百名城

中津川・苗木城

 時間がたっていますが、7月末に岐阜県中津川市の苗木城へ行ってきました。『百名城』に続く『俗・百名城』に登録されおり、麓の博物館を始め、よく整備されています。それほど有名ではないだけに、観光客もそれほど多くはありませんが、外国人家族なども見かけました。

 江戸時代には苗木藩という一万石の最小領地を抱える城持ち大名・遠山氏の居城の跡。城主一族は『遠山の金さん』で知られる遠山影元の同族です。

 確かに規模は小さいのですが、木曽川を望む高台という要害の地につくられた城です。「立派な天守」はなかったようですが、残された石垣からは、長い時代を経て形作られていった様子がうかがえます。
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城郭の周辺から中心部への通路には、比較的初期の石垣でが組まれています。

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おそらく最も中心的な建物や櫓などがあった部分。最初の写真の部分に比べると、少し後の時代に作られた石垣です。

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最上部につくられたであろう櫓が再現されていますが、まさに絶景です。

高遠城

 紅葉もだいぶん色づいてきましたが、一足早く長野県伊那市の高遠城へ行ってきました。桜の名所ですが紅葉も悪くないというWebの書き込みなどを信じて、ちょうど『もみじ祭』も開かれ、新そばの振る舞いもあるとのことで先週末(11月5日)に行ってきました。

 本当は6日に火縄銃の試し打ちなどのイベントが予定されていたため、そっちを期待していたのですが、なぜか中止。帰りが遅くなると翌日に差し支えるかと、土曜日にしました。

 高遠城の紅葉は見頃にはやや早かったのですが、行き帰りに車から見る山並みなどの景色は非常にすばらしく、いい目の保養になりました。

 さて、高遠城は武田信玄が攻略して、大規模な改修をしたとのこと。いくつか残されている空堀が面影を偲ばせてくれました。

 次は是非とも春に行きたいと思います。

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大分城

 8月下旬に学会出張で大分に行き、空き時間を利用して大分府内城を見てきました。

 関ヶ原の戦いの少し前に築城が始まり、関ヶ原後に改修、江戸時代に大火に合ったほか、明治維新、戦争と続く中でほとんどの建物が失われてしまったようです。内堀とそこから立ち上がる石垣、天守台がかつての姿を残しています。

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 戦後になって一部の櫓などが再建されていますが、切り出した石を少しだけ加工して組み上げた打込接(うちこみはぎ)の具合や角の部分の算木積(さんぎづみ)に使われている石の様子など、城作りの手法が完成する前の時代の状態がよく分かります。

 天守台の石垣の方がやや古いようで、ひとつひとつの石が小さく、形も統一性がなく、積み方も乱雑です。

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姫路城

 今回の最後は世界遺産・姫路城です。これまでにも2回訪れていますが、未だ天守に登ったことがないため、3度目の正直で念願の天守登楼です。過去の記録はここここです。

 一昨年末に大改修がほぼ終わり、昨年3月に天守に上れるようになりました。直後は混雑したようですが、一段落したのでしょうか。平日の夕方ということもあり、空いていました。本丸の一部がまだ工事中ですが、しばらくすれば全体を見て回ることができるでしょう。

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 天守の外観はどこから見ても絵にります。今回姫路に登ったことで、現在国宝に指定されている5つの天守に全て登楼したことになりますが、他の4つとは比較にならない大きさ。内部はさすがに薄暗く、窓からの光が強くなってしまい、スマホではいい写真がなかなか撮れませんでした。
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 お城に特別な興味のあるなしにかかわらず、1度は見て、登ってみるべきものだと思います。

備中高松城

 「天空の城」というと、兵庫県の竹田城が有名ですが、山城としてはお隣の県にあるこの城こそが第一でしょう。岡山県の中部に位置する高梁市、標高480mの臥牛山の頂上にそびえる天守は現存天守としては最も標高の高いところにあります。街の中からもうかがうことができますが、登城のためには途中まで車で上り、そこからシャトルバスでさらに上の駐車場へ。そこから30分ほど上ると三の丸、二の丸、そして天守のそびえる本丸にたどり着きます。

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 この写真では小さすぎて分かりませんが、中央の木立の右半分が割れたようになっている部分に天守があります。途中は本当に山の中、途中の道路ではサル(下)も出ました。慌てていた(?)のかフォーカスが・・・・・。

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 大手門跡から見上げる石垣と土塀は大河ドラマ『真田丸』のオープニングに使われています。岩盤の一部を取り込んだ石垣は、他では絶対に見られません。壮観です。

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 三の丸の土塀と、本丸の天守、二重櫓はいずれも重要文化財。かつての雄姿がそのままで整備されています。

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 秋から冬にかけて、気温の下がった明け方には近くの山上から雲海に浮かぶ天守を望めるそうですが、今回は真夏の青空をバックに。中央やや右手の山上、白い小さな2つの展が天守と二重櫓です。左に高梁の街並みと高梁川が見えます。

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 高梁市はある程度標高のある地域ですから涼しいのかなと思いきや、盆地になっているため瀬戸内海沿いの岡山市などよりも気温は2~3度も高いとのこと。朝、開城と同時に登ったのですが暑かった!!

月山富田城

 鳥取から島根県安来市へ。安来節で有名な町ですが、山の方へしばらく行くと広瀬という地域があり、庭園で有名な足立美術館があることで知られています。その近くの小高い山の上に月山富田城の跡が残っています。

 戦国時代に山陰、山陽地方のあわせて11カ国を支配した尼子氏の居城があったところです。さぞ栄華を極めたことでしょうが、その後台頭した毛利氏に滅ぼされてしまいます。戦国大名としてはあまり有名ではないので初めて名前を聞いたという人も多いでしょう。大河ドラマなどでもほとんど登場することはありませんが、一昨年の『黒田官兵衛』の話の中で少し出てきましたし、ずいぶん前の『毛利元就』ではかなり大きく取り上げられました。

 毛利元就に滅ぼされた後、家来の山中鹿之助が尼子氏再興を願って「我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったという逸話が残されています。

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 月山富田城は曲輪の跡などある程度整備されていますが、いかんせんここも山登りが必要。登りかけたらアブにつきまとわれ、雲行きも怪しく、登城は断念。下の写真の頂上に木が3本立っている場所がかつての本丸跡でしょうか。文字通り『兵どもが夢の跡」。
 山の麓には博物施設や碑が残っています。

 広瀬の街も古い建物が少しは残っているのですが、寂れているという感じは否めず、正直言って観光に訪れるところとは・・・・。

鳥取城

 現在の鳥取城には櫓などの木造の建物は全く残されていませんが、石垣や堀が修復されています。また、かつての本丸などは久松山という小高い山の山中にあり、登山道も整備されています。全体を回るには半日かかるほどの規模、炎天下に登山する勇気もなく、今回は麓の二の丸、三の丸を回って、珍しい球状の石垣(下の写真の中心)を見てきました。

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 鳥取市、鳥取城は戦国時代には毛利家の拠点の一つで、織田家の中国方面総大将であった羽柴秀吉の軍勢によって攻め落とされています。秀吉得意の兵糧攻めで、戦後の城内はあまりにも凄惨な状態であったことから、鳥取の『渇え殺し』と呼ばれました。当時の秀吉の本陣跡は「太閤が平(たいこうがなる)」として、残されています。

 江戸時代に池田家が治めた鳥取は因幡、伯耆の2カ国32万石の城下町として栄えました。鳥取城の石垣の上からは市内が一望でき、城の立地の良さがよく分かります。廃藩置県後、役所や旧制中学校などの中心的な施設が鳥取城の周辺に建設されたようで、現在も県庁や市役所、高校がすぐ近くにあります。

出石城

 今回最初に訪れたのは兵庫県豊岡市にある出石城です。豊岡は日本海側、今は鞄の生産やコウノトリで有名な兵庫県北部の中心都市です。出石は内陸で、周囲は小高い山に囲まれた盆地。出石城は百名城ではありませんが、丹波の小京都と称される街並みと名物のそばを目当てに途中下車です。

 出石城は町の南方の山の麓にあり、堀を兼ねた川と石垣、復元された櫓が残るだけですが、城下町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。碁盤の目状に整備され、小規模ですが、かつての面影を偲ばせる街並みです。

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 一角にかつての武家屋敷跡や太鼓櫓が残っています。かつての大手門脇に当たり、城下に時刻をしらせるために太鼓を叩いた櫓で、明治に入り時計が設けられたとか。辰鼓楼(しんころう)と名付けられた時計台は石垣の上に立ち、見応え十分です。

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 出石名物のそばは江戸中期に信州・上田より入った仙石氏が持ち込んだとのこと。小さな町にもかかわらず50軒を越えるそば屋がしのぎを削っています。ょっと珍しい食べ方でしたか、なかなかの美味。その後、のんびりとドライブし、夜は城崎温泉にわらじを脱ぎました。温泉情緒たっぷりのすばらしい街並みのなかで、夜の花火大会を堪能できました。

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松江城

 夏休みに出石城、鳥取城、月山富田城、松江城、備中松山城、姫路城を廻ってきました。順不同で、簡単に紹介します。

 松江城は。関ヶ原の合戦で東軍につき、出雲、隠岐24万石を与えられた堀尾氏が慶長12年(1607年)に築城を始め、天守は慶長15年(1610年)に完成した西国の名城です。その後、城主(藩主)は京極氏、松平氏と変わり幕末。山陰地方で唯一天守が現存し、昨年国宝に指定されました。
 城域はかなり広く保存され、内堀から石垣が立ち上がり、本丸を囲む櫓や土塀も一部が再建されていて、往時を偲ぶことができます。天守は石垣の上に5層に重なり、石垣の内部から数えて6階建て。右手前に突き出た附櫓の石垣部分に見える切れ目から入ります。それほど大きくは感じませんでしたが、落ち着きのあるたたずまい。関ヶ原合戦の直後につくられたこともあり、戦闘を意識して狭間や石落などが設けられています。
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 天守内部は展示施設としても利用されています。階段は1ヶ所のみ。太く長い柱を中心に立てるのではなく、短い柱を2階分ずつ立てて全体の荷重を支えているそうです。したがって、各回とも面積の割に柱が多いのが特徴。
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 内堀は本丸全体を取り囲み、小船で一周することができます。この日はお天気もよく、船頭さんの名調子(お世辞抜きです)を聴きながらのんびりと観光できました。
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山形城

先週末に学会出張で山形へ行きました。空き時間に山形城へ行きました。

戦国時代、最上氏によって基本的な形が作られた平城。現在も市内の中心に位置し、JR山形駅からも徒歩圏内です。

御殿があったであろう本丸を中心に二の丸、三の丸が順に取り囲んだ輪郭式城郭。本丸は現在発掘、復原が進められている最中。本丸を囲む土塁と空堀も一部残っていて見応えがあります。二の丸域には現在は野球場や博物館などがありましたが、その外側にはほぼ当時のままの幅の広い水堀が残っています。二の丸と三の丸の間にはいくつかの門があったようですが、それらの部分には石垣を築き、門以外の部分は土塁のままで水堀に。石垣はいくつか残されていましたが、多くは野面積みと切り込みはぎの折衷のように見えました。それほど高さもなく、やはり西日本の大規模なお城に比べるとやや見劣りします。また、大手門が復原されていて内部が無料公開されています。

最上氏は現在の山形を中心に覇を誇った戦国大名。ちょうど伊達政宗の母親のお兄さんとその息子の時代に最盛期を迎えましたが、時代は豊臣から徳川へ移り変わる時期。伊達同様に天下を狙うには遠すぎるし遅すぎました。最上氏は江戸時代の初めに改易され、その後山形城の主は次々と変わり、それに伴って城も荒れていったそうです。

新発田城

7月の終わりに新潟に行く機会があり、帰りの飛行機までの時間に隣町・新発田市のお城を観てきました。

新潟市のすぐ北にある新発田市を中心とした地域は、関ヶ原合戦の直前に入った溝口秀勝以降、江戸時代が終わるまで同一大名が藩主を務めた珍しいところ。外様大名で名目10万石(始め6万石)でも、新田開発などをどんどん進めた結果、その数倍の内実で藩としては裕福だったようです。

現在の新発田城には本丸表門と櫓(二重櫓)一棟が現存し、ともに重要文化財。内堀とそこから立ち上がる石垣は切り込み接ぎという比較的新しい技術でくみ上げられており、当時の姿を残しています。ただ、旧本丸とその外側の大部分が自衛隊駐屯地になっているため、見学することができず残念です。

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重要文化財の二重櫓。櫓と石垣の境界部分の海鼠塀は北国でよく用いられる建築様式ですが、城の櫓などに用いられているのは珍しい。

岡崎城

明けましておめでとうございます。

年明け、『お城始め』は近場の岡崎城。徳川家康が生まれたお城ということもあり、江戸時代を通じて水野氏など家格の高い譜代大名が城主を務めた名城。近すぎるために気がつきませんが、『家康館』という充実した博物施設もあり、公園としてもよく整備されています。

岡崎城は天守閣を含めて明治維新後までしっかりと利用されていました。つまり、建物が残っていたのですが、明治維新後にほとんどが取り壊されてしまいました。当時のまま残っているのは本丸の石垣と堀の一部だけです。
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天守閣は戦後になり、昔の写真などを参考にして復元されました。鉄筋コンクリート造りで、内部には甲冑や刀剣類などが展示されています。
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お正月にお城など見に行く人がいるのかと思っていたら、駐車場はほぼ満車でした。天守閣の脇に神社があり、初詣に来られている方がたくさんいらっしゃいました。近くの方はご存じでしょうが、神社は「龍城(たつき)神社」、岡崎城は別名「龍城(たつがじょう)」というそうです。

昨年は近場の犬山城からはじめ、四国のお城などを巡り、年初と同じ国宝の姫路城で締めました。今年も時間の許す限りいろんなお城を見て回りたいと思います。

姫路城

昨年の『お城納め』は大改修を終えた姫路城。一昨年末に改修中の姫路城を訪ね、普段は見られない外観や大屋根を上から見学しました。今回は改修なった天守閣を下から眺めてみました。

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写真をご覧ください。『白鷺城(はくろじょう)』の名の通り、壁はもちろん屋根までもが白く輝いています。遠くから観ると雪が積もっているかのようでした。天守閣の瓦はやや灰色、シルバーといってもいいような色.瓦いちまいいちまいの間にすべて漆喰を塗込んでいるようです.この結果、雪が積もったかのように見えます.

「白すぎる」との声もあるそうですが、うなずけます。あまりに白すぎるため、カメラの露出があわず、色が飛んでしまっています。見事としか言いようがありません。
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残念ながら、改修工事も完全に終わっていないようで、天守閣を含めた本丸には立ち入れませんでした。3月末が「グランドオープン」とか。桜の名所でもあり、あの白い天守閣をバックに咲く桜はキットうっとりするほど美しいのではないでしょうか。

3回目は天守閣を是非とも登ってみたいと思います。

江戸城、和歌山城、岡山城、丸亀城、高松城、徳島城

先日、2年生の方から安土城に行ってきたというメールを頂きました。天高く馬肥ゆる秋、秋空の元でのお城見学は楽しかったと思います。

さて、最近お城の話題を題していないのですが、6月に江戸城、7月に和歌山城、8月に岡山城、丸亀城、高松城、そして徳島城に行ってきました。まとめてみます。

江戸城
もちろん徳川幕府の拠点の江戸城、時代劇では御殿の中の座敷がよく登場しますし、天守閣を遠くから観ているようなシーンもよく出てきます。今の皇居ですが、すべてを天皇の住居としているわけではなく、かなりの部分が公開されています。江戸時代からの建物も一部残っていますし、なんと言っても石垣が立派です。たぶん、使われている石の大きさや、つくるために使われた技術など、日本史上最高だと思います。
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江戸時代から残る百人番所。見応えがあります。
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天守台の石垣。江戸時代の早い時期に火事で焼失して以後、天守閣は再建されていませんが、石垣に使われている石の大きさとその見事な加工技術に圧倒されます。政治家もかかわって天守閣再建という話もあるようですが、オリンピック同様に内憂外患を紛らわそうとする常套手段としか思えません。「ない」という事実も重要な歴史です。
東京駅からすぐです。シンデレラのお城を観た帰りなどに立ち寄ってみては。

和歌山城
徳川御三家、紀伊55万石の拠点です。和歌山市の中心にあり、本丸を中心とした部分は残されていてちょうどいい散策コースです。天守閣は太平洋戦争中に空襲で焼失したため、鉄筋コンクリートで復元され、中は博物館になっています。庭園もあり、池に架かっている橋は屋根付き。この橋はかなり勾配があるため、床は板を少しずつずらして組まれていて、当時であれば足袋をはいていても滑り落ちないように工夫されています。
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堀に渡された傾斜した橋、向こうに天守が見えます。右は橋の内部を上方の出口から観たところ。床の様子が分かるでしょうか?


岡山城
岡山市を流れる旭川河畔にあり、すぐ隣が有名な後楽園です。江戸時代初期に池田氏の居城として整備されました。天守閣は下層が六角形というやや変わった形をしています。第二次大戦中までは現存していた天守も、和歌山城同様に空襲で消失しました。夏は日が暮れるとライトアップされて昼間とは違った顔を見せてくれます。現代だからこその楽しみ方です。
となりの後楽園も同様にライトアップ。これも見事でした。時間があれば昼と夜をじっくりと比べることができたのですが、駈歩道中でちょっと残念でした。
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本丸の裏側の道路から天守を見上げたところです。木の枝の上に見えるところの壁がやや斜めになっている非常に珍しい構造です。右はライトアップされた様子ですが、カメラの性能が悪くやや暗く映っています。

丸亀城
江戸時代、京極氏の居城で、江戸時代に入ってから造られています。小ぶりですが現存天守(重要文化財)が石垣上にそびえています。「現存天守」とは創建当時の状態で残っている天守(現在の姫路城のように何度かの修復は施されています)で、現在国内に12しかありません。内部は、犬山城と同じくらいの規模でしょうか? 急な階段や石落とし、狭間など城郭建築の基本は備わっています。また、麓から見上げる天守はなかなかのもの。
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石垣のしたから見上げた天守です。


高松城
四国の玄関に位置し、譜代・松平氏によって瀬戸内海沿いにつくられました。今は大きな道路に隔てられていますが、当時は直接海へ出られたのでしょう。内堀にせり出した天守台からは公園として整備された城域を見渡せ、堀沿いの石垣や四隅に配させた櫓(重要文化財)が当時をしのばせます。少し足を伸ばすと有名な栗林公園があります。

徳島城
吉野川河口近くにあります。江戸時代を通じて阿波・淡路を治めた蜂須賀家の居城。当時をしのばせる建物などはほとんど残っていませんが、城域内の博物館では蜂須賀家の栄華を偲ぶ武具や大名道具などが展示されています。

安土城

NHKの大河ドラマ「官兵衛」をご覧になってますか? 日曜日の夜で、勉強が大変という方もいらっしゃるでしょうが、BSでは夕方6時からやっています。時代考証もかなりしっかりしていますので、歴史の勉強には最適です。

久しく『大河』は観ていなかったのですが、何年ぶりかで毎回観ています。ドラマでは織田信長の存在感が光っているように思いますが、安土城での場面がかなり多く描かれています。

昨日(5/25)、お天気もよく絶好の「お城日和」。麓の資料館には以前に行ったことがありましたが、実際に城跡へは行けずじまいだったため念願を果たしました。

安土山という、標高150メートルくらいの小さな山全体が城郭として作り上げられたようで、大手門を入ったところから武将たちの屋敷が続き、石段を登った先に本丸、そして天守閣跡が広がっています。下から見ていると簡単に上れそうに見えたのですが、登り始めて少し後悔をしました。防御の意味もあるとはいえ、かなり急勾配に不揃いの石段がつくられ、かなりたいへんな思いをさせられました。(そのためか、今日の授業、特に2限目は少し息切れをしました) 

ドラマでは謁見の間や庭しか出てこないところが残念ですが、記録などによると、信長部下の武将などと会っていたのは地下1階、地上6階建ての安土城天主閣の上階。また、庭があったのは天主閣の横につくられた本丸御殿だろうと思います。

麓の資料館には安土城天主閣の5、6階部分の実物大模型が展示されています。下の写真は5階部分です。
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安土城は本能寺の変後、焼失。再建されることなく、城跡は放置されたままになっていました。20世紀後半に入ってやっと発掘調査が始まり、2000年からは石垣や石段の修復がすすめられています。もちろん、建物を建てようというのではなく、遺構をきれいに整えるという内容のようです。

下の写真は最も麓からはじまる石段です。
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この写真の左側には羽柴秀吉(当時)の屋敷があったと伝えられています。

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安土は、今でこそ田舎町ですが、江戸時代で言えば東海道と中山道が交わる草津のすぐ北、信長にすれば元々の本拠地である岐阜から攻略目標の京都の中間地点。しかも、当時の安土山は直接琵琶湖にせり出していたため、城から船を出すことができ、大津までは一直線。そこに、華麗な天主をもつ城を築いて「天下布武」の意気を示したのでしょう。
下の写真は天主閣跡から琵琶湖側を見たところ。現在は安土山と琵琶湖の間は干拓されたため、農地が広がっています。
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一般的には「天守閣」と書きますが、安土城だけは「天主閣」と書くことになっているそうです。

犬山城

お正月に犬山城へ行きました。近すぎて今まで行くことができなかったのですが、念願が叶いました。

望楼型・三層四階建ての天守が国宝。天守が国宝である4つのお城の1つ。さらに、最近まで「個人所有」という非常に珍しいお城です。ちょうど年末から漆喰と高欄の工事を始めたようで、ご覧のように一部に足場が組んであり、最上階の廻縁も半分(木曽川側)が立ち入り禁止でした。
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犬山城は戦国時代に織田家の城として造られ、その後江戸時代には尾張徳川家の付け家老(幕府から派遣された家老)である成瀬正成が城主となりました。その後、一貫して成瀬家の居城として受け継がれて、明治維新を迎えます。江戸期、一国一城令の例外です。いったん愛知県の管理下に置かれますが、戦後再び成瀬家に譲渡されたそうで、現在は「犬山城白帝文庫」の所有、つまり財団法人化され、犬山市が管理しているそうです。さすがにこれだけの「国宝」は個人には世話できませんね。

青空によく映えて、上々のお城日和でした。

姫路城と明石城

連休に姫路まで行ってきました。目当ては天守閣を中心に改修工事中の姫路城です。

お天気にも恵まれ、絶好の「お城日和」でした(*^^)v

城郭全体が世界遺産、有名な天守はもちろん国宝です。改修のため、天守全体に覆いがかかったような状態です。しかし、その「覆い」は簡単な足場程度ではなく、鉄筋コンクリート造りで、中には普通のエレベーターがあります。「姫路城大天守修理見学施設《天空の白鷺》」と命名されています(○_○) したがって、一般に公開されていて、簡単にエレベーターで最上階(の外)まで登れて外観を観ることができます。
こんな感じ(↓)です。

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右側は小天守で、左が「乾小天守」、右が「西小天守」、これら天守群は互いに廊下(「渡り櫓」といいます)でつながっていて、全体で「連結式天守」といいます。近くで見ると

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季節外れ?の桜が咲いて散ったあとでした。

《天空の白鷺》に登ってみると、大天守は最上部の屋根を葺き替え、漆喰も塗り終わったあと。白鷺城の白い屋根の正体は漆喰でした(^_^)

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この大天守は望楼型・五層六階建てですが、上から最上層の窓や2層目の屋根などもこんなふうに近くで見ることができました(↓)

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《天空の白鷺》からは大天守だけではなく、城郭全体もしっかりと見渡せます。

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見応え十分でした。

また、明石城は天守はありませんが、2つの櫓とこれらをつなぐ渡り櫓が立派です。

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左が「坤(ひつじさる)櫓」、右が「巽(たつみ)櫓」です。この写真の中央奥に天守があったはずで、天守からみて南西側=未申、南東側=辰巳の方角に位置する櫓という意味でしょう。いずれも阪神淡路大震災で石垣部分などがかなり損傷したため、修復されています。

小諸なる古城のほとり

夏休みに長野、新潟に行き、いくつかのお城をみてきましたので、簡単にメモだけ記します.

下の写真は小諸城大手門.重要文化財に指定されているそうですが、旧城郭部分につくられた懐古園という公園からは少し離れたところにあります.
島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」という有名な詩に歌われています.


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春日山城(新潟県上越市)
博物館用の無料駐車場あり。その他、さらに麓にも数カ所の無料駐車場がある。
天気が悪く、博物館を見学するだけ。本丸までは30分以上歩く必要があったため断念。麓の神社までは車でいけるほか、案内板など整備されている。次回は十分に時間をとって山域をハイキングしよう。
博物館近くは、発掘調査に基づいて堀や土塁を再現している。

松代城(長野県長野市)
すぐ近くに無料駐車場あり。
大手門が再現され、石垣も本丸の周囲を組み直し、見応えがある。解説板は貧弱。
城の周囲に高い建物がないため、当時の雰囲気を味わえる。
同時に、屋敷跡、藩校跡、宝物館を見学。やや時間をかけたが、十分に楽しめる。

上田城(長野県上田市)
幹線道路からはいれる無料駐車場あり。
 
石垣、堀が保存されており、小ぶりながらも見応えがる。かつて千曲川が流れていた部分は駐車場や道路などになっているため面影はないが、断崖上に作られた櫓とその周囲の構造は当時をしのばせる。
本丸と土塁などを見ていると合戦の様子が目に浮かぶ。
城の周囲に武家屋敷や古い街並みがあったが時間の都合で割愛。

小諸城(長野県小諸市)
懐古園横に有料駐車場。
重文指定の門が二つある。城郭としての遺構の多くは懐古園内にある。入場料がやや高いが、時間があればゆっくりできて楽しめそう。
大手門は懐古園からやや離れているため、やや寂しがっている感じがする。

山中城

トップページに写真を載せたように、週末に静岡県三島市にある山中城址を観てきました.

本当はゴールデンウィークに熱海市にあるMOA美術館(尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」があります)へ行く予定だったのですが、大雨で中止したために目的の展覧会は終わってしまいました.完全に取りやめにしてしまうのも悔しいので、今回百名城巡りと抱き合わせにしました.

山中城の紹介は
ここあたりが簡単で分かりやすいと思います.戦国時代に北条氏の西の備えとして箱根に築かれたいくつかの山城の1つ.今は国道1号線が城跡中央を走っています.ちょうど旧東海道・旧箱根街道と一致している部分です.戦国時代にもこのルートが使われていたのかどうか定かではありませんが、当時の三島から小田原へ抜けるルートが旧東海道と同じであるとすると、まさに関所のように建っていたことになります.
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ちょうど城跡に沿うように旧箱根街道の石畳を整備されていて、ハイキングルートにもなっています.昔の道祖神らしきものも残っており、往時を偲ばせます.

さて、山中城は標高600メートル近くの尾根沿いに曲輪をつなげたような構造.曲輪とは土塁や石垣などで周囲を囲った内側をいい、写真のように、山中城の曲輪はきれいに整備されているのでひとつひとつ中に入ることができます.
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また、堀は障子堀といい、堀の中に障子の桟のような仕切りがつけてあって敵の侵入を防ぐ構造がつくられています.下の写真では堀が小さく見えますが、何人もの人十分に入れる深さ・幅があります.
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下の写真の右上が山中城本丸、堀の脇に見える細い通路のようなものが「犬走り」.
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城としては小規模ですが、何せ山城、全部を見て回ろうとするとハイキングのようなつもりで2時間くらいかかります.時間の都合で全部を見て回ることができませんでしたので、改めてゆっくりと訪れてみたいと思います.

実はお城も観に行っています

ここのページも観ていただいているようでありがとうございます.

今週の授業の折、「最近はお城に行ってないのですか?」と訪ねてくれた人がいました.そういえば久しく記録をつけていなかったのですが、いくつか行っております.ここではなく、表紙に写真を載せるだけにしてしまっていたため、別の写真に変えるとそれっきりになってしまっておりました.

とりあえず行った証拠に再掲します.

2009
年5月

 ゴールデンウィークが終わって世間が落ち着いたところで彦根城へ行ってきました.写真は玄宮園というかつての城郭内の庭園.国宝である天守を背景にした有名な景色です.現在に残る城郭建築としては非常に大きな規模を持っていますが、天気も良く、ちょっとしたハイキング気分を味わえました.写真としては池に映った天守までいれるべきだったと後悔しています.

2010
年3月
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 恵那市の旧岩村町にある岩村城.標高717メートルと日本で最も高いところに築かれたお城.日本3大山城の1つで、16世紀初めにこの地の豪族遠山氏(《遠山の金さん》のご先祖)の居城として築かれたと言われています.石垣しか残っていませんが、なかなかしっかりした造りです.


2010
年8月

 有名な小田原城、新幹線から見えている天守閣です(2010.8.4).

2011
年8月

松本城です.この日は上天気に恵まれ青空に黒壁が映えています.中央の一番高い部分が天守、右側が小天守、その間が渡り櫓といい、ここまでの形式を連結式天守といいます.築城初期につくられた部分で、防御に力点を置かざるを得なかった江戸初期の形式.左側、天守のすぐ前が附き櫓、さらに手前の赤い欄干の付いている部分が月見櫓.文字通り月見をするためにつくったそうで、いくさのなくなった時代の反映でしょう.天守に櫓が付いている形を複合式天守といいます.連結式と複合式が組み合わされた天守は珍しく、築城当時のまま保存されていることとあわせて、国宝たるゆえんです.

静岡県:掛川城

今日は連休中日ということもあって、やや遠出をして静岡県の掛川まで行ってきました.

ここにある掛川城は戦国時代の初期に今川氏によって建てられたそうですが、その後、徳川、豊臣と支配が移り、先年の大河ドラマで有名になった山内一豊が城主だったときに拡張して本格的な城郭としたようです.この時天守も作られたのですが、幕末の安政大地震で倒壊し、明治に入って取り壊されたそうです.
したがって、現在の天守は最近再建されたもの.といっても鉄筋コンクリートではなく、ちゃんと木造です.最上階まで4階分あり、上るのは結構大変です.

脇にある御殿は江戸時代に作られたままのようで、重要文化財に指定されています.想像より小さかったのですが、身分によって使える部屋が異なっていて、しかも内装が差別化されていて、身分制の厳しさを感じました.ちなみにお殿様が使う仕事部屋はこれ.



よく時代劇に出てくる将軍が謁見する広間(江戸城の黒書院を想定している?)に比べればだいぶ質素ですね.

お城を見た後、近くに『葛布』と看板が出ているお店があったので何かと思って入ってみました.
くずの茎から繊維を取って、織物にしているそうです.京都の下鴨神社の蹴鞠の時の袴が葛布を使っているんだそうです.

なかなか気さくなご主人で、作業場も見せてもらいました.昔ながらの織り機がならび、ご主人いわく「時代に逆行したことをやっています」とのこと.でも、お店に並べられているのはバッグや財布、携帯ストラップなどいろんなアプリケーションがありました.
このお店の儲けのメインは、葛繊維で作ったカーテンやレースのようなもの.欧米で人気があるそうです.一見するとプラスチック?と思ってしまうのですが、長く使えば使うほど味が出てくる感じでした.わが家も今度模様替えするときには考えてみようかなと思いました.

お昼は、ご主人の親戚の方がやっているというお蕎麦屋さんを紹介してもらいました.とてもおいしいお蕎麦で、お客さんも一杯でした.
車じゃなければ、「熱燗!」といけたのですが、残念(x_x)

福井・丸岡城

昨日の続きです.

大津に行く前にちょっと大回りをして、福井県の丸岡によりました.

福井市の隣、丸岡のお城は戦国時代に柴田勝家の一族によって築城されたそうです.その後城主はいろいろ変わったようですが、今に残る天守閣は現存する天守としては最古といわれています.ただ、現在の建物は、戦後の福井大地震で倒壊した後に再建されたもので、といってもできるだけ新たな材料を使わないようにして再建されたそうなので、ほとんど元のままのよ
うです.
ただ、中に入ってみると一部の柱に「昭和28年・・・・」と刻印されていたので、丸々もとのままというわけではなさそうですが・・・(・・;)
ということもあって、最古とはいうものの、国宝ではなく重要文化財です.

石垣も前回の伊賀上野城に比べると格好が悪いというか、やや粗っぽい感じがして、全体に規模が小さいなという印象でした.

天守への入口に、戦中・戦後に載せられていた石製の「しゃちほこ」がありました.戦争中の金属不足のために強制収容されたのでしょうか.戦争というものがいかに非文化的な行いであるかということをものの見事に示しているような気がします.

小高い丘の上に立っているのですが、ふもとには資料館があり、ちょっとした公園になっています.

伊賀上野城

昨日、三重県伊賀市にある上野城へ行ってきました.

深田久弥の百名山とか『何とか百選』とかたくさんありますが、その中の一つに、『日本100名城』というのがあります.ある程度専門家が集まって文化財的に価値があり、歴史上有名で、地域・時代の代表となるような城郭建築を選んだそうです.つい去年のことです.公式ガイドブックがあって、スタンプラリー用のノートもついています.

以前からいろんなお城に行ってみたいと思っていました.いい目標になるので、この夏より「100」に挑戦しようとはじめました.

今回でまだ3つ目、これまでに長篠城と福井県の一乗谷に行きました.

伊賀上野城は戦国時代に造られ、その後江戸時代に入って藤堂高虎が増改築しています.以後、伊賀国は藤堂家の領地
高虎は築城家として有名ですが、残された大規模な石垣などが技術の高さを示しているそうです.確かに上からのぞくと怖かったですね.

お堀からせり建つ石垣を撮ってみました(左の写真).左正面からとれるとよかったのですが、手前の雑草は見なかったことにしてください.打込接(うちこめつぎ)といって、四隅がぴったりとあわさりすき間がないように石を加工してから積み上げています.名古屋城の石垣も同様です.

もともと天守閣は造られなかったのですが、なぜか昭和の初めに地元の政治家たちが私財と集めてつくったそうです.完全に国威発揚ですね.

周囲は木立の多い公園になっています.忍者博物館もあり、小さな子どもには忍者衣装も貸してくれるようです.飽きずに楽しめるかもしれません.