ロシアのオケによるチャイコフスキー

木曜日、夕方から名古屋・栄の芸術劇場・コンサートホールでワレリー・ゲルギエフ(Valery Gergiev)指揮によるマリインスキー劇場管弦楽団(The Mariinsky Orchestra)の演奏会を聴きました。

マリインスキー劇場は、かつてキーロフ劇場と呼ばれた帝政ロシア時代から続くサンクトペテルブルクにあるロシアきっての歌劇場です。ここのオケはコンサート活動も大せいにこなしているようで、お国もののプログラムを携えてよく来日しています。芸術監督であるワレリー・ゲルギエフは現在世界屈指の指揮者であり、イギリスやアメリカ、オーストリアなどの歌劇場やオーケストラともたびたび共演し、数多くのCDを出しています。ロシアのオケでロシアの音楽を聴いてみたくて行ってきました。

今回のプログラムは
シチェドリン:管弦楽のための協奏曲第1番「お茶目はチャストゥーシカ」
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調『悲愴』
ピアノ独奏:ダニール・トリフォノフ

1曲目の作曲者シチェドリンは現代ロシアの作曲家ですが、国内でも必ずしも評価は高くないとのこと。ただ、ゲルギエフはよく取り上げているようで、彼らのお得意のレパートリーなのでしょう。ロシアに伝わる民話を素材として、民族音楽やジャズなどいろんな要素を詰め込んで、オーケストラの様々な楽器が次々と活躍する楽しい曲です。ただ、プログラムの構成からすると、あくまでも前菜。まずはオケのウォーミングアップというところだったのでしょう。

今回の目的はもちろんチャイコフスキー。この2曲をゲルギエフ/マリインスキーは何度演奏したのでしょうか。たぶんリハなし&暗譜でも演奏できるくらい骨の髄にしみこんでいるのでしょうが、ゲルギエフの棒が文字通りオケを操っているかのごとく、一糸乱れぬ演奏でした。

チャイコフスキーは3曲のピアノ協奏曲を作曲していますが、30台半ばでつくったこの第1番が最も有名です。冒頭のホルンのファンファーレは必ずどこかで耳にしているでしょう。今回は2011年のチャイコフスキー・コンクールで第1位となったロシア期待の若手ピアニスト(1991年生まれで現在23歳)の独奏。チャイコフスキー・コンクールでの本選課題曲はこの協奏曲第1番です。

第1楽章が最も長く、ソナタ形式というしっかりしたつくりになっています。ピアニストの能力が最も問われる部分ですが、トリフォノフはやや硬質ながらも哀愁をおびた音でオケと渡り合いながら、しっかりと自分を主張しているようでした。一転して第2楽章は優雅な始まりで、ピアノもよく歌っていました(音楽用語でカンタービレといいます)。そしてリズミカルな第3楽章では軽やかで楽しげな音で、音が舞っているよう。そして、オケはピアノを決して邪魔することなく、しっかりと下支えしていました。

ピアノという楽器は鍵盤を叩けば音が出ますが、決して誰が引いても同じ音が出るわけではありません。また、ピアニストには曲ごとに、あるいは曲の部分によって音色を変えて演奏することが求められます。CDではなかなか分からなかっただけに、生演奏の醍醐味を味わった気がします。同時に、この曲がそれだけの技術と表現力を要求する難曲だということもよく分かりました。

ソリスト・アンコールはドビュッシーの小品。チャイコフスキーとは違い、繊細で流れるようなタッチが印象的でした。

演奏会終了後、サイン会がありました。ピアニストのトリフォノフはなんと!カタカナで「ダニール」と書いてくれました。たどたどしい字ですが、かわいい。色白でブロンドの好青年です。これからもたびたび来日してくれるでしょうから、追いかけてみたい音楽家がまた一人できました。

休憩後、メインの『悲愴』。
CD
では数え切れないくらい聴き込んでいる曲ですが、生で聴くといろんな発見があります。今まで気がつかなかった音や響きがきこえてきたり、何となくつながりが悪いなと感じていたところが全く気にならなかったり。今回の演奏では全く感じませんでした。今回聴いた席は2階席の前方、ステージ野分に当たる場所で、指揮者を真横から観ることができ、演奏者の多くの顔を見ながら聴いていました。演奏を観ながら聴いていることが重要なのかもしれません。

多くの交響曲同様に4楽章構成ですが、「悲愴」は形式的には一般的な交響曲の枠におさまらない、かなり特殊な曲です。作曲者が標題をつけたこと自体が、当時としては異例。ただ、タイトルの「悲愴」は日本語では非常に悲惨な状況を思い浮かべる言葉ですが、フランス語のPathétiqueの訳語です。ただ、このフランス語もチャイコフスキーが付けたロシア語のタイトルを訳した語。元々のロシア語では「情熱的な」という意味も含んだ言葉のようです。したがって、ただ「悲しい」曲ではなく、第1楽章や第3楽章での金管楽器を中心とした迫力のあるフレーズや木管楽器と弦楽器が激しくやり合う場面などむしろ興奮させられます。

この曲の中で最も「悲愴」なのは第4楽章。ただし、普通は明るく、華々しい雰囲気をもつ楽章ですが、「悲愴」では第3楽章にその役が当てられています。一般的には舞曲調あるいは緩徐なテンポでつくられることが多い第3楽章は、この曲では後半が行進曲風で、初めて聴くとここで曲全体が終わるかのように締めくくられます。そして、この後にもの悲しく始まる第4楽章が続き、慟哭のように激しくなった後、息絶えるかのように終わります。この第3,第4楽章の並び方がこれまでどうしてもしっくりしませんでした。しかし、今回の演奏を聴き、やはり第4楽章がここになければならないということがはっきりと分かりました。第3楽章と第4楽章が全く切れ目なく演奏され、また、第4楽章の表現が見事でした。指揮者・ゲルギエフの振り方も第4楽章だけ別の曲であるかのようにかわりました。ホール全体を包む緊張感はこれまで体験したことがないくらいでした。