匠。まだ現役ですが、映画音楽だけではなく、オーケストラのコンサートのための曲もたくさん作っているようです。映画音楽はいろんな縛りがありますが、取り上げられたトランペット協奏曲の様な曲は自由に作れるからなのか、聴いていて楽しくなります。ただ、独奏のトランペット奏者にとっては難曲だそうで、アメリカを代表するオケ、ロスアンジェスル・フィルハーモニーの守勢奏者を招いての演奏でした。3楽章構成でおよそ20分の曲ですが、ほぼ吹き通しで、ピアノからフォルテまで、ゆったりしたカンタービレから速くかけるようなパッセージ、低音から高音まで、トランペットのあらゆる表情を見る(聴く?)ことができました。昔、少し金管楽器をやっていましたが、ただただ驚くばかりのテクニック。驚いている間に終わった気がします。オケも何度も掛け合いがあり、かなりあわせるのが難しそうでした。

 《スター・ウォーズ》組曲もあり、かつて名フィル定期でも取り上げられました(
第398回定期です)。

 オーケストラにとって新たなレパートリーの開拓は非常に大切です。過去の名作の中に広げることももちろん必要ですが、新たな音楽の可能性を探っていくことも、レパートリーを広げる上で大切な方法でしょう。多くの方がイメージする《現代音楽》とはやや異なりますが、それでも口ずさめるメロディーがあるわけではないので、なれないと眠いだけかもしれません。今回のコンサートの前半に取り上げられた曲も20世紀後半に作曲されているという点では現代音楽です。多少にたところがありますが、耳(あるいは目)をひいたのは多彩な打楽器群です。サンダーシート(大きな薄い鉄板をこするようにして名前の通り雷のような音を出します)やチューブ(長い風船のようなチューブを振り回して風を切る音を出します)など、見て楽しめる曲でもありました。

 ガーシュウィンは20世紀前半に活躍した、アメリカ史上最大のクラシック音楽作曲家です。とは言っても《ラプソディー・イン・ブルー》に代表されるように、ジャズなどの影響も多分に受けているため、幅広く愛されているようです。オペラも作曲しており、《ポーギーとベス》は黒人が主人公のメロドラマ(?)で、「サマータイム」が有名です。今回取り上げられたのは、この《ポーギーとベス》から抜粋してまとめられた組曲で、「サマータイム」のメロディーも使われています。題名の『キャットフィッシュ・ロウ』は直訳すれば「ナマズ横町」くらいでしょうか。オペラの主人公達が住んでいた町の名前です。

 次回定期のテーマはイタリアのトリノ。トリノにはキリストが十字架にかけられた後、その遺体を包んだとされる布(聖骸布)を保管する教会があります。この聖骸布をテーマにした、これも現代曲が取り上げられます。この他は、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番とブラームスの交響曲第3番。モーツァルトのピアノ独奏はカナダ出身の注目の若手。ブラームスは第3楽章のメロディーが有名です。かつてイングリッド・バーグマンとアンソニー・パーキンス主演の映画『さよならをもう一度』で使われました。

ミカラ・ペトリ リコーダー コンサート

 芸術の秋は結構忙しい。月曜日(11月13日)に、宗次ホールでリコーダーのコンサートを聴いてきました。

 リコーダーときくと、小学校、中学校の音楽を思い出すのではないでしょうか。楽器としては非常に古くからあるようで、構造も単純です。学校の教材としても用いられることから、やや安っぽいイメージもありますが、結構あちこちにアンサンブルのサークルなどもあるようで、大人になってからも楽しむ方も少なくないようです。

 今回聴いたミカラ・ペトリはデンマーク出身で、おそらく現在世界最高のリコーダー奏者でしょう。チェンバロ&バロックハープ奏者である日本人、西山まりえとのデュオリサイタルでした。

 ソプラニーノ、ソプラノ、アルト、テノールの各リコーダーを駆使して、主にバロック時代(15~17世紀後半)の曲を中心に演奏されました。素朴でそれほど音量の変化をつくれる楽器ではありませんが、同じくバロック時代に汎用されたチェンバロやハープ(現代のハープと比べると小型で、音域も狭く、響も弱い)との相性もよく、心に染み込むような音楽の連続でした


 CDで聴くと、非常に明るくて透明感のある音色です。しかし、コンサートで聴いた音色は、ホールの特性でしょうか、いかにも木で作られた楽器と感じさせる、ややかすれたような音色が印象的でした。思ったより、大きな音にきこえ、また、速いパッセージでのテクニックには驚きました。「人間業とは思えない」などの声も聞かれるほど、すばらしい「指技」でした。特に、分散和音を連続させるところなど、まるで弦楽器のようです。

 終演後にはサイン会があり、今回もツーショットを取れました。笑顔の素敵な方でした。日本にもよく来られているようですから、また名古屋でもコンサートがあるでしょう。是非聴きに行こうと思います。
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 共演された西山さんは、チェンバロとバロックハープという全く性格のことなる楽器を共に演奏できるということで、今回のようなコンサートには引っ張りだこのようです。

レオナルド×ミケランジェロ展

 日曜日(11月12日)は穏やかな行楽日和でした。少し遠出をして、岐阜の岐阜市歴史博物館へ「レオナルド×ミケランジェロ展」(公式の紹介、チラシなどはここにあります:http://www.gifu-np.co.jp/leomiche/)を観に行きました。

 イタリア・ルネサンスのみならず、人類史における巨人、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ・ブオナローティーの2人を比較するという、何とも大胆な発想の企画です。もちろん、教科書に載っているような作品はそう簡単に持ってこれません。今回は、素描を中心に展示されています。

 素描や手紙やメモなどが中心の展示でやや地味ですが、レオナルドの絵画作品は少なく(かつ高価でとても出してくれない)、ミケランジェロの絵画作品はほとんどが壁画で、彫塑作品も大きくてなかなか運べません。

 素描はタッチがよく分かり、息づかいが感じられます。手紙やメモをみると、字体や描き方から人柄が偲ばれます。今回の目玉の1つであるレオナルドの「少女の頭部」は最も美しい素描と言われているそうです。確かまなざしにはっとします。ミケランジェロの彫像作品「十字架を持つキリスト」も持ち込まれ、この作品のみ写真撮影できました。
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 また、2人の得意とする題材にも焦点が与えられていて、レオナルドは馬、ミケランジェロは男性の裸体、特に背中。

 会期は11月23日までです。金華山の紅葉はこれからが見頃だと思います。紅葉狩りをかねていかがでしょうか?

カティア・ブニアティシヴィリ ピアノリサイタル

 少し時間がたってしまったのですが、11月5日、名古屋・伏見のしらかわホールでジョージア出身の若手ピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリのリサイタルがありました。ジョージアは以前はグルジアと呼ばれていて、旧ソ連の一部だった国でトルコのすぐ北にある黒海に面した国です。

 プログラムは

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調《熱情》
リスト:ドン・ジョヴァンニの回想
〈休憩〉
チャイコフスキー:演奏会用組曲「くるみ割り人形」
ショパン:バラード第4番
リスト:スペイン狂詩曲
リスト:ハンガリー狂詩曲第2番

 10年ほど前から国際的に活躍し始めているようで、数年前から注目をしていたピアニストです。日本国内でもNHK交響楽団との協演を初め、何度かコンサートを開いているようですし、CDを5,6枚出しています。年間150公演をこなすそうですが、その容姿もさることながら、ダイナミックな演奏に圧倒されました。

 1曲目の《熱情》も、題名の通りの熱い演奏でしたが、静かなフレーズが続く第2楽章では高い緊張感を維持しながら聴衆の耳を引きつける表現力がありました。

 彼女のファースト・アルバムもリストの曲集です。最も得意とする作曲家のようで、今回のプログラムはリストが中心です。中でもベートーヴェンに次いで演奏された「ドン・ジョヴァンニの回想」は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」のフレーズをちりばめながら、ピアノの超絶技巧をこれでもかと見せつけるような曲。さぞ難曲だろうと思います。今回初めて聴きましたが、ピアノが壊れてしまわないかと思うほどのカティアの圧倒的なパワー、人間業とは思えないくらい指が速く複雑に動くテクニックにただ呆然とするばかりでした。

 後半の最初に演奏された曲は、よく知られたチャイコフスキーのバレエ音楽の中から有名な7曲をピアノようにアレンジされたもの。以前名フィルの定期でもひいたプレトニョフ(ここを参考にして下さい)による編曲版。プレトニョフ自身が高い技術の持ち主だけに、高度な技術を要求されるようです。コンサートではあまり取り上げられることがないそうですが、カティア得意のレパートリーだそうで、頻繁に取り上げているようです。ピアノという1つの楽器でありながらも、様々な音色を感じ、さらにダイナミックで、響きに奥行きがあり、まるでオーケストラの演奏を聴いているようでした。

 さらに、ショパン、リストと技術的にも難易度の高い曲が並び、最後は改めてパワーを見せつけるようなダイナミックな演奏で締めくくられました。

 アンコールは何と4曲もあり
ドビュッシー:月の光
リスト:メフィストワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」
ヘンデル:鍵盤楽器のための組曲第1番からメヌエット
ショパン:24の前奏曲よりホ短調
でした。
 時間さえあれば、さらに何曲でも引いてくれそうな、とにかくピアノを弾くのが楽しくてしょうがないというように見えました。

 終演後は疲れた様子も見せず、演奏とは打って変わって、にこやかにサイン会。1人1人に優しく声もかけてくれ、握手をしながら写真撮影。
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 コンサートは薄いピンクのロングドレスで、かなり妖艶でしたが、サイン会もすてきなドレス(と、超のつくハイヒール)でした。

リヒャルト・シュトラウス:歌劇《ばらの騎士》

 先週日曜日には私の最も好きなオペラ、《ばらの騎士》を観に行きました。名古屋・栄の愛知県立芸術劇場大ホールでの公演です。

 日本にはヨーロッパのような本格的な歌劇場はありませんが、オペラのための歌手の団体はあります。今回の主催は二期会という東京を中心にした団体です。7月に東京で上演され、10月28,29日に名古屋、さらに11月5日には大分でもほぼ同じ配役で上演されます。

 今年6月のMETライブビューイング《ばらの騎士》でも紹介しました。ストーリーは(
2010年0203METライブビューイング《ばらの騎士》)を見て下さい。今回の配役は、
 今回の配役は
元帥夫人:森谷真理
オクタヴィアン:澤村翔子
ゾフィー:山口清子
オックス男爵:大塚博章
合唱:二期会合唱団
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団
指揮:ラルフ・ワイケルト
です。

 オペラの上演はオーケストラの演奏会と違い、大道具、小道具、衣装の作製から演技と制作は大がかりです。当然費用が掛かりますから、単独で企画するのはたいへんのようです。今回はイギリスのグラインドボーン音楽祭という国際的にも有名なオペラのイベントとの提携公演で、基本的な道具類は全部イギリスから持ってきているようです。グラインドボーンでの映像を見て比較してみたいものです。

 オーケストラはしっかりと鳴っていて、メリハリもあってわかりやすい演奏でした。三幕併せて3時間余に及ぶ演奏は、最後のややスタミナ切れを感じるところもありましたが、
指揮者はドイツ国内を初めとしてオペラをよく振っているようで、オケをうまくリードして歌手ともよく合わせていたと思います。歌手陣はいずれもよく通る声でしたが、速いパッセージになるとやや聴き取りにくいところが目立ちました。日本人はこういうところがやや苦手のようです。ただ、オックス男爵は演出的には事実上の主役といっていい役どころで、大塚の低音は聴き応えがありました。

 《ばらの騎士》は私が最も好きなオペラです。悲劇ではないため誰も死ぬことがなく、かと言って楽しいばかりの喜劇でもない。主役級が4人いて、それぞれにほろ苦さを味わいながらも最後は丸くおさまり、演出によっていろんな見方ができるところが醍醐味です。

今回の《ばらの騎士》の公演はキャストを変えて2日連続で行われました。名古屋でこのように同じ演目を2日連続で上演されるのは、国内の団体の公演でも海外の歌劇場の引っ越し公演でも初めてかもしれません。実はお客さんが入るのかどうか心配しておりましたが、案の定、日曜日はがらがらでした。土曜日がどうだったかは分かりませんが、やはり無理があったようです。正直言って、気をそがれました。これからはもう少し考えてほしいものです。

 さて、しばらくは生のオペラを見る機会はありません。その代わりではありませんが、以前に紹介したような生の舞台の録画を映画館で楽しむことができます。世界中のいくつかの歌劇場が取り組んでいますが、最も成功しているのがニューヨークのメトロポリタン歌劇場の「METライブビューイング」です。日本では松竹が配信していますが、今年も11月中旬から上映が始まります。HPはここ(
http://www.shochiku.co.jp/met/)です。興味のある方は是非ご覧下さい。

小山実稚恵リサイタル

 いよいよ芸術の秋です。コンサートは他の季節に比べると数は多く、また、バラエティに富んでいます。勉強が忙しくてなかなか時間はとれないと思いますが、コンサートによっては学生席(または”ヤング席”)があり、割安で楽しめます。興味のある方は是非どうぞ。

 先週末には土曜日にピアノのリサイタル、日曜日にはオペラと満喫しました。土曜日は『小山実稚恵の世界〜音の旅』と題するリサイタルシリーズの最終回(第24回)で、「永遠の時を刻む」と題して、プログラムは
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より 第1番ハ長調
シューマン:3つの幻想的小品
ブラームス:3つの間奏曲
ショパン:ノクターン第18番ホ長調
ショパン:子守歌変ニ長調
ショパン:マズルカ第49番ヘ短調
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番ハ短調
ピアノ:小山実稚恵
でした。

 このシリーズは、12年間(1オクターブに12の音があります)に春と秋の年2回ずつの連続で合計24回(音楽の調性は長調と短調併せて24)のコンサートで、プログラムは予め発表されています。全国の6都市で集中的にコンサートが開かれますが、名古屋では栄の宗次ホールでずっと開かれています。リピーターも多く、今回も満席。コンサート後のサイン会も長蛇の列でした。今回はCDにサインをもらっただけで、ツーショット写真を撮ってもらわずに帰ってきました。こんな方です。笑顔に人柄が表れています。2014年7月の名フィル定期のときの写真です。
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 これまでに何度か聴きに行っていますが、幅広いレパートリーをお持ちなだけに、毎回ピアノという楽器の奥深さを実感できます。今回で最終回ですが、プログラムにはいろんな意味が込められているようで、聴き応えがありました。これまでに聴いたシリーズのコンサートの記録はここ(2015年10月・小山実稚恵リサイタル:ゴルトベルク変奏曲2013年10月・小山実稚恵ピアノリサイタル2010年6月・ショパンとシューマン)です。

 ピアノをある程度習った方はどこかできいたことがあると思いますが、バッハの平均律クラヴィーア曲集とベートーヴェンのピアノ・ソナタはピアノを専門的に学ぶ人にとっての「バイブル」とも言われています。前者を「ピアノの旧約聖書」、後者を「ピアノの新約聖書」などと言うこともあるようですが、座右において折に触れて立ち返るべきものだということなのでしょう。今回のプログラムは「旧約聖書」のオープニングと「新約聖書」のフィナーレを始まりと終わりに配して、小山さんのレパートリーの柱であり、今回のリサイタルシリーズのプログラムの中心でもあったシューマンとショパンを中に置いています。

 今回の演奏もこの2曲がとりわけ秀逸でした。バッハは短く、単純な構成の曲ですが、何回聴いても飽きない曲です。 天から音が降ってきているかのような澄んだ音色で始まり、どきっとしました。金属的な光沢の音で紡がれていくものの、決して無機ではなく、時に抒情的になりながら、朗らかな気持ちにさせてくれる演奏でした。

 音楽家、音楽好きに対して「無人島に持っていくなら、どの曲の楽譜、どの曲のCD、あるいはどの演奏のCDか?」という問われることがあります。小山さんにとってもこのバッハの「クラヴィーア曲集」は大切なレパートリーのようで、無人島に楽譜を持っていくそうです。

 最後のベートーヴェンのソナタ32番は、32曲あるピアノ・ソナタの最後に作曲された曲で、作曲者が52歳の時の作品。死の5年ほど前に当たります。非常に情熱的で、劇的。ベートーヴェンにとっての特に重要な意味を持つらしいハ短調で始まり、ハ長調で終わります。これは最も有名な第5交響曲(俗に《運命》と呼ばれています)と一緒です。一般的なソナタと異なり、2楽章構成で、情熱的な第1楽章と、変奏曲風でしっとり静かに始まったかと思うと、時に「ジャズか?」と思うほど極端に変化し、おそらく作曲された当時の常識からは完全に外れていたのではないかと思うような曲調です。古今のピアノ曲の最高傑作の1つでしょう。

直前に演奏されていたショパンがやや軽いタッチで奏されていたからか、ベートーヴェンの演奏の力強さが際立ちました。冒頭からいきなりわしづかみにされたような気持ちにさせられ、そのまま一気に一楽章が終わりました。第二楽章は変奏の違いを際立ち、それぞれを十分消化できないうちに次々を曲調が変わり、最後は静かに全てを消し去るかのように曲が閉じられました。

 この日のアンコールは
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より 第2番ハ短調
シューマン:アラベスク
でした。

 シリーズは今回で終わりましたが、プログラムによると来年の春にアンコール公演があるとのこと。どのようなプログラムなのか、期待が膨らみます。