音楽の話題

5月生まれの作曲家3:マスネとフォーレ

 5月生まれの作曲家を紹介すると言いながら、もう月末です。今回は3人にほぼ同時代のフランス人作曲家を紹介します。
生年順に、
  1842年5月12日生まれのジュール・マスネ
  1845年5月12日生まれのガブリエル・フォーレ
  1866年5月17日生まれのエリック・サティ
です。いずれもパリを中心に活躍した作曲家ですが、それぞれ得意分野や活躍の場はかなり異なっています。
 
 マスネは20を越えるオペラを作曲し、当時は大変人気があったようです。36歳でパリ国立高等音楽学校の教授となり、教育に携わりながら、現在でも上演される『マノン』、『ウェルテル』、『タイス』などのオペラを作曲しています。これら以外にも『サンドリヨン』(シンデレラ)や『ナヴォラの娘』が知られています。


 『マノン』、『ウェルテル』、『タイス』はいずれも小説を基にして台本が書かれています。アベ・プレヴォーの「マノン・レスコー」やアナトール・フランスの『タイス』は日本ではあまり有名ではありませんが、『ウェルテル』はゲーテの「若きウェルテルの悩み」は読んだ人もいるでしょう。いずれも、男女の愛と死を描いていますが、三様というか、それぞれに読み応え、見応えがあります。音楽としては『タイス』の幕間で演奏される「タイスの瞑想曲」が最も有名でしょう。ヒーリングミュージックとしても単独でよく演奏されます。

 三人の中で作曲家として最も評価の高いのはフォーレでしょう。ただし、有名な曲となると、何をあげれば良いのか、これといってありません。オーケストラ曲などのCDも持っていますが、フランスでは歌曲が有名なようです。「夢のあとで」はどこかで聴いたことがあるかもしれません。また、『レクイエム』は日本でもよく知られ、BGMなどとしても親しまれています。モーツァルト、ヴェルディと合わせて「三大レクイエム」などと称されますが、この三曲の中では、最も美しく心が洗われるような一曲です。

 フォーレはマスネの後任としてパリ国立高等音楽学校作曲科の教授となり、ラヴェルやデュカスなど多くの作曲家を育てました。後に音楽学校長として教育改革も手がけ、高く評価されています。

 サティは三人の中では異色でしょう。十分な音楽教育を受けることなく、また、かなり奔放な生活を送った時期もあるようです。有名な「ジムノペディ」は20代前半での作曲です。この曲もBGMとしていろんな場で使われていますが、エスプリが効いているとも言えるし、虚無的であるとも言えるし、いろんな聴き方のできる曲です。友人であったドビュッシーがオーケストラ曲に編曲をして広く知られるようになりました。サティはこのほかにも数多くのピアノ曲を残し、後世に与えた影響は大きいようです。

5月生まれの作曲家2:チャイコフスキー

 『白鳥の湖』、『くるみ割り人形』、『眠れる森の美女』。チャイコフスキーの三大バレエ音楽であり、おそらく、バレエ音楽全体の中でも三大曲といって良いでしょう。チャイコフスキーの作品はオーケストラの音楽が中心ですが、情緒的で心にストレートに訴える音楽には誰しも魅了されます。

 ピュートル・イリイッチ・チャイコフスキーは1840年5月7日に生まれました。技術者の父を持ち、比較的裕福な家庭だったようです。当初役人を目指して法科大学に入り法務省に就職しますが、音楽への情熱が勝り、ペテルブルク音楽院に入学します。

 当時は帝政ロシアの時代で、首都であるペテルブルクでは十分に活躍できず、モスクワ音楽院で教鞭をとりながら作曲活動を始めます。

 バレエ音楽は、コンサートの用の組曲にも編まれており、オーケストラのコンサートでもよく演奏されます。しかし、なんといっても6曲の交響曲、中でも第4、5、6番はとりわけ有名です。第6番は「悲愴」とのタイトルもつけられ、やや異質な構成ではありますが、古今の交響曲の中でも名曲中の名曲です。また、協奏曲ではピアノ協奏曲第1番とヴァイオリン協奏曲(1曲しかつくっていない)も「超」のつくほどの名曲で、非常に頻繁に演奏され私も何度も生で聞いています。

 チャイコフスキーの音楽の特徴は、流れるようなメロディーとその一つ一つがロマンチシズムに溢れていること。また、曲の盛り上げどころ、あるいは泣かせどころなど、いわばツボを心得ているところでしょうか。スコア(オーケストラ用の全楽器のパートが記された楽譜)を見ると、作りは比較的単純なように見えます。絶妙な組み合わせが聴くものを酔わせるのでしょうか。

 上に挙げた曲は必ずどこかで耳にしているはずですが、どの曲でも良いのでぜひ意識して聞いて欲しいものです。

 チャイコフスキー自身はオペラ作品で名を成したかったようで、事実、10曲以上ものオペラを作曲しています。しかし、評価され、現在でも上演されるのは『エフゲニー・オネーギン』と『スペードの女王』の2作品くらいでしょうか。私もこれら以外は題名も知りません。

 あまり知られていな曲でおすすめは「弦楽セレナーデ」とピアノ曲集『四季』です。「弦楽セレナーデ」は、その名の通り弦楽器だけの編成による4楽章構成の曲です。冒頭はCMのBGMにも使われたことがあるので覚えている人も多いでしょう。また、『四季』は各月ごとにテーマを決めて作られた12曲からなっていて、中でも6月「舟唄」が有名です。リサイタルのアンコールなどでもよく演奏されますが、ロマンチスト・チャイコフスキーの面目躍如といった佳作です。

 亡くなったのは1893年11月6日。交響曲第6番初演の数日後で、入水自殺ともコレラに罹患したとも言われていますが、正確なところはわかっていません。

5月が誕生日の作曲家1:ブラームス

 コンサートもなく、家でCDを聴いたり録画を観たりして過ごしていますが、やはり物足りません。生演奏を聴きにいかないと何かを書こうというモチベーションも湧いてきません。

 とはいえ、空白月をつくるのも悔しいので、作曲家について何か書いてみることにしました。ベートーヴェンイヤーではありますが、それはそれとして、今月を誕生日とする作曲家を簡単に紹介することにしました。

 5月生まれの有名な作曲には
7日生まれのブラームスとチャイコフスキー、12日生まれのマスネとフォーレ、そして、22日生まれのワーグナーでしょうか。日本人としては31日生まれの伊福部
がいます。

 ブラームスとチャイコフスキーという、ロマン派の大御所が同じ日に生まれているのは奇遇というか言いようがありません。また、フランス近代音楽の礎を築いたマスネとフォーレが同じ日というものこれまた奇遇。こんなことに気がついたので、筆を取りました。

 ヨハネス・ブラームスは1833年5月7日にドイツのハンブルクに生まれ、1897年4月3日にウィーンで亡くなりました。ハンブルクとウィーンは現在も当時も別の国ですが、同じドイツ語圏、まずは生粋のドイツ人といって良いでしょう。若い頃はかなりのイケメンで、颯爽としていたようですが、よく見る晩年の写真は肥満で髭面。かなりむさ苦しく感じます。生涯独身でしたが、師であるシューマンの夫人、クララ・シューマンを思慕していたとか。シューマンが早くなくなっていますから、当時からもいろいろ噂されていたようですが、あくまでもプラトニックなものだったようです。

 じっくりと筆を進めるたちだったのか、全てが名曲です。誰もが聴いたことのある曲では、ハンガリー舞曲第5番、交響曲第3番第3楽章でしょう。後者はイングリッド・バーグマンとアンソニー・パーキンス主演の映画「さようならをもう一度」のBMGとして使われたことから広く知られるようになりました。この映画はフランスの作家サガンの小説『ブラームスはお好き』が基になっています。映画も小説も名作です。

 クラシック音楽に馴染みがあるあるいはオーケストラの曲を聴いてみたいということであれば、なんといっても交響曲第1番と第4番、そしてピアノ協奏曲第1番でしょう。交響曲第1番は、ベートーヴェンに憧れたブラームスが構想を練り始めてから完成まで20余年をかけた傑作。のちに、ベートーヴェンの「交響曲第10番」とも評されました。プロテスタントのブラームスらしく、コラール風のメロディーで始まり、最後までエネルギーに圧倒されます。

 20余年の間に作曲されたのがピアノ協奏曲第1番です。2曲しかつくっていないピアノ協奏曲はどちらもピアニストにとっても難曲のようですが、交響曲の様に分厚く、聴くのもヘビーです。まるで分厚いステーキのような曲です。

 ブラームスは交響曲を4曲つくりましたが、最後の第4番はまさに集大成。同時代のブルックナーと比較されて、やや古臭いように言われることもあったようですが、オーケストラ曲の王道をいっていると思います。

 ブラームスの出身地であるハンブルクは、北海に面した街。行ったことはありませんが、どんよりとした曇り空をイメージします。一方で、今も昔も庶民のエネルギーにあふれる商業の街。そんな街に育ったからなのでしょうか、ブラームスの曲は全体をおおう何とも言えない暗さと、その下に隠れたマグマのようなエネルギーを感じます。強く生きる意志のようなものが聴く者の心を打つのでしょう。


 ブラームスは歌曲や合唱曲もたくさんつくっていますが、残念ながらほとんど聴いたことがありません。

 次回はチャイコフスキーを。

オケのテレワーク

 毎週金曜日の夜9時から、教育テレビで「らららクラシック」という番組があります。ややバラエティー番組に近いですが、短い時間で様々なクラシック音楽の曲の構成や作曲家の意図など、有名作品のみならず、幅広く取り上げてわかりやすく解説してくれます。

 先週は、音楽の解説というよりは、音楽家の活動が取り上げらえれました。オーケストラや演奏家や、コンサートが開ないだけではなく、日常の練習にも大きな制約を受けています。特に、オーケストラは100人近くが一箇所に集まらないといけないため、深刻です。

 そこで、オケもテレワークに挑戦して、個別に録画した演奏・映像をあわせて配信しています。番組では、国内のプロオーケストラのホルン奏者33人によるホルストの「木星」(「組曲『惑星』より)と、新日本フィルハーモニー管弦楽団60人によるロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲が演奏されました。奏者によっては何度も取り直しをしているのではないかと思いますが、出来上がった映像は見事です。

 吹奏楽や合唱の経験があるとわかると思いますが、合奏や合唱は同じ場所で互いの呼吸を感じながらやるからこそまとまるのであって、メトロノームや他人の演奏をスピーカーで聴いて自分が演奏してもうまくいくものではありません。さすがはプロです。

 「ウィリアル・テル」の話は有名ですから、知っているでしょう。オペラとして上演されることはあまりないと思いますが、この序曲は有名で、演奏会でもよく取り上げられます。スイスの伝説ですが、神聖ローマ帝国時代を舞台にした伝説です。弓の名手であるテルが、我が子の頭の上に乗せたリンゴを見事いぬいたことをきっかけに、民衆が立ち上がって圧政を強いる代官の支配を脱して自治を獲得したというストーリー。オケも頑張っているというだけではない、あたしたちへの力強いメッセージを感じました。

 NHKオンデマンドでも配信されているはずですが、再放送は5月14日(木)午前10:25~午前10:55(30分にあります。

オンラインで視聴できるコンサート2

 すでに始まっているもの、あるいは1回だけしか配信されないものも含めて、目についたところをまとめました。勉強の合間、家事や子育ての合間にお楽しみください。

  ニューヨーク発 〓 メトロポリタン歌劇場がネット上でスター歌手40人超えの特別ガラ・コンサートhttps://m-festival.biz/13151

  アテネ発 〓 ギリシャ国立オペラもストリーミング配信を開始https://m-festival.biz/13097

  ベルガモ発 〓 ドニゼッティ・オペラ・フェスティバルがネット上で特別ガラ・コンサート、投稿でドレスアップ度コンテストもhttps://m-festival.biz/13265

  ウィーン発 〓 ウィーン国立歌劇場が4月後半のストリーミング配信のラインナップを発表https://m-festival.biz/13074


  ニューヨーク・フィルがネット上で「マーラー・デジタル・フェスティバル」https://m-festival.biz/13195

  モスクワ発 〓 ボリショイ劇場が過去の公演をYouTubeで配信https://m-festival.biz/13180

  ローマ発 〓 ローマ歌劇場がストリーミング配信のラインナップを発表https://m-festival.biz/13163

ベートーヴェン交響曲第7番

 今日は本来は名フィルの2020-2021シーズン(https://www.nagoya-phil.or.jp/concerts_regular)のオープニングを飾る定期演奏会に予定でしたが、中止となってしまいました。エド・テ・ワールトという、名指揮者が振ってくれる予定でもあり、大いに楽しみにしていただけに残念です。

 今年は、作曲家であるベートーヴェンの生誕250年にあたり、名フィル定期は『Tribute to BEETHOVEN』と題して、ベートーヴェンの作曲した管弦楽曲や、縁の曲が取り上げられる予定です。

 ベートーヴェンは、177012月に当時のケルン大司教領に含まれたボンで生まれました。行ったことはありませんが、生家が今も残り、博物館として公開されています(https://www.beethoven.de)。祖父、父がともに大司教の宮廷音楽家。特に、祖父は宮廷楽長まで務めたとか。父親による英才教育を受け、幼少期から才能を発揮し、21歳の終わり頃にウィーンへ出てピアニスト兼作曲家として活躍します。20代後半から難聴が悪化し始め、一時は自殺も考えますが、立ち直り、以後作曲家として傑作をつくり続けます。交響曲第3番『英雄』、第5番(通称『運命』)、第6番『田園』、ピアノ協奏曲第5番(通称『皇帝』)、ピアノ・ソナタ第8番『悲愴』、第14番(通称『月光』)、第23番『熱情』など、有名曲を上げ出すときりがありません。この他に、ロマンス第2番(https://www.youtube.com/watch?v=Jf2J0ykoW2A)やピアノと管楽器のための五重奏曲(https://www.youtube.com/watch?v=EbBOB5ChC-0)、ヴァイオリン・ソナタ第5番『春』(https://www.youtube.com/watch?v=kwvfCR2DXxI)などは、よく知られた肖像画からは想像できない愛らしい曲です。

 さて、4月の定期は《冗談》という、彼のイメージとは全く相容れないようなテーマ。プログラムは
  ジョン・アダムズ:主席は踊るーー管弦楽のためのフォックストロット
  ジョン・アダムズ:アブソリュート・ジェストーー弦楽四重奏と管弦楽のための
  ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 作品92
   弦楽四重奏:アタッカ・カルテット
   指揮:エド・デ・ワールト
の予定でした。

 ジョン・アダムスは現代の作曲家、“Jest“とは冗談、悪ふざけという意味で、ベートーヴェンの様々な楽曲のモティーフを取り込んだ曲です。全体の雰囲気は表題の通り、ちょっとふざけているようにも聴こえます。もちろん、茶化しているわけではなく、最大限のリスペクトをはれってアレンジしているのです。シーズン開幕にふさわしい1曲!となるはずでした。
私のコレクションは
 ピーター・ウンジャン指揮のロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団とドーリック弦楽四重奏団によるCD(CHSA5199)です。

 そして、メインは、
  ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 作品92
です。きっと一部は誰もが耳にしたことがある曲です。特に、第1楽章第1主題がドラマ《のだめカンタービレ》のオープニングで使われていました。
 作曲されたのは1811年から翌年にかけて。ベートーベンが41歳の時。交響曲第3番で、彼以前のハイドンやモーツァルトの交響曲のスタイルを打ち破り、第5番、第6番で19世紀のロマン派への道を切り開くような独自のスタイルを確立したのち、むしろ回帰するように典型的な楽器編成と4楽章構成で作曲されています。しかし、全体は後に「舞踏の権化(または聖化);Apotheose des Tanzes」と評された(ワーグナー)ように、全曲に渡ってリズムが活用されています。出現するリズムとメロディーがいずれも印象的です。

 今回のコンサートで演奏されるはずであったアダムズの『アブソリュート・ジェスト』がそうであるように、有名な曲や印象的なリズム、メロディは後に様々な引用されたり、パスティーシュされたりします。交響曲第7番の場合には第2楽章がよく使われます。単純なリズムとほとんど音程が変化しないメロディーは、誰でも思いつきそうなだけに利用しやすいのでしょう。ベートーヴェンの音楽の特徴の一つは主題労作または動機労作と呼ばれる手法で、一つのモチーフを組み合わせたり、変化させたりしながら、曲を作り上げていくものです。交響曲第5番第1楽章がその典型であり、最高傑作でしょうか。「タタタタン」だけで、10分近い曲を完璧に構築しています。日本語では「作曲する」と言いますが、英語では“compose”、ドイツ語では“komponieren”、元来は「構築する」と言う意味です。決して思いついたメロディーを書き付けていくだけの作業ではなく、しっかりとした理論に基づいた技術が必要です。

 また、交響曲第7番では第4楽章も非常にエキサイティングです。ちょうどロックのドラムスのリズムの取り方と同じで、弱拍にアクセントを置くようになっています。そして、この単純なリズムを、第2楽章同様に執拗に繰り返します。そして、興奮が最高潮に達するところで曲が締めくくられます。名伯楽として知られるエド・デ・ワールトのタクトで会場が興奮のるつぼになることを期待していたのに、残念です。

 演奏によって差はありますが、繰り返しをいれて40分前後でしょうか。最近は速いテンポで、よりリズミカルに、快活な演奏が主流です。コレクションは以下の通りです。
  サイモン・ラトル:ウィーン・フィルハーモニー
  朝比奈隆:大阪フィルハーモニー交響楽団
  ヘルベルト・ブロムシュテット:ドレスデン・国立歌劇場管弦楽団
  ヘルベルト・ブロムシュテット:ライプツィッヒ・ゲバントハウス管弦楽団
  ヘルベルト・フォン・カラヤン:ベルリン・フィルハーモニー(1977年・セッション)
  ヘルベルト・フォン・カラヤン:ベルリン・フィルハーモニー(1978年・ライブ)
  クラウディオ・アバド:ベルリン・フィルハーモニー
  セルジュ・チェルビダッケ:ミュンヘン・フィルハーモニー
 テレビで放送されたコンサートの録画ですが、
  マリス・ヤンソンス:バイエルン放送交響楽団
  ズービン・メータ:ウィーン・フィルハーモニー
  パーボ・ヤルヴィ:ドイツ・カンマーーフィルハーモニー管弦楽団
  ヘルベルト・ブロムシュテット:NHK交響楽団

 変わったところでは、木管楽器のアンサンブル用の編曲もあり
  ザビーネ・マイヤー管楽アンサンブル
による演奏もあります。

 好みがありますので一概に言えませんが、《舞踏の権化》を堪能するならカラヤン/ベルリン・フィルでしょうか。落ち着いて聴くならブロムシュテット。TouTubeでもいろんな演奏が簡単に見つけられると思います。PCのスピーカーが音割れするくらいで聴くとちょうどよいかも。

オンラインで視聴できるコンサート

 先日も世界中のオーケストラや歌劇場のWeb配信を紹介しました。コンサートやオペラをスマホやPCを通してではありますが、無料で楽しむことができます。テレビで視聴できるようにしていれば、十分に楽しむことができると思います。

 改めていくつかを紹介しましょう。

  https://www.youtube.com/watch?v=huTUOek4LgU
 ここでは、アンドレア・ボッチェッリ(Andrea Bocelli)の、ミラノの大聖堂内でのソロコンサートの様子です。彼は幼い頃に事故で失明するも、歌手の夢を捨てずに努力したひとです。テレビなどで何度か取り上げられているので、見たことがあるかもしれません。後半は大聖堂前の広場で、オケの音を重ねて『アメイジング・グレイス』を歌っています。感動‼️ イタリアをはじめロンドンやニューヨークの様子も映しています。

  https://m-festival.biz/13151
   または
  https://www.metopera.org/season/at-home-gala/
 ニューヨークのメトロポリタン歌劇場が4月25日にネット上でガラ・コンサートを行います。出演は、ヨナス・カウフマンやロベルト・アラーニャ、アンナ・ネトレプコやルネ・フレミングら。現代を代表するトップ歌手ばかりが40人以上。それぞれが自宅から参加するスタイルで、ライブ・ストリーミングで配信されるようです。配信は米国の東部夏時間の午後1時(日本時間の26日午前3時)から。翌日の午後6時30分まで視聴可能とのことです。24時間以上やっているわけですから大丈夫ですね。聴き逃せません。

ヴィヴァルディと『四季』

 フィレンツェのイノチェンティ孤児院を紹介しました(ここ)が、当時は各地にあったようです。現在は同じイタリア国内ですが、当時は独立下国家の中心地であったヴェネツィアにもいくつかの孤児院があったようです。

 男女は別々に育てられていたのでしょう。ヴェネツィアの女子孤児院は音楽教育の水準が高いことでヨーロッパ中に知られていました。指導にあたっていた1人が、アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678年 - 1741年)です。彼は教会の司祭であり、女子孤児院や修道院で音楽教育にもあたっていました。毎週日曜日に、彼女らによるコンサートが催され、人気があったようです。ヴィヴァルディは、このコンサートで演奏するために多くの曲を書いており、日本でも人気のあるヴァイオリン協奏曲『四季』もその一つです。

 BGMなどでもよく使われていますし、音楽の授業で聴いたこともあるかもしれません。印象的なメロディですが、鑑賞に値する演奏をするにはアンサンブルも決して簡単ではありません。孤児院や修道院での教育水準の高さをうかがわせます。

 皆さんがよく知っているヴィヴァルディの肖像画はイタリア・ボローニャの国際音楽博物館(ここを参考にしてください)にあります。

コンサートはほとんどが中止になっています。

 皆さん、ご無沙汰しております。仕事や勉強は大きな制約を受け、いつものようにはいかなくなりました。せっかくの気分転換も制約されています。もちろん、私たちには趣味であっても、それを生業としている方たちにとっては死活問題です。

 毎月の恒例である名フィルの定期演奏会も3月、4月と中止になりました。5月以降もどうなるかはわかりませんが、音楽家にとっては収入の道が閉ざされていることになり大変です。日本のプロのオーケストラの多くは「公益財団法人」という形態をとっています。詳しいことはわかりませんが、税制面ではかなりの優遇を受けているようですが、その分、財政上の余裕を作ってはいけないそうで、いわば自転車操業しているわけです。したがって、演奏会がないということは死活問題です。今のところ、政府も直接財政補填または支援すると言っていませんので、非常に心配です。海外も個別のオーケストラや歌劇場の事情は同様と思いますが、日本とは異なり、ドイツでは文化大臣が「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と述べて財政支援すると表明しています。財政対策無くしては生きてはいけません。

そ んな中にあって、多くのオーケストラや演奏家が自分たちの演奏を無料でWeb公開して、自分たちの意気を示すとともに、私たちを慰めてくれています。例えば、
 名フィルは、
  https://www.nagoya-phil.or.jp/news/news_2020_04_01_093048

で、団員たちのアンサンブルを公開しています。
 また、いつも紹介するメトロポリタン歌劇場は
  https://www.metopera.org/nightly-opera-stream/
で連日ライブ録画したオペラを上映しています。
 このほかにも、
 ベルインフィルも
  https://www.digitalconcerthall.com/ja/home
で、無料でコンサートの録画を公開しています。
 このほかにも多くのオーケストラや歌劇場がストリーミング配信を行なっています。授業がないからと言って遊んでいるわけにもいきませんが、うちにこもっていてもストレスですから、少し気分転換してみるのも良いでしょう。


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METライブビューイング《アクナーテン》《ヴォツェック》

 だいぶん時間が経ってしまいましたが、2月には2回の公演が上映されました。映画館はお客さんが入らないとやっていけませんから、入りが悪くとも営業をやめることはないようです。

 現地では11月末と1月初めに上演された録画ですが、
フィリップ・グラス作曲《アクナーテン》(MET初演)
 アクナーテン:アンソニー・ロス・コスタンゾ、カウンターテナー
 ネフェルティティ:ジャナイ・ブリッジス、メゾソプラノ
 クィーン・ティ:ディーセラ・ラルスドッティル、ソプラノ
 アメンホテプ3世:ザッカリー・ジェイムズ、バス
 ホルエムヘブ:ウィル・リバーマン
 指揮:カレン・カメンセック
 古代エジプトを舞台にした現代作品です。ジャグリングの演技が多用され、やや奇妙な演出にも感じましたが、これまでのこってりした作品と比べると新鮮でした。

ベルク作曲《ヴォツェック》
 ヴォツェック:ペーター・マッティ、バリトン
 マリー:エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー、ソプラノ
 鼓手長:クリストファー・ヴェントリス、テノール
 大尉:ゲルハルど・ジーゲル、テノール
 医者:クリスチャン・ヴォン・ホーン、バスバリトン
 指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
 20世紀初頭に作曲されたドイツ語のオペラですが、貧しい主人公ヴォツェックが、貧しさゆえに自滅してしまうやりきれない話です。格差の広がった現代にも重なる物語で、アメリカの負の側面を描いているかのような物語です。

 ところで、新型コロナウイルスは世界中に広がっていますが、アメリカも例外ではありません。大勢の人が集まる歌劇場も上演中止を余儀なくされています。メトロポリタン歌劇場も今週からの上演を中止していますが、過去の録画分をWebサイトを通じて無料で放映するようです。スケジュールは以下にリストされています。現地で夜の時間帯で日本とは13時間の時差がありますが、余裕のある方は是非どうぞ。
https://www.metopera.org/about/press-releases/met-to-launch-nightly-met-opera-streams-a-free-series-of-encore-live-in-hd-presentations-streamed-on-the-company-website-during-the-coronavirus-closure/

名フィル定期(第476回)《集大成の傑作》

遅くなってしまいましたが、名フィルの2月定期の記録を残します。
2月21、22日に《集大成の傑作》と題して、

   モーツァルト:交響曲第38番ニ長調「プラハ」
   リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
   指揮:小泉和裕(名フィル音楽監督)
でした。

 テーマの通り、モーツァルトとリヒャルト・シュトラウスの集大成である2曲のプログラムです。

 モーツァルトは36年足らずの人生で41曲の交響曲を作曲しています。他のジャンルも数多くつくっていますが、最後の3曲が特に有名で、名曲の誉高いのですが、その一つ前に作曲された38番も劣らない名曲で、聴き応え十分です。題名の通り、プラハに招待された機会に合わせて、作曲者自身の指揮で初演されました。

 2週間前にも同じくモーツァルトの交響曲35番を聴いていますが、やはりと言うと失礼ですが、定期演奏会での演奏は一体感が違いました。弦楽器はモーツァルトにしてはやや大きめの編成でしたがまとまりよく、管楽器ともよく調和していました。名フィルの特徴ですが、モーツァルトにしてはやや音が硬いか? 

 リヒャルト・シュトラウスは逆に長寿を全うしましたが、作曲家としての前半生が交響詩を、後半生はオペラを中心に作曲しました。今回の「英雄の生涯」は最後の交響詩で、まさに集大成の一曲です。大編成の曲でオケにとってはかなりの難曲で、45分余で大きく六つのパートからなりますが、途切れることなく演奏されます。その中に、「英雄の業績」と題するパートがあり、リヒャルト・シュトラウス自身の曲が引用されます。こんなこともあって、タイトルの「英雄」は作曲者自身とか。

 先月のN響との聴き比べを意識しながら聴いていましたが、実に素晴らしい演奏でした。今シーズンで最もよかったのではないかと思います。管楽器の活躍する曲で、特に金管楽器のアンサンブルは迫力がありました。弦楽器の響きも充実していました。木管楽器のソロも随所にあり、見事でした。この曲はヴァイオリンのソロも有名で、「英雄の伴侶」を表す長大なソロをコンサートマスターが奏します。ゲストコンサートマスターの荒井英治。日本を代表するヴァイオリニストです。やや音が小さいかなと思いましたが、口うるさい「英雄の伴侶」を上手く演じていました。

 3月は今シーズン最後の定期で、名フィル指揮者の川瀬賢太郎の指揮で、パスティーシュ特集ともいうべき意欲的なプログラムが予定されていましたが、残念ながら中止となりました。

METライブビューイング《蝶々夫人》

 今週の木曜日までですが、METライブビューイングの今シーズン第3作目、
  プッチーニ:歌劇《蝶々夫人》
が上映されました。
キャストは
   蝶々さん:ホイ・へー(ソプラノ)
   ピンカートン:ブルース・スレッジ(テノール)
   シャープレス:パウロ・ジョット(バリトン)
   スズキ:エリザベス・ドゥシュング(メゾソプラノ)
   指揮:ピエール・ジョルジョ・モランディ
   演出:アンソニー・ミンゲラ
でした。

 同じ演出で何度か観ていますが、いつ見てもわかりやすい、効果満点の舞台です。19世紀末(明治初頭)の長崎、おそらく長崎港を見下ろす丘の上の一軒家なのでしょうが、障子や襖を自由に動かすことによって家の内外をうまく表しています。ストーリーはご存じの方も多いでしょう。

 蝶々さんは15歳、おそらく没落士族の娘で、父親は何らかの理由で自死しています。家計を助けるために芸者としてはたらいていましたが、斡旋業者の紹介でアメリカ海軍の駐在員であるピンカートンの妾になります。蝶々さんはまっとうな結婚のつもりですが、ピンカートンに取ってはいわば“Japanease wife”です。ピンカートンがクリスチャンですから、蝶々さんもキリスト教に入信しますが、親族からは怒りを買います。

 アメリカの長崎領事であるシャープレスは、同じようなケースを何度も経験しているのでしょう。ピンカートンの軽はずみをたしなめます。おそらく半年ほどして、ピンカートンは戻ってくると約束して帰国。

 3年後、蝶々さんはピンカートンを待ち続けていますが、事情を知る周囲は別の「旦那」を紹介します。実は、ピンカートンとの間には男の子が生まれていますが、ピンカートンには知らせていません。

 ピンカートンはアメリカで正式の結婚をして、新婚旅行をかねて日本へやってきます。その旨をシャープレスに知らせ、蝶々さんの様子もうかがっています。事情を知らせに蝶々さんのもとを訪れたシャープレスは、蝶々さんとピンカートンとの間に子どもがいることを知り愕然とします。このことをピンカートンに知らせると、ピンカートンは子どもを引き取ろうとします。女手一つで育てるのは大変だろうという善意ではあるのですが、蝶々さんにとっては全てを奪われることになり、子どもを渡して自ら命を絶ちます。

 全3幕ですが、音楽も台本もよくできています。観る機会を重ねるごとに、良さが分かってきた気がします。第1幕は蝶々さんとピンカートンを中心にしているので、二重唱が大きな割合を占めています。しかし、登場人物の感情の変化に合わせて音楽はダイナミックに変化します。おそらく歌詞の意味が分からなくとも、どんな気持ちを表現しているのかが分かるでしょう。プッチーニの音楽はすばらしい。今回歌ったホイ・へーとスレッジはともに今回初めて聴く歌手ですが、声質も声量も十分。スレッジはピンカートンを初めて歌ったそうで、やや硬さあるというか、余裕がないというか、特に冒頭部分ではぎこちなさも感じました。しかし、第1幕後半の二重唱は息の合った歌唱でした。

 第2幕は蝶々さんの寂しさ、不安、葛藤を丹念に描いています。第1幕ほどに音楽の起伏もなく、蝶々さんやシャープレスのアリアがすばらしい。スズキは蝶々さんの女中ですが、かなりの歌唱を与えられています。有名な「ある晴れた日に」は第2幕冒頭で歌われます。最後にピンカートンの乗った船の入港を知って、部屋を花で飾って待ちながら第3幕へ。

 第3幕ではピンカートンが婦人を伴って蝶々さんを訪ね、シャープレスとともにスズキに事情を説明していると蝶々さんが現れます。婦人の姿を見て察した蝶々さんは、30分後に来るように伝え、子どもに別れを告げて自刃します。

 台本、オペラではリブレット(libretto)と言いますが、残念ながら見ていません。蝶々さんの子どもは歌唱はありませんが、かなりの演技を要求されます。多くの演出では5~6歳の男の子が演じますが、稚拙さは否めません。このMETの演出では本当に子どものかわりに、人行が使われています。日本が舞台ということもあってか、文楽をモデルとした3人の人形遣いによって操作される男の子は、逆にリアリティがあり存在感があります。演出意図は大成功と言ってよいでしょう。

 2月から3月にかけて、この後2作予定されています。21日からフィリップ・グラス作曲の《アクナーテン》、28日からはベルク作曲の《ヴォツェック》です。ともにかなりクセのある音楽とストーリーです。

チャリティ・コンサート:15歳の初協奏曲

 以前に名古屋銀行のチャリティ・コンサートを紹介しましたが、先週末(2月8日)には岡谷鋼機の主催するチャリティ・コンサートがありました。プログラムは
   ストラヴィンスキー:グリーティング・プレリュード
   サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調 より 第3楽章
   モーツァルト:交響曲第35番ニ長調 《ハフナー》
   ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調
    ヴァイオリン独奏:兼子竜太朗
    ピアノ独奏:小山実稚恵
    指揮:広上淳一
    演奏:名古屋フィルハーモニー交響楽団
でした。

 岡谷鋼機のチャリティ・コンサートは一昨年の夏にも聴きに行きました。¥1,000とは思えないソリスト、指揮者を呼び、充実したプログラムです。江戸時代から続く会社のようで、今年が創立350周年だとか。元々何をやっていたのでしょうか。

 アニバーサリーにふさわしく、《ハッピー・バースデー》をアレンジした曲でオープニング。ストラヴィンスキーは20世紀を第ひょする作曲家ですが、ピエール・モントゥーという同じく20世紀を代表する指揮者の80歳の誕生日を記念して1955年に作曲されたそうです。1分足らずの曲ですが、ストラビンスキーらしい大編成で華やかな曲です。

 サン=サーンスを弾いたのは豊明市在住の弱冠15歳。オケをバックに協奏曲を演奏するのは今回が初めてとのこと。舞台上の振る舞いも初々しくほほえましくもありましたが、演奏は力強く、堂々としたものでした。テクニックはもちろんですが、表現力もしっかりとしていました。今後を予想することはできませんが、のびのびと育ってほしいものです。中学3年生ということですが、どこへ進学するのでしょう?

 モーツァルトの交響曲は番号がつけられた曲が41曲あり、後半の6曲が特に名曲とされています。今回はその最初のナンバー、350周年にかけた選曲のようです。やや硬めの音色でしたが、広上らしい、表情豊かな音楽で、弦楽器と管楽器のバランスもよく、十分に楽しめました。

 指揮者の広上は、かつては名フィルの副指揮者を務めており、オケとは旧知の間柄。現在は京都市交響楽団の常任指揮者で、コンサートは毎回チケット完売とか。売れっ子の指揮者です。

 後半、そしてこの日のメインはラフマニノフのピアノ協奏曲です。ピアノ独奏の小山は、これまでに何度も聴いているピアニストですが、現在日本を代表するピアニストです。名古屋でもたびたびリサイタルを開いています。彼女のラフマニノフ第3番を聴くのは、たぶん今回で2回目ですが、難曲中の難曲を堪能させてくれました。40分ほどの曲で、ピアニストにはほとんど休みがありません。それだけでも大変ですが、テクニックも音量も並大抵ではありません。ロシアの大地を感じさせる雄大な音楽を表現するのは、オケ共々たいへんでしょう。

名フィル定期(第474回)《畢生の傑作》

 名フィル1月定期は17、18日に《畢生の傑作》と題して
   シューマン:チェロ協奏曲イ短調
   ワーグナー:楽劇『ニーベルングの指輪》より[沼尻版]
   チェロ独奏:パブロ・フェランデス
   指揮:沼尻竜典
で行われました。
 また、今回は日本音楽財団が貸与しているストラディバリウス作の楽器を用いた演奏会として、1696年製の「ロード・アイレスフォード」と名付けられたチェロが用いられました。

 タイトルの「畢生」にふさわしいのは後半のワーグナーの作品でしょう。四つのオペラの連作で、実際に上演される場合にはもちろん4日間かかります。実際には同一歌手が複数の作品に出演しなければならないため、せいぜい一日置きに上演されるので一週間かかります。作曲者が35歳(1848年)の時に構想を練り始め、全曲が初演されたのが1876年という、まさに人生を賭けた大作です。のべ上演時間は15時間以上でしょうか。

 ワーグナーの主な作品は全てオペラであるため、オーケストラのコンサートでは一部の前奏曲などが取り上げられるだけです。以前に、この『ニーベルングの指輪』の一部を名フィル定期で演奏されたことがありますが、今回は歌手を入れず、その代わり4つのオペラを圧縮してまとめて聴くことができました。指揮者自らの編曲です。

 全体を50分ほどに縮小した演奏ですが、オケだけで聴いてみるとワーグナーの音楽の表現力のすばらしさを改めて実感します。長く複雑なストーリーのため、音楽を聴いて全ての場面がおもいうかぶわけでありませんが、十分に想像させてくれます。

 指揮者の沼尻は以前に名フィルの常任指揮者を務めており、13年ぶりの定期登場。大編成のオーケストラが迫力十分だっただけでなく、角笛を表すホルンのソロやをはじめ、管楽器のソロや弦楽器のアンサンブルもいつもとは違う緊張感がありました。

 前半に演奏されたシューマンのチェロ協奏曲は、チェロの協奏曲としては非常に有名な曲で、よく演奏されます。第396回でも取り上げられました。

 今回の独奏者のフェランデスは1991年、マドリード生まれ。テクニックはもちろんですが、まだ20代にもかかわらず、一音一おんがしっかりとした主張を持って居るような素晴らしい演奏でした。まだCDは出していないのか、サイン会はありませんでした。

 ソリストアンコールはなんと2曲。バッハの無伴奏チェロ組曲から1曲と、カタルーニャ民謡「鳥の歌」でした。「鳥の歌」は、スペインが産んだ名チェリスト、パブロ・カザルスが好んだ演奏した曲です。ソリストの名前も、カザルスからとられているそうです。

ロイヤルオペラ・ライブビューイング《ドン・ジョヴァンニ》、《ドン・パスクワーレ》

 以前(「英国ロイヤル・オペラ・ハウスシネマシリーズ」)にも紹介しましたロンドンにあるロイヤルオペラのライブビューイングの19/20シーズンが年明けから始まりました(Webサイトはhttp://tohotowa.co.jp/roh/)。20年になってから19シーズンというのも変ですが、現地では10月くらいにシーズンが始まっており、ライブビューイングも現地では上映済み。翻訳や映画館の手配の問題でしょうか、日本では年明けの
  3日からが
   モーツァルト:歌劇《ドン・ジョヴァンニ》
  10日からが
   ドニゼッティ:歌劇《ドン・パスクワーレ》
でした。

 METとはソリストや演出の雰囲気など、うまくいえませんが何かが違います。モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》はモーツァルトのオペラの中でもとりわけ有名な作品です。村上春樹の『騎士団長殺し』を読んだ方はわかるでしょう。タイトルはもちろん、物語全体を貫く重要なモチーフとなっているオペラです。正直言って、オペラの筋を知らないとあの小説は全くおもしろくないでしょう。
ドニゼッティの《ドン・パスクワーレ》は上演頻度はそれほど高くはないようです。いずれもメロドラマ、あるいは悲劇ではなく、一応喜劇に分類されます。ただし、喜劇というにはややシリアスなストーリーです。

 《ドン・ジョヴァンニ》のストーリーはここを参考にしてください。出演者は初めて聴く歌手ばかりですが、
   ドン・ジョヴァンニ:アーウィン・シュロット
   レポレッロ:ロベルト・タリアヴィーニ
   ドンナ・アンナ:マリン・ビストローム
   ドン・オッターヴィオ:ダニエル・べーレ
   ドンナ・エルヴィーラ:ミルト・パパタナシュ
   チェルリーナ:ルイーズ・オールダー
   マゼット:レオン・コザヴィッチ
   騎士団長:ペトロス・マゴウラス
   指揮:ハルトムート・ヘンフェン
でした。
 舞台上に2階建ての屋敷様の簡単なセットがあり、回り舞台の上で回転し4面が異なった建物として利用されます。場面ごとに建物が変化するという趣向です。しかし、歌手たちは内部を移動し、それによって心情の変化や葛藤がある様子を示していたようです。プレーボーイのふしだらな生活を描くだけではなく、女性の内面や葛藤も一緒に描こうとするもので、これまでに観てきたどの演出とも異なるかなり意欲的な演出でした。
歌手たちも皆すばらしい声で、聴き応え十分でした。

 ドニゼッティは19世紀前半にイタリアとフランスで活躍したオペラ作曲家です。《愛の妙薬》などが有名で、《ランメルモールのルチア》や《連隊の娘》などもよく知られています。今回上映された《ドン・パスクワーレ》は晩年にパリで上演するために書かれた作品で、音楽的には非常に充実した聴き応えのある作品です。
 出演者は
   資産家ドン・パスクワーレ:ブリン・ターフェル
   パスクワーレの甥・エルネスト:イオアン・ホテア
   エルネストの恋人・ノリーナ:オルガ・ペレチャッコ
   パスクワーレの主治医でエルネストの親友・マラテスタ:マルクス・ヴェルバ
   指揮:エヴェリーノ・ピド
で、ストーリーを簡単に紹介します。

 舞台はローマ、もともとの時代設定は19世紀でしょうが、今回は現代に置き換えられていました。
 資産家のドン・パスクワーレは独身で、財産を甥のエルネストに譲ろうとしています。ただし、エルネストがパスクワーレの決めた相手と結婚することが条件。エルネストは恋人であるノリーナとの結婚を望んだため、パスクワーレはエルネストを追い出して自分が結婚することにします。医師のマラテスタが花嫁候補として自分の妹・ソフローニャを紹介します。パスクワーレはしとやかなソフローニャが気に入り、結婚証明書に署名します。ところが、ソフローニャは、実はノリーナで、結婚したとたんにパスクワーレをいたぶり、散財を重ねます。パスクワーレが離婚すると行っても、適当にあしらって外出します。このとき、ノリーナはわざと別の男性との逢い引きの約束をした手紙を落とします。パスクワーレはこの手紙を読んで、不貞の現場を押さえようとしますが、ノリーナたちの策略。離婚したいパスクワーレは、ノリーナをエルネストの妻として家に入れるからソフローニャにに出て行けといいます。ここで、ノリーナの正体が明かされ、パスクワーレは一杯食わされたと知ります。最後に、ノリーナが「この物語の教訓は老人が若い妻を迎えるな。災いと苦難のもと。もっと寛大になれ。」と歌って終わります。

 主役のパスクワーレを歌ったターフェルはこれまでにMETなどでも聴いたことがありましたが、コメディの役を聴いたのは初めて。初めて取り組んだ役とのことでしたがなかなかの役者ぶり。しばらくは重要なレパートリーとしていくことのことでした。また、ノリーナ役のペレチャッコは透き通るような歌声で、聴き惚れました。

 ロイヤル・オペラのライブビューイングはシーズンでオペラ6作品とバレエ6作品の合計12作品が上映されます。ロイヤルオペラハウスはオペラはもちろん、世界三大バレエカンパニーにも数えられるほどバレエが有名です。本場の舞台を間近でみると迫力が違います。興味がある方は是非。

名フィル定期(第473回)

 今月の定期は12月6,7日に《舞踊の傑作》と題した以下のプログラムでした。
   デュカス:バレエ『ラ・ペリ』
   酒井健治:ヴィジョンーガブリエーレ・ダヌンツィオに基づいて
   ストラヴィンスキー:バレエ『ペトルーシュカ』
   カウンターテナー:藤木大地
   ピアノ:野田清隆
   指揮:シルヴァン・カンブルラン

 デュカスとストラヴィンスキーはいずれもバレエのための音楽です。もちろん、今回はバレエはなく、オケによる演奏のみです。バレエのストーリーは割愛しますが、『ラ・ペリ』は華やかなファンファーレで始まります。このファンファーレは、中日ドラゴンズのナゴヤドーム開幕戦の冒頭で名フィルメンバーによって演奏されるそうですから聴いたことのある方もあるのではないでしょうか。

 ともに20世紀初頭に作曲され、パリで初演された曲で、メロディーが変化に富み、それぞれのメロディーごとの楽器の組み合わせも様々。音域や奏法も次々と変化していくため、非常に色彩感の豊かな楽曲です。この時代のフランス音楽に共通する特徴です。時代は、ベル・エポック。アール・ヌーボー全盛期です。そのような時代の雰囲気が作曲家をインスパイアしていたのでしょう。

 少し前に、『デリリとパリの時間旅行』いという映画をみました。ほぼ同時代を舞台にした映画で、ドビュッシーやラヴェル、ピカソにダリ、マリー・キュリーにサラ・ベルナールなど、多士済々が登場する楽しいストーリーでした。

 指揮者のカンブルランはフランス人で、ヨーロッパではかなり活躍しているようで、録音も多数リリースしています。日本では東京に本拠を置く読売日本交響楽団の常任指揮者を長く務めていました。色彩感ある音作りに定評があるようで、今回のプログラムはうってつけです。名フィルには先月に引き続くフランス音楽で、特に管楽器がよく頑張っていました。また、『ペトルーシュカ』にはピアノも加わっていて、音色にさらに色合いが加わり、華やかな演奏でした。

 2曲目は名フィルは日本人作曲家による新作の世界初演です。デュカス、ストラヴィンスキーと同時代のイタリアの詩人、作家の詩に曲をつけています。ダヌンツィオは名前は聞いたことがあっても、どのような作品があるのかは全く知りません。オペラの台本も書いているようです。文学的には同時代のフランス文学の影響を受けているとのことで、関連のあるテーマでプログラミングされています。歌はカウンターテナーという、日本ではあまりなじみのない声域の男性歌手によって歌われます。米良美一を知っている方も多いでしょう。『もののけ姫』の主題歌を歌っていますが、彼のような声あるいは歌い方がカウンターテナーです。今回歌った藤木は30歳前後かと思いますが、ウィーン国立歌劇場でも活躍しています。私が座っている席では十分に声が聞こえず、残念でした。かわりにCDを買って、サインをしてもらってきました。

 もう年末、第9のシーズンですが、今年は予定はありません。昨年は美術館巡りとあわせて東京で日本フィルの演奏会を聴きに行きました。(どうも記録をアップするのを忘れていたようです)
 
 年明け、1月1日にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサートがあります。たぶん、夜7時くらいからNHKで生放送するはずです。興味のある方は是非。

名フィル定期(第472回)《破天荒の傑作》

 時間が経ってしましたが、11月の名フィル定期を紹介します。
11月15、16日に《破天荒の傑作》と題して
   メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
   ベルリオーズ:幻想交響曲
   ヴァイオリン独奏:オーガスティン・ハーデリッヒ
   指揮:小泉和裕
で行われました。

 モーツァルトと並ぶ神童、メンデルスゾーンが30代半ばで作曲したヴァイオリン協奏曲は古今のヴァイオリン協奏曲の中でも最も演奏頻度が高いのではないでしょうか。富豪と言っても良いほど裕福な家庭に育ったとは思えない、全体を支配する哀愁は一度聴くと忘れられません。名曲たる所以でしょうか。

 独奏者のハーディッヒは30代半ばですが、15歳のときに全身に大火傷をおいながらもカムバックしたという経歴を持っています。演奏にも深い精神性を感じました。グラミー賞を受けるほか、多くの有名指揮者・オーケストラとも共演しているのも肯けます。

 後半に演奏された『幻想』は学生時代に演奏したことがあります。初演されたのが1830年です。ベートーヴェンが亡くなったのが1827年、交響曲第9番が初演されたのが1824年です。クラッシック音楽を聴き慣れるとわかりますが、とても6年しか離れているとは思えない、まさに破天荒な作品です。作曲のきっかけといい、オーケストラの編成といい、メロディといい、当時の聴衆は呆れ果てたのではないでしょうか。YouTubeではこんな演奏が聴けます。https://m.youtube.com/watch?v=xYbePdHVe0A

 12月定期は今週末で、《舞踊の傑作》と題してフランスのバレエ音楽を中心に演奏されます。

MET ライブビューイング《トゥーランドット》

  クラシック音楽、中でもオペラ(=歌劇)は敷居が高いと感じる人が多いようですが、いろんなところで耳にしています。また、生の上演は、そもそも機会が少ないですが、映像をそれなりの臨場感を持って鑑賞することはできます。同じように、最近では歌舞伎や、ポップスやロックのコンサートなどでも録画を映画館で鑑賞するスタイルが定着しているようです。定期的なイベントとしての嚆矢といってよいのが、ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場、通称METのライブビューイングです。日本では松竹が配給しています。

さて、今シーズン、2019ー2020シーズンのMETライブビューイングが先週から始まりました。今シーズンのスケジュールはここhttps://www.shochiku.co.jp/met/を見てください。ややマイナーな作品が多いのですが、プッチーニの3作品はいずれも名作です。

 オープニングは、そのプッチーニの遺作である《トゥーランドット》です。これまでにも何度か上映されています。あらすじはここを見ていただくとして、今回の配役は
   トゥーランドット:クリスティーン・ガーキー(ソプラノ)
   カラフ:ユシフ・エイヴァゾフ(テノール)
   リュー:エレオノーラ・ブラット(ソプラノ)
   ティムール:ジェイムズ・モリス(バスバリトン)
   指揮:ヤニック・ネゼ=セガン

 演出は、今年6月に亡くなったフランコ・ゼフィレッリ。1987年に新演出として上演された舞台で、名演出の誉れ高い、豪華絢爛な演出です。これぞ「オペラ」と言って良いでしょう。ゼフィレッリはビスコンティーの弟子で、映画監督としての代表作は『ロメオとジュリエット』でしょうか。

 主役はもちろんトゥーランドット姫ですが、物語を引っ張るのはカラフ。第3幕冒頭で歌われるカラフのアリア、「誰も寝てはならぬ」はトリノ五輪で荒川静香が使い、さらに開会式でパバロッティも歌ったことで有名になりました。平昌オリンピックでも宇野昌磨が使っています。みなさんもよくごぞんじでしょう。一度劇中での歌唱を聴いてみたいと思いませんか?

 今回カラフを歌ったユシフは歌手として知名度はまだまだですが、パートナーが現在世界一と言ってよいソプラノ歌手・アンナ・ネトレプコ。したがって、彼女の夫としての有名。 年前にネトレプコのリサイタル(ここです)を聴きに行きましたが、その時にも相手役として歌っていました。正直言って、奥さんの七光りで出してもらってる?という印象でしたが、今回の歌唱は見事でした。 これまでにMETで主役を歌ってきた数々の歌手たちにも十分に伍していると言ってよいのではないでしょうか。今後が楽しみです。

 オペラというと独唱者にう目が行きがちですが、このオペラの大きな魅力の一つは合唱です。METの合唱団のすばらしさもさることながら、民衆の声の迫力には圧倒されます。ライブビューイングを見て、是非とも生で聴いてみたいと感じなかった人はいなかったのではないでしょうか。

 主役であるトゥーランドット姫役はソプラノではありますが、中でもドラマティック・ソプラノと呼ばれる、力強い声質を求められる役です。歌っている時にはオケも大音量で鳴らしているため、並みの歌手では客席まで聴こえません。今回歌ったガーキーは、まだ若手ではありますが、しっかりとした声質で聴きごたえがありました。

 最後に、このオペラの役どころで最も共感を呼ぶのがリューでしょう。カラフを慕いながらも、女奴隷としてティムールに従っています。物語途中で自死しますが、いつ観ても泣けます。これは是非とも映像を見て感じてください。

 METの映像ではありませんが、ここhttps://m.youtube.com/watch?v=5vlgV3688q4で全曲を観ることができます。演出はやや前衛的です。

 次作は11月29日から、フランスの作曲家・マスネの《マノン》です。

はじめてのベルリン・フィル

 先週は週半ばにベルリン・フィルのコンサート、週末はMETライブビューリングに名フィル定期と、芸術の秋を満喫しました。

 Berliner Philharmoniker、日本語ではベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と訳されます。少しでもクラシック音楽、特にオーケストラの音楽に興味がある人になら説明するまでもないでしょう。世界に冠たるオーケストラです。数年に一度は来日していますが、名古屋に来るのは何年ぶりでしょうか? 今回はズービン・メータという、これまた現代を代表する巨匠を指揮者として、13日・水曜日の名古屋を皮切りに、10日間で全国で8公演の日本ツアーです。
 10月13日、愛知県芸術劇場・コンサートホールでプログラムは
   ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
   指揮:ズービン・メータ
の1曲。(他の会場では、リヒャルト・シュトラウスとベートーヴェンのプログラムも演奏されるようです)

 80分余のじっくりと聴くべき大曲ですが、曲というよりも演奏に圧倒され、あっという間に終わりました。
この曲は学生時代に一度やったという思い入れもあり、大枚をはたきましたが、その価値は十分にありました。弦楽器、特に低音部の迫力は表現のしようがありません。腹にどーんと響いてくるような圧力を感じました。オケが鳴っているというよりも、舞台全体が1つになって鳴っているといえば分かるでしょうか。

 ブルックナーについてはここ(名フィル定期(第471回))を観てください。

 オケの音楽の特徴の1つは、弱音から強音までダイナミックスレンジの幅が大きいことです。しかし、どんな弱音も目の前で鳴っているかのようにしっかりときこえ、逆にどんな大きな音も決してハレーションすることなくここの楽器の音が聞き分けられる。ふしぎな響きでした。もちろん、音楽の表現力はすばらしく、オケ全体が1つの生き物のように自由自在に動き回っているかのようでした。CDや映像で見聞きするのとは全く違います。

 ベルリン・フィルのメンバーの演奏はこれまでにも何度か聴いています(名フィル第447回定期446回定期2016年バレンタイン・コンサート2014年ベルリン・フィル八重奏団名フィル第409回定期第402回定期)。もちろんどれもすばらしい演奏でしたが、その彼らがひとまとまりなってつくり出す音楽は想像がつきませんでした。一人一人の能力=音を生かしながら、全体が調和することによってより高い次元=音楽を実現するということでしょうか。

 指揮者のメータはインド出身の指揮者で、今年83歳。やや 脚がお悪いようで、舞台へは杖をついて入り、終始椅子に座っての指揮でした。しかし、全曲暗譜、テレビで何度か観ているとおりの指揮ぶりでした。終演後は万雷の拍手。オケが引き上げた後にも、メータが舞台へ。

 残念ながらやや空席もありました。今回聴きに行ったベルリン・フィルの他、ウィーン・フィルハーモニー、そしてオランダのロイヤル・コンセルトヘボウの3つのオケをもって、「世界三大オーケストラ」といいますが、実は1週間前にウィーン・フィルが、そして1週間後(20日)にロイヤル・コンセルトヘボウが名古屋に来ます。3週続けて聴きに行く方もいらっしゃるのでしょうか。いずれも高額。さすがに一回当たりのお客さんは少なくなります。

チャリティ・コンサート

 先週の水曜日(10月23日)に、名古屋銀行が主催するチャリティ・コンサートを聴きに行って来ました。
 毎年この時期に行われ、この数年毎年行っております。入場料が何と¥1,000という破格の値段でオーケストラの演奏が聴けます。毎年名フィルが、比較的若手の指揮者とソリストをそろえて演奏します。ほぼ満席で、プログラムは
  シューマン:歌劇『ジェノヴェーバ』序曲
  ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番『皇帝』
  シューマン:交響曲第3番『ライン』
  ピアノ独奏:グロリア・カンパネル
  指揮:川瀬賢太郎
でした。

 定期演奏会ほどのクオリティーは感じませんでしたが、ピアニストのカンパネラは長身でモデルのようなスタイル、正直言って引きつけられました。格好で演奏するわけではありませんが、やはり第一印象も大切です。彼女はすでに録音もあり、大学で教鞭も執っていることもあってか、演奏はなかなかに風格がありました。『皇帝』はという表題はベートーヴェンがつけたわけではありませんが、それまでのピアノ協奏曲にはないピアノのカデンツァから始まる冒頭をはじめ、その名にふさわしい名曲です。

 来年2月にも岡谷鋼機が主催するチャリティ・コンサートがあります。先々週末にオープンになりましたので、たぶんもう完売かな? 

名フィル定期(第472回)《最後の傑作》

 10月の定期演奏会は10月11日に《最後の傑作》と題して行われました。
 今回は、予定されていたソリストが体調不良で来日できずプログラムが変更され、さらに、台風の接近で2日目・土曜日のコンサートが中止になりました。いつもは土曜日に聴きにいっていますが、中止が予想されたので曜日振替で金曜日のコンサートを聴きに行きました。

 プログラムは
   武満徹:夢想
   細川俊夫:結びーハインツ・ホリガーの80歳の誕生日を祝してー(オーボエとイングリッシュホルンのための)
   ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
   シューベルト:交響曲第8番ハ長調『グレイト』
   オーボエ:ハインツ・ホリガー
   イングリッシュホルン:マリ=リーゼ・シュプバッハ
   指揮:ハインツ・ホリガー
でした。

 今回の主役はなんといってもおん年80歳のホリガー。オーボエ奏者にして作曲家でもあり、指揮者。もともと予定されていたプログラムでは、ホリガー作曲のソプラノ独唱を伴うオーケストラ曲が演奏されるはずでした。代わりのソリストが見つからないということで、オケのコンサートとしては異例ですが、二重奏として、ホリガーがオーボエを披露してくれました。また、オケの演奏は、20世紀後半に活躍した日本人、19世紀後半から20世紀初めに活躍したフランス人、そして、18世はじめのオーストリア人と、全くタイプの異なる作曲家の作品を緻密にまとめ上げる力量には脱帽するしかありません。終演後にはオケのメンバーからも指揮者に拍手が送られますが、いつもの演奏会以上の温かみを感じました。

 演奏会やCDでいろんなオーボエの音を聴いてきました。管楽器の中でも音色の違いがはっきりする楽器ですが、うっとりとするような美しい響でした。そして表現力も素晴らしい。今回の来日では、別の会場でリサイタルもやったようです。是非一度聞いてみたいものです。

 さて、本来のプログラムを紹介しておきましょう。武満は1996年に亡くなっていますが、最も世界的に評価された作曲家です。これまでにもいくつかの曲を聴いていますが、メロディーというよりも響きを楽しむような音楽です。特に、今回演奏された『夢窓』は、フルート、クラリネット、チェロ各1、ヴァイオリン2のソリストとフルオーケストラによる15分ほどの音楽です。日本的な響きが続き、題名の通り窓から回遊式庭園を覗き見ているようなイメージとか。一方で、オケの配置は完全にシンメトリカルで、何やら不思議な気持ちにさせられる演奏でした。

 メインはシューベルト。『未完成』交響曲はあまりにも有名なので、曲名はご存知でしょう。また、歌曲の「魔王」は音楽の授業で聴いたことがあるかもしれません。ウィーン・モダン展で肖像画を見ましたが、19世紀初頭のウィーンを体現したような音楽かもしれません。

 今回演奏されたのは、「未完成」交響曲を除いて、シューベルトが完成した7曲のうち、最後に完成させた交響曲です。生前に演奏されることはなく、死の10年後に作曲家のシューマンが発見して、メンデルスゾーンの指揮で初演されました。表題は、同じ調性の第6番が比較的身時間曲であるのに対して、長大な作品であるところからこう呼ばれるようになったそうです。したがって、本人がつけたわけでも、シューマンやメンデルスゾーンがつけたわけでもありませんが、何違わぬ名作です。メロディーが溢れるように流れ、その何れもが次々と異なる楽器に受け継がれていきます。四つの楽章のいずれでも付点音符を含むもチーが用いられているためか、全体に躍動感があります。また、時折弦楽器が弾くオスティナート(執拗反復と訳されますが、同じ音形やリズムが繰り返される)が効果的で、管楽器のメロディーラインをしっかりと支えています。

 数種類持っているCDを聞き比べて予習をしましたが、そのどれよりも速いテンポでした。楽譜では何箇所も繰り返しが支持されていますが、多くの演奏はかなりの部分を省略して演奏時間が50分程度。しかし、ホリガーの指揮は、全てを繰り返して同じ時間。もちろん、演奏が雑になるわけではなく、細部にわたって支持が行き届いていることをうかがわせる完成度で、指揮者がオケを引っ張っているというよりも、オケと指揮者が一体になって音楽が出来上がっていると感じさせる演奏でした。そして、音楽的な完成度だけではなく、80歳にして衰えぬ向上心を感じました。

 シューマンの作品は来週のコンサートで聴く予定です。また、来月の名フィル定期ではメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とベルリオーズの幻想交響曲が演奏されます。

名フィル定期(第471回)《敬愛の傑作》

 定期演奏会は、8月はオフですが9月から再会。今月は6日、7日に《敬愛の傑作》と題して、
   ワーグナー:ジークフリート牧歌
   ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
   指揮:小泉和裕
でした。

 ワーグナーはこの夏に体験した2つのオペラの作曲家です。20分足らずの作品で、ワーグナーの妻であるコジマ・ワーグナーへの誕生日プレゼントとして作曲されたもので、小編成のオーケストラのための曲です。

 コジマと結婚までのいきさつを書き出すと長くなるので省きますが、二人とも死別や離婚の後の2度目の結婚で、結婚後の最初の妻の誕生日の翌日の朝に、部屋の前で演奏したとのこと。今でいうところの「サプライズ」ですね。二人には前年に男児が誕生し、ジークフリートと名付けています。当時作曲していた《ニーベルングの指輪》第3作である《ジークフリート》から取られた命名です。そして、『ジークフリート牧歌』には、この《ジークフリート》で用いられた旋律が随所にちりばめられています。YouTubeではここ(https://www.youtube.com/watch?v=891JUSQplzU)がよいでしょう。

 妻と我が子への愛情にあふれるような曲調で、『敬愛』にふさわしい。『牧歌』、原題は”Idyll”で、田舎での生活を描いた短い詩のことを指すようですが、穏やかなメロディーで始まります。途中のホルンやトランペットの響きも印象に残る曲ですが、次の大曲を意識してか、鳴らすというよりも引き締まった演奏でした。

 オケの演奏会でもよく取り上げられ、名フィルで聴くのも2回目です。前回も今回同様に大曲(マーラー:『大地の歌』)との組み合わせでした。

 休憩後のブルックナーの第7番は演奏時間が1時間を越える大曲。ブルックナーという作曲家は、クラシック音楽、特にオーケストラの曲になじみのない方には聞き慣れない名前でしょう。1824年、オーストリアのリンツ近郊の村で生まれています。若い頃はリンツの聖フローリアン教会(図書室が有名です)などでオルガン奏者あるいは宗教音楽の作曲家として活躍していますが、交響曲を作曲しはじめウィーンへ出てきたのは40代になってから。遅咲きの作曲家とされています。同時代にウィーンで活躍した作曲家としてはブラームスが最も有名でしょう。ワーグナーの1世代下です。交響曲は全部で9曲(この他に番号のつかない習作があります)です。後期の作品ほど人気がありますが、個人的に最も好きなのはこの7番、とりわけ第2楽章です。

 ブルックナーはワーグナーを非常に尊敬しており、交響曲第3番はワーグナーに献呈し、『ワーグナー』という表球でつけています。バイロイト音楽祭が始まった時期にも当たり、ブルックナーも訪れています。ワーグナーが亡くなったのは1883年でしたが、ブルックナーがワーグナーが亡くなった知らせを受けたとき作曲していたのが交響曲第7番の第2楽章でした。静かに始まった後、弦楽器が弾くフレーズが非常に印象的で、その後にある悲しみを予感させます。そして、後半の大きな盛り上がりの後にくるコラール風のメロディーはブルックナー自身が「巨匠のための葬送音楽」と述べているように、ワーグナーテューバという、ワーグナーが考案した楽器によるハーモニーで奏でられます。YouTubeではここ(https://www.youtube.com/watch?v=x_IbwlSXHpQ&list=RD7yXIkAK435Q&index=2)が人気があるようです。

 ブルックナーは元々が教会のオルガン奏者だったこともあり、交響曲にも同様の響きを求めたのでしょうか。ホルンやトロンボーン、テューバがハーモニーをつくり、ホール全体が鳴っているように感じるような演奏も多く、今回もそのような演奏を想像していました。ところが、指揮者・小泉の考えなのか、ホール全体に響き渡るというよりは、それぞれの楽器のメロディーや響きがよく聴こえてきました。曲の構成がよく分かり、オケとの距離が縮まるような気もしました。また、第4楽章、元々速めのテンポが指示されていますが、とにかく速い。CDは8種類持っていますが、どれよりも速い。その分、元気よく、引き締まった演奏でした。何事も前向きに進んでいこうというメッセージのようでもありました。

 名フィル定期ではほぼ毎年のようにブルックナーが取り上げられていますが、これまでに6番以外全て聴いています。直近は一昨年3月の第8番(第444回定期)、7番は今回で2回目ですが前回(第386回定期)も実にすばらしい演奏でした。

バイロイト祝祭劇場

 バイロイト音楽祭の会場はバイロイトの旧市街からやや北にある通称「緑の丘」と呼ばれる緑地帯の中にある「バイロイト祝祭劇場(Bayreuther Festspielhaus)」です。全館木造で1876年に完成し、第二次大戦でダメージを受けたようですが、改修されて現在に至っています。

 1年にバイロイト音楽祭の期間、7月終わりから8月終わりの1ヶ月間でだけ使用される劇場です。音楽祭期間中に上演がないのはわずか数日で、1ヶ月の間はワーグナーの作品の中から3~4作品を順番に上演されます。

 ホール内の大きな特徴は、客席のほとんどが平土間、つまりいわゆる1階席で、座席が横一列に端から端まで並んでいて、中央部分などに通路がないこと。通常の歌劇場では舞台と客席との間に大きくスペースを取っているオケピット、オーケストラが入るスペースがほとんど舞台下に位置しています。「神秘の奈落」というそうですが、オケの音は舞台前に空けられたわずかなスペースからホール全体に響いていきます。さらに、座席は木製。座面には少し布が張ってありますがクッションになる詰め物はほとんどなく、背もたれも木製。ホール全体が共鳴板のようにはたらくことを期待しているのでしょうか。

 オケピットは客席からは全く見えません。したがって、指揮者を観ることもなければ、オペピットの明かりが漏れることもありません。座席は横一列と書きましたが、舞台前面がRを描いていて、客席も扇の孤のように配置されています。もちろん、後ろに行くにしたがって階段状に上がっていきます。したがって、どの席からも舞台全体を見ることができ、舞台以外に明るい場所がないだけに観客はただ舞台だけに集中することができます。

 オーケストラオペラの公演に限らず、舞台芸術の多くは、舞台上を明るくして客席を暗くして上演します。現在は照明設備が充実していますから、当たり前のように感じますが、太陽光やろうそくしかなかった時代にはとてもできることではありません。外部の明かりを取り入れて、全体を明るい状態で上演していました。シェイクスピアの演劇を上演していたロンドンのグローブ座は天井がなかったそうです。ガス灯を始め、照明設備が使えるようになったのが19世紀の後半から。そして、現在の舞台上演のように、客席を暗くして舞台に観客の視線を集中させるようにしたのが、このバイロイト祝祭劇場だそうです。

名フィル定期(第470回)『晩成の傑作』

 今月の名フィル定期は7月5,6日にありました。テーマは『晩成の傑作』。やや首をかしげるテーマでしたが、エルガーが最初の交響曲を作曲したのが50代に入ってからというと言うことなのでしょう。
 プログラムは
   藤倉大:オーケストラのための『グローリアス・クラウズ』
   メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第2番ニ短調
   エルガー:交響曲第1番変イ長調
   ピアノ独奏:ジャン・チャクムル
   指揮:マーチン・ブラビンズ
でした。

 日本人作曲家のクラシック音楽ときいてもぴんとこないかもしれません。20世紀後半以降に多くの曲が作られていて、吹奏楽や合唱ではコンクールの課題曲などはほとんどが新曲ですから、経験していればなじみもあるでしょう。残念ながらオケの演奏会で取り上げられる機会はそれほど多くありません。

 名フィルには『コンポーザー・イン・レジデンツ』という制度があり、特定の作曲家に作曲を依頼して、新作を定期演奏会で取り上げています。藤倉は一昨年のシーズンまで数年間、毎年1曲ずつ委嘱を受けて新曲を提供してくれていましたが、その一昨年の初演予定のコンサートを指揮する予定だったマーチン・ブラビンズが都合で来日できなくなったために、初演が遅れていました。

 コンサートの始まる前に作曲者による楽曲紹介のトークありましたが、あまりよい説明にはなっていませんでした。どうも「微生物」に触発されて作曲したのだとか。ヒトを例にすると、数百兆個の細菌が寄生あるいは共生しています。大腸内では細菌叢=腸内フローラがヒトの健康維持にも大きな役割を演じているといわれています。このようなところから、「微生物が集合して1つの世界をつくっているというのは、ここの奏者の集合によって1つのオーケストラができているのと同じだ」との発想に至ったそうですが、やや無理があるような…。

 弦楽器やフルートなどの細かく動く音型が微生物の動きなどを表しているとの説明でしたが、私にはどうも理解できませんでした。

 藤倉はもちろん日本人ですが、現在はロンドンを拠点にして活動しています。指揮者のブラビンズもイギリス人でかなり親しいようです。2曲目のピアノ協奏曲はメンデルスゾーンがイギリスを訪問中に作曲した曲で、バーミンガムで初演されています。そして、メインの交響曲の作曲者エルガーはイギリスが誇る作曲家。期せずしてイギリス特集のようなプログラムでしたが、ピアノ独奏のチャクムルはトルコ人。1997年アンカラ生まれとか。昨年浜松で開かれた国際ピアノコンクールの優勝者です。

 メンデルスゾーンといえば、結婚行進曲が有名です。ピアノ曲では舟歌がよく知られているほか、ヴァイオリン協奏曲はオケの演奏会の定番です。しかし、メンデルスゾーンらしいややもの悲しい始まりが不人気の原因でしょうか、今回演奏されたピアノ協奏曲第2番は滅多に演奏されることはないようです。メンデルスゾーンは1809年生まれ、1837年に作曲され、同年に作曲者自身の指揮と独奏で初演されています。

 ピアニストのチャクムルの音は輪郭がはっきりしていて、明るめの音色です。一つ一つの音は四角く、鍵盤から真上に飛び上がっていくようなイメージです。演奏全体には若さを感じましたが、いかにも楽しそうに演奏しているようでした。テクニックは申し分なく、これからが楽しみです。ソリストアンコールは、同じトルコの作曲家であるファジル・サイの『ブラック・アース』でした。やや変わった奏法を取り入れた曲です。10月にも来日して伏見のしらかわホールでリサイタルがあります。

 すでにCD(https://www.hmv.co.jp/artist_ピアノ作品集_000000000017977/item_2018年第10回浜松国際ピアノコンクール第1位-ジャン・チャクムル_9586666)を出しており、終演後のサイン会でも笑顔が印象的でした。
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 この日のメインであるエルガーは指揮者の十八番でしょう。圧巻でした。

 エルガーは1857年生まれ、チャイコフスキーやドヴォルザークよりも一世代後、マーラーよりも3歳年上です。イギリスには18,19世紀を通じて有名な作曲家が現れず、19世紀後半に登場したエルガーはまさに国民的英雄です。『威風堂々』(例えば、ここ:https://www.youtube.com/watch?v=4gHCWMKSoZ4)などは聴いたことがあるでしょう。今回演奏された交響曲第1番はここ:https://www.youtube.com/watch?v=-3cVXElVoYMを参考にしてください。

 口ずさめるメロディーがあるわけではありませんが、弦楽器と管楽器が絡み合って管弦楽の妙を楽しむことができます。第3楽章の美しさは特に人気があるようです。これまでに何度も協演を重ねているブラビンズですが、なぜかこれまでに名フィルではエルガーを指揮していませんでした。満を持しててと言うことでしょうか、「充実した」という言葉がぴったりの演奏でした。指揮台の前に一応楽譜が置いてあり、譜めくりもしていましたが、たぶんどちらでもよいのでしょう。ほとんど見ている様子もなく、自由自在にオケを操っているような振りぶり。隅々にまで目が、あるいは耳が行き届いて隙のない演奏でした。決して有名な曲ではありませんが、今回のような演奏を聴くと、やはりまた聴きに行こうという気持ちになります。

 どのオーケストラも夏はシーズンオフ。ということで、8月は定期演奏会はありません。9月はブルックナーの傑作交響曲です。ヨーロッパでも夏はオフシーズン。ただし、日本ではまだそれほどではありませんが、『音楽祭』のシーズンで、避暑地などを中心にしてその時期ならではのコンサートやオペラの上演があります。

ファゴット・トリオ・ザルツブルク コンサート

 オーストリアのザルツブルクを拠点とするオーケストラのメンバーによる珍しいファゴットだけのアンサンブルです。「ファゴット;fagott(英語ではBassoon;バスーン)」という楽器は、オーケストラでは木管楽器の後列、普通は客席から見て右側の楽器です。楽譜は通常ヘ音記号で書かれ、木管楽器で最低音部を受け持ちます。大学時代にオーケストラで吹いていたので、チラシなどを見るとどうしても目がとまります。今回も、何度かチラシで見ていたものの、平日の夕方で、昨年も同じアンサンブルのコンサートを聴きに行っているので見合わせていました。たまたま、無料招待の募集があり、応募したところ、見事当選。(昨年も同じ無料招待で当選して聴きに行きました)

 メンバーは
   フィリップ・トゥッツアー(ザルツブルク・モーツァルテイウム管弦楽団首席奏者)
   リッカルド・テルツォ(ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団首席奏者)
   黒木綾子(ザルツブルク・モーツァルテイウム管弦楽団奏者)
の3人に、賛助出演で
   ファゴット:野村和代
   打楽器:西田尚史

 プログラムは
   モーツァルト(ケーニクスベック編曲):ディヴェルティメント第2番ト長調(三重奏)
   ハイドン:二重奏曲ニ長調(二重奏)
   コレット:協奏曲ニ長調〈不死鳥〉(四重奏)
   ベートーヴェン(ケーニクスベック編曲):2本のオーボエとイングリッシュホルンのためのトリオト長調(三重奏)
   ピアソラ(ジャクソン編曲):タンゴ組曲(四重奏+パーカッション)
でした。

 最後のピアソラは前回と共通していますが、後の4曲は今回のためのプログラムです。ファゴットのためのアンサンブル曲は元々ほとんど作曲されていないため、編曲や読み替えをしています。とは言っても、今回演奏された4曲は原曲を知っているか、その曲自体を知っている作品ばかりだったため、非常に楽しめました。

 特に、3曲目に演奏されたコレットの四重奏は学生時代に同じ名大の仲間たちとやったことがある曲です。ミシェル・コレット(Michel Corrette)は18世紀のフランス、音楽史的にはバロックから古典期にあたる時期に活躍したの作曲家でありオルガニスト。作品数は多いようですが、残念ながらCDは何も持っていません。今回演奏された曲も録音は知らないのですが、楽譜はたぶんどこかにあります。ファゴット4本以外に、オルガンあるいはチェンバロなどが通奏低音という形で伴奏するのが本来の演奏スタイルのようですが、今回。ファゴット4本だけでも十分に演奏可能な曲です。

 曲調には時代を感じますが、落ち着いて聴いていられる曲です。特に、柔らかさのあるファゴットの音色による重奏は心穏やかな気分にさせてくれます。

 最後のタンゴは元々は2本のギターのための曲ですが、4本のファゴットによる妙技に聞き惚れ、そして、アンコールでは”Take Five”のアレンジ、時折アドリブ風にオーケストラ曲でのファゴットの有名なソロ(シェエラザードや悲愴など)を織り込んで、超絶技巧を楽しませてくれました。

 今回は「CD発売記念」と銘打って開かれたコンサートで、ファゴットトリオと、メンバーの一人であるフィリップ・トゥッツァーのソロCDが無料でもらえました。二重にラッキーでした。

METライブビューイング《カルメル会修道女の対話》

 今シーズンの最後の上映はプーランクという20世紀のフランスの作曲家の作品です。馴染みのない作曲家だと思いますが、管弦楽でもそれほど有名な曲はなく、生で聞いたことがあるのはわずかに歌曲を数曲聴いたことがあるのみです。

 フランス革命後の実話をもとにした小説を原作としています。元々のシナリオは映画のためのものだったようですが、映画が実現せず、ミラノ・スカラ座がオペラの題材としてプーランクに提案したそうです。

 オペラにはシリアスなストーリーの作品もたくさんあります。必ず男女の組み合わせがあり、多かれ少なかれ「惚れた腫れた」の話です。ところが、この作品は恋人同士や夫婦の組み合わせの男女は全く登場しないため、娯楽的な要素は全くないと言ってもいいでしょう。生と死、人への信頼や裏切り、あるいは信仰など、様々な問題を問いかけている文学性、演劇性の高い作品です。正直言ってかなり疲れます。

 舞台はフランス革命勃発後数年経った、パリ、そして近郊にあった修道院です。カルメル会という歴史のある修道会の施設です。ちょうど恐怖政治のころには反カトリック、反修道院の風潮が強かったそうで、この物語のように、施設を接収されたり、修道士が殺害されたようです。

 物語は1789年の革命勃発直前から始まります。
第1幕
 主人公であるド・ラ・フォルス公爵の令嬢ブランシュは強い不安症で、世情不安にから逃れるためにパリ近郊、コンピエーニュにあるカルメル会修道院に入ります。修道院長から特別に目をかけられます。ブランシュ役はメゾ・ソプラノ、歌ったのはイザベル・レナードというニューヨーク生まれの新鋭です。これまでにも何度か聴いていますが、魅力的な声質です。修道院長はベテランのカリタ・マッテラ。これまでにもMETライブビューイングで何度か聴いています。第1幕の終わりで、修道院長でありながら神を恨むながら死んでいきます。まさに今回は迫真の演技でした。一方、ブランシュは同じ頃に修道院に入ったコンスタンスとは「私たちは同じ日に死ぬ気がする」と話し合うほど気が合います。

第2幕
 前半は第1幕と続けて上演されました。修道院長の告別の様子をブランシュとコンスタンスの二重唱を中心にして描きます。このオペラでは、延々と続く独唱が中心です。前回のワーグナーの作品にも共通する特徴で、オペラを見慣れない方にはややきついかもしれません。

 第2幕後半では、はじめに修道院長がなくなったために新修道院長が赴任してきます。修道院としては心機一転というところですが、恐怖政治が始まり、修道院は政府に接収されて売却されてしまいます。司祭や修道女たちも追放されてしまいます。もちろん、貴族に対する圧迫も強くなり、ブランシュの兄は国外へ逃れる前にブランシュにも帰るように進めます。ブランシュは動揺しながらも拒否して、修道院に残ります。

第3幕
 修道女たちはカルメル会の存続のために殉教の誓願を立てます。このあたりの話の展開がよく理解できませんでしたが、ブランシュは逃亡して、屋敷に戻ります。ところが、父親である公爵はすでに捉えられて処刑されていました。ブランシュは屋敷を占領した暴徒たちの召使いとしてこき使われています。カルメル会の修道女たちが捉えられたことを伝え聞きます。場面が変わって、捕らえられた修道女たちを死刑とするという判決が下されます。実話の通りなのでしょう、修道院長を含めて15人の修道女の名前が呼ばれ、全員が断頭台に登ります。ここで、聖歌である「サルヴェ・レジーナ」という曲が修道女たちによって歌われます。一人づつ断頭台に上がっていくにつれて、歌声が細くなっていきます。抽象化されたオペラの舞台ですが、だからこそ感じるリアリティがありました。また、ギロチンが落ちる音を表現した打楽器の音が非常にリアル。この部分は表現しようのない壮絶なシーンです。一人になったコンスタンスが断頭台に登る途中でブランシュも処刑場へ現れ、最後に自らも登っていきます。

 オーケストラの演奏も見事でした。指揮は今シーズンからMETの音楽監督を務めるヤニック・ネゼ・セガン。オケとしても難曲のようですが、全体が一つの楽器であるかのように鳴り、歌唱と一体となって物語を表現していたと思います。

名フィル定期(第468回)『晩年の傑作』

 毎月の定期演奏会はオーケストラにとっての、言わば顔です。プログラムもこったもににもなるし、招聘する指揮者や独奏者もバラエティーに富んでいます。今回はいずれも中国系の指揮者と独奏者を招き、かなり苦労と向けのプログラムでした。

   バルトーク:ハンガリーの風景
   バルトーク:ヴィオラ協奏曲(シェルイ補筆版)
   シベリウス:交響曲第6番ニ短調
   シベリウス:交響曲第7番ハ長調
    ヴィオラ独奏:ルオシャ・ファン
    指揮:カーチュン・ウォン

 バルトークは1881年、ハンガリー出身の作曲家で、第二次大戦中にアメリカに移住して1945年になくなっています。民謡の研究でも有名ですが、オーケストラ作品では難曲として知られる『管弦楽のための協奏曲』が有名です。名フィルでも2回聴いています(名フィル定期第351回第440回、)。そのほかに、コンサートではピアノ協奏曲第3番(2011年サイトウキネン )、バレエ音楽『中国のふしぎな役人』(名フィル定期第385回)、またMETライブビューイングではオペラ『青ひげ公の城』(2015年3月)などを聴いたことがあります。

 1曲目の『ハンガリーの風景』はハンガリーの民謡をもとに作曲したピアノ曲を管弦楽用に編曲した作品です。バルトークがまだハンガリーにいた頃に作曲されています。ハンガリー人は、人種的にはアジア系に近く、名前も、姓、名の順で呼びます。我々が聴くと、決して異国情緒があうりょうには感じず、なにやら懐かしさを覚えます。

 打楽器も活躍し、確か一ヶ所しか演奏されませんが、トライアングルがミュートをかけたような響きで渋くなっていたのが印象的でした。

 2曲目のヴィオラ協奏曲はバルトークの遺作といってもよい作品で、本人はヴィオラのソロ部分しか書き上げることができなかったようです。伴奏にあたるオーケストラ部分は弟子のシェルイが仕上げました。

 ヴィオラ(Viola)という楽器はオケの楽器の中でも最もマイナーかもしれません。オーケストラのステージでは客席から向かって右側に座っている楽器で、ヴァイオリンよりも一回り大きく、その分低い音(五度低い)が出ます。ヴァイオリンよりも太く柔らかな音が出る反面、華やかさに欠けるところがあります。そのせいでしょうか、独奏楽器としては高く位置づけられていなかったようで、協奏曲はそれほど多くありません。そんな中にあって、バルトークの作品は演奏頻度の高い曲なのでしょう、第397回定期に続いて2回目です。

 ソリストのファンは中国出身で20代後半か? 元々はヴァイオリニストで、ヴィオラを本格的に初めたのは2016年とのこと。今回の演奏を聴く限り、すでに掌中のものとし、独特の表現力があるように聴こえました。音もしっかりとしていて、自分の目の前で弾いてくれているかのよう。目をつむって聴いていると、一緒に演奏しているかのような気分になりました。また来てほしいソリストです。

 カデンツァ(独奏楽器がオーケストラの伴奏を伴わずに単独で自由に演奏する部分、18世紀までの曲では多くは即興)もありますが、ヴィオラがオケの一部のように一緒になって演奏しているで、オケの方を向きながら、文字通り一緒に演奏しようとしている姿が印象的でした。

 残念ながらソリスト・アンコールはありませんでしたが、いったん楽屋まで帰った後で再び呼び出されほどに長く拍手が続きました。

 休憩をはさんで、メインのシベリウスの交響曲が演奏されました。オーケストラ曲といえば交響曲ですが、シベリウスは交響曲を7曲つくっていますので、最後に2曲にあたります。シベリウスは1865年生まれで、1957年になくなっています。没後、まだ50年あまりしかたっていません。交響詩『フィンランディア』(市民会館シリーズ2015年)は中学校の鑑賞曲などに指定されていたり、歌詞がついて合唱曲にもなっていたりするので、広く知られています。また、交響曲第2番(名フィル第380回定期 市民会館シリーズ2015年)やヴァイオリン協奏曲(名フィル定期第358回第412回第454回市民会館シリーズ2015年)は非常に演奏頻度の高い曲で、何度か聴く機会もありました。

 今回の2つの交響曲は、シベリウスの人生の晩年に作曲したわけではなく、第7番を作曲したのが60歳になる前です。この後の30年ほどは、あまり作曲をすることなく過ごしています。その意味では晩年の傑作といえるでしょう。ただ、演奏頻度は低く、生で聴ける聴ける機会はそれほどありません。

 シベリウスの曲、特に交響曲には彼の故国であるフィンランドの自然が歌い込まれています。湖のさざ波、鳥の鳴き声、時に森の静けささえも音楽で表現しているように聞こえます。そんな中にあって第6番は、今回の指揮者曰く、パストラール(pastral)だとか(名フィルTwitterより)。日本語では、牧歌的なとか田舎風の、などと訳されます。持っているCDはフィンランドのオーケストラの演奏ですが、非常に陰鬱な暗い雰囲気を感じていたので、やや意外でした。実際に聴いてみると、確かに暗さはなく、夏のさわやかな日差しを受けたフィンランドの森と湖を連想させました。指揮者の感じ方と指示でこれほどまでに変わるものでしょうか。

 交響曲の多くは4つの楽章で構成され、それぞれの間で演奏はいったん途切れます。第6番はこのオーソドックスなスタイルでつくられていますが、第7番は単一楽章で構成される非常に珍しい曲です。しかも、第6番の第4楽章と切れ目なく演奏するという、珍しいスタイルでした。実際にCDではそのように聴こえる演奏もあるのですが面食らいました。

 第7番は学生時代にやったこともあるのですが、自分にとっては決して簡単ではなく、なかなかなじめなかったのを思い出しながら聴いておりました。この曲は第6番とは打って変わって、陰鬱で、時折ブリザードが聞こえるような曲調です。調性は、第6番が短調で、この第7番は明るいハ長調なのですが。

 今回の指揮者は名フィル初登場です。指揮者とオケの相性もあるようですが、たった1回でもすでにメンバーとよい関係ができているような印象です。是非また来てほしいものです。

 次回は5月14,15日で、ドヴォルザークやシューマンが取り上げられます。

METライブビューイング《ワルキューレ》

 今シーズンのライブビューイングも第9作目で、ワーグナーの作品が取り上げられました。
ワーグナーは19世紀のドイツの作曲家で、数局の管弦楽曲を除くと、現在演奏されるのはオペラだけです。しかし、その音楽には惹きつけられる人が多いのか、わずか10曲程度のオペラは世界中で演奏されています。中でも《ニーベルングの指環》と題された4つのオペラからなる連作は生涯に一度は見たいと思っているファンは多いでしょう。

 今回上映された《ワルキューレ》はその第2作目に当たる作品です。合唱はなく、少ない登場人物たちのソロの連続ですが、全3幕で実演奏時間4時間近い大作です。幕間の休憩は、バックステージインタビューを含めて30分ずつ、合わせて5時間近い公演です。

 物語は神々のリーダーであるヴォータンと人間との間に生まれた双子の兄妹であるジークムントとジークリンデが出会うところから始まります。二人は生まれてすぐに生き別れとなり、ジークリンデは粗暴なフンディングと意に沿わず結婚させらていました。ジークムントとジークリンデはフンディン区から逃れて、禁断の愛に浸ります。

タイトルの「ワルキューレ」とは、ヴォータンが本妻ではない女神エルダとの間に産まれた9人の勇敢な戦士のこと。ただし、すべて女性。中でもヴォータンのお気に入りがブリュンリルデ。

 フンディングは逃げたジークムントとジークリンデに女敵打ちに出ます。ヴォータンは一旦ジークムントを助けようとしますが、筋を通してフンディングを助けるように、ブリュンヒルデに支持します。しかし、ブリュンヒルデはジークムントを助けようとしヴォータンの怒りを買います。

 結局、ジークムントはフンディングに敗れ、ブリュンリルデはジークリンデをつれて、姉妹たちのところへ逃げます。ここでの音楽が「ワルキューレの騎行」として有名です。映画《地獄の黙示録》で使われたので、聴いたことがあるでしょう。

 最後はブリュンリルデがヴォータンの怒りを受けて岩山に閉じ込められるところで物語は終わります。続きは第三作《ジークフリート》で語られます。

 配役は、
   主役のブリュンヒルデ:クリスティーン・ガーキー(ソプラノ)
   ジークリンデ:エヴァ・マリア=ヴェストブルック(ソプラノ)
   ジークムント:スチュアート・スケルトン(テノール)
   ヴォータン:グリア・グリムスリー(バス・バリトン)
   フンディング:ギュンター・グロイスベック(バス)
   ヴォータンの妻:フリッカ(メゾソプラノ)
   指揮:フィリップ・ジョルダン

 主役はブリュンリルデですが、第1幕はジークムントとジークリンデ、第2、3幕がブリュンリルデとヴォータンのそれぞれの二重唱が聴きものです。今回はいずれも重量級の声を持つ歌手たちによる熱唱で、聴きごたえ十分でした。

 次回、今シーズンの最終上演は6月7日から、プーランクの《カルメル会修道女の対話》です。

名フィル定期(第467回)『未完の傑作』

 東海地方にはいくつかのプロのオーケストラがありますが、代表は名古屋フィルハーモニー交響楽団(略称:名フィル)でしょう。1966年創立、毎回2回公演の定期演奏会が年に11回(8月を除く毎月)の他、独自公演が年間30回程度でしょうか。

 定期演奏会は年間を通じて予約した「定期会員」の他、1回ごとにチケットを購入することもできます。名フィルは名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールで、毎年決められたテーマに従ってプログラムを決めて定期演奏会を行なっています。

 今シーズン(2019年4月から2020年3月)のテーマは〈マスターピース〉シリーズと題して、毎回なんらかの「傑作」が取り上げられます(そもそも傑作ではないような作品が取り上げらことはありませんが)。4月は『未完の傑作』と題して、
    レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ
    レーガー:序奏とパッサカリア[オルガン独奏]
    モーツァルト:レクイエム[ジェスマイヤー版]
     指揮:マックス・ポンマー
     オルガン:アレシュ・バールタ
     ソプラノ独唱:中村恵理
     メゾ・ソプラノ:富岡明子
     テノール:鈴木准
     バリトン:与那城敬
     合唱:岡崎混声合唱団、岡崎高校コーラス部
というプログラムでした。

 オケのコンサートとしてはやや異例のプログラムです。1曲目は管弦楽曲ですが、2曲目はオルガンの独奏曲、そしてメインの3曲目もどちらかといえば独唱と合唱のための曲で、演奏の成否が特に合唱のできにかかっていると言っても過言ではありません。

 オルガンの演奏はこれまでにも何度か聴いたことがあります。例えば、2年前にドイツ・アンスバッハの教会でのコンサートや昨年末に東京の都立芸術劇場での演奏は印象的でした。しかし、芸文・コンサートホールのパイプオルガンでの独奏の演奏は聴いたことがなく、大いに期待していました。

 レーガーという作曲家は今回初めて聴きました。19世紀末から20世紀初めに活躍したドイツの作曲家です。作曲した曲のジャンルも広く、中でもオルガンを含む鍵盤楽器の曲の演奏頻度が高いようです。今回演奏されたのは本格的なオルガン曲で、低音から高音まで幅広く使われ、バラエティに富んだ音色を楽しめました。

 会場では、今回の独奏者であるバールタが演奏するオルガン曲のCDが販売されていたので、記念に購入してきました。自宅のスピーカーではとても再現しきれませんが、オルガンの奥深さを実感できます。

 今回のテーマである「未完」は、モーツァルトのレクイエムに当てはまります。この曲はモーツァルトの遺作でですが、モーツァルト自身がオーケストレーションまで書き上げたのは半分にも満たず、死後に断片的なモチーフ(メロディー)やメモなどを手がかりに、弟子のジェスマイヤーが完成させました。

 「レクイエム」とは、カトリックの教会で行われる死者のためのミサで用いられる音楽のことで、
“Requiem æternam dona eis, Domine (主よ、永遠の安息を彼らに与え給え)”
で始まることから、このように呼ばれています。典礼文として、歌詞が決められていますが、モーツァルトの《レクイエム》は一部割愛されていますが、全14曲からなり、独唱や合唱を伴います。

 今回の演奏は、オケがすばらしかったのはもちろんですが、なんといっても《レクイエム》での合唱が圧巻でした。ともに日本を代表する合唱団で、岡崎高校コーラス部は国際コンクールでも何度も最優秀を得ています。宗教曲で、歌詞もラテン語であり、どれだけ表現できるのかと思っていましたが、指揮者の指導のたまものか、何度も目頭が熱くなりました。

 「レクイエム」と題する曲はモーツァルト以外にもたくさんあり、19世紀半ば以降ではカトリックのミサを離れて、様々な意味を持たせて作曲されています。また、今回のモーツァルトの《レクイエム》のように頻繁にコンサートで取り上げられています。そこから何を聴くかは聴き手次第。じっくりと内省することもできます。

 5月の定期は、24,25日で、ハンガリーの作曲家・バルトークとフィンランドの作曲家・シベリウスの曲が取り上げられます。

METライブビューイング《連隊の娘》

 歌舞伎にしろ、ミュージカルにしろ、舞台作品の観覧はチケットが高額です。そこで、録画して映画館で上映して、生の舞台を見る機会のない多くの人々に見てもらおうという試みが広がっています。日本では《ライブビューイング》を呼ばれていることが多いですが、その先鞭をつけたと言っていいのが、ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場(The Metroporitan Opera House; 通称MET)の企画です。アメリカでは”MET live in High Difinition”と呼ばれています。国内では松竹系で配給され、字幕などをつける都合で現地より2〜3週間遅れるため「ライブ」ではありませんが、各地で1週間上映が続けられます。東海地方では名駅のミッドランドスクエア・シネマで上映されてます。

 METは世界的にも有名な歌劇場で、これまでも、そして今も時代を代表する歌手たちが名演を繰り広げています。現地でのシーズンは9月から5月までですが、国内でのMETライブビューイングは11月から6月初めです。

 今回、4月12日からは、19世紀の前半に活躍したイタリアの作曲家、ドニゼッティの《連隊の娘;》が上映されています。

 作曲者はイタリア人で、作品のほとんどがイタリア語のオペラですが、この作品はフランス語です。オペラにしては珍しく、セリフが入る「オペラ・コミック」と呼ばれるタイプで、ストーリー自体も喜劇で、誰も死なず、時折コミカルな演技も入ります。肩を張らず、気楽に鑑賞できる佳作です。

 舞台は第1幕がスイス・チロル地方の山中で、フランス軍の駐屯地。主な登場人物と配役は
    駐屯地の連隊で育てられた娘・マリー:プレディ・イェンデ(ソプラノ)
    チロルの青年で、マリーの恋人、トニオ:ハヴィエル・カマレナ(テノール)
    連隊の軍曹・シュルピス:マウリツィオ・ムラーロ(バスバリトン)
    ベルケンフィールド侯爵夫人(実はマリーの母親):ステファニー・ブライズ(メゾソプラノ)
    指揮:エンリケ・マッツォーラ
です。

 感想を挟みながら、パンフレットを手がかりにストーリーを簡単にまとめてみます。
第1幕
 チロル山中で戦闘が始まる音を村人と旅の最中のベルケンフィールド侯爵夫人が聞いています。音楽的には、序曲に続く合唱が聞きどころ。その後、シュルピス軍曹に率いられたフランスの連隊が現れます。その中には孤児として連隊の兵士達に育てられたマリーも混じっています。ソプラノ演じるマリーは高音とともに超絶技巧を駆使するコロラトゥーラといい、聞き応え十分です。マリーは崖から落ちそうになったところを助けてくれたトニオに恋をしていると告白すると、シュルピスは連隊の仲間以外との結婚は許さないと言います。そこへマリーを追ってきたトニオが兵士たちに連行されてきます。テノール役のトニオも高音を響かせるコロラトゥーラです。印象的なメロディとともに、合唱に加えて、マリーとトニオのアリアと二重唱が素晴らしい。特に、トニオが軍隊への入隊とマリーとの結婚を期待する気持ちを歌うアリアは「ハイC(五線譜のト音記号の第3間のド、ピアノでは中央のラの上のド)」が9回出てきて、難易度が高いことで有名。今回はこのアリアがアンコールされました。このまま二人が結ばれるのかと思いきや、ベルケンフィールド侯爵夫人が現れ、マリーが侯爵夫人の行方不明の「姪」であることがわかり、まりーは侯爵夫人とともに連隊から出て行くことになります。

第2幕
 数ヶ月後、マリーは侯爵夫人の邸宅で花嫁修業中。軍曹だったシュルピスも一緒です。マリーの歌の練習風景を描きますが、生活に馴染めないマリーは、わざと外したり、気の無い歌い方をしたり。なかなか難しいのでしょうが、コメディならではの演技であり、歌唱です。花婿候補は有名公爵家の子息。ただし、舞台には公爵夫人だけが現れて、ややドタバタのやり取りが。今回の公爵夫人役はキャスリーン・ターナーという映画女優です。ご存知でしょうか。どうも米国では有名な方のようで、会場は大受けでした。そこへ昇進したトニオが連隊の兵士達とともにやってきて、結婚を申し込みます。ここではマリーとトニー、そしてシュルピスの三重唱が観ていても聴いていても楽しい。結局トニオの求婚は認められず、公爵家の子息との結婚準備が進んでいきます。すると、トニオが兵士たちとなだれ込み、マリーが侯爵夫人の実の娘であることをほのめかすと、マリーも生い立ちを公爵夫人に語り、大混乱。結局最後は侯爵夫人が二人の結婚を許し、めでたしめでたし。

 10年ほど前にもライブビューイングで上映され、私もこの時に初めて観ました。オペラ=悲劇のイメージを覆してくれた作品ですが、マリーとトニオの適材はそうはいないようで、上演頻度はそれほど高くないようです。

 来月はワーグナーの畢生の大作、《ニーベルングの指環》から《ワルキューレ》です。途中で演奏される「ワルキューレの騎行」は誰もが聴いたことのあるはずです。

英国ロイヤル・オペラ・ハウスシネマシリーズ:ロイヤル・オペラ《椿姫》

 メトロポリタン歌劇場のライブ・ビューイングを何度も紹介していますが、ロンドンやパリの歌劇場でも同様の企画をやっています。パリ・オペラ座は日本では上映していないようですが、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス(王立歌劇場、通称コヴェント・ガーデン)はこの数年、オペラとバレエを半々ずつくらいで合計10作品ほどを映画館上映しています。

 名古屋では、港区のTOHOナゴヤベイでそれぞれ1週間の上映です。たまに観に行っていますが、今回(4月5日から)は2月のMETと同じくヴェルディ作曲の《椿姫》を上映しています。目当ては父親役で歌うプラシド・ドミンゴです。

 《三大テノール》というのを覚えているでしょうか。ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラス、おしsてプラシド・ドミンゴの、当時世界のトップテノール歌手だった3人が世界中でコンサートをやっていました。日本でも、確か東京ドームでやったのではないでしょうか。くらっしく音楽あるいはオペラをなじみやすくしてくれた功績は大きいと思います。

 パヴァロッティは亡くなり、カレーラスの事実上引退、ドミンゴだけが現役としてがんばっています。声楽界の巨匠中の巨匠です。METでも毎年歌っていますので、ライブ・ビューイングではよく見ています。ロイヤル・オペラでも頻繁に歌っているようです。

 とは言っても、すでに70歳を超え、高い音は出なくなっているのでしょう。元々がバリトン出身だったということもあり、この10年ほどはバリトンに転向して成功しています。バリトン役としては外せない《椿姫》のジョルジョ・ジェルモン(父親役)を演じるということで、見逃せません。

 主役ではないからか、これまで観てきたような絶対的な存在感はありませんでしたが、彼がいると舞台というか画面が締まります。

 おそらくCDで聴くのも、映像を見るのも最も機会が多いオペラが《椿姫》でしょう。いろんな演奏を観聴きしてきましたが、今回は主役のヴィオレッタ役を歌ったエルモネラ・ヤオの迫真の演技に圧倒されました。いろんな演奏家を知っているつもりでしたが、今回初めて聴いた歌手でした。ただ驚くばかり。お美しい方ですが、やや頬がこけたような顔立ちのため、結核をやんでいる想定のヴィオレッタそのもの。「役が憑依する」といいますが、本当ですね。不勉強を思い知りました。

 このロイヤル・オペラ・ハウスシリーズは、5月にも聴きに行く予定です。今回と同じヴェルディが作曲した《運命の力》というオペラです。主役を、アンナ・ネトレプコとヨナス・カウフマンという、現代を代表する2大歌手が歌います。

METライブビューイング《カルメン》

3月は年度末ということもあって忙しい時期なのでしょうか。ライブビューイングは1回だけでした。ちょうど卒業式の日からビゼー作曲の歌劇《カルメン》が上映されていました。遅くなりましたが、簡単に記録だけしておきます。

 これまでにも、数回も取り上げられていますが、会場は常に満席です。数年前に新しい演出版が始まりましたが、かなり独特の演出ということもあり歌手によってかなり違いがあります。今回の配役は
    カルメン:クレモンティーヌ・マルゲーヌ、メゾ・ソプラノ
    ドン・ホセ:ロベルト・アラーニャ、テノール
    ミカエラ:アレクサンドラ・クルジャック、ソプラノ
    エスカミーリョ:アレクサンダー・ヴィノグラドフ、バス
    指揮:ルイ・レングレ
でした。

 新演出時には、カルメンとドン・ホセが一緒になってフラメンコ(?)を激しく踊る場面がありましたが、今回はカルメンがわりと静かに踊るのみ。その分、歌唱に重きを置いたのでしょうか、聴きごたえがありました。

 ストーリーを一言で言えば、おなかに恋人をおいて都会に出た青年が、妖艶な女性に惑わされて人生を台無しにすると言うところでしょうか。主人公カルメンはロマ(ジプシー)の女性で、盗賊団にもかかわっています。彼女に入れ込んでしまう青年がドン・ホセ。正直言ってバカなやつです。ホセの恋人ミカエラは正直を絵に描いたような、純で優しい女性。

 ドン・ホセとミカエラはもともと恋人同士でしたが、今回ドン・ホセとミカエラを演じた二人はプライベートでご夫婦です。その、ドン・ホセがカルメンに誘惑されるというストーリーですから、なかなか面白い配役です。


 カルメンは《椿姫》や《ボエーム》と並んで上演頻度の高いオペラです。ストーリーがわかりやすい、音楽に変化がある、ソプラノ、メゾ、テノール、バスとほぼ全ての音域の歌手がソロや重唱を歌う、バレエがある、華やかな合唱があるなど、オペラを楽しむための全ての要素が詰まっています。

名フィル定期(第466回)『ニーチェ:ツァラトゥストラ』

 名フィルの3月定期は19世紀ドイツの哲学者、ニーチェの代表作である『ツァラストゥストラ』をテーマに
    モーツァルト:交響曲第35番ニ長調『ハフナー』
    リスト:ピアノ協奏曲第1番ホ長調
    リヒャルト・シュトラウス:交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』
    ピアノ独奏:セドリック・ティベルギアン
    指揮:小泉和裕
でした。

 これまで読んだことのないニーチェ『ツァラストゥストラ』を、光文社古典新訳文庫で読んでみました。残念ながら理解の限界を超えていました。新書ででている解説本も1冊読んでみましたが、こっちは多少理解できたものの、作品の内容を概観するのみで、逐条的な解説ではないために、改めて原作を読みなをしてもやはりだめでした。今シーズンの最後ということもあり、かなりの熱演でした。

 原作は4つの部分に分けられていて、邦訳で文庫本2冊。R.シュトラウスの交響詩は、作品全体をおっているのではなく、一部の、それも作曲者のインプレッションを音楽にしたものです。したがって、曲を聴いて原作をイメージする必要もなく、聴いたままを感じればよいと開き直れば、聴き応えのある曲です。

 冒頭部分は誰もが知っているはずです。映画『2001年宇宙の旅』で使われ、以降もテレビ番組やコマーシャルなどのいろんな場面で使われています。前期の授業でみたカエルの受精卵の卵割のムービーを覚えているでしょうか。実はあのムービーにもBGMとして使われています。

 30分あまりの曲ですが、切れ目はなく、一続きで演奏されます。管楽器だけではなく、弦楽器にも多くのソロがある珍しい構成。今回の演奏ではコンサートマスターのソロが絶品でした。また、普段単独で聴くことのないヴィオラ・パートの音もよくきこえていました。前半ではオルガン(パイプオルガン)も加わり、響きも音量も普段とは全く違う音楽を楽しむことができました。

 この日の演奏で最も光ったのは、2曲目の協奏曲。特にピアニストです。1975年生まれとのことですので、40代半ばですね。ベルリン・フィルを始めとする世界の有名オーケストラとも共演を重ねているとか。リストの協奏曲はこれまでにも聴いたことがあります。ここでは紹介しませんでしたが、昨年の夏にも愛知県出身のピアニスト、田村響の独奏で聴きました。超絶技巧がならぶ、聴き応えのある曲ですが、今回のティベルギアンの演奏ではピアノの音がこれまでに聴いたことのない音。「ピアノの音に違いがあるのか」と思われるかもしれませんが、演奏者によって、同じ演奏者で作曲者あるいは曲によって全く異なります。きらきらと光輝く大きな玉がピアノから飛び出してくるようでした。次から次へと飛び出す球に圧倒されましたが、ソリストは軽々と弾いていました。改めて超一流を感じました。

 名フィルのコンサートは来月から新しいシーズンに入ります。定期演奏会は《マスターピース(傑作の意)》シリーズと題して、特に19世紀の作曲家を中心にしたプログラムです。有名な曲もかなり含まれていて、予習のために改めてCDを買う必要はほとんどなさそうです。

 4月定期では、ドイツ音楽のベテラン指揮者がモーツァルトの《レクイエム》を取り上げます。

METライブビューイング 《アドリアーナ・ルクブルール》

 2月のライブビューイングは、19世紀末から20世紀前半にイタリアで活躍した作曲家、チレア(1866-1950)の代表作です。1902年に初演されたさオペラですので、プッチーニの《蝶々夫人》とほぼ同時期です。ドラマチックで、聴きやすく、わかりやすい音楽です。ただ、主人公のアドリアーナが18世紀に実在の大女優ということもあり、やはり大歌手が歌わないと様にならず、他の歌手たちも含めて歌唱的にも難曲のようで、演奏頻度は非常に低い作品です。私もディスクは持っておらず、文字通り初めて観ました。

 この日は、これまでにも何度も紹介した世界のDiva・ネトレプコの熱唱に加えて、その他の歌手たちも素晴らしく、稀に見るハイレベルな舞台でした。チレアの音楽は、オーケストレーションがダイナミックでありながらも、一つ一つのメロディラインがはっきりしていて聴きやすい。ノセダの指揮も、歌手とオケのバランスをうまくとり、見応え,聴きごたえのある公演でした。

 舞台は1830年のパリ、コメディ・フランセーズという有名劇場。三角関係の末の悲劇の物語です。登場人物と配役は、
    看板女優・アドリアーナ・ルクブルール:アンナ・ネトレプコ
    ルクブルールの恋人・騎士のマウリッツォ(実はザクセン伯爵):ピュートル・ベチャワ
    マウリッツォの元恋人で、ブイヨン公妃(公爵夫人):アニータ・ラチュヴェリシュヴィリ
    ブイヨン公爵:マウリツィオ・ムラーノ
    舞台監督・ミショネ:アンブロージョ・マエストリ
    この日の指揮は、ジャナンドレア・ノセダ

 第1幕:コメディ・フランセーズの楽屋
 アドリアーナとマウリッツォは恋人同士ですが、マウリッツォは伯爵という身分を隠しています。一方、舞台監督のミショネもアドリアーナを密かに愛していますが、アドリアーナの気持ちを知って諦めます。ブイヨン公爵やその取り巻きも登場して、それぞれがアリアを歌います。ソプラノ、テノール、バリトンと声質の異なるアリアを楽しめます。
マウリッツォは遠征で手柄を立てて帰国。アドリアーナと会い、褒美がないとこぼしますながらも、二人で一夜を過ごす約束をします。最後に手紙のやり取りがあり、マウリッツォはかつての恋人であるブイヨン公妃に呼び出され、アドリアーナもブイヨン公爵の別荘に行くことになってしまいます。

 第2幕:ブイヨン公爵の別荘
 ブイヨン公妃が待つ別荘にマウリッツォが現れる。ブイヨン公妃はマウリッツォ、実はザクセン伯爵が冷たくなったことをなじるも、夫であるブイヨン公爵が現れたため、別室へ逃れる。そこへアドリアーナも現れると、マウリッツォはが実はザクセン公爵であることを悟りますが、同時にあ マウリッツォは別室の女性を逃がしてくれるようにアドリアーナに頼みます。暗がりの中で、アドリアーナとブイヨン公妃は違いが恋敵であることを知ります。
アドリアーナとマウリッツォの二重唱のほか、アドリアーナとブイヨン公妃の二重唱も聴き応え十分です。

 第3幕:ブイヨン公爵邸の大広間で、舞台が設えられている
 アドリアーナとブイヨン公妃はこの日初めて顔を合わせますが、声から別荘で出会った恋敵と知ります。アドリアーナは余興に朗読を頼まれます。ここで、 アドリアーナは夫を裏切った女性の物語を朗読します。これもオペラですからアリアとして歌われます。その後、侮辱されたと感じた公妃が怒りに燃えてアリアを歌います。
この幕では冒頭で、舞台での演技としてバレエが演じられます。演出の見どころですが、今回は小さな舞台の上で、少人数で華麗な舞が堪能できました。

 第4幕:アドリアーナの自宅か、コメディ・フランセーズの楽屋
 アドリアーナとは病で休んでいます。そこへ彼女がマウリッツォに贈ったスミレの花が届けられます。この花はマウリッツォが公妃に渡してしまっていたため、この花をアドリアーナに送りつけてきたのです。アドリアーナはマウリッツォが花を送り返してきたと嘆きますが、直後に苦しみだします。花に毒が仕掛けてありました。マウリッツォが駆けつけるも、時すでに遅く、アドリアーナは息を引き取ります。

 ストーリーは三角関係のもつれの殺人事件を、始まりから終わりまで描いているにすぎず、他にも同じようなストーリーのオペラはいくつもあります。しかし、今回の上演はネトレプコ、ベチャワ、ラチュヴェリシュヴィリの3人があまりにも素晴らしく、やや陳腐なストーリーも、むしろ3人の歌唱を浮き上がらせるためかと思うほどです。現地で生で見た人たちが羨ましい。

 そのうちディスクでも販売されるでしょうし、来年にはテレビでも放映されるでしょう。今から楽しみです。このMETライブビューイングは、1年前のシーズンの映像をWOWOWで放送しています。視聴できる方は、一度Monthly Programをご覧ください。

 次回は、今度の金曜日からで、有名なビゼーの《カルメン》です。椿姫と並ぶ人気作。初めての方にも入りやすい名作です。

名フィル定期《第465回定期》「ソラリス」

 今月の名フィル定期は2月21、22日に、ポーランドのSF作家 スタニスワフ・レムの「ソラリス」を題材としたオーケストラ曲を含むプログラムで行われました。プログラムは
   藤倉大:『ソラリス』組曲
   ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲イ短調 作品53
   チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 作品64
   ヴァイオリン独奏:ヴェロニカ・エーベルレ(使用楽器は、ストラディヴァリウスの1700年製「ドラゴネッティ」)
   指揮:アントニ・ヴィット
でした。

 レムはポーランド、ドヴォルザークはチェコ、チャイコフスキーはロシアといずれも東欧圏に縁のあるプログラムですが、指揮者のヴィットもポーランド出身。現代の超一流の指揮者と言っていいでしょう。有名な作曲家のちょっと珍しい協奏曲には世界中で注目される若手のソリストを迎え、ポピュラーな名曲をメインに据えてのコンサート。チケットは完売だったそうです。

 レムの「ソラリス」を読んだことがありますか。映画にもなっているそうです。地球を遠く離れたソラリスという惑星のステーションでの出来事を描いた物語。スターウォーズのような冒険活劇ではなく、登場人物の心理を描いていて、読み解くには難解でした。

 藤倉は現在の日本を代表する作曲家ですが、数年前に「ソラリス」を題材としたオペラを作曲しています。観たことがないので、オペラについては何も言えませんが、90分ほどの作品で、オケの編成は15人ほどの小規模なアンサンブルとのこと。今回演奏されたのは、抜粋して管弦楽用の組曲に編曲したもので、世界初演です。

 開演前に作曲者本人の解説があり、そこで語られていましたが、これまでに聴いた藤倉作品に比べるとメロディアスで、ちょっとロマンティックな雰囲気のある音楽でした。冒頭は宙に浮いているような気分にさせられ、これから宇宙ステーションの物語に入っていくにふさわしい序奏でした。オペラで歌手が歌うメロディーの部分をいろんな楽器で奏しているようで、その音色の移り変わりが楽しめました。現代作曲家のオペラもMETライブビューイングなどでいくつか観ていますが、多くの方のイメージする現代音楽とはだいぶん違います。

 ドヴォルザークは『新世界』交響曲などで有名です。協奏曲ではチェロ協奏曲が有名で、ピアノやヴァイオリンのための協奏曲はそれぞれ1曲ずつありますが、チェロの協奏曲に比べると演奏頻度は低く、今回初めて聴きました。ドヴォルザークの若い時期、と言っても40歳前後に作曲された曲です。チェコの民族音楽の曲調やリズムが用いられ、印象的なメロディにあふれています。独奏ヴァイオリンの技巧的なことはよくわかりませんが、エーベルレの演奏は非常に情熱的でグイグイ引き込まれました。

 エーベルレの音は、楽器のせいかどうかわかりませんが、渋くじわっと響いてくるような音で、思い描くドヴォルザークのイメージにぴったりでした。秘めた情熱がほとばしっているような演奏でした。オーケストラも出しゃばり過ぎず、しかしメロディーはしっかりと歌い、ソリストとうまくやりあっていたように感じました。

 ソリスト・アンコールはプロコフィエフという、20世紀のロシアの作曲家の
    無伴奏ヴァイオリンソナタニ長調から第2楽章
でした。ちょっと重い協奏曲の後に、さわやかな小品を聴き休憩時間をゆったりと過ごせました。

 この日のメインはチャイコフスキー。中でも交響曲第5番は演奏頻度も高く、名フィルもなんども演奏している曲です。クラシック好きなら誰もが知る曲だけに、難しさもあります。

 四つの楽章からなりますが、第1楽章は運命の動機とよばれる序奏で始まります。クラリネットで奏されますが、冒頭から高い緊張感で、そのまま最後まであっという間でした。指揮者の腕なのでしょう。全ての音にしっかりとした意味があり、フレーズの流れも自然で、音量の変化にも全く違和感のない素晴らしい演奏でした。これまでに聴いた名フィルの演奏の中でも、屈指の名演だったと思います。

 チャイコフスキーを聴くと、広大に広がっているのであろうロシアの大地をイメージするのですが、今回の演奏でも随所で感じることができました。それだけでなく、抒情的に奏されるオケの響きに打たれ、何度も目頭が熱くなりました。

 オケは、もちろんステージにいるのですが、オケ全体が一つになって響くとホール自体がなっているような気がすることがあります。音が前からだけではなく、後ろや天井の方からも聴こえてきます。チャイコフスキーでは何度もそのように感じる時がありました。

 指揮者のヴィットは御歳75歳。世界初演を手がけ、さらに名曲の名演まで引き出し、さすがは世界の有名オケを指揮するする巨匠です。チャイコフスキーでのダイナミックな指揮ぶりには脱帽。さすがに終わった後は少しふらついておられましたが。

 これまでに200以上のCDをリリースしているとか。私もNAXOSレーベルで4枚持っています。2016年シーズンに続いて2回目。よくきてくれたなと思いますが、名フィルのツイッターによると、今回の演奏にはご本人もご満悦のよう。また来てくれるそうです。

METライブビューイング《椿姫》

 先週末から名駅・ミッドランドスクエアシネマでMETライブビューイング
ヴェルディ作曲の歌劇《椿姫(La Traviata)》
が上映されています。

 「もっとも有名なオペラ」といってもいいでしょう。今回は朝と夕方の2回上映。土曜日(9日)の朝は、特別にストーリー解説付きでの上映で、満席でした。

 オペラは音楽だけでなく文学性や衣装や舞台装置などの美術や演劇の要素を含んだ総合芸術です。したがって、演出によっては全く異なる作品のように感じます。メトロポリタン歌劇場はこれまでにも《椿姫》でいろんな演出を行ってきているようですが、今回から新たな演出で上演されています。

 台本上は19世紀半ばのパリが舞台ですが、今回は18世紀半ばに変更していて、それに合わせて衣装や室内の装飾を工夫しています。ロココ調というのでしょうか、豪華で見応えがありました。

 ストーリーはここで紹介していますので、ご覧ください。ここにもいろいろ書きましたので参考にしてください。優れた上演に出会えば、泣けること間違いなしです。

 ストーリはわかってもらったことにして、今回の主な出演者は
   ヴィオレッタ・ヴァレリー:ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)
   アルフレード・ジェルモン:ファン・ディアゴ・フローレス(テノール)
   ジョルジョ・ジェルモン:クイン・ケルシー(バリトン)
です。

 市販されているDVD/Bluerayなどは、全ての出演者が超一流で素晴らしいのですが、今回も期待通り、歌唱も演技も、そしてオーケストラも非の打ち所がない上演でした。やや録音には難があったような気がしますが。

 ダムラウは、現地では「歌うメリル・ストリープ」と評されているそうですが、隅々まで考え抜かれた歌唱のみならず、演技も実に素晴らしい。主人公は結核に侵されているという設定になっています。自分の人生が長くないことを悟って、「裏社交界の華」から本当の愛を求めていった心情の変化を歌唱と演技で見事に表現していたと思います。

 ダムラウの声質は特別に華やかというわけではありませんが、ソプラノとしての低音域から高音域まで同じような質で歌えるため、叙情性と華麗さをともに求められるヴィオレッタ役にはあっているようです。オペラの登場人物としてはもちろん、ソロでアリアを集めたCDも何枚も出していますので、興味のある方は是非。

 一方のアルフレードは田舎から出てきなお坊ちゃん。今回の演出でも、何のためにパリに出てきたのかわかりませんでした。頼りのない若造ぶりをフローレスがうまく演じていたと思います。整った顔立ちのフローレスが演じているだけに、ヴィオレッタの悲劇の原因はお前だろうと、スクリーンに向かって言いたくなりました。

 今回歌ったフローレスは、この役は今回が初めてとのこと。ヴェルディよりも少し前の時代のオペラ、少しタイプの違っていて「ベルカント・オペラ」と言いますが、この分野では第一人者です。METライブビューイングでも何度も歌っていたのですが、この数年見る機会がありませんでした。久しぶりに聴いてみると、声がやや太くなり、以前のような軽やかに歌い上げるというよりは、じっくりと聴かせるというタイプに変わりつつあるような感じです。

 《椿姫》というオペラは主役二人、ヴィオレッタとアルフレードが大切なのはいうまでもありませんが、もう一人、アルフレードの父親・ジョルジョで、全体の出来不出来が決まります。これまでも何にものジョルジョを見てきてきましたが、今回のジョルジョ、ケルシーも素晴らしい。第2幕から登場しますが、アルフレードのような子を持つ父親の心情を実感させてくれます。泣けました。また、これまで見てきた映像ではどうも腑に落ちなかったアルフレードやヴィオレッタとの感情のすれ違いも、納得できました。もちろん、バリトンとしての声もいい。

 連休中も上映されていましたが、どなたか観に行かれましたでしょうか。感想を聞かせてください。

 次回は2月22日から。チレーアの《アドリアーノ・ルクヴルール》です。正直言ってマイナーで、実は観たことがありません。18世紀初頭のパリを舞台にした、実在の人物をモデルにした三角関係の物語だそうです。今シーズンの1作目《アイーダ》でアイーダを歌った、アンナ・ネトレプコが主役を歌います。そのほかに出演する歌手たちも、超一流です。ネトレプコ以外ではバリトンのアンブロージョ・マエストリがオススメ。
興味のある方は、是非。

METライブビューイング《マーニー》

 だいぶん時間は過ぎてしまいましたが、1月 13日に今シーズンの第4作目の
ニコ・ミューリ作曲《マーニー》を観てきました。

 作曲家は存命中ですから、典型的な現代音楽です。題材も20世紀の作家の作品で、邦訳は内容ですので読むことはできませんが、ヒッチコック監督が同盟の映画を撮っています。主人公マーニー役は知らない女優ですが、相手役はショーン・コネリーです。

 主人公マーニーは、幼い頃のトラウマから盗癖があるという設定。サスペンスなのですが、殺人事件があるわけでもなく、それほどハラハラするストーリーではありません。

 オペラでは、これまでにもMETで活躍している、イザベル・レナートという若手ソプラノ歌手が主人公を歌いました。2幕構成ですが、ほとんど出ずっぱり。おまけに衣装替えが10回以上あるという、心身ともに大変そうな役です。

 音楽的には比較的馴染みやすいのですが、切れ目がなく、かなり集中力を要する作品です。現代的なテーマだけに、もう少し親しみやすいように作ってくれると良かったのに。

 現代作品が上演されるのは全体のアクティビティにとっては大切なことですが、なかなかとっつきにくいものです。事実、週末であったにもかかわらず、お客さんは少なかったですね。

 打って変わって、次回作は「これぞオペラ」という作品です。題名はどこかで聴いたという人も多いでしょう。
ヴェルディ作曲の《椿姫》です。原題は“La Traviata”、直訳すると「道を踏みはずした女性」という意味ですが、日本ではこのオペラの原作である小説の日本語訳題名である「椿姫」で呼ばれることが多いようです。2月8日からです。多分事前に予約しないと席はとれないかとおもいますが、初めての方でもきっと楽しめる、いや泣けると思います。

 主役はディアナ・ダムラウ、現代最高のソプラノ歌手の1人、こんな人です。
Pasted Graphic
 2017年7月30日、ミュンヘン国立歌劇場で。この日の演目は、オッフェンバック作曲《ホフマン物語》でした。以下を参考にしてください。
   
バイエルン国立歌劇場1
   
バイエルン国立歌劇場1(続き)
   
バイエルン国立歌劇場2
   
バイエルン国立歌劇場3

名フィル定期『第464回』 アンデルセン「人魚姫」とマザーグース

 年明けの名フィル定期は1月18日と19日に愛知県芸術劇場コンサートホールで行われました。テーマは
アンデルセン「人魚姫」でしたが、マザーグースに材をとった曲も演奏されました。プログラムは
ラヴェル:バレエ『マ・メール・ロワ』(全曲)
酒井健治:ヴァイオリン協奏曲『G線上で』
ツェムリンスキー:交響詩『人魚姫』
ヴァイオリン独奏:成田達輝
指揮:ジョン・アクセルロッド
でした。

 2曲目に演奏されたヴァイオリン曲は、当初同じ作曲家のピアノ協奏曲の世界初演が予定されていましたが、作曲者の長期的なプロジェクトの都合ですでに作曲されているヴァイオリン曲に変更されました。作曲者・酒井は名フィルのコンポーザー・イン・レジデンス(日本語に訳すとお抱え作曲家、現代の用語だと嘱託作曲家?)。おそらく1年に1曲ずつ名フィルのために作曲するという契約をしているようです。

 いわゆる「現代音楽」です。映画の効果音のような、というとわかりやすいかもしれませんが、古典的な意味で音楽的ではありません。昨年も酒井の曲を聴きましたが、メロディーらしいものが聞こえて来ず、打楽器を中心にいろんな楽器の響きが錯綜しているだけのように感じるところも多々ありました。演奏終了後には右に倣えで拍手をしたのですが、正直言って自身の行いに大いに疑問があります。

 1曲目に演奏された『マ・メール・ロワ』は、英語で言えば”Mather goose”です。作者のシャルル・ペローはフランス人ですので、ラヴェルの曲名がほんらいのだいめいなのでしょう。元々はラヴェルが友人家族にプレゼントするためのピアノ曲として作曲されたようですが、その後、オーケストレーションの達人であるラヴェルが管弦楽組曲として、さらにバレエ用に手を加えて出来上がったそうです。弦楽器と木管楽器、打楽器、ハープにチェレスタによるアットホームな感じのする音楽が並びます。マザーグースの話はよく知らないのですが、編まれた曲の題名を列挙すると、
    第1曲:前奏曲
    第2曲:紡ぎ車の踊りと情景〜間奏曲
    第3曲:眠りの森の美女のパヴァーヌ〜間奏曲
    第4曲:美女と野獣の対話〜間奏曲
    第5曲:親指小僧〜間奏曲
    第6曲:パゴダの女王レドロネット〜間奏曲
    第7曲:妖精の園

 ラヴェルと言えば『ボレロ』が有名で、この曲もバレエ音楽です。ボレロと比べると、ややつかみどころがなく、なんとなく流れていくような曲調です。BGMで流していても決して邪魔になることのない音楽という感じでしょうか。それだけに演奏も難しいと思いますが、この日の名フィルの演奏は、聴くものを決して飽きさせることなく、童話の世界の想像に最後までどっぷりと浸からせてくれました。

 休憩後に演奏されたメイン、『人魚姫』の話は皆さんもご存知でしょうか。ディズニーの『リトル・マーメイド』もアンデルセンのストーリーに材をとっているようですが、エンディングなどやや異なっているようです。原作はなんとも切ないお話です。

 作曲者のツェムリンスキーは1871年生まれ、20世紀の前半にウィーンを中心に活躍した作曲家です。一般にはほとんど無名だと思いますが、その後の作曲家に大きな影響を与えています。今回演奏された『人魚姫』は長らく楽譜が行方不明だったようですが、1980年に発見されて以降は世界中で演奏されているそうです。

 必ずしも童話のストーリーに沿って音楽が進行するわけではありませんが、人魚姫を表すヴァイオリンのテーマなど、よく聴いていると情景が浮かんできます。40分余の間、柔らかな音楽に満たされた時間を過ごすことができます。鼠非手、最後に人魚姫は死んでしまうのですが、必ずしも悲劇的な死ではありません。音楽も魂が浄化されるような幸福感に満ちて終わります。

 名フィルの演奏はやはりメインの『人魚姫』が最も充実していて、聴きごたえがありました。弦楽器と管楽器のバランスも良く、演奏者も楽しそうでした。自分が座っている席からは指揮者の表情も見えますが、時折見せる笑顔が印象的でした。

 次回は2月22、23日。レムの『ソラリス』をテーマに、メインはチャイコフスキーの交響曲第5番です。

第9のコンサート



 年末といえば《第9》です。ベートーヴェンが作曲した最後の交響曲。EUの国歌にもなっています。

 今回は東京・上野公園にある美術館巡りとあわせて、渋谷の東京芸術劇場・コンサートホールで行われた日本ファイルハーモニー交響楽団の第9演奏会(2018.12.28)を聴きに行きました。このコンサートホールは世界で一番大きいといわれるパイプオルガンが設置されており、オーケストラの演奏に先立ってオルガンによる演奏もありました。
プログラムは
   J.S バッハ:前奏曲ト長調
   J.S バッハ:新年のコラール「神の恵みをともにたたえん」
   J.S バッハ:トッカータとフーガニ短調
   ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調《合唱付き》
   オルガン独奏:石丸由佳
   ソプラノ:市原愛、アルト:山下牧子、テノール:錦織健、バリトン:青山貴
   合唱:日本フィルハーモニー協会合唱団
   指揮:小林研一郎

 オルガンのコンサートは2年前にドイツで聴いたことがありましたが、演奏されたのは教会に設置されているそれほど大きくないパイプオルガンでした。日本でオルガンというと、音楽室の足踏みオルガンを思い浮かべますが、ヨーロッパではパイプオルガンをさします。それぞれの場所に応じてオーダーメイドで、大きければ大きいほど音域が広がります。今回聴いたオルガンの演奏でも、特に低音域ではピアノの最低音よりも1オクターブ以上低い音が使われていたと思います。聞こえるというよりは、振動を感じるといった方がいいでしょう。

 上野公園にはいろんな美術館や博物館がありますが、
   国立西洋美術館《ルーベンス展》
   上野の森美術館《フェルメール展》
   東京都美術館《ムンク展》
の3つを回りました。

チェンバロ・リサイタル

 先週の水曜日(12月12日)、伏見の名古屋電気会館コンサートホールでチェンバロのリサイタルがありました。
プログラムは
  バッハ:ゴルトベルク変奏曲
  チェンバロ独奏:マハン・エスファハニ
です。

 チェンバロをご存じの方はあまりないと思います。ピアノがつくられたのが1700年頃ですが、それよりも古いタイプの楽器で、17世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパで普及していた楽器です。ピアノはハンマーで太い弦を叩いて音を出しますが、チェンバロは細い弦をギターのピックのようなものではじいて音を出します。したがって、ピアノほど音量の幅はなく、残響もありません。大きなホールで演奏する楽器ではありません。
 こんな楽器です。
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チェンバロのためのコンサートを聴きに行ったのは今回が初めてです。以前から興味はありましたが、コンサート自体があまりないため、リサイタルという形では初めてです。演奏された曲は、バロック音楽ではとりわけ有名な曲で、以前にピアノの独奏によるコンサートを聴きに行ったことがあります(http://physiol.poo.gs/blog-2/files/59aef56d6021dd7394e475f11121ae81-225.html)。

音量のある楽器ではないことはお客さんも了解済み。しーんとして、たまに咳払いなどが聞こえる程度の、じつに静謐な空間でした。今回の演奏者の特徴かもしれませんが、チェンバロの演奏は淡々とした響きで、感情を込めるというよりも、じっと向かい合うという感じでしょうか。冒頭のアリアをもとにした30曲の変奏曲が、1時間余に渡って演奏されます。演奏者と一緒になって音に向き合っていると、あっという間に立ってしまいました。

この曲はいくつかのCDを持っていますが、それぞれごとに特徴があり、どれとどれを比べても大きな違いを感じるのがこのゴルトベルク変奏曲です。感情を表に出した演奏もあれば、哲学的な雰囲気を感じる演奏もあります。30曲の構成に数学的な美しさがあるなど、いろんな解説があります。しかし、どの1曲だけを取り出して聴いても、音楽の深さを感じるすばらしい曲です。

今回演奏したエスファハニは、アメリカ生まれのイラン人。あまり感情を表に出すような演奏ではないものの、けっして深く沈潜するような音楽ではありませんでした。時にもの悲しさを感じさせる響きを感じましたgあ、生で聴くには非常に入り込みやすい演奏だったと思います。

アンコールは一転して、感情を表ししたかのような激しい曲調でした。と言っても、演奏されたのはフランス・バロック期の作曲家、ラモーの作品です。服装も上着はなく、ヒョウ柄のメガネとサスペンダーがお似合いでした。
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METライブビューイング《西部の娘》

 METライブビューイングの今シーズンの第3作目
  プッチーニ:歌劇《西部の娘》
が上映されています。

 これまでにも紹介したことのある《ラ・ボエーム》や《トスカ》、《蝶々夫人》、《トゥーランドット》で有名なイタリアの作曲家、ジャコモ・プッチーニの作品です。作曲したのは50歳ごろで、《蝶々夫人》の後にあたります。《蝶々夫人》(長崎が舞台)や《トゥーランドット》(中国が舞台)同様に、プッチーニの異国趣味が現れた作品ですが、当時のニューヨークのメトロポリタン歌劇場に招待されたプッチーニが依頼を受けて作曲した作品です。題名の通り、アメリカの西部を舞台にして、盗賊と保安官がヒロインをめぐって争うまさに西部劇です。

 数年前にもライブビューイングで上映されていますが、今回はキャストも全く異なり、こちらもいろいろ見慣れてきたこともあり、ゆっくりと鑑賞できました。

 カルフォルニアの金鉱労働者の集まる町が舞台。ヒロインのミニーをソプラノのエヴァ=マリア・ヴェストブルックが歌いましたが、なかなか繊細ながらも迫力のある歌声で大喝采を浴びていました。相手役の盗賊団のボス、ジャック・ジョンソンは正体を隠して現れますが、すぐにばれてしまい、保安官と町の人たちに捕まってしまいます。目立ったアリアは2曲しかなく、アンサンブルが多い役をテノールのヨナス・カウフマンが渋く演じていました。おそらく現在、人気、実力ともに最高のテノール歌手でしょう。柔らかい声質でありながらも力強く響く声質は他の歌手達を圧倒しています。最近は貫禄も出てきて、いよいよ巨匠の域に近づいています。ヒロインを争う保安官役はバリトンのジェリコ・ルチッチ。これまでにも2014年のマクベス役など、悪役が多い印象ですが、演技は見事としかいえません。

 プッチーニは全部でオペラの10作品しかつくっていませんが、《西部の娘》は他と比べると上演頻度も低く、決して有名ではありません。男性にソロのある役が多く、合唱(全員男性)のウエイトも高いため、歌手をそろえられる劇場が少ないことが原因のようです。アメリカの歌劇場も事情は同様ですが、お国ものと言うことで人気もあり上演頻度はヨーロッパに比べると高いようです。

 心理描写がやや多く、昨シーズンに上映された《トスカ》や《ラ・ボエーム》に比べると、音楽も劇的ではありません。しっかりと聴いていないとついて行けないところもありますが、その分、歌手達の表現力を楽しむこともできました。

 オペラの演出は様々な読み替えや抽象化が多いのですが、今回の上演は非常にリアリティのある舞台でした。西部劇の映画を見ているかのような臨場感があり、さらにはアメリカと日本では劇場や舞台に関する法律の適用もだいぶん異なっているのでしょうか、本物の馬にまたがり、また火も焚いています。

 年内の上映はもうありませんが、年明けには有名なヴェルディの《椿姫》やビゼーの《カルメン》もあります。ぜひどうぞ。

名フィル定期《第463回』》 メーテルランク『ペレアスとメリザンド』

 12月の定期演奏会から、会場が栄の愛知県芸術劇場コンサートホールに戻りました。「復帰」第1回目は7日、8日の2日間ベルギー生まれのノーベル文学賞作家・メーテルランクの戯曲《ペレアスとメリザンド》をテーマに
  シューマン:ピアノ協奏曲イ短調
  シェーンベルク:交響詩《ペレアスとメリザンド》
   ピアノ独奏:ゲルハルト・オピッツ
   指揮:小泉和裕
で行われました。

 「復帰」第1回ということで有名なソリストを招き、大曲をという意気込みだったようですが、お客さんの入りは今ひとつ。ちょっと残念でしたが、国内有数の音響の良さを誇るホールです。繊細なピアノの響き、オーケストラの大音量ともに、心地よい残響をつくってくれます。

 オピッツは、風貌もいかにも好々爺という感じですが、奏でる音は明るくマイルドで、優しい響きがします。この曲は作曲者シューマンが妻のクララのために作曲したものですから、いかにも似つかわしい気がします。オピッツはブラームスを得意とするだけに、その先生にあたるシューマンにも共鳴するところがたくさんあるのでしょうか。短調の曲でちょっともの悲しい響きがするのですが、愛おしさに満ちていた演奏でした。

 前回(名フィル定期 第440回 ドイツ正統派のブラームス、ここです)はソリスト・アンコールこそありませんでしたが、終演後にはサイン会をやってくれました。残念ながら今回はいずれもなし。どこかお悪いのでしょうか。

 この日のメインはシェーンベルクという20世紀・オーストリアの作曲家の交響詩です。元々オペラを作曲するつもりで準備したとのことで、叙情性に満ちた音楽です。メーテルランクは19世紀半ばに生まれたベルギーの作家で、『青い鳥』というチルチルと満ちるという兄妹が幸せの鳥を見つけ家に行く話が有名です。アニメにもなったということですが、子ども向けの物語としても読んだ方もいらっしゃるでしょうか? 残念ながら私は読んだことはありません。『青い鳥』などの作品が評価されて1911年にノーベル文学賞を受賞しています。

 メーテルランクの「ペレアスとメリザンド」は戯曲です。どこかの国の王子ゴローが迷い込んだ森で見つけた美女メリザンドをな自分の后として城へ連れ帰るも、弟のペレアスとメリザンドがいい仲になってしまい、最後はゴローがペレアスを殺してしまいます。メリザンドも傷を負って、その後亡くなるという何とも後味の悪い話です。翻訳を読みましたが、全く惹かれるものを感じませんでした。しかし、ヨーロッパでは多くの作曲家をインスパイアしたようで、いずれもほぼ同時代に活躍をしたフランスの作曲家・ドビュッシーがオペラ化したのを始め、フォーレやシベリウスが劇音楽を作曲しています。今回取り上げられたシェーンベルクも同様に、一楽章の交響詩として作曲しました。

 一楽章とはいえ、40分を超える作品を集中して聴くのはかなり大変です。編成も大きく、管楽器も活躍します。ハープ2台、打楽器もティンパニ2セットを始めとして5人の奏者を要する大曲です。作曲されたのは、20世紀の初め、ちょうど前々回の定期で演奏されたマーラーの交響曲第8番と同じ頃です。決して口ずさめるようなメロディーはありません。全体に何となくべたっとした曲調で、親しみやすいとは言いがたい。だからなのか、有名なソリストを迎えているにもかかわらずお客さんの入りはやや寂しかった。

 とは言え、オケは指揮者の要求によく応えて、全体によいハーモニーをつくっていました。さすがは芸文の響きというか、残響がよい具合に耳に残りました。弦楽器の響きも充実し、その中から管楽器の音が聞こえてくるよいバランスだったと思います。

 来月(新年)はアンデルセン『人魚姫』をテーマに、
  ラヴェル:バレエ音楽《マ・メール・ロワ》(英語風にいうと『マザー・グース』です)
  ツェムリンスキー:交響詩《人魚姫》
です。

名フィル定期《第462回》 シェイクスピア《ロミオとジュリエット〉

 先週末(11月22,23日)に名フィルの11月定期があり、《文豪クラシック》シリーズ第7回、シェイクスピアの名作『ロミオとジュリエット』をテーマに
ショスタコーヴィチ:スケルツォ嬰ヘ短調
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調
プロコフィエフ:バレエ『ロミオとジュリエット』[抜粋]
ヴァイオリン独奏:辻彩菜
指揮:円光寺雅彦(名フィル正指揮者)
で行われました。

 あまりポピュラーではない曲の組み合わせで、お客さんの入りも今ひとつ。ソリストと協奏曲の組み合わせもどうかなと思いながら聴き始めました。

 今回の選曲は、ともに20世紀を代表する旧ソ連の作曲家による作品です。ともに交響曲の作曲家としても有名ですが、今回演奏された協奏曲やバレエの音楽もたびたび演奏されています。

 1曲目はショスタコーヴィチの「作品1」、わずか14歳で作曲したそうです。元々はピアノ曲だったようですが、本人が管弦楽化。さわやかで、コンサートのオープニングには最適の音楽でした。後の彼の交響曲や、今回演奏された協奏曲を知っていると、同一人物がつくったとは思えないほど。典型的なオーケストラの編成ですが、各楽器がうまく使い分けられています。管楽器にもソロが割り当てられて、名フィルの奏者達も楽しそうでした。指揮者の円光寺のつくり出すサウンドは、暖かく柔らかで、ほっとする響きに満ちています。こうした曲の演奏にはうってつけでしょう。

 2曲目のヴァイオリン協奏曲は難曲として有名で、以前は演奏される機会も稀だったようですが、近年は頻繁に取り上げられています。名フィルの演奏会で聴くのは今回で3回目、1回は7年前の定期演奏会(第385回定期、ソリストはアリーナ・イヴラギモヴァ)、もう一回はさらに前の特別演奏会(たぶん『コバケンスペシャル』、ソリストは名フィル・コンサートマスターの後藤龍伸)だったと思います。今回のソリストの辻は弱冠21歳、大垣市出身で、2年前にカナダの国際コンクールで優勝して一躍有名になりました。現在は東京音楽大学の学生。各地のオケとも共演を重ねる俊英です。今回の演奏会でゲストコンサートマスターを務めた荒井英二さんの愛弟子、名フィル・アシスタントコンサートマスターの矢口さんは中学、高校時代の先生だそうです。

 いつも予習して臨みますが、ショスタコーヴィチの作品は私にはとても聴ききれない曲です。この協奏曲は4楽章構成で、第1,第3楽章は遅いテンポでヴァイオリン独奏が中心。逆に、第2,第4楽章はオケとヴァイオリンが激しく掛け合うような曲調です。やはり聴き応えがあったのは第1,第3楽章。鬼気迫るものを感じるほどに、ソリストの放つ高い緊張感で感情全体が圧倒されました。第2,第4楽章ではやや音が細いかなと感じましたが、重音が連続するパッセージなどはとんでもなく難しいのでしょう。

 ソリスト・アンコールは、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV1006より、第3楽章『ロンド風ガヴォット』でした。おそらく誰もがきいたことのあるメロディーです。ショスタコーヴィチで激しく揺さぶられた感情がしっとりと落ち着きました。

 メインはショスタコーヴィチよりも少し前の時代の作曲家、プロコフィエフの代表作です。題名の通り、シェイクスピアの戯曲をそのままバレエとして演じるための音楽。全体では約2時間の大作ですが、その中からストーリーにあわせて9曲を、指揮者の円光寺が選曲したプログラムです。
1.モンタギュー家とキャピレット家
2.朝の踊り
3.少女ジュリエット
4.マドリガル
5.メヌエット
6.仮面
7.ロメオとジュリエット
8.タイボルトの死
9.ジュリエットの墓の前のロメオ

 『ロメオとジュリエット』のストーリーは説明するまでもないでしょうが、このバレエも比較的よく演じられるようです。音楽としては「モンタギュー家とキャピレット家」を表す曲が最も有名で、テレビCMやドラマのBGMなどでもたびたび使われていて、聴いたことのない人はいないでしょう。メヌエットから仮面の3曲は、キャピレット家の舞踏会の情景で、最後はロメオが自ら命を絶つ悲しい場面の曲で終わります。

 オケの編成も大きく、管楽器では通常の編成の他に、バス・クラリネットやコントラ・ファゴット、テナー・サックス、さらにはピアノ、ハープ、多くの打楽器が活躍します。色彩あふれる響きで見事に情景が描写されています。今回の名フィルは弦楽器がよく鳴って、管楽器とうまく咬み合っていたように感じました。前回の『千人』の印象が強いためか、全体のインパクトはやや弱かったか。

 本を正せば同じ題材に寄っているにもかかわらず、9月定期の『ウェストサイド物語』とは、何もかもが全く異なる音楽でした。比較するのがまちがっていますが、このような違いを感じられるのもクラシック音楽の醍醐味です。

 来月から演奏会も会場が、栄の愛知県芸術劇場・コンサートホールに変更、いえ戻ります。名古屋の地下鉄の車内にもポスターが貼ってあるので見た方もいらっしゃるでしょう。12月定期(12月7日、8日)は、現代を代表するピアニスト、ゲルハルト・オピッツのピアノ独奏で、大好きなシューマンのピアノ協奏曲です。

METライブビューイング《アイーダ》

 コンサートや演劇、歌舞伎などの録画を映画館で上映する「ライブビューイング」がこの数年盛んになってきています。その先鞭となったのが、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されるオペラを映画形式で上映する『METライブビューイング』です。国内では松竹が配給していますが、もちろんメトロポリタン歌劇場(通称MET)の企画で世界中に発信されていて、今年で13年目です。現地では”The MET; Live in HD series”呼ばれています。HDはhigh definition(高解像度、高画質の意)の略です。

 欧米の歌劇場は秋から初夏がシーズンで、メトロポリタン歌劇場も毎年9月から5月末までがシーズンです。この中から、毎年10演目程度を、欧米ではほぼ全てライブ(ただし1日1回限り)で、日本では日本語字幕をつける都合もあり、2~3週間遅れで上映されます。そのかわり、1週間(演目によっては1日2回上映)上映されます。このあたりでは名駅のミッドランドスクエアシネマで上映されます。

 今シーズンの予定はここ(https://www.shochiku.co.jp/met/)に紹介されています。

 オープニングは
  ヴァルディ:歌劇《アイーダ》
です。ミュージカルにもなっているようですからご存じの方も多いでしょう。また、第2幕の凱旋行進曲はサッカーの応援歌にもアレンジされています。(ここ:https://www.youtube.com/watch?v=tnjs2ZFrKwA で聴けますが、応援歌に使われているメロディーは途中から出てきます。)

 オープニングということもあり、配役も主役級か並び、これぞオペラというすばらしい上演でした。ライブビューイングでは数年前にも1度取り上げられていますが、そのときは感想を書かなかったようです。今回はあらすじも含めて感想をまとめておきます。

 この作品はエジプトのスエズ運河の開通を祝ってカイロに建てられた歌劇場のこけら落としのためにヴァルディに作曲が委嘱されたオペラです(実際にはこけら落としとしては上演されていないようです)。初演は1871年。舞台は古代のエジプトで、隣国であるエチオピアとの戦争状態の中での恋愛悲劇です。YouTubeでも聴くことができます(イタリア語と日本語の対訳付きですが、映像はありません)ので、興味があればどうぞ。(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、主役のアイーダはレナータ・テバルディという往年の名歌手です)

 主な登場人物は4人、
アイーダ:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
アムネリス:アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(メゾ・ソプラノ)
ラダメス:アレクサンドル・アントネンコ(テノール)
アモナズロ:クイン・ケルシー(バリトン)
 主人公であるアイーダはエチオピアの王女でありながら、エジプトのエチオピア侵略の際に捕虜とされ、エジプトの王女であるアムネリスの侍女をしています。アイーダは身分を隠してアムネリスに仕えながら、エジプトの若き将軍であるラダメスと相思相愛の関係にあります。実はアムネリスもラダメスに恋心を抱いていますが、アイーダとラダメスの関係には気づいていません。

 第1幕(https://www.youtube.com/watch?v=QiqkCZnRgxg)では、エチオピアの侵攻を受けてエジプトはラダメスを総大将に任命。アイーダは自らの祖国を討伐するために出征する恋人を悲痛な思いで見送ります。冒頭のラダメスのソロ(「清きアイーダ」)と、アイーダとラダメス、そしてアムネリスの三重唱が聴き所。「清きアイーダ」もよかったのですが、やはり主役アイーダを歌ったアンナ・ネトレプコの存在感がぬきんでていました。現在世界最高のソプラノ歌手と言ってもいいでしょう。表現力がずば抜けています。始まりだからか、やや声につやがなかったような気もしますが、時間とともに輝きを増していきました。

 第2幕(https://www.youtube.com/watch?v=kkVSeYwKxps)では、エチオピア軍を破ったラダメス率いるエジプト軍の凱旋で始まります。ここで有名な凱旋行進曲が演奏されますが、このとき使われているのが「アイーダトランペット」という、通常のトランペットよりも管の長い特殊な楽器です。この曲のためにヴェルディがリクエストしたそうで、他で使われている曲を知りません。連行されたエチオピア軍の中に、アイーダの父親がいます。エチオピア王という身分を明かさず、アイーダの父親として捕虜となります。一方で、アイーダがラダメスを愛していることがアムネリスに悟られてしまいます。ここでは舞台機構を最大限に利用したダイナミックな演出と、100人を超える合唱が圧巻です。凱旋行進では本物の馬も舞台上を闊歩し、スケールの大きさが違います。ここではバレエも披露され、音楽に舞踊、美術が一体となっていて、オペラが総合芸術であることを実感させてくれます。

 第3幕(https://www.youtube.com/watch?v=-fKqH0EBgjc)では第2幕の華やかさが一転します。エジプト王は戦い勝利の祝いとして、ラダメスを王女アムネリスと結婚させ、さらに自らの後継者に指名します。傷心のアイーダは深夜にナイル川のほとりで父親であるアモナズロから、ラダメスを口説いてエジプト軍の機密を聞き出すようにそそのかされます。現れたラダメスとアイーダはともに逃げようと相談する中で、隠れていたアモナズロに気がつかないままラダメスはエジプト軍の機密を口にします。アモナズロとアイーダの身分を知ってラダメスが驚いているところへアムネリスが現れますが、アモナズロとアイーダを逃がしたラダメスは捕らえられます。この3幕ではほとんど合唱がなく、登場人物達の独唱と重唱です。それぞれの個性が生かされていて、聴き応え十分でした。できれば生で聴きたかった。中でも、幕冒頭のアイーダのアリアではネトレプコの歌に聴き惚れました。歌劇場でも拍手が長く続いていましたが、今シーズンのパンフレットではネトレプコの声について「馥郁と立ち昇る豊かな香り、厚みを感じられるしっかりとしたダークな色合い、まろやかな濃く・・・・」と表現されていました。まるで高級ワインのようですが、まさにその通りでしょう。
 アイーダという役はソプラノでもやや重めの声質を要求され、ただきれいな声というだけではとても歌えない難役です。昨年も別の歌劇場で歌っていてテレビで見ていますが、表現力に磨きがかかっているような気がしました。

 第4幕(https://www.youtube.com/watch?v=ng1rmODkyAw)、フィナーレですが、冒頭でラダメスを捕らえたアムネリスが、恋しさのあまり助命を嘆願します。しかし、ラダメスが死を望んだため果たせず、悲嘆に暮れる様子を、約15分くらいにわたってほぼ独唱します。メソ・ソプラノとしてはかなり重量級の役どころですが、ラチヴェリシュヴィリはネトレプコに負けない力強さで聴衆を圧倒しました。まだ若い歌手で、これまでも何度か見ていますが、将来が楽しみです。ラダメスの処刑は石室に閉じ込めての処刑。アイーダが予期したのか、すでに石室に入っており、二人は天国で結ばれることを願いながら息を引き取ります。このシーンでの音楽が実に美しい。


 主役のアンナ・ネトレプコは2年前の春に名古屋でリサイタルがありました。こんな機会は二度とないかもしれないと、大枚をはたいて聴きに行きました。記録はここ(http://physiol.poo.gs/blog-2/files/88b4ceeb31430544a3d80c4da9011c92-236.html)にあります。CDもたくさん出している歌手です。是非一度聴いてほしいものです。

 今シーズンのラインアップでは、今回と同じくヴェルディの《椿姫》やビゼーの《カルメン》が特に有名です。どちらもオペラになじみがなくても十分に入っていける作品です。興味のある方は是非。

名フィル《コバケンスペシャル》 十八番の幻想

 先週の水曜日、名フィルの桂冠指揮者である小林研一郎の指揮で
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲
ベルリオーズ:幻想交響曲
ヴァイオリン独奏:徳永二男
指揮:小林研一郎
というプログラムでの演奏会がありました。

 小林は”コバケン”の愛称で知られる日本を代表する指揮者。1998年から2003年まで、名フィルの音楽監督を務めました。名フィルとの相性もよく、観客にも親しまれたキャラクターから、現在は桂冠指揮者として年に1、2回、自身のプログラミングによる特別演奏会を『コバケン・スペシャル』として指揮しています。

 今回の独奏を務めた徳永はNHK交響楽団(N響)のコンサートマスターを務めた、名ヴァイオリニストです。教育テレビで放送されるN響の演奏家で何度も見ていましたが、生で聴くのは今回が初めてです。


 ブルッフは1838年生まれのドイツの作曲家、指揮者、教育者です。作曲ジャンルはオペラ、交響曲、室内楽など多岐にわたっているようですが、現在のオーケストラのレパートリーとしては今回演奏されたヴァイオリン協奏曲などわずかです。1866年に作曲者自身の指揮で初演されました。同時代に作曲された有名なヴァイオリン協奏曲には、メンデルスゾーン(1845年初演)、ブラームス(1879年初演)、チャイコフスキー(1881年初演)などが有名ですが、それに次いで演奏頻度が高いのではないでしょうか。

 甘美なメロディーが随所に現れ、何度聴いても飽きないすばらしい曲です。独奏ヴァイオリン・徳永は安易にメロディーを歌うのではなく、しっかりした音でやや硬い雰囲気の演奏でした。オケともぴったりと息が合い、長年一緒に演奏しているかのようでした。

 ソリストアンコールを期待していたら、コバケンとの対談でした。コバケンの指揮者デビュー、1972年だそうですが、そのときのオケ(東京交響楽団)のコンマスが徳永さんとのこと。あまり内容のない話でしたが、舞台でソリストの話し声を聞く機会はほとんどないためおもしろいアイデアです。

 幻想交響曲は1830年初演、ベートーヴェンやシューベルトの没後すぐの時期に作られていたことが不思議に思えるくらい、奇想天外な曲です。

 『交響曲』と銘打ちながら5楽章構成、それぞれに表題があり、物語の一場面を描くように構成されています。ストーリーは別途紹介しようと思いますが、楽器の構成も木管楽器の中でファゴットだけが4本もあるかとと思えば、舞台裏からオーボエが聴こえたり(今回の演奏では2階席の後方でした)、さらにテューバの2本、ティンパニも2セット、おまけに鐘までも入ります。

 コバケンの指揮は、時にオーバーアクションかと思うくらいに強弱をつけていますが、それぞれが見事にはまっているため、聴いていてわくわくさせられます。オケもコバケンのタクトに応えながら、個人技とアンサンブルを見事に組み合わせた名演でした。今シーズンの名フィルのベストではないでしょうか。聴きに行ったかいがありました。

 幻想交響曲は、大学2年のときに名大オケで、何と今回と同じ小林研一郎の指揮者で演奏したことがあります。当時は小林もまだ若く(と言っても40代ですが)、アマチュアも振ってくれていました。自分たちで何度練習してもうまく合わないところが1回でぴたっと合い、「これが一流の指揮者というものか」と感じたものです。また、今回の演奏では、30年前と比べて振り方が全く同じ場所が何カ所もあり、懐かしさがなおさらこみ上げてきました。

 来シーズンには『コバケン・スペシャル』は予定されていませんが、定期演奏会で《幻想交響曲》がプログラミングされています。(来シーズンの予定はここ:https://www.nagoya-phil.or.jp/news/news_2018_08_29_090155)。

名フィル定期(第461回)ゲーテ『ファウスト』と千人の交響曲

 先週末(10月12,13日)に名古屋市民会館で行われた定期演奏会では、
《ゲーテ『ファウスト』》をテーマに
マーラー:交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』
  指揮:小泉和裕
  共演:中部フィルハーモニー交響楽団
  第1ソプラノ:並河寿美
  第2ソプラノ:大隅智佳子
  第3ソプラノ:三宅理恵
  第1アルト:加納悦子
  第2アルト:福原寿美枝
  テノール:望月哲也
  バリトン:宮本益光
  バス:久保和範
  合唱:グリーン・エコー、名古屋市民コーラス、名古屋混声合唱団、一宮第九をうたう会、名古屋シティーハーモニー、クール・ジョワイエ
  児童合唱:名古屋少年少女合唱団
が演奏されました。

 題名の『千人』は、この曲が初演されたとき(1906年ミュンヘン、作曲者自身の指揮による)、興業主が規模の大きな曲であることを打ち出すためにキャッチコピーとしてつくったものですが、実際の演奏でもオーケストラ、合唱、独唱者に指揮者まで含めて1,000人を超える奏者によって演奏されたようです。作曲者がつけた表題ではありませんが、日本ではこのタイトルで呼ばれています。

 演奏される機会は少ないですがが、目標として掲げられる曲です。名古屋でも過去に何度か演奏されているのですが、名フィルの定期で聴けるとは思ってもいませんでした。今シーズンは、金山の市民会館大ホールで大勢が載れるステージが利用できるということでプログラムされたようです。

 この曲は大きく2つに分かれていて、第1部ではキリスト教の聖霊降臨祭(キリストの復活・昇天後、集まっている信者達のもとへ天から聖霊が降り立ったという、聖書の物語に由来)のためにつくられたラテン語の賛歌を歌詞として、第2部ではゲーテの戯曲『ファウスト』第2部最終場のドイツ語のテキストがそのまま歌詞として用いられています。大きくは天から精霊が降りてきて、どんなに汚れた魂でも天まで救い上げてくれるという、ストーリーになっていると思います。第2部は原作を読んでおいた方がわかりやすいですが、迫力ある音響と甘美なメロディーが繰り返されるすばらしい曲です。

 第1部がおよそ25分、第2部が1時間弱。演奏者も今回は、オーケストラが130名余、合唱団が300名、児童合唱50名余に8名の独唱者と指揮者で、あわせて500名近い大編成です。

 オルガンの響きと全員合唱で始まった瞬間、鳥肌が立ちました。滅多にないことです。プログラムには歌詞が対訳付きで掲載されていましたので、膝の上で開いていましたが、結局ほとんど見ることはありませんでした。歌詞の詳細が分からなくとも、音楽がその内容を表現してくれているため、十分に感じることができます。オーケストラと合唱、そして独唱が、波が重なり合うようにメロディーを重ねていく様に耳も目も釘付けでした。

 聴きに行ったのは二日目、土曜日でしたが、この日のチケットは完売(満席ということではありません)、開演前のホワイエもいつにもましてお客さんが多く、雰囲気がいつもと違っていました。『千人』だからということで聴きに来られたお客さんも多かったことでしょうが、演奏中は誰しも気は舞台に向かっていて、いつもに比べると客席の物音も少なかったような気がします。

 市民会館は弦楽器の響きが今ひとつのようですが、管楽器、特に金管楽器はよく響きわたり、ロマン派以前ではほとんど目立つことのないトロンボーンの音がよく聞こえていました。木管楽器も、しっかりとまとまった響きができていて、聴き応えがありました。

 舞台は、前にオーケストラ、後が合唱ですが、独唱者達はオケと合唱の間に配置されていました。あまり響かないのではないかと危惧しましたが、杞憂でした。いずれも日本を代表する歌手達、すばらしい歌声を聴かせてくれました。特に、第2ソプラノ(第2部ではグレートヒェンという、ファウストのかつての恋人役を歌います)がすばらしかった。高音を弱音からクレッシェンドするときなど、うっとりとさせられました。

 今シーズンは名古屋以外でも、福岡や東京で別のオーケストラが『千人』を演奏しているようです。外国語を歌える合唱団も増えてきているし、大きなホールもいくつかはあるようですから、今後もどこかで聴く機会があるかもしれません。ヨーロッパでも同様の頻度で取り上げられるようですから、次は是非ともドイツかオーストリアで聴いてみたいものです。

 来月は『ロメオとジュリエット』をテーマに、プロコフィエフのバレエ『ロメオとジュリエット』の抜粋が演奏されます。誰しもがどこかできいたことのあるメロディーが含まれています。

ジャズつながりで

 名フィルの定期ではジャズの影響を受けた曲が並びましたが、先月末から「Nagoya Jazz Week」というイベントが行われていました。主に名古屋市内のホールで、ほぼ 毎日何らかのジャズのコンサートがあったようです。渡辺貞夫や山下洋輔など国内の有名な演奏家をはじめ、海外からも招聘したようです。
 
 先週の半ばにはジャズとクラシックのコラボと言うことでしょう、
《国府弘子&川井郁子プレミアムコンサート》
が名古屋・伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールでありました。知り合いのつてで、無料招待券が手に入ったので行ってきました。先週は私にとっても「ジャズ・ウィーク」でした。

 ジャズのコンサートは初めてですが、形式はいつも聴きに行くクラシックのコンサートとそれほど差はありませんでしたが、やはりとお客さんの雰囲気が違いました。曲が終わる前に「ブラボー!」と声をかけてもいいようですし。

 ジャズのコンサートではあらかじめプログラムを決めて一覧を配布することはないようですが、この日に演奏されたのは、
エルガー:愛の挨拶
ピアソラ:リベルタンゴ
チャイコフスキー:バレエ音楽《白鳥の湖》から「情景」
モンティ:チャールダーシュ
川井郁子:ユーチューン
ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
バッハ:《無伴奏バイオリン・パルティータ》から「ガボット」
映画音楽メドレー:「ひまわり」、「魅惑のワルツ」、「太陽がいっぱい」、「ニュー・シネマ・パラダイス」、「慕情」
モーツァルト:きらきら星
ロドリーゴ:『アランフェス協奏曲』より第2楽章
ただし、バッハ以外はいずれも演奏者たちがジャズ風にアレンジしたものです。
そのほかに、題名をはっきりとメモすることができなかった川井郁子作曲作品が2曲演奏されままました。

 国府弘子はジャズ・ピアニストとして有名な方のようですね。独自にバンドを組んでいて、各地でコンサートをやられているようです。また、川井郁子は、オーケストラと協奏曲を共演する機会はあまりないようですが、他のジャンルの演奏家とコンサートを行ったり、作曲活動などが中心のようです。毎週金曜日の夜にテレビ愛知で放送される「100年の音楽」という番組に出演していて、テレビやラジオを通じて音楽を広める活動には熱心です。また、大阪音楽大学で後進の指導にも当たっているようです。演奏スタイルも優美で、惹かれる方も多いでしょう。

チャリティー・コンサート:若手演奏家による協奏曲

 暑い盛りで、クラシックのコンサートは普通はお休み。ヨーロッパではリゾート地などでの音楽祭が盛んですが、国内では松本の「オザワフェスティバル」が最も有名でしょうか。

 今年で6回目とのことですが、岡谷鋼機という会社が主催するチャリティー・コンサートが7月31日に金山の市民会館大ホールでありました。入場料は¥1,000、まずまずのレベルの演奏が聴けてお得です。今回始めていきましたが、当日券も少しあったようです。

 プログラムは
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲 イ短調
リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
チェロ独奏:佐藤晴真
ヴァイオリン独奏:徳田真侑
ピアノ独奏:田村響
指揮:田中祐子
演奏:名古屋フィルハーモニー交響楽団

 指揮者、独奏者ともに愛知県出身の若手です。指揮者の田中は最近活躍めざましく、テレビ番組にも出演されています。独奏者ではピアノの田村が最も有名でしょうか。明和高校出身で、これまでにも聴いたことがあります。最初はもう10年くらい前でしょうか。確か、小林研一郎指揮の名フィルで、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だったと思います。まだまだ若いなという印象でしたが、その後は順調にキャリアを積んでいるようです。今回の演奏は実に堂々として、一つ一つの音が立っていて、オケとの掛け合いも安心して聴いていられました。(田村響の演奏はここここでも聴いています)

 リストはピアノ曲は非常によく演奏されますが、協奏曲はショパンに比べると演奏頻度が高くありません。難しいのでしょうか。生は今回が初めてかもしれません。3つの楽章で構成されていますが、アタッカ(切れ目なく)で演奏されるため、ソリストはなかなか大変でしょう。

 ドヴォルザークのチェロ協奏曲はこれまでにも何度となく聴いています。最近では、一昨年の名フィル定期。名フィル第442回定期で山崎伸子のチェロ独奏で聴きました(ここを参考に)。このときの印象もあったのか、今回の佐藤はやや線が細く、吸引力に乏しい。まだ学生のようですから、将来に期待しましょう。

 ヴァイオリンの徳田は東京芸大を今春卒業して、秋からオーストリアに留学する予定とのこと。やはり、まだ若さの残る演奏でした。

 例年ですと、11月に名古屋銀行が主催するチャリティ・コンサートがあります。今回と比べると実力のある指揮者やソリストを迎えてのプログラムです。毎年早々に完売になりますが、今回同様に¥1,000です。アンテナを張っておきましょう。

名フィル定期(第459回)《悪の華》と《夏の夜の夢》

 7月の名フィル定期は7月13,14日に金山の市民会館大ホールで、
ボードレール《悪の華》
をテーマとして、
デュティユー:チェロ協奏曲『遙かなる遠い国へ』
メンデルスゾーン」劇音楽《夏の夜の夢》(抜粋)
チェロ独奏:ニコラ・アルトシュテット
指揮:ティエリ−・フィッシャー(名フィル名誉客演指揮者)
で行われました。

 プログラムに記載されたテーマは《悪の華》だけですが、後半ではシェイクスピアの《夏の夜の夢》の劇音楽が取り上げられていますので、2曲とも『文豪クラシック』といえます。

 ボードレールは19世紀フランスの詩人です。発表された作品はそれほど多くないようですが、ランボーなど後世の詩人達が強く影響を受けたとされています。46歳で亡くなっているためか、《悪の華》は生前に発表された唯一の詩集のようです。恋愛を中心テーマとした内容で、それぞれの詩はそれほど長くありませんが、難解です。今回演奏されたチェロ協奏曲は、《悪の華》の中に収められた「髪」という連作詩に基づいて5つの楽章で構成されています。

 1960年代後半に作曲された、まさに現代風の曲です。なかなか入り込むのが難しい曲調ですが、チェロという楽器の様々な魅力を余すところなく表現させることを目的としたような気がします。ソリストのアルトシュテットはヨーロッパではかなり売れっ子のようで、CDもたくさん出しているようです。レパートリーも古典派からロマン派、そして現代曲と幅広い。曲ゆえでしょうが、音色の幅が広く、十分に楽しませてくれました。かなり大柄な体格で、チェロを軽々と抱え、子どもをあやしているかのように見えました。

 オーケストラの難易度はよく分かりませんでしたが、途中にヴァイオリン・パートがノンビブラートで高音を響かせる部分はうっとりするような美しさでした。

  ソリスト・アンコールは、
デュティユー:ザッハ-のなによる3つのストロフ
で、協奏曲と同じような曲調。単独で聴くのはややきついかな。名前はドイツ系ですが、フランスにお住まいなのでしょうか、アンコールの紹介はフランス語でした。終演後にはサイン会もありました。

休憩後のメインは、メンデルスゾーンの傑作です。1809年生まれで、幼い頃から才能を発揮した神童です。有名な「結婚行進曲」は、今回演奏された《夏の夜の夢》の第9曲です。シェイクスピアの戯曲は読んだことがあるでしょうか? 登場人物が多いのですが、四大悲劇や歴史劇など他の作品と比べると短くてハッピーエンドです。

 ドイツ語訳された《夏の夜の夢》の上演にあたって作曲された音楽は「序曲」と12曲で構成され、二人のソプラノと女声合唱が入った曲も含まれています。今回は抜粋で9曲が演奏されましたが、合唱も独唱もすばらしく、ホルンのソロをはじめ、管楽器群のアンサンブルもよく合っていました。メンデルスゾーンらしい響きがうまくつくられていて、1時間近い演奏時間ですが、あっという間に過ぎていきました。


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ファゴット・トリオ・ザルツブルク コンサート

 皆さんは「ファゴット;fagott(英語ではBassoon;バスーン)」という楽器をご存じでしょうか? オーケストラでは木管楽器の後列、普通は客席から見て右側にいる、奏者の頭の上まで突き出たような楽器です。楽譜は通常ヘ音記号で書かれる、木管楽器で最低音部を受け持ちます。吹奏楽では、かなり規模の大きな編成の学校でないとないかもしれません。かなりマイナーな楽器です。

 大学時代にオーケストラで吹いていて、残念ながら就職後は機会がありませんが、常に耳が向きます。ファゴットだけのアンサンブルのコンサートはほとんどないだけに、またとない機会でした。

 5月26日に、名古屋の熱田文化小劇場で、オーストリア・ザルツブルクのザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団のファゴット奏者達によるアンサンブルのコンサートがありました。マネージメント会社のメルマガの登録者対象の無料招待に応募したら、幸い当選。大学からの地下鉄往復分で、十分に堪能しました。

 プログラムは
モーツァルト:ディヴェルティメント第4番変ロ長調
バッハ/レヒトマン選曲:オルガン協奏曲第2番イ短調
ロッシーニ/ゲバウアー編曲:歌曲『セビリアの理髪師』から4つのアリア
ハイドン/アンドレア編曲:ディヴェルティメントニ長調
モーツァルト:ファゴットとチェロのためのソナタ
ピアソラ/ジャクソン編曲:タンゴ組曲
アンコール:ガーシュウィン・メドレー

 ファゴット:黒木綾子、フィリップ・トゥッツァー、リッカルド・テルツォ
賛助出演 ファゴット:野村和代、パーカッション:西田尚史

 曲によって二重奏から四重奏と幅広い選曲でしたが、最後のタンゴにはパーカッションも加わっての、多彩なプログラムでした。楽器を自在に操るテクニックとともに、いつも一緒にやっているもの同士の阿吽の呼吸、見事というほかありませんでした。オーケストラの楽器の中で、もっともにとの声に近い音色といわれることがありますが、誰が聴いても自然に耳に入ってくる音色。とは言っても、曲によって少しずつ色が異なり、そこが演奏の解釈なのでしょう。

 5曲目の二重奏も、ファゴット二人によるもの。この曲はもともとアマチュアの演奏家のためにつくられたということもあり、私も学生時代にやったことがあります。聴いていると自然に楽譜が頭に浮び、自分と比較するのがまちがっていますが、自由自在とはこういう演奏をいうのかと圧倒されました。

 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団は、毎年8月にザルツブルクで行われる「ザルツブルク音楽祭」という、クラシック音楽の世界ではおそらく世界で最も有名な音楽祭(約1ヶ月にわたって、多くのコンサートが開催されます)のホストオーケストラです。もちろん実力も折り紙付き。今回演奏された黒木さんを含めて、日本人奏者も何人かいるはずです。

名フィル定期(第458回):《戦争と平和》

 6月の名フィル定期は15,16日、トルストイ『戦争と平和』をテーマに
プロコフィエフ:歌劇『戦争と平和』序曲
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ長調
プロコフィエフ:交響曲第7番嬰ハ短調『青春』
ピアノ独奏:小山実稚恵
指揮:小泉和裕(名フィル音楽監督)
のプログラムでした。

 トルストイの『戦争と平和』の題名は誰でも知っているでしょう。恥ずかしながら、これまで読んだことがなく、今回を気に手にとってみたものの、あまりに長大で2ヶ月かかっても終わりません。18世紀初頭のナポレオン戦争で揺れるロシアの貴族社会が舞台。題名の通り、戦争の悲惨さや平和のありがたさ、人の命や生きがい、帝政ロシアの社会が抱える矛盾など、様々なことが描かれています。ロシアでは、日本で言う中学生の年代で読むそうです。邦訳は手に入りやすいところで、岩波文庫と新潮文庫が手に入りやすいようですが、1冊500ページ前後で5分冊または6分冊。岩波は関連する地図や登場人物紹介などが付録されていますが、いかんせん訳があまりにも読みにくく、遅々として進みません。幸い映画やドラマが何種類があり、レンタルできます。4時間を越える長編でしたが、ストーリーだけは頭に入れて臨めました。

 20世紀前半にロシア~旧ソ連で活躍したプロコフィエフは、この大作をオペラ化。実演奏時間4時間に及ぶこともあってか、ロシア国内はともかく、上演頻度はそれほど高くないようです。
 
オペラの序曲は上演のオープニングに演奏される音楽です。オペラ全体のイメージを伝えたり、オペラの中で使われるメロディーを予告したりする役割を持っています。全体を聴いていないので分かりませんが、ファンファーレで始まり、壮大な雰囲気で、大作のオープニングにふさわしい曲です。オーケストラは曲に併せた大編成、金管楽器の響きが印象的でしたが、弦楽器がよくなっていました。

 2曲目のチャイコフスキーの協奏曲は、特に冒頭があまりにも有名でどこかできいたことがあるでしょう。
この演奏は歴史的な名演だと思います:https://www.youtube.com/watch?v=t6P7vcRFRj0

 先々週に続いて聴いた小山さんのピアノは、やはり力強くてオケとも対等に渡り合う演奏は聴き応えがありました。3楽章構成で、30分あまり。技術的には必ずしも難曲の部類には入らないようですが、ピアノ独奏にはほとんど休みがなく、体力的にもきついでしょう。もちろん、スコアを見る限り、素人目にはとても二本の腕、10本の指で弾けるとは思えません。

 会場が市民会館に移ってから、弦楽器があまり響かなくなったような気がしていました。今回は指揮者・小泉の棒のせいか、かなり分厚くなっているような気がしました。チャイコフスキーの曲はいろんな楽器で音が重なるようにつくられているため、全体がバリバリと響かないと雰囲気が出てくれません。ピアノ、弦楽器、管楽器の掛け合いのような部分など、流れはもちろんのこと、音量のバランスもよくとれていました。

 小山さんのチャイ・コンでお客さんもかなり入るかと思いましたが、先月と比べるとやや入りが悪く残念でした。

 来月は、ボードレール『悪の華』にインスパイアされたデュティユーのチェロ協奏曲と、シェークスピアの『夏の夜の夢』の劇音楽(メンデルスゾーン)です。

名大のキャンパスコンサート

 水曜日(6月13日)の夕方、名大の豊田講堂で、名大と愛知県立芸大の主催の「キャンパスコンサート」で
ピアニスト、ケヴィン・ケナーのリサイタルがありました。

 毎年2~3回のペースで、主にピアノまたはピアノを含むアンサンブルのコンサートがあります。入場料は無料です。稀ですが、一流の演奏家が招かれることもあり、今回のケナーはアメリカ出身、1990年にショパンコンクール最高位、チャイコフスキーコンクールで入賞を果たした経歴を持ち、世界中で活躍をしているそうです。

 ピアノのコーンクールでは、ショパンコンクール(ワルシャワ、5年ごと)とチャイコフスキーコンクール(モスクワ、4年ごと)、そしてエリザベート王妃記念(ブリュッセル、各年1楽器で4年ごと)がよく知られています。1990年はちょうど、ショパンコンクールとチャイコフスキーコンクールが同時に行われた年です。20年に1回、同じ年ですね。

 豊田講堂は1500席くらいあるはずですが、県芸の学生や名大の近くにお住まいと思われる方など、ほぼ満席。

 プログラムはショパンの作品と、ショパンと同じポーランド出身の作曲家パデレフスキの作品でまとめられて、
ショパン
前奏曲嬰ハ短調 作品45
ポロネーズ第5番嬰ヘ短調 作品44
《3つのマズルカ》作品63
《4つのマズルカ》作品68より 第4曲 (ケナー編)
バラード第4番ヘ短調 作品52
パデレフスキ
《作品集》作品16より第4曲「夜想曲」
《6つの演奏会用ユモレスク》作品14より 第6曲「楽興の時」
ピアノ・ソナタ変ホ短調 作品21

アンコールもパデレフスキの作品で
メヌエット作品14−1
カプリス作品14−3
の2曲でした。

 ケナーは1963年生まれで、演奏家としては脂ののったと言ってよいでしょうか。長身ですが、ピアニスト特有のやや猫背。大きな身振りはなく、静かに鍵盤に指を触れているような感じでした。音量の幅は大きく、時に激しいフレーズもありますが、後ろ姿は淡々としていました。

 ショパンをたとえて「ピアノの詩人」と言います。いろんな意味にとることができると思います。今回の演奏は、ショパンが書いた詩を、ケナーが朗読されているのを聴いているような気分になりました。感じるままに音にしているような、飾り気のない演奏でした。

 パデレフスキは、今回初めて名を聞いた作曲家です。19世紀後半から20席前半に活躍したピアニストにして政治家。今回演奏された曲を聴く限り、卓越したテクニックを持つすばらしいピアニストだったようですが、同時に第一次世界大戦後のポーランド共和国の首相も務めたそうです。

 最後に演奏されたピアノ・ソナタは、激しい中にロマンチックな香りがして、非常に聴き応えがありました。また是非聴いてみたい曲です。

METライブビューイング《サンドリヨン》

 時間がたってしまいましたが、今シーズンのMETライブビューイングは5月末からの
マスネ:歌劇《サンドリヨン》
で終わりました。
 サンドリヨンとはフランス語で、「シンデレラ」の意。誰もが知るこの物語を19世紀のフランスの作曲家、マスネがオペラに仕立てました。同様の題材で、ロッシーニも《チェネレントラ》を作曲しています。

 皆さんの知っている物語はどのようなものでしょうか。おばあさんの魔女が出てきて、カボチャの馬車がシンデレラを運んでいきますか?

 やや筋立ては異なっていますが、ハッピーエンドに違いなく、楽しく見ていることができます。主人公のサンドリヨン(シンデレラ)はなぜかソプラノではなく、メゾ・ソプラノ。アメリカの第一人者、ジョイス・ディドナートがすばらしい歌唱と演技を披露しました。また、この作品には魔女のかわりに妖精が登場し、コロラトゥーラ・ソプラノという、高音部を超絶技巧で歌う役どころです。キャサリーン・キムがこれまた見事でした。

 今回の上演は演出が非常にこっていて、あっという間に時間が過ぎていきました。なかなか文字で表現できませんが、このオペラの初演の時の演出とは全く異なっているはずなのに、最初からこの演出でつくられていたのかと思うほどぴったりで、不自然に感じるところが全くありませんでした。

 さて、METのライブビューイングは映画館での上映ですが、1年遅れでWOWOWで放送されています。WOWOWを契約している方は是非番組表で確認して下さい。再放送も含めて、月に3~4回の放送があります。

 来シーズンは、現地では9月から、日本のライブビューイングは11月から始まります。すでにプログラムも発表されています(ここ;http://www.shochiku.co.jp/met/news/808/)。1演目¥3,600、3~4時間ですので、普通の映画2本分の時間だと思えば納得いくのではないでしょうか。

小山実稚恵リサイタル

 6月2日(土)に、栄・宗次ぐホールで
小山実稚恵『音の旅』アンコール公演
がありました。

 12年間続いた『音の旅』シリーズが昨年秋に終わりました((
2015年10月・小山実稚恵リサイタル:ゴルトベルク変奏曲2013年10月・小山実稚恵ピアノリサイタル2010年6月・ショパンとシューマン))。これまでにも何度か聴きに行ったシリーズで、昨年11月の最終公演もほぼ満席でよい演奏会でした(ここ;小山実稚恵リサイタル)。人気のシリーズだったこともあり、今回はアンコール公演。プログラムは、
バッハ(ブゾーニ編曲):シャコンヌ
シューマン(リスト編曲):献呈(歌曲集『ミルテの花』第1曲)
ラフマニノフ:ソナタ第2番
ショパン:舟歌
ベートーヴェン:ソナタ第32番
でした。

 プログラムされたのは、いずれもシリーズで演奏された曲です。ピアノ曲としては必ずしも有名な曲ばかりではありませんが、全く表情の異なる曲ばかりで聴き応えがありました。

 宗次ホールはわずか310席の小さなホールで、コンサートピアノの音量はやや過剰にきこえる瞬間もありました。その分迫力もあり、音の響きにどっぷりとつかっているような気分に浸れました。

 来週の名フィル6月定期でも小山実稚恵さんがソリストとして、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾かれます。個人の演奏家としては、おそらく最も聴いた演奏家でしょう。18世紀のバッハから20世紀のラフマニノフまで、実に様々なジャンルの曲を聴きました。同じ曲を異なった演奏家で聴き比べをすることとともに、同じ演奏家、オーケストラで様々な曲を聴くことができるのがクラシック音楽の醍醐味です。聴けば聴くほど、さらに聴きたくなり、知れば知るほどもっと知りたくなります。

東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会

 今週は木曜日の授業の後で休暇を取り、一泊二日で東京へ行きました。主目的は他にあるのですが、ついでに何かコンサートをと探したら、東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会がありましたので、聴きに行きました。

 第908回定期演奏会で、六本木のサントリーホールで
ボロディン:歌劇《イーゴリ公》より“ダッタン人の踊り”
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番『革命』
ヴァイオリン独奏:パヴェル・ベルマン
指揮:アンドレア・バッティストーニ
でした。

 略して「東フィル」と呼ばれていますが、1911年創設の日本で最も長い歴史を持つプロのオーケストラです。もとは名古屋の松坂屋の前身であるいとう呉服店の少年音楽隊で、名古屋管弦楽団、松坂屋管弦楽団などとして活動後、東京へ本拠を移して戦後に現在の名称になって続いています。

 今回の指揮者のバッティストーニは1987年、イタリア・ヴェローナ生まれの俊英で、2016年から東フィルの首席指揮者として活動をともにしています。見ているだけで熱くなるような若々しい指揮ぶりで、聴衆にも人気があるようです。NHKの教育テレビ(Eテレ)で、毎週金曜日の午後9時半から「らららクラシック」という番組があります。クラシック音楽を紹介するバラエティ番組ですが、バッティストーニ/東フィルがよく演奏しています。是非一度ご覧下さい。

 今回のチラシには「ロシアに吠える」と副題がついていて、ロシア出身のヴァイオリニストを迎えて、ロシア帝国時代あるいはソ連時代の代表的な作曲家の作品が取り上げられました。

 「ダッタン人の踊り」はほとんどの方がどこかで聴いたことのあるでしょう。作曲者ボロディンの代表作で、非常に有名な曲です。題名の通り、もとはオペラの中でのおどり、舞台上ではバレエとして演じられる部分の音楽です。抒情的なメロディーや激しく力強いリズムが刻まれる部分など、彩り豊かな演奏でした。

 作曲者のボロディンは19世紀、帝政ロシア時代の「ロシア五人組」と呼ばれるグループに属する作曲家ですが、本業は化学の研究者。首都であるサンクトペテルブルクの医科大学の化学、生化学の教授を務めていました。ボロディン反応(またはハンスディーガー反応)という、有機化学では有名な化学反応の発見者としても名を残しています。

 ショスタコーヴィチの名前は音楽の授業でも紹介されると思います。旧ソ連時代の最も有名な作曲家。1975年になくなっていますので、第二次大戦前からソ連音楽界の中心にいた人物ですが、非常に厳しい人生を送っています。当時のソ連は、教育の分野では全てが無償化されて先進的な制度を作っていますが、芸術分野に政治が介入するなど、自由な作曲家道は必ずしも保証されていませんでした。そんな中で、ショスタコーヴィチは身の危険を感じながらも、多くの名曲を作曲しています。そんな中でも今回取り上げられた2曲は名曲として現在でも演奏頻度が高い作品です。

 ヴァイオリン協奏曲は、ソリストのベルマンの、一見淡々と演奏しているように見えながらも、緻密で計算し尽くされたような表現、そして色彩豊かな音色に聴き惚れました。協奏曲は通常は3楽章構成で、テンポで分けると、急−緩−急という順に並べるのが一般的です。しかし、この曲は4楽章構成で、緩−急−緩−急と並んでいます。ショスタコーヴィチ流の皮肉なのか、反抗なのか。ベルマンの演奏は1楽章や3楽章は針の穴を通しているような繊細な音色でじっくりと聴かせ、終楽章では幅広くホールの床を這うような音でオケと一緒に鳴らし、実にすばらしい時間でした。

 交響曲第5番は、表題のように、ロシア革命を祝祭する意味も込めて作曲されたとされています。作曲者の本心がどうであったのか、今も議論のあるところです。20世紀の作曲家だけに、いろんな言葉や手紙が多く残され、作曲にあたっての思惑などが様々に語られ、演奏家もそれらに左右されてきたようです。

 今回の演奏では、そうした様々な解釈はさておき、とにかく楽譜をよく読んで素直に演奏しようという指揮者の意欲を感じました。若い世代だけに、よりそうした解釈がしやすいのかもしれません。作曲者の意図をついつい考えてしまうためか、ショスタコーヴィチはどうも苦手でした。しかし、今回のような演奏に接すると、まずは音楽に素直に向き合うことが何よりも大切であることを思い知らされます。

 サントリーホールは、日本で最初に作られたクラシック音楽のためのコンサートホールです。東京のオーケストラはもちろん、外来のオーケストラなどもよく使っていて、NHKなどで放送されるコンサートでもなじみのあるホールです。最近の名フィルのコンサートが金山の市民会館(本来は栄の愛知県芸術劇場コンサートホールがメインです)ということもあり、ホールの音響の違いを痛感しました。オーケストラのコンサートでは、ホールも楽器の1つです。

名フィル定期 第457回定期

 今シーズン2回目、5月の名フィル定期は18,19の両日に名古屋・金山の市民会館で18,19日に〈バイロン/マンフレッド〉をテーマに
モーツァルト:ホルン協奏曲第1番ニ長調
モーツァルト:歌劇《皇帝ティートの慈悲》序曲
モーツァルト:ホルン協奏曲第4番変ホ長調
チャイコフスキー:マンフレッド交響曲
ホルン独奏:アレッシオ・アレグリーニ
指揮:ユベール・ズダーン
というプログラムでした。

 テーマのバイロンは1788年にイギリスで生まれた詩人で、当時のヨーロッパの多くの芸術家が彼の作品にインスピレーションを得て作品をつくっているようです。中でも、劇詩である「マンフレッド」は同名の管弦楽曲をシューマンとチャイコフスキーが作曲しています。

 アルプスの山中を舞台に、騎士マンフレッドが過去の悲しい記憶を忘れるための方法を精霊に求めるものの、与えられず、死を望み息を引き取るまでを描いています。邦訳は岩波文庫版(小川和夫訳)がありますが、現在は版元でも品切れのようです。大学の図書館で借りて読んでみました。1960年第一刷発行で、読めない漢字や初めて見る語などもあり、非常に読みにくい。独白も長く、恥ずかしながら、なかなか感情移入できず。チャイコフスキーの曲のほうがロマンチックに感じます。

 今回の指揮者ズダーンは1946年、オランダ生まれ。東京のオーケストラで長く常任指揮者を務めたいて日本国内でも任期がありますが、なによりもベルリン・フィルを初めとして世界の有名なオーケストラでタクトをとっている実力者です。時折かけ声も響くなど、指揮者の息づかいも感じれる中、オケを自在に操っている様に感じました。まるで、オケの奏者一人一人に手綱をつけて操っているかのようでした。こんな風に感じる指揮者はこれまでそれほどいませんでしたから、ズダーンはさすが。

 「マンフレッド」は交響曲と題しているだけに、通常通り中間に緩徐楽章の入る4楽章構成。チャイコフスキーは番号付きで6つの交響曲をつくっていますが、これらはいずれも特に具体的なイメージのない絶対音楽です。特に有名なのは後半の4つ、中でも最後の第6番は名曲中の名曲です。名フィルでも、昨シーズンの最後、今年3月に取り上げられました。この曲は第5番(今シーズン、来年2月に取り上げられます)とほぼ同時期に作曲されていますが、具体的な文学作品の内容をイメージできるように作曲されているだけに、番号をつけずに初演されました。冒頭のファゴットによって奏される主人公を表すフレーズを中心に、次々をメロディーが繰り出され、楽しく聴いていられます。名フィルもズダーンの握る手綱に操られて、一糸乱れぬ演奏でした。チャイコフスキーの曲では、特に管楽器が次々とフレーズを交代してつないでいくことが多いため、個人の技量はもちろんのこと、アンサンブルの力量が問われます。プロとはいえ、やはり差はありますが、見事でした。

 今回のソリストであるアレグリーニは現代を代表するホルン奏者。イタリア生まれで、現在はローマに拠点があるイタリア最高のオーケストラである聖チェチーリア国立管弦楽団の首席奏者を務めていますが、世界中のオーケストラからソリストとして引っ張りだこのようです。どんな楽器も奏者によってそれぞれ音色が異なります。これまで名フィルで聴いた超一流のホルン奏者達とは音のタイプが異なっていました。ホルンはヨーロッパの森での狩りの合図に使われていた角笛ですが、アレグリーニの音はまるで遠くの森で鳴っているかのような音色。細かく音が動くパッセージやなめらかなフレーズなど、音色と音量を自在に操り、テクニックもすばらしい。また、アンコールで演奏したロッシーニの「狩りのファンファーレ」など、驚くほどいろんな表情を表現していて、ホルンという楽器の奥深さを知りました。聴きに行ったかいがありました。

こんな方です。
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 今回はチャイコフスキーの「マンフレッド」をメインとして、彼の大好きなモーツァルトを組み合わせるというプログラムでした。モーツァルトの3曲はやや小編成で、指揮者も台に乗らず、弦楽器はあまりビブラートをかけずに演奏。ピリオド奏法という、19世紀前半以前の曲を演奏する場合に時々使われる演奏方法です。名フィルはあまり得意ではないと思いますが、指揮者の指導のたまものでしょうか、いい音が響いていました。2曲目の序曲では、歯切れもよく、管楽器もよくまとまっていて、なかなかいいハーモニーでした。

 次回は6月15、16日で、同じく金山の市民会館。テーマは「トルストイ《戦争と平和》」。プロコフィエフが作曲した同名のオペラの序曲の他、日本を代表するピアニストである小山実稚恵さんのソロでチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。

名フィル定期(第456回):《死の家の記録》

 オペラもいいのですが、出発点はオーケストラです。月に一回、名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴きに行っています。名フィルは1966年創立で、現在は小泉和裕が音楽監督を務め、活動の中心である定期演奏会は8月をのぞく年11回、毎月同じプログラムで2回の演奏会が行われます。4月から翌年3月を一シーズンとして、毎年テーマを決めてプログラムを組んでいます。会場は名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールです。ただし、今年11月までは改修工事中のため、金山の名古屋市民会館大ホールです。

 今年のテーマは《文豪クラシック》、多くの文学作品をテーマとした管弦楽曲が作られています。これらを中心にしてプログラムが組まれ、国内外の一流演奏家をソリストを迎えての演奏会です。

 今シーズン第1回目は4月19,20日で、〈ドストエフスキー/死の家の記録〉をテーマに
ヤナーチェク(イーレク編曲):歌劇《死者の家から》組曲
伊福部昭:マリンバとオーケストラのためのラウダ・コンチェルタータ
ゴレミノフ:弦楽のための5つのスケッチ
ヤナーチェク:シンフォニエッタ
マリンバ独奏:大茂絵里子
指揮:ロッセン・ゲルゴフ

 ドストエフスキーは『罪と罰』や『カラマーゾフ兄弟』などが有名な作家です。1821年生まれで、1881年になくなっています。帝政ロシア時代の終末期ですね。トルストイやツルゲーネフとほぼ同世代です。『死の家の記録』は代表作に先立って執筆されたものです。ドストエフスキーは自由主義者として帝政ロシア当局に逮捕され、いったん死刑判決を受けます。その後恩赦によって減刑されて、シベリアに数年間流刑されます。このときの経験を基に書かれたのが『死の家の記録』で、本人をモデルにしたと思われるインテリの囚人の語りとして流刑地での囚人達の生活の様子が描かれています。ドキュメンタリーのような内容ですが、何ともいえず暗い話で、あまり大きな起伏もなく話が進みます。囚人達の出自にはじまり、罪状、あるいは強制労働の様子、監視人達の振るまいなどが綴られ、とてもオペラに向いているとは思えないストーリーですが、チェコの作曲家ヤナーチェクは自ら台本を執筆して成功を収めました。

 今回1曲目で演奏されたのは歌劇の音楽を抜粋して3曲にまとめたもの。ヤナーチェクの故郷であるチェコ東部・ブルノの指揮者であったフランティシェク・イーレクの編曲です。歌劇の序曲をほぼそのまま冒頭に置き、途中に描かれる祝日に演じられる囚人達の素人芝居の音楽などが続きます。管楽器の響きが印象的ですが、打楽器も一日の作業の始まりと終わりを表しているかのような銅鑼(楽器の名称としてはタムタムといいます)の音や、囚人達の手足につけられた手かせ、足かせの鎖の音などを織り込んでいます。時折入る弦楽器のソロも見事でした。CDで聴いているとよく分からなかったのですが、かなりソロが目立ちます。

 2曲目は日本人作曲家の作品です。伊福部の名前は知らなくても、彼の作曲した曲は誰もが耳にしたことがあるでしょう。映画『ゴジラ』の音楽を作曲しています。あのゴジラ登場の音楽も伊福部の作曲です。今回の作品はマリンバを独奏楽器とした協奏曲のような作品です。「ラウダ」とはイタリア語で「頌歌」という意味だそうで、神をたたえる歌を表しています。マリンバは大型の木琴といった楽器で、鍵盤が大きくて共鳴筒がついてるため、大きなホールでも十分に響きます。ソリストの大茂は愛知県立芸術大学卒業で、現在アメリカを拠点に世界中で活躍しているそうです。舞台映えする容姿でマレットを叩く姿はかっこいいですね。30分近い曲で、楽章の切れ目がないため、ソリストもほとんど休みなしにたたき続けている必要があります。何度がマレットを交換して音色を調整する繊細さ、コーダ部分でおよそ2分半ほど強打を続けるパワーには圧倒されました。

 一般的なオーケストラのコンサートは約2時間ですが、途中15~20分ほど休憩が入ります。後半はその日のメインとなる曲が演奏されますが、今回は2曲が取り上げら得れました。

 指揮は、音楽監督の小泉が3回振るほかは、毎回異なった指揮者が客演します。今回はブルガリア人のゲルゴフ、1981年生まれという若手。ヨーロッパではかなり活躍していて、名フィルにも定期演奏会以外で数回客演しているようですが、私は今回初めて聴きました。小澤征爾の薫陶を受けているようで、日本との縁も薄くはありませんね。

 3曲目は、母国ブルガリアの作曲家の作品を是非とも紹介したいという指揮者の提案で取り上げられたようです。1952年初演とのことですが、耳なじみのよい曲です。弦楽器だけの均質な音色で、しっとりと心にしみる演奏でした。CDなどが出ていないため、もう一回聞き直すことはできないところが残念です。

 さて、メインは1曲目と同じヤナーチェクの作品。村上春樹の「1Q84」で随所に登場する曲です。小説が発表された当時、クラシック音楽愛好家の中ではかなり話題になりましたが、編成が特殊であるだけに生演奏を聴けることになるとは思ってもいませんでした。

 「シンフォニエッタ」とは「小交響曲」の意。演奏時間30分未満で、交響曲と思えば短めではありますが、形式は全く異なります。交響曲の多くは4楽章構成で、第1楽章がソナタ形式、第2楽章が緩徐楽章、第3楽章が舞踊形式、そして第4楽章がフィナーレでロンド形式などが多用されます。ところが、シンフォニエッタは5楽章構成で、各楽章に表題が付き、形式的にもランダムです。とりわけ、第1楽章は通常のオーケストラの編成以外の13名の金管楽器とティンパニによるファンファーレ。迫力もあり、ブラスのアンサンブルを堪能できましたが、自由な発想による組曲形式と思って聴いていた方がわかりやすいかもしれません。CDで何種類か聞き比べてみると、テンポや楽器ごとの音量のバランスなどにかなり差があります。今回の演奏もやや管楽器の響きが大きく、弦楽器の厚みが感じられませんでした。また、金管楽器のハーモニーはきれいで全体としてはいい演奏でしたが、やや躍動感に欠けるところがあったり、オケが指揮者について行けていないようなところがあったりしました。

 「1Q84」では2種類の演奏のLPが取り上げられています。1つは、ジョージ・セル指揮、クリーブランド管弦楽団の演奏、もう一つは小澤征爾指揮のシカゴ交響楽団です。前者はバルトークの「管弦楽のための協奏曲」とのカップリングで、そのままCDになっています。ともに名演です。

 今シーズンは毎回名作文学をテーマとしてプログラムが組まれるため、予習をかねてこれらの作品を読破することを目標にしたいと思います。来月は19世紀のイギリスの詩人・バイロンの「マンフレッド」です。

METライブビューイング ロッシーニ《セミラーミデ》

 先週土曜日からMETライブビューイング第7作目、ロッシーニ作曲の歌劇《セミラーミデ》が上映されています。金曜日までですが、どなたか観に行かれましたか?

 舞台作品を録画して映画館で上映して、生の舞台を見る機会のない多くの人々に見てもらおうという試みが歌舞伎やミュージカルなどで広がっています。日本では《ライブビューイング》を呼ばれていることが多いですが、その先鞭をつけたと言っていいのが、ニューヨークにある現代を代表する歌劇場であるメトロポリタン歌劇場(The Metroporitan Opera House; 通称MET)の企画です。アメリカでは”MET live in High Difinition”と呼ばれています。国内では松竹系で配給され、字幕などをつける都合で現地より2~3週間遅れますが、各地で1週間上映が続けられます。東海地方では名駅のミッドランドスクエア・シネマで上映されてます。HPはここです:
http://www.shochiku.co.jp/met/

 現地でのシーズンは9月から5月までですが、国内でのMETライブビューイングは11月から6がつ初めです。

 今回の作品は、19世紀初めに活躍したイタリアの作曲家ロッシーニの作品。《セビリアの理髪師》は題名はご存じでしょう。喜劇を中心に手がけていた作曲家ですが、《セミラーミデ》や《ウィリアム・テル》などシリアルなストーリーのオペラ(オペラ・セリア、正歌劇と訳されます)もいくつかつくっています。彼の活躍した時代のオペラは「ベル・カント・オペラ」と呼ばれることもあり、18世紀にモーツァルトなどによって確立されたイタリア語のオペラをさらに練り上げ、ストーリー性を持たせながらも、歌手により高度な技巧を求めるように作曲されています。”Bell canto”はイタリア語で「美しい歌」というような意味です。

 さて、今回の《セミラーミデ》は古代のバビロニアを舞台にした王位をめぐる争いをメインストーリーとして、敵討ちと母子の争いを絡ませた物語です。ストーリーはとりあえず起きますが、中心となる歌手として
ソプラノ1人:主人公であるバビロニア女王・セミラーミデ(アンジェラ・リード)
メゾ・ソプラノ1人:若き軍人で、実は死んだと思われていたセミラーミデは息子・アルサーチェ(エリザベス・ドゥシュング)
テノール1人:バビロニア王の座を狙っているインド王・インドレーノ(ハヴィエル・カマレナ)
バス1人:時期王位を狙うセミラーミデの重臣・アッスール(インダール・アブドラザコフ)
と、代表的な音域を全てカバーし、それぞれがいずれも超絶技巧を要求される難曲。歌手をそろえることが難しく、METほどの超一流歌劇場でも今回は25年ぶりの上演とか。今作はCDも持っていないため、今回が初めて視聴でした。

 実際に聴いてみないとわかりにくいですが、それぞれの常識的な音域を越える高音を聞かせるかと思えば、非常に細かな動きをこなし、とても人間業とは思えない演奏でした。これまでにいろんなオペラを見て来ましたが、技術的な難易度は非常に高い作品です。どの出演者も最初のアリアではやや??と感じるフレーズもありましたが、徐々に調子を上げて、途中からは圧巻でした。

 オペラの魅力は歌だけではなく、オーケストラの演奏や合唱、そして舞台美術と出演者の衣装です。演劇性も含めて「総合芸術」と呼ばれる所以です。今回は25年前の舞台をほぼ再現しているようで、衣装も金色を基調とした重厚感のあるもの。時代考証的には完全におかしいのですが、それを感じさせないところが舞台の良さ。石造りの柱や石棺を思わせる道具類や直接炎を上げる演出も圧倒されました。

 次回は5月5日からの1週間。モーツァルトの名作《コジ・ファン・トゥッテ》です。ストーリーはやや滑稽ですが、モーツァルトの音楽、とりわけ重唱のすばらしさを十二分に味わうことができます。

マリア・ジョアン・ピリス ピアノリサイタル

 いよいよ新学期も始まりましたが、春休みの最後はピアノのリサイタルでした。
 4月8日・日曜日、岐阜・サラマンカホールでポルトガル出身のピアニスト、マリア・ジョアン・ピリス(マリア・ジョアン・ピレシュと表記されることも多いようです。ポルトガル語表記では、Maria João Alexandre Barbosa Pires)のリサイタルがありました。現代を代表するピアニストの一人で、たびたび来日しているようですが、生で聴くのは今回が初めてです。そして、今回の日本ツアーは、引退前のラスト・ツアーということで、最後の機会となってしまいました。公式HPはここ:https://www.universal-music.co.jp/maria-joao-pires/です。

 74歳、早いような気もするのですが、今回のプログラムは
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第12番 ヘ長調
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調
と、通常のリサイタル・コンサートに比べると演奏時間はかなり短め。慮るに、体調が思わしくないのでしょうか。

 演奏スタイルは実に自然体で、音楽を素直に表現しようとしているように感じました。衣装も普段着のようなラフなスタイル。演奏中も大きな身振りもなく、ただピアノと一体になるために向かっているかのよう。しかし、音と力強く、線も太い。

 前半のモーツァルトは指ならしの意味もあったのでしょうか、淡々と、しかし確実に鍵盤を叩いているようにも聴こえました。それほど起伏の激しい曲ではありませんが、その分親しみやすく、いかにもモーツァルトという曲です。12番の方はテクニカルにもそれほど難易度は高くないようですが、どなたかひいたことがある方はいらっしゃいますか?

 モーツァルトは軽やかで輝くような音色の演奏が好みでよく聴きますが、ピリスの太い音で聴くと全く別の曲を聴いているようです。こんなモーツァルトもあるのかと感じました。しかし、しばらく聴いていると耳になじみ、音に抱かれているような気分でいい気持ちでした。気持ちよすぎて、やや意識が遠くなったような。

 この日のメインはなんといっても休憩後のベートーヴェンです。ベートーヴェンというと交響曲のイメージが強いですが、作曲活動の柱の1つはピアノ・ソナタです。32番はその最後の作品。2楽章構成でありながら、演奏時間は25分以上。特に第2楽章は変奏曲形式で、ジャズのような雰囲気のところもあれば、静かに淡々と音が刻まれるところもあり、さまざまな表現を要求する曲です。技術的にも難しいようですが、ピアノ・ソナタとしては時代の常識を越えた作品です。

 実は半年前にもこの曲を聴く機会がありました。小山実稚恵さんという、日本を代表するピアニストの演奏(ここに記録があります)でしたが、音色も表現も全く違い驚きました。演奏者と楽器がまるで1つになっているかのようで、耳も目も釘付けになりました。第2楽章の、とりわけ後半は内省的で自問自答しているかのようで、ベートーヴェンの音楽の深い精神性を表現するとともに、ピアノ曲の究極を探っているかのような演奏。まるで演奏者ピリス自身の音楽人生を語ってくれているかのようでもありました。聴きに行ったかいがありました。

 しばらく日本にいて各地で演奏するようです。来週末には東京でNHK交響楽団の定期演奏会でベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番が予定されています。たぶん、6月頃にNHK・Eテレのクラシック音楽館(日曜日午後9時)で録画が放送されると思います。

METライブビューイング《ラ・ボエーム》

 先週土曜日(3月31日)から、今シーズン第6作目、プッチーニ作曲歌劇《ラ・ボエーム》が始まっています。今週の金曜日までですが、朝と夕方の2回公演です。今回の配役は若手歌手中心でビッグネームをあえて起用していません。中心になる役柄は4人ですが、それ以外の登場人物にも重要な役割があり、音楽を超えたアンサンブルが重要な演目です。大物に頼らないことが非常に良い効果を産んでいたように思います。

 19世紀半ばのパリの下町、カルチェラタンと呼ばれる地域が舞台です。現在も大学があるなどパリの中心に位置し、学生街として知られていますが、当時も若者が多かったようです。題名の《ラ・ボエーム》は英語で言えば”The Bohemian”、ロマの人たちをさすこともありますが、ここでは「社会の習慣に縛られず,芸術などを志して自由気ままに生活する人」(大辞林)と言う意味でしょう。まさに、その通りの若者達が主人公の物語です。

 ストーリーはすでに書いているのでそちらに譲りますが、4幕構成で、各幕がおよそ30分ずつ、起承転結がはっきりしていて、展開のわかりやすさはこの作品の魅力の一つです。そして、登場人物である若い芸術家たち、今でいえばちょうど大学生であろう彼ら、彼女らの振る舞いを見事に描いていることも見逃せません。あまりに《ボヘミアン》で、なにやらイライラした気持ちにもさせられますが、やはり清々しい気持ちにさせてくれます。そして、なによりも最大の魅力は登場人物の感情や行動に合わせたプッチーニの音楽です。特に、第4幕でヒロインが息を引き取った後は何度視ても聴いても胸がつまります。

 今回の指揮者はイタリア人のマルコ・アルミリアート、イタリアオペラの指揮では定評があります。

名フィル定期(第455回)トリノ/《悲愴》

 今月の名フィル定期は3月16日、17日に金山の名古屋市民会館大ホールで行われ、
《トリノⅡ/小泉和裕の『悲愴』》と題して、名フィル音楽監督小泉和裕の指揮で
ベートーヴェン:劇音楽『エグモント』序曲
チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調『悲愴』
チェロ独奏:エンリコ・ディンド
でした。

 今回のテーマである「トリノ」の出身であるチェリストを迎えて、今シーズンの最後を小泉得意のチャイコフスキーを中心にしたプログラムで締めくくりました。

 最初のベートーヴェンは、ゲーテが書いた同名の戯曲の上演のための劇付随音楽です。オランダの独立戦争で闘った実在の人物を描いたストーリーのようですが、残念ながら読んだことがありません。全体が演奏されることはあまりなく、この序曲だけが単独でよく演奏されます。私も学生時代に一度演奏会でやりました。大きく3つの部分からなり、基本的なオーケストラの編成です。最近の演奏会では20世紀の曲が多かっただけに、19世紀初めに作曲されたこの曲は落ち着いた響きにきこえました。一つ一つの音が立っていて、非常によくまとまった演奏でした。

 2曲目は20分程度の曲ですが、チェロの独奏を伴う協奏曲風で、チャイコフスキーらしいメイロディカルな聴きやすい曲です。メインの『悲愴』が重たいだけに、非常によい組み合わせでした。そして、何よりも今回の独奏者・ディンドの音色が非常に優しく、また暖かく包み込んでくれるような演奏でした。チェロの独奏を伴う曲は毎年1,2曲取り上げられますので、これまで何人も聴いています。その中でもディンドはとりわけふくよかな音色でした。ぜひCDを手に入れて、他の演奏もいろいろ聴いてみたいチェリストです。

 題名の「ロココ」とは、バロック(音楽史で言えばバッハに代表される17世紀から18世紀前半)とその後に起こったバロック以前の古典的な潮流(音楽史ではこの時期が古典派と呼ばれ、ベートーヴェンに代表される18世紀後半から19世紀初頭)の間に位置する優美で繊細な芸術思潮ですが、チャイコフスキーにとってはモーツァルトがその象徴だったようです。時代的にはぴったりですが、モーツァルトとチャイコフスキーの共通点は、音楽史上屈指のメロディーメーカーというところでしょうか。

 休憩をはさんで後半は『悲愴』。表題があまりにも有名ですが、40分あまりの曲を最後まで聴き通すと、表題の通り、悲しくていたたまれない気持ちになります。

 交響曲の一般的な構成である4楽章から成っていますが、3楽章目で大きく盛り上がっていったん終わったような気分にさせられます。そして、第4楽章がアダージョ・ラメント−ソ(Adagio Lamentoso)、「嘆きのアダージョ」と呼ばれる、それまでの交響曲の常識を覆す暗く陰鬱な音楽で終わります。『エグモント』の作曲者であるベートーヴェンの交響曲などと比べるとは、同じジャンルとは思えないです。始まりもやや特異で、第1楽章冒頭は低弦の音にのってファゴットが「ため息の動機」とよばれるメロディーを奏でます。少し怒りを含んだため息だったのでしょうか、やや割れたような音で、感情を抑えているかのような演奏でした。

 オケにとって技術的にも決して簡単ではありません。しかし、何よりも全体としてどのように表現するかは非常に難しい曲です。誰もがよく知っているからということもありますが、誰もが共感できる「悲愴」を音で表すのは大変です。

 チャイコフスキーの曲はテンポの変化や音量の強弱の指示も細かいのですが、『悲愴』ではダイナミックスレンジの幅も非常に大きい。再弱音はp(ピアノ)が6つ、pianissississississimoです。最強音はf(フォルテ)が4つ、fortissississimoです。ベル単位で測れる音量を単純に示しているわけではありませんが、極端な人です。

 4月からは《文豪クラッシック》と題する新シーズンが始まります。シェイクスピアやゲーテなど、文豪の作品にちなんだ作品が取り上げられます。11回の演奏会で11人の名作がテーマとなりますが、来年度は聴くだけではなく、読む方も全作品を制覇したいと思います。音楽と文学の融合がどんな世界を開いてくれるのか楽しみです。

METライブビューイング《愛の妙薬》

 先週土曜日から名駅・ミッドランドスクエア・シネマで、METライブビューイングの今シーズン4作目
ドニゼッティ作曲の歌劇《愛の妙薬》が上映されています。今週土曜日までです。

 ドニゼッティは19世紀の初めに活躍したイタリアのオペラ作曲家です。多作で知られていて、50年の生涯、実活動期間は約25年ほどにもかかわらず、70作ものオペラを作曲しています。実演奏時間を今回の《愛の妙薬》と同じ2時間強としても、1日に1分作曲していることになります。メロディを思い浮かべるだけでよければできるでしょうが、できあがった台本の歌詞に合わせ、さらにオーケストラ用のアレンジまでするとなると、ヴァイタリティがありますね。とはいっても、著作権の考え方がまだなかった時代です。使い回しなどもかなりあったようですね。

 さて、《愛の妙薬》はイタリアオペラの中でも非常に上演頻度の高い作品です。途中で主役のテノールによって歌われるアリア(ひとしれぬ涙)は、数あるオペラ・アリアの中でもとりわけ有名です。そして、有名なオペラにしては珍しく悲劇ではない! 誰も死ぬことなく、結ばれるべき二人がめでたく結ばれ、だまされたはずがなぜか丸くおさまっている、という、まさにHappy endなお話しです。

 舞台はスペイン・バスク地方の農村、主な登場人物は4人、時代はたぶん17~18世紀あたり。農村ではまだまだ識字率が高くなく、読み書きができるのはお金持ちの家族くらい。村の農場主の娘アディーナ(ソプラノ)は頭がよくて勝ち気、おそらく登場する村人の中で唯一字が読める役でしょう。冒頭で『トリスタンとイゾルデ』という、ヨーロッパに古くから伝わる物語を読み聞かせるシーンがあります。このヒロインに恋をする農夫のネモリーノ(テノール)は純朴で気が弱い青年。もちろん読み書きはできず、途中で兵役に就くにあたっての契約書へのサインも╳印をするしかできませんでした。

 アディーナが読み聞かせをする『トリスタンとイゾルデ』の話では『惚れ薬』が使われます。これが、オペラでは《愛の妙薬》として、引き継がれてストーリーがつくられています。あるわけもない飲み物ですが、村にやってきたデュルカマーラ(バス)という薬の行商人の宣伝に、アディーナの気をひきたい一心のネモリーノはころっとだまされて買い込んでしまいます。

 村には軍隊もやってきて、司令官ベルコーレ(バリトン)がアディーナを誘惑し、結婚の約束を取り付けるという横やりも入るため、話が少しややこしくなります。

 最後は、ネモリーノの誠意がアディーナに伝わり、ベルコーレは他の女性に乗り換え、デュルカマーラも恨まれることなく別の村へ移っていきます。めでたしめでたし。

 たわいない話ですが、ここにドニゼッティの音楽がつくと、次々と聴き応えのある音楽と歌が続き、2時間あまりがあっという間に過ぎていきました。《愛の妙薬》はMETライブビューイングでは2回目。前回は2012年で、ネモリーノ役は今回と同じマシュー・ポレンザーニ。(
ここをみてください)他の共演者も指揮者も違うため、全体の印象も大部変わりました。同じ作品でありながら、演奏者の違いによっていろんな違いを楽しめるのもオペラ、あるいはクラシック音楽の醍醐味です。

 次回は3月の終わりから4月の始めにかけてで、最も有名なオペラの1つ、プッチーニの《ラ・ボエーム》です。19世紀半ばのパリを舞台に、貧しい若者を主人公とするロマンスです。ストーリーのわかりやすさといい、音楽のすばらしさと言い、今までオペラを見たことがない方が初めて見るに最もよい作品だと思います。

METライブビューイング《トスカ》

 上映期間は終わってしまいましたが、2月17日から1週間、METライブビューイングの4作目、
プッチーニ作曲《トスカ》
が上映されました。

 4年前のシーズンでも取り上げられました(ここを見て下さい)が、非常にわかりやすいストーリーで、音楽と場面が見事にマッチした名作です。今回はこれまでの演出から変更しての上演です。

 1800年のローマ、現在も残る実在の教会や宮殿を舞台として描かれています。特に今回の演出は、それぞれのセットを実物に即してデザインしているとのことで、臨場感があります。原作は19世紀後半につくられた戯曲で、サラ・ベルナールという当時のトップ女優を主役としてつくられた作品です。現在はほとんど上演されることはないようですが、オペラの方は世界的にも上演頻度の高い演目です。

 主人公トスカは、ソニア・ヨンチェヴァというブルガリア生まれの若手ソプラノが務めました。現在売り出し中というところでしょうか、今シーズンのライブ・ビューイングでは3作品に登場します。相手役のマリオ・カヴァラドッシはヴィットーリオ・グリゴーロ。これまでにも何度か紹介しましたが、美声のテノールです。それぞれ、2幕と3幕に有名なアリアがあり、いずれも泣かせます。

 ストーリーは別項に譲りますが、独唱、重唱、合唱、そして衣装に舞台セットと聴き所も見所も満載の上演でした。

 次回は3月3日から、ドニゼッティの《愛の妙薬》です。この作品もわかりやすいストーリーで、声の妙技が楽しめる喜劇。興味のある方は是非どうぞ。

名フィル定期(第454回) ストラディヴァリ

 今月の名フィル定期は1617日。名古屋の姉妹都市であるシドニーがテーマですが、シドニーゆかりのよい作曲や曲目がなかったようで、同じオーストラリア出身の作曲家の曲を含むプログラムでした。また、《ストラディヴァリシリーズ》として、ストラディヴァリ製作のヴァイオリンを使っているヴァイオリニストを招いての協奏曲が演奏されました。

 プログラムは
クーネ:エレヴェーター・ミュージック
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調
アッテルベリ:交響曲第6番ハ長調『ドル・シンフォニー』
ヴァイオリン独奏:アリーナ・ポゴストキーナ
指揮:広上淳一
でした。

 最初の曲は1997年初演、2番目の曲は1904年初演、3曲目は1928年初演と、20世紀をまたいで作られた曲が並んでいます。クラシック音楽の中心は18世紀後半から19世紀にかけてですから、やや個性的なプログラムです。クーネとアッテルベリは今回初めて知った名前です。録音もそれほど出ていないようですが、20世紀の作曲にしては非常に聴きやすい曲でした。

 オーストラリア南部のアデレード出身のクーネは、1956年生まれ。もちろん存命です。現代の曲らしく多くの打楽器が活躍する曲でした。指揮者の広上は若い頃に名フィルの指揮者を務めていたこともあり、なじみの間柄。独特の「フォーム」で、オケと指揮者が一緒になってノリノリの演奏でした。題名の「エレヴェーター」がどこで表現されているのか、よく分かりませんでしたが、時折刻まれるマンボのリズムが印象的で、メロディカルなところもあり何度聴いても飽きないのではないでしょうか。

 シベリウスは『フィンランディア』で有名な作曲家ですので、名前を聞いたことのある方も多いでしょう。今回演奏されたヴァイオリン協奏曲はシベリウスの作品の中でも演奏頻度の高い曲で、ヴァイオリン協奏曲の名曲として知られています。ソリストにとっては難曲でもあるようですが、名フィルの演奏会でもこれまでに数回聴いています。

 今回のソリストのポゴストキーナは1983年ロシア生まれ。ドイツ系なのでしょうか、その後一家でドイツに移住したそうです。現在、ストラディバリ製作の「サセルノ」と名付けられた楽器を貸与されて使用しています。期待されているのでしょう。

 シベリウスのヴァイオリン協奏曲はオケと独奏ヴァイオリンがメロディをやりとりしたり、受け渡しをしたりするようなつくりではなく、オケの上で独奏が一人で舞っているようなつくりです。それだけに、独奏者の技量が問われますし、逆にオケが出しゃばりすぎてはいけない。指揮者広上がオケの手綱をしっかりと引き絞って見事に操っていました。1曲目とは指揮のフォームが全く違いました。きっとソリストもやりやすかったことでしょう。

 今回はサイン会はなかったのですが、彼女のCDを買いました。たぶん、楽器は別のものだと思いますが、コンサートの時の同じ音です。抒情的で、どちらかと言えば悲しげな音です。芯があると言うよりも、音が何層にも重なっているような感じに聞こえます。いかにも木の板が振動していると感じさせるような響き。今回演奏されたシベリウスなど、ロマン派、特に北方の作曲家の曲にはぴったりの音色だと思います。

休憩後に演奏されたアッテルベリは、スウェーデン生まれの作曲家。日本ではあまり知られていない名前ですが、指揮者広上は得意としているようで、今回の交響曲第6番は特にお気に入りとか。前回聴いた『春の祭典』よりも10年ほど後に作られた曲ですが、むしろもっと前の時代につくられたかのような、なめらかな曲です。口ずさめるというほどのメロディはありませんが、印象的なフレーズが多く、落ち着いて聴いていられます。

名フィル定期(第453回) 《ハルサイ》

 先週末(1月20日)の名フィル1月定期は「パリ/小泉和裕の『春祭』」と題して
ベルリオーズ:序曲『海賊』
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調
ストラヴィンスキー:バレエ音楽『春の祭典』
ピアノ独奏:小川典子
指揮:小泉和裕
でした。

 この日のメイン、そしてこの日だけ聴きに来た聴衆のほとんどの方の目的は『春の祭典』、通称『ハルサイ』です。しかし、聴いてみると前半の2曲もなかなかの演奏でした。

 ベルリオーズは『幻想交響曲』が有名ですが、文学作品や自らの体験に触発されてされて作曲することの多かった作曲家のようです。今回演奏された『海賊』は序曲とありますが、歌劇の序曲ということではなく、演奏会用序曲というタイプで、物語の内容を音楽で表現するような構成のはず。はず、というのは、具体的な物語が必ずしもはっきりしていないようです。ただ、管楽器も活躍し、いろんな表情、表現を楽しめる曲です。演奏者にとってもずいぶん楽しい曲なのでしょう、クラリネットとファゴットの主席はともにノリノリで演奏していました。音色の変化がはっきりしていて、全体にかちっとまとまっているいい演奏でした。

 グリーグの協奏曲は非常に有名で、演奏頻度もかなり高い曲です。有名なメロディーもあるので、どこかで耳にしたこともあるでしょう。『ペール・ギュント』も彼の作曲です。きっと、音楽の時間にきいたことがありますね。19世紀のノルウェイの作曲家です。ソリストの小川は名フィルの定期にはたびたび出演していて、私も今回でたぶん3回目(?)、レパートリーの広い方ですが、パワーと表現力を兼ね備えた実力派です。一音一音がしっかりと主張していて、オケと見事に対峙していました。また、第1楽章の後半にあるカデンツァ(独奏だけが即興的に演奏する部分)は圧巻でした。

 YouTubeでは
https://www.youtube.com/watch?v=Ws2EBk4ULiU
などいかがでしょうか。この演奏でソリストを務めているレオン・フライシャー(Leon Freisher)は、この演奏の数年後にジストニアを発症し、右手が不自由になりました。

 残念ながらソリスト・アンコールはなかったのですが、休憩中にサイン会があり、いつものようにサインとツーショットをお願いしました。
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 『春の祭典』はもともとはバレエのための音楽で、1913年にパリで初演されました。一度聴いてみると分かると思いますが、初演は会場が騒然となり、音楽史に残る大スキャンダルとなったとのこと。とんでもない曲です。100人以上の出演者が要求され、普段使われないような特殊な楽器も必要で、何よりもリズムが激しく変拍子があちこちに出てくるため、現代のオーケストラにとっても難曲の1つです。

 メロディーらしいメロディーはなく、不協和音と土俗的なリズムが押し寄せてくるような曲ですが、20世紀最高の名曲の1つだと思います。生を聴くのは今回で4回目(5回目かもしれない)、いつ聴いても緊張と胸躍る気分がない交ぜになります。

 変拍子というのは、通常の3拍子や4拍子を足し算して組み合わせた拍子で、『ハルサイ』ではところによって小節ごとに拍子が変わります。指揮をするのも大変難しいはずですが、今回の小泉は暗譜で振っていました。才能に脱帽です。演奏も実にすばらしく、それぞれの部分で中心となっている楽器の音が見事に浮き出ていて、指揮者の意図をよくくみ取って演奏されていたと思います。いつもはやや不満な弦楽器もよくなっていたし、管楽器のアンサンブルも見事でした。

 このバレエのストーリーは、ロシアの故事などを基につくられているようで、春を迎えた時期の村の対立と和解、そして生け贄を捧げる儀式を描いています。「祭典」と行っても祝祭という意味ではなく、儀式、儀礼をいうような意味のようです。

 YouTubeでは
https://www.youtube.com/watch?v=qXCCxIvwc80
で、音楽とバレエの映像が見られます。試験が終わって気晴らしをしたいときにどうぞ。現代のロシアを代表する指揮者ワレリー・ゲルギエフの指揮するマリンスキー劇場バレエです。初めの2分くらいは紹介映像ですから飛ばして下さい。

名フィル しらかわコンサート 「シェレンベルガーのモーツァルト」

 名フィルは年間120回ほどのコンサートがあるそうですが、名フィルが主催しているコンサートは定期演奏会など限られています。その中で、名古屋・伏見のしらかわホールでも《しらかわシリーズ》と題するコンサートが年に数回あります。舞台も小さく、客席もそれほど多くないため、小規模の編成の曲を集めたプログラムが中心です。

 1月12日には、現代を代表するオーボエ奏者であるハンスイェルク・シェレンベルガーを招いてオール・モーツァルトプログラムのコンサートがありました。今回はオーボエ協奏曲や滅多に演奏されない隠れた名曲が取り上げられました。

モーツァルト:交響曲第33番 変ロ長調
モーツァルト:オーボエ協奏曲 ハ長調
モーツァルト:セレナード第10番 変ロ長調『グラン・パルティータ』
指揮・オーボエ独奏:ハンスイェルク・シェレンベルガー

 オーボエという楽器は2枚リードの木管楽器です。中学校や高等学校の吹奏楽部で必ずあるわけではないですから、ご存じない方も多いでしょう。Wikipediaではこんな風に紹介しています(https://ja.wikipedia.org/wiki/オーボエ)。オーケストラでは木管楽器の前列で、客席から見て右側にいることが多く、フルートと並んで高音の連立を受け持つことの多い楽器です。独特の音色ですが、奏者による音色の差もかなりあり、今回聴いたシェレンベルガーの音色も

 今回演奏されたのは、モーツァルトが20代の前半だった頃に作曲した曲です。幼い頃に神童といわれたモーツァルトも、この頃にはただの人といわれたとか。

 それはさておき、聴き応えのあるいい曲ばかりです。
モーツァルトは41曲の交響曲を作曲していますが、10代に作曲した若い番号の曲をのぞくと、今回演奏された第33番は演奏頻度の低い曲です。普段もあまり聴く機会がなく、今回予習をかねて何度か聴いてみました。編成も小さいため、派手さやそれほど印象的なメロディーもありませんが、かなり密度の濃い。

 協奏曲はオーケストラをバックに1つの楽器が独奏をするスタイルです。今回はシェレンベルガーがオーケストラの指揮とオーボエ独奏を兼ねての演奏でした。オケの前奏に続いて響いたオーボエの音には鳥肌が立ちました。甘く、艶やかでありながら、芯のある音で、言葉で語りかけてくるような演奏でした。小さな音でも、目の前で鳴っているかのようなしっかりした音です。

 独奏パートはオーボエの特性を十分に発揮できるようなメロディーですが、オケと対話しているようで、オペラのアリアを聴いているような感じです。3楽章構成ですが、緩徐楽章である第2楽章でのオーボエ独奏には聴き惚れます。

 覚えている方がいらっしゃるでしょうか?少し前に「のだめカンタービレ」というドラマ&アニメがありました。その中でも黒木君が「ライジングスターオーケストラ」のコンサートでソロを吹いた曲です。

 客席もほぼ満席でしたが、いつも聴きに行く定期演奏家に比べるとやや雰囲気が違い、やや玄人気味の様な気がしました。木管楽器に特に興味がないとシェレンベルガーの名前もご存じないでしょう。コンサートの後半のセレナードは特に玄人好みといえるでしょうか。

 後半に演奏された「セレナード」は貴族などの食事の場などでBGMとして演奏されていたようなスタイルの音楽です。「機会音楽」ともいい、耳触りもよく、どんな人にも聴きやすい音楽で、モーツァルトも何曲かつくっています。今回演奏された第10番は7楽章構成で、内容的には非常に充実していた、何度聴いても飽きないすばらしい曲です。

 ただ、オーボエ2、クラリネット2、バセットホルン2、ファゴット2,ホルン4、コントラバス1という、珍しい楽器編成です。特殊な編成だけにオーケストラのコンサートで取り上げられることはきわめてまれ。。それだけに、是非一度生演奏を聴いてみたいと思っていた曲です。 当時はこのような管楽器を中心としたアンサンブルが流行していたそうです。バセットホルンはクラリネットとよく似た楽器で、少し低い音域でより幅広い音色を持った楽器です。19世紀以降ほとんど用いられることはなくなりました。金管楽器のホルンとは全く関係がありません。この曲では、コントラバスの代わりにコントラファゴットが用いられることもあり、『13管楽器のためのセレナード』と呼ばれることもあります。

 プロのプレーヤーにとっても気持ちは同じでしょう。今回はステージ脇の2階席ということもあり、奏者や指揮者の表情も見て取れました。演奏の水準の高さももちろんですが、音に華やぎがあり、全ての演奏者が楽しそうに演奏していることがよく分かりました。もちろん、聴いている方にも至福の時間です。

 今後もこのような演奏会に出会えることを願います。

METライブビューイング《魔笛》

 先週末から今シーズンの2作目、
モーツァルト《魔笛》
が始まっています。今週金曜日まで。

 現代の言葉を使えば「ファンタジー」というところでしょうか。演出によって様々な国、時代を連想させますが、今回の舞台装置は氷の国のようなやや冷たいイメージですが、衣装は歌舞伎役者のようなところもあります。私たちには親しみやすい演出です。

 この作品はストーリーもすっきりしているわけではなく、また、登場人物が多く、場面転換も頻繁です。しかし、一般的なオペラ=歌劇とは異なり、台詞(全てドイツ語です)がかなりあるため、ストーリーを追いかけるのは楽かもしれません。他のオペラにあるように、結末で誰かがしんでしまうこともなく、悪役が追い出されたで、ハッピーエンドです。

 歌手達も、若手からベテランまでそろい、音域もソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バリトン、バスと全ての歌手が歌います。また、同じソプラノでも、軽い歌声の歌手もいれば、超絶技巧を要求される役柄まで、オペラの様々な側面を楽しめる作品です。

 モーツァルトの時代、18世紀に「音楽家」といえばイタリア人、”Opera”といえばイタリア語で歌うものでした。モーツァルトも「魔笛」までに、1作をのぞいて全てイタリア語の歌詞に曲をつけています。そして、「歌劇」には地の台詞はなく、全てに曲がついています。現在でいう“ラップ”のような部分もありますが、全てに音程が指定されている、つまり音符に随っています。モーツァルトが生活していたウィーンでも事情は同じ。ただし、庶民に外国語が分かるはずはなく、オペラは王侯貴族ものでした。

 今回の《魔笛》は、ドイツ語圏で庶民が楽しんでいた「歌芝居(Singspiel;ジングシュピール)」で、歌手は歌唱だけでなく台詞も発します。現在のミュージカルとよく似ています。

 ヨーロッパでは子どもが最初に見るオペラだそうで、時に笑いを誘うような場面もあり、気楽に楽しめるオペラです。機会があれば、どこかで是非ご覧下さい。

歌劇《ノルマ》のあらすじ

 主な登場人物と配役は
ガリア地方のケルト人部族の巫女の長、ノルマ(ソプラノ):ソンドラ・ラドヴァノフスキー
ノルマの父で部族長、オロヴェーゾ(バス):マシュー・ローズ
若い巫女、アダルジーザ(メゾ・ソプラノ):ジョイス・ディドナート
ローマ人の総督、ポリオーネ(テノール):ジョセフ・カレーヤ
  この他に、
ケルトの兵士や住民をMETの合唱団が務めています。
指揮はカルロ・リッツィ、演出はデイヴィッド・マクヴィカー。

 舞台は紀元前の共和制ローマ支配下のガリア地方。支配されているケルト人はドルイド教徒とされています。ただし、ドルイド教という宗教はなかったようで、部族内の身分制度、または最も身分の高い階層をドルイドと言うのではなかったかと思います。ただ、今回の演出でも強調されていましたが、森や樹木、特に宿り木を神木として崇拝の対象にしているようです。神木とその周辺に人々が集まり、その地下に神木の根を柱にするようにノルマの住居をしつらえるというこった舞台装置でした。

第1幕
 ローマ人の支配が厳しく、この地方のケルトの部族は反乱のために蜂起することを願っていて、巫女であるノルマを通じて神託が降りるのを待ちわびています。ここへノルマが登場し、ひたすら平和を説き、《Casta Diva; 清らかな女神》と始まる有名なアリアを歌います。このオペラの最大の聴き所であり、歌手にとっては最も難しいアリア。何度聴いても心にしみます。ノルマが平和を説く理由は、ノルマはローマの総督ポリオーネと密かに結ばれていて、2人の子どもを隠して育てているからです。しかし一方で、ノルマはポリオーネの気持ちが自分から離れていることを感じて悩んでいます。この複雑な心境を歌ったすばらしい独唱です。
 ポリオーネは若い巫女であるアダルジーザに心を移していて、一緒にローマへ以降を誘っています。アダルジーザもポリオーネをにくからず思っているため、相手の名前を隠してノルマに相談に来ます。巫女が男性と通じることは禁じられていますが、ノルマは自分のことがあるため、アダルジーザを励まします。そこへポリオーネが現れて、互いの関係が全て明らかになります。事情を悟って悩むアダルジーザ、怒り心頭のノルマ、そしてポリオーネはノルマに冷たくアダルジーザをかばう。ここで3人がそれぞれの感情を歌い上げる三重唱で幕。何ともいえない幕切れです。オペラの見所、聴き所はいろいろあり、独唱はその1つですが、個人的には重唱を外すわけにはいきません。作曲家によって得意、不得意があり、どんなオペラにも言い重唱があるわけではありませんが、《ノルマ》にはこの三重唱と2幕の二重唱がすばらしい。

第2幕
 ポリオーネに裏切られたノルマは2人の子どもを殺して自らも命を絶とうとしますが、どうしてもできません。今回の演出ではこの第2幕冒頭の演技が非常にリアルで、歌詞とマッチしていました。そこへアダルジーザが現れて、自分が身を引き、ポリオーネにノルマとよりを戻すように説得すると語ります。現実の話として、そんなことができるわけもないでしょうが、ノルマは望みを託します。他の映像や実演では気がつきませんでしたが、ここでのノルマとアダルジーザの二重唱が実にすばらしい。今回の上演で最も心を打たれた場面です。しかし、ポリオーネはアダルジーザの提案を拒否したために、ノルマは激怒。突然聖なる銅鑼を叩き(これが巫女の長であるノルマの役割の1つのようです)、部族を集めて、ローマに対する戦いを宣言します。同時に、部族内に裏切り者がいることもつげます。
そこへ、アダルジーザを連れ出そうと神殿に侵入したところをとらえられたポリオーネが引き出されてきます。ノルマは集まった兵士達をさらせた後、ポリオーネに「アダルジーザを忘れれば命は助ける」と伝えますが、ポリオーネは拒否。ノルマは「裏切り者が分かった」と兵士達を集め、「それは自分である」と告げます。子ども達を父親に預けて、自ら火刑台へ。ノルマの姿に心打たれたポリオーネも一緒に火刑台へ進むところで幕が降ります。最期のノルマの鬼気迫るところも迫力があって見応えがあります。また、兵士達の様な群衆を表現する合唱団の迫力はすさまじいものがあります。METの合唱団は特に定評があるようですが、一度生で聴いてみたいものです。

 ポリオーネはとんでもない裏切り者から、最期に改心?するという、やや納得のいかない終わりまたです。演じる方はこの感情の振幅の大きさを以下に表現するかが問われるのでしょうが、そもそもストーリーに無理があるような気もします。オペラであるということで許されるのでしょう。

METライブビューイング 《ノルマ》

 以前にも紹介しましたが、敷居が高いと感じる方の多いオペラを身近な映画館で見ることができます。国内で上演されているオペラはたまにNHKが放送するくらいですが、海外のいくつかの歌劇場では独自の事業として世界中に発信しています。中でも最も成功しているのが、この事業の先駆者でもあるニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の「METライブビューイング(現地では”MET Live in HD”と呼ばれ、日本では松竹系が配給している。”HD”はhigh difinitionの略で、「高精細、つまりきれいな映像で提供すると言いたいのでしょう)」です。Webサイトはここ(http://www.shochiku.co.jp/met/)です

 東海地方では、名駅のミッドランドスクエア・シネマで、それぞれ1週間ずつ上映されています。1上映が¥3,600と通常の映画の二倍の価格ですが、オペラの実演奏時間は2~4時間、出演者のインタビューやバックステージ・ツアーのような時間も含まれるため、一般的な映画の2倍以上の時間になりますので、納得しておきましょう。たいてい途中に1回ないし2回の休憩があります。

 シーズンは11月から翌年の5月か6月までで、10作品が上映されます。今シーズンの第1作目はベルリーニ(ベッリーニ)作曲の歌劇《ノルマ》。19世紀前半にイタリアを中心につくられた「ベルカント・オペラ」と呼ばれる一連のオペラの最高傑作とされる作品です。「ベルカント」とはイタリア語で「美しい歌」という意味ですが、オペラの場合、歌手の歌う技術を極限まで追求しています。したがって、《ノルマ》のような作品は歌手にとっては負担が大きく、必ずしも上演頻度は高くありません。

 主な登場人物は3人で、平たく言えば三角関係の末の悲劇です。いずれも感情の変化の幅が大きいため、演じる歌手は高い表現力が求められます。また、舞台となっているのが共和制ローマに支配された紀元前のガリア地方(今のフランスとその周辺)で、反乱を企てるケルト人を演じる合唱団も大きな役割を担っています。

 今回の上演で主役のノルマ役を歌ったソンドラ・ラドヴァノフスキーは、単にテクニックだけに流れることなく、感情の起伏を見事に表現していたと思います。また、合唱団は分厚い響きで非常に聴き応えがありました。

 《ノルマ》は昨年11月に実演を聴いています(ここです)。このときは歌手目当てで聴きに行きましたが、今回は演出や各歌手の歌唱、オケの演奏などいくつかの聴き所を十分に堪能できました。

 次回は12月の中旬で、モーツァルトの《魔笛》です。非常に有名な作品で、ファンタジーのようなストーリーです。ヨーロッパでは子どもが初めて見るオペラとされているとのこと。やや奇想天外すぎて、大人が見るとキツネにつままれたような気分にもなりますが、ソプラノからバスまで、高度なテクニックを要する歌唱から心にしみる響きまで、いろんなタイプの歌唱や合唱を楽しめます。

 METライブビューイング以外では、ロンドンの英国王立歌劇場(通称、コヴェント・ガーデン歌劇場、またはロイヤル・オペラ)のライブビューイングを東宝系が配給しています(Webサイトはここ:http://tohotowa.co.jp/roh/)。コヴェント・ガーデンはバレエも非常に有名であるため、オペラの上演だけではなく、バレエの上演を併せて年間10数本を、MEtと同様にそれぞれ1週間ずつ上映しています。東海地方では、TOHOシネマ・名古屋ベイ(イオンモール・名古屋港に隣接しています)で上映されています。たぶん、毎回「プレミアム・スクリーン」を使っているようですので、部屋の内装やシートなど高級感があります。

チャリティー・コンサート

 名フィル定期の翌週(21日)に名古屋銀行が主催するチャリティ・コンサートがありました。毎年この時期に行われていますが、入場料が何と¥1,000で、名フィルと世界一流の音楽家の演奏を楽しめるため、毎回発売早々に完売です。

 今年のプログラムは
スメタナ:組曲『我が祖国』から交響詩『シャールカ』
モーツァルト:ホルン協奏曲第2番変ホ長調
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調『新世界より』
ホルン独奏兼指揮:ラデク・バボラーク

 今回のお目当てはなんと言ってもバボラークのホルン、現在世界一とも言われるホルン奏者です。

 今回は指揮もかねての吹き振りです。吹奏楽器であるホルンを吹くことと指揮することを兼ねるので「吹き降り」です。実際に吹きながら指揮棒を振ることは不可能ですが、リハーサル(練習)を含めて、演奏の意図や方針をオケに伝えるというところも「指揮」のうちです。モーツァルトの曲はオケの編成も小さいため、プロであれば棒振りががいなくても演奏は成立します。したがって、自分の意図をくんでくれるオケをバックにしたホルンの独奏です。

 バボラークのホルンは以前に名フィル定期でも聴きました(第409回定期)が、見事としか言いようがありません。長く伸びる音はビロードの手触りのよう、細かく刻むように動くパッセージは噴水から水滴がはじけ飛ぶよう。この時間がずっと続いてくれればと感じるすばらしい演奏でした。

名フィル定期 第451回 アメリカの映画音楽

 先週末(11月18日)に行われた名フィル定期は〈ロスアンジェルス/アメリカン・サウンド〉をテーマに
B. ハーマン:映画《めまい》組曲
J.
ウィリアムス:トランペット協奏曲
酒井健治:交響曲第1番『スピリトゥス』(委嘱新作/世界初演)
ガーシュウィン:組曲『キャトフィッシュ・ロウ』(歌劇『ポーギーとベス』より)
トランペット独奏:トーマス・フートゥン
指揮:エドウィン・アウトウォーター
(酒井健治さんは名フィル・コンポーザー・イン・レジデンス、「お抱え作曲家」ほどの意味になるでしょうか。今後、3〜5年の間、名フィル定期に毎年1曲ずつ新曲を提供する予定のようです。)

 今回のプログラムは独特です。ロスをテーマにしているところからも分かるように、映画音楽あるいは映画音楽の著名な作曲家の作品を取り上げ、同時に、アメリカを代表する作曲家の作品を加えています。さらに新作の世界初演も含め、密度の濃い内容でした。演奏も非常によくまとまっていて、オーソドックスなプログラムの演奏会と何ら違わぬよい気分で帰途につくことができました。

 『めまい』はヒッチコック監督による、高所恐怖症の元刑事が巻き込まれる殺人事件を描いたサスペンス映画です。B.ハーマンはヒッチコック監督と組んで、『サイコ』や『鳥』など多くの映画音楽を残しています。『タクシー・ドライバー』の音楽もハーマンです。事前に映画で予習をして臨みました。いろんなシーンを思い浮かべながら生演奏に浸れ、楽しめました。

 J.ウィリアムスは『スター・ウォーズ』や『ハリー・ポッター』など数々の映画を担当した、映画音楽の巨匠。まだ現役ですが、映画音楽だけではなく、オーケストラのコンサートのための曲もたくさん作っているようです。映画音楽はいろんな縛りがありますが、取り上げられたトランペット協奏曲の様な曲は自由に作れるからなのか、聴いていて楽しくなります。ただ、独奏のトランペット奏者にとっては難曲だそうで、アメリカを代表するオケ、ロスアンジェスル・フィルハーモニーの守勢奏者を招いての演奏でした。3楽章構成でおよそ20分の曲ですが、ほぼ吹き通しで、ピアノからフォルテまで、ゆったりしたカンタービレから速くかけるようなパッセージ、低音から高音まで、トランペットのあらゆる表情を見る(聴く?)ことができました。昔、少し金管楽器をやっていましたが、ただただ驚くばかりのテクニック。驚いている間に終わった気がします。オケも何度も掛け合いがあり、かなりあわせるのが難しそうでした。

 《スター・ウォーズ》組曲もあり、かつて名フィル定期でも取り上げられました(
第398回定期です)。

 オーケストラにとって新たなレパートリーの開拓は非常に大切です。過去の名作の中に広げることももちろん必要ですが、新たな音楽の可能性を探っていくことも、レパートリーを広げる上で大切な方法でしょう。多くの方がイメージする《現代音楽》とはやや異なりますが、それでも口ずさめるメロディーがあるわけではないので、なれないと眠いだけかもしれません。今回のコンサートの前半に取り上げられた曲も20世紀後半に作曲されているという点では現代音楽です。多少にたところがありますが、耳(あるいは目)をひいたのは多彩な打楽器群です。サンダーシート(大きな薄い鉄板をこするようにして名前の通り雷のような音を出します)やチューブ(長い風船のようなチューブを振り回して風を切る音を出します)など、見て楽しめる曲でもありました。

 ガーシュウィンは20世紀前半に活躍した、アメリカ史上最大のクラシック音楽作曲家です。とは言っても《ラプソディー・イン・ブルー》に代表されるように、ジャズなどの影響も多分に受けているため、幅広く愛されているようです。オペラも作曲しており、《ポーギーとベス》は黒人が主人公のメロドラマ(?)で、「サマータイム」が有名です。今回取り上げられたのは、この《ポーギーとベス》から抜粋してまとめられた組曲で、「サマータイム」のメロディーも使われています。題名の『キャットフィッシュ・ロウ』は直訳すれば「ナマズ横町」くらいでしょうか。オペラの主人公達が住んでいた町の名前です。

 次回定期のテーマはイタリアのトリノ。トリノにはキリストが十字架にかけられた後、その遺体を包んだとされる布(聖骸布)を保管する教会があります。この聖骸布をテーマにした、これも現代曲が取り上げられます。この他は、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番とブラームスの交響曲第3番。モーツァルトのピアノ独奏はカナダ出身の注目の若手。ブラームスは第3楽章のメロディーが有名です。かつてイングリッド・バーグマンとアンソニー・パーキンス主演の映画『さよならをもう一度』で使われました。

ミカラ・ペトリ リコーダー コンサート

 芸術の秋は結構忙しい。月曜日(11月13日)に、宗次ホールでリコーダーのコンサートを聴いてきました。

 リコーダーときくと、小学校、中学校の音楽を思い出すのではないでしょうか。楽器としては非常に古くからあるようで、構造も単純です。学校の教材としても用いられることから、やや安っぽいイメージもありますが、結構あちこちにアンサンブルのサークルなどもあるようで、大人になってからも楽しむ方も少なくないようです。

 今回聴いたミカラ・ペトリはデンマーク出身で、おそらく現在世界最高のリコーダー奏者でしょう。チェンバロ&バロックハープ奏者である日本人、西山まりえとのデュオリサイタルでした。

 ソプラニーノ、ソプラノ、アルト、テノールの各リコーダーを駆使して、主にバロック時代(15~17世紀後半)の曲を中心に演奏されました。素朴でそれほど音量の変化をつくれる楽器ではありませんが、同じくバロック時代に汎用されたチェンバロやハープ(現代のハープと比べると小型で、音域も狭く、響も弱い)との相性もよく、心に染み込むような音楽の連続でした


 CDで聴くと、非常に明るくて透明感のある音色です。しかし、コンサートで聴いた音色は、ホールの特性でしょうか、いかにも木で作られた楽器と感じさせる、ややかすれたような音色が印象的でした。思ったより、大きな音にきこえ、また、速いパッセージでのテクニックには驚きました。「人間業とは思えない」などの声も聞かれるほど、すばらしい「指技」でした。特に、分散和音を連続させるところなど、まるで弦楽器のようです。

 終演後にはサイン会があり、今回もツーショットを取れました。笑顔の素敵な方でした。日本にもよく来られているようですから、また名古屋でもコンサートがあるでしょう。是非聴きに行こうと思います。
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 共演された西山さんは、チェンバロとバロックハープという全く性格のことなる楽器を共に演奏できるということで、今回のようなコンサートには引っ張りだこのようです。

カティア・ブニアティシヴィリ ピアノリサイタル

 少し時間がたってしまったのですが、11月5日、名古屋・伏見のしらかわホールでジョージア出身の若手ピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリのリサイタルがありました。ジョージアは以前はグルジアと呼ばれていて、旧ソ連の一部だった国でトルコのすぐ北にある黒海に面した国です。

 プログラムは

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調《熱情》
リスト:ドン・ジョヴァンニの回想
〈休憩〉
チャイコフスキー:演奏会用組曲「くるみ割り人形」
ショパン:バラード第4番
リスト:スペイン狂詩曲
リスト:ハンガリー狂詩曲第2番

 10年ほど前から国際的に活躍し始めているようで、数年前から注目をしていたピアニストです。日本国内でもNHK交響楽団との協演を初め、何度かコンサートを開いているようですし、CDを5,6枚出しています。年間150公演をこなすそうですが、その容姿もさることながら、ダイナミックな演奏に圧倒されました。

 1曲目の《熱情》も、題名の通りの熱い演奏でしたが、静かなフレーズが続く第2楽章では高い緊張感を維持しながら聴衆の耳を引きつける表現力がありました。

 彼女のファースト・アルバムもリストの曲集です。最も得意とする作曲家のようで、今回のプログラムはリストが中心です。中でもベートーヴェンに次いで演奏された「ドン・ジョヴァンニの回想」は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」のフレーズをちりばめながら、ピアノの超絶技巧をこれでもかと見せつけるような曲。さぞ難曲だろうと思います。今回初めて聴きましたが、ピアノが壊れてしまわないかと思うほどのカティアの圧倒的なパワー、人間業とは思えないくらい指が速く複雑に動くテクニックにただ呆然とするばかりでした。

 後半の最初に演奏された曲は、よく知られたチャイコフスキーのバレエ音楽の中から有名な7曲をピアノようにアレンジされたもの。以前名フィルの定期でもひいたプレトニョフ(ここを参考にして下さい)による編曲版。プレトニョフ自身が高い技術の持ち主だけに、高度な技術を要求されるようです。コンサートではあまり取り上げられることがないそうですが、カティア得意のレパートリーだそうで、頻繁に取り上げているようです。ピアノという1つの楽器でありながらも、様々な音色を感じ、さらにダイナミックで、響きに奥行きがあり、まるでオーケストラの演奏を聴いているようでした。

 さらに、ショパン、リストと技術的にも難易度の高い曲が並び、最後は改めてパワーを見せつけるようなダイナミックな演奏で締めくくられました。

 アンコールは何と4曲もあり
ドビュッシー:月の光
リスト:メフィストワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」
ヘンデル:鍵盤楽器のための組曲第1番からメヌエット
ショパン:24の前奏曲よりホ短調
でした。
 時間さえあれば、さらに何曲でも引いてくれそうな、とにかくピアノを弾くのが楽しくてしょうがないというように見えました。

 終演後は疲れた様子も見せず、演奏とは打って変わって、にこやかにサイン会。1人1人に優しく声もかけてくれ、握手をしながら写真撮影。
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 コンサートは薄いピンクのロングドレスで、かなり妖艶でしたが、サイン会もすてきなドレス(と、超のつくハイヒール)でした。

リヒャルト・シュトラウス:歌劇《ばらの騎士》

 先週日曜日には私の最も好きなオペラ、《ばらの騎士》を観に行きました。名古屋・栄の愛知県立芸術劇場大ホールでの公演です。

 日本にはヨーロッパのような本格的な歌劇場はありませんが、オペラのための歌手の団体はあります。今回の主催は二期会という東京を中心にした団体です。7月に東京で上演され、10月28,29日に名古屋、さらに11月5日には大分でもほぼ同じ配役で上演されます。

 今年6月のMETライブビューイング《ばらの騎士》でも紹介しました。ストーリーは(
2010年0203METライブビューイング《ばらの騎士》)を見て下さい。今回の配役は、
 今回の配役は
元帥夫人:森谷真理
オクタヴィアン:澤村翔子
ゾフィー:山口清子
オックス男爵:大塚博章
合唱:二期会合唱団
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団
指揮:ラルフ・ワイケルト
です。

 オペラの上演はオーケストラの演奏会と違い、大道具、小道具、衣装の作製から演技と制作は大がかりです。当然費用が掛かりますから、単独で企画するのはたいへんのようです。今回はイギリスのグラインドボーン音楽祭という国際的にも有名なオペラのイベントとの提携公演で、基本的な道具類は全部イギリスから持ってきているようです。グラインドボーンでの映像を見て比較してみたいものです。

 オーケストラはしっかりと鳴っていて、メリハリもあってわかりやすい演奏でした。三幕併せて3時間余に及ぶ演奏は、最後のややスタミナ切れを感じるところもありましたが、
指揮者はドイツ国内を初めとしてオペラをよく振っているようで、オケをうまくリードして歌手ともよく合わせていたと思います。歌手陣はいずれもよく通る声でしたが、速いパッセージになるとやや聴き取りにくいところが目立ちました。日本人はこういうところがやや苦手のようです。ただ、オックス男爵は演出的には事実上の主役といっていい役どころで、大塚の低音は聴き応えがありました。

 《ばらの騎士》は私が最も好きなオペラです。悲劇ではないため誰も死ぬことがなく、かと言って楽しいばかりの喜劇でもない。主役級が4人いて、それぞれにほろ苦さを味わいながらも最後は丸くおさまり、演出によっていろんな見方ができるところが醍醐味です。

今回の《ばらの騎士》の公演はキャストを変えて2日連続で行われました。名古屋でこのように同じ演目を2日連続で上演されるのは、国内の団体の公演でも海外の歌劇場の引っ越し公演でも初めてかもしれません。実はお客さんが入るのかどうか心配しておりましたが、案の定、日曜日はがらがらでした。土曜日がどうだったかは分かりませんが、やはり無理があったようです。正直言って、気をそがれました。これからはもう少し考えてほしいものです。

 さて、しばらくは生のオペラを見る機会はありません。その代わりではありませんが、以前に紹介したような生の舞台の録画を映画館で楽しむことができます。世界中のいくつかの歌劇場が取り組んでいますが、最も成功しているのがニューヨークのメトロポリタン歌劇場の「METライブビューイング」です。日本では松竹が配信していますが、今年も11月中旬から上映が始まります。HPはここ(
http://www.shochiku.co.jp/met/)です。興味のある方は是非ご覧下さい。

小山実稚恵リサイタル

 いよいよ芸術の秋です。コンサートは他の季節に比べると数は多く、また、バラエティに富んでいます。勉強が忙しくてなかなか時間はとれないと思いますが、コンサートによっては学生席(または”ヤング席”)があり、割安で楽しめます。興味のある方は是非どうぞ。

 先週末には土曜日にピアノのリサイタル、日曜日にはオペラと満喫しました。土曜日は『小山実稚恵の世界〜音の旅』と題するリサイタルシリーズの最終回(第24回)で、「永遠の時を刻む」と題して、プログラムは
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より 第1番ハ長調
シューマン:3つの幻想的小品
ブラームス:3つの間奏曲
ショパン:ノクターン第18番ホ長調
ショパン:子守歌変ニ長調
ショパン:マズルカ第49番ヘ短調
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番ハ短調
ピアノ:小山実稚恵
でした。

 このシリーズは、12年間(1オクターブに12の音があります)に春と秋の年2回ずつの連続で合計24回(音楽の調性は長調と短調併せて24)のコンサートで、プログラムは予め発表されています。全国の6都市で集中的にコンサートが開かれますが、名古屋では栄の宗次ホールでずっと開かれています。リピーターも多く、今回も満席。コンサート後のサイン会も長蛇の列でした。今回はCDにサインをもらっただけで、ツーショット写真を撮ってもらわずに帰ってきました。こんな方です。笑顔に人柄が表れています。2014年7月の名フィル定期のときの写真です。
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 これまでに何度か聴きに行っていますが、幅広いレパートリーをお持ちなだけに、毎回ピアノという楽器の奥深さを実感できます。今回で最終回ですが、プログラムにはいろんな意味が込められているようで、聴き応えがありました。これまでに聴いたシリーズのコンサートの記録はここ(2015年10月・小山実稚恵リサイタル:ゴルトベルク変奏曲2013年10月・小山実稚恵ピアノリサイタル2010年6月・ショパンとシューマン)です。

 ピアノをある程度習った方はどこかできいたことがあると思いますが、バッハの平均律クラヴィーア曲集とベートーヴェンのピアノ・ソナタはピアノを専門的に学ぶ人にとっての「バイブル」とも言われています。前者を「ピアノの旧約聖書」、後者を「ピアノの新約聖書」などと言うこともあるようですが、座右において折に触れて立ち返るべきものだということなのでしょう。今回のプログラムは「旧約聖書」のオープニングと「新約聖書」のフィナーレを始まりと終わりに配して、小山さんのレパートリーの柱であり、今回のリサイタルシリーズのプログラムの中心でもあったシューマンとショパンを中に置いています。

 今回の演奏もこの2曲がとりわけ秀逸でした。バッハは短く、単純な構成の曲ですが、何回聴いても飽きない曲です。 天から音が降ってきているかのような澄んだ音色で始まり、どきっとしました。金属的な光沢の音で紡がれていくものの、決して無機ではなく、時に抒情的になりながら、朗らかな気持ちにさせてくれる演奏でした。

 音楽家、音楽好きに対して「無人島に持っていくなら、どの曲の楽譜、どの曲のCD、あるいはどの演奏のCDか?」という問われることがあります。小山さんにとってもこのバッハの「クラヴィーア曲集」は大切なレパートリーのようで、無人島に楽譜を持っていくそうです。

 最後のベートーヴェンのソナタ32番は、32曲あるピアノ・ソナタの最後に作曲された曲で、作曲者が52歳の時の作品。死の5年ほど前に当たります。非常に情熱的で、劇的。ベートーヴェンにとっての特に重要な意味を持つらしいハ短調で始まり、ハ長調で終わります。これは最も有名な第5交響曲(俗に《運命》と呼ばれています)と一緒です。一般的なソナタと異なり、2楽章構成で、情熱的な第1楽章と、変奏曲風でしっとり静かに始まったかと思うと、時に「ジャズか?」と思うほど極端に変化し、おそらく作曲された当時の常識からは完全に外れていたのではないかと思うような曲調です。古今のピアノ曲の最高傑作の1つでしょう。

直前に演奏されていたショパンがやや軽いタッチで奏されていたからか、ベートーヴェンの演奏の力強さが際立ちました。冒頭からいきなりわしづかみにされたような気持ちにさせられ、そのまま一気に一楽章が終わりました。第二楽章は変奏の違いを際立ち、それぞれを十分消化できないうちに次々を曲調が変わり、最後は静かに全てを消し去るかのように曲が閉じられました。

 この日のアンコールは
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より 第2番ハ短調
シューマン:アラベスク
でした。

 シリーズは今回で終わりましたが、プログラムによると来年の春にアンコール公演があるとのこと。どのようなプログラムなのか、期待が膨らみます。

ソフィア・コッポラの《椿姫》

 先週土曜日からイタリア・ローマ歌劇場で上演されたヴェルディの歌劇《椿姫(la Traviata;ラ・トラヴィアータ)》の録画が映画館で上映されています。

 これまでに紹介したニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の《ライブビューイング》とは少し違い、ナビゲーターはつかず、バックステージ・ツアーもありませんが、イタリアでは評判になった舞台だそうです。

 HPここ:http://sofia-tsubaki.jpです。名古屋・港区のTOHOシネマズ 名古屋ベイシティで10月20日まで、名古屋・新栄の名演小劇場で10月21日から2週間の間上映されます。

 評判の最大の理由は演出を映画監督であるソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)がつとめ、出演者の衣装をファッションデザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)がデザインしたこと。

 コッポラ監督の映画は見たことはありませんが、《ゴッドファーザー》のフランシス・コッポラ監督のお嬢さんです。《ゴッドファーザーⅢ》では主役であるドン・コルレオーネ(アル・パチーノ)の娘役を演じた女優を覚えているでしょうか? 監督は自分の娘を抜擢したのですが、エンディングでドン・コルレオーネの身代わりのように殺されてしまいます。映画監督としてのキャリアを順調に積んでいるようですが、今回の《椿姫》はオペラでは初演出で注目され、成功を収めました。

 また、ヴァレンティノはご存じの方も多いでしょう。私は全く縁がありませんが、有名なブランドだそうです。終演後のカーテンコールの最後に登場して客席から大きな拍手を送られていました。

 ローマ歌劇場は3年前に行ったことがあり、正面玄関の雰囲気や豪華な客席が印象に残っています。しかし、イタリアの首都にありながら、ミラノやボローニャ、ヴェネチアやトリノに後れをとり、国内での評価はそれほど高くありません。事前のチラシでも演出やデザインのことばかりを注目するコメントが掲載されていたため、演奏にはあまり期待をしておりませんでした。出演は
ヴィオレッタ・ヴァレリー:フランチェスカ・ドット(ソプラノ・Francesca Dotto)
アルフレード・ジェルモン:アントニオ・ポーリ(バリトン・Antonio Poli)
ジョルジョ・ジェルモン:ロベルト・フロンターリ(バリトン・Roberto Frontali)
指揮:ヤデル・ビニャミーニ
演奏:ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団

演出や舞台美術はオーソドックスで、あまりゴテゴテしすぎず、歌手に注意を向けていることができます。作品の時代である19世紀半ばのパリの社交界(裏の社交界)をイメージしたのでしょうか、豪華な衣装は見ごたえがありました。演出家が女性だからでしょうか、タイトルロールである椿姫=ヴィオレッタが常に中心で、初めての人にも非常にわかりやすいとおっもいます。
オーケストラの演奏も、歌手ごとに色を変え、メリハリのあるいい演奏でした。指揮者も若手で、他では聴いたことはありませんが、うまくまとめ上げていて将来が期待されます。

オペラは総合芸術と言われます。音楽、物語(文学性)、衣装や舞台美術、舞踊(このオペラでは途中でバレエのシーンがあります)と、全てが素晴らしく、まさに総合芸術を堪能できる部隊です。

《椿姫》はストーリーがわかりやすく、オペラの醍醐味を堪能できる作品です。上演頻度も高く、これまでにも何度か取り上げてきました。あらすじも含めて、参考にして下さい。昨年のMETライブビューイングはここ、5年前のMETライブビューイングはここここ、また、ここここもみてください。

 《プリティーウーマン》という映画をご存じの方も多いでしょう。《椿姫》のパロディです。ここに少し感想を書きました。 

名フィル定期 第448回と第449回

 8月はクラシックの世界も夏休み、7月は21日と22日、9月は8日と9日にそれぞれ定期演奏会がありました。

 7月定期は《メキシコシティ/マイ・メキシカン・ソウル》と題して
モーツァルト:歌劇《ドン・ジョヴァンニ》序曲
モーツァルト:クラリネット協奏曲
モンカーヨ:ウアパンゴ
マルケス:ダンソン第2番
ヒナステラ:バレエ《エスタンシア》組曲
クラリネット独奏:アレッサンドロ・カルボナーレ
指揮:アロンドラ・デ・ラ・パーラ

 指揮者はメキシコ出身の女性、クラリネット独奏は、イタリア最高のオーケストラであるサンタ・チェチーリア国立管弦楽団の首席奏者です。

 前半はオーソドックスなコンサートのスタイル。聴きどころ2曲目。管楽器の協奏曲の中で最も有名な曲だと思います。CDでいろんな演奏を聴いていますが、カルボナーレのクラリネットはなめらかな音色で、しっとりとした心にしみるようなモーツァルトでした。一方で、ソリスト・アンコールは自身でアレンジした曲なのか、調節技巧を見せつけるかのようなすばらしい演奏でした。

 後半は指揮者の出身地である中南米出身の作曲家の曲が並びました。いかにも「ラテン」という雰囲気で、楽しい曲ばかりです。最後の曲(組曲の第4曲「まらんぼ」)はコンサートを締めくくるにふさわしいリズムと迫力のある演奏。今回はプログラム終了後にオーケストラアンコールとして最後の曲をもう1度演奏してくれました。このときは聴衆もスタンディングで手拍子を打ちながら、ポピュラー音楽で言う「さび」の部分でジャンピング。クラシックのコンサートとは思えない雰囲気で盛り上がりました。

 9月定期は《南京/中国のふしぎな旋律》と題して
ストラヴィンスキー:交響詩《夜鳴きウグイスの歌》
ウォルトン:ヴィオラ協奏曲
アルヴォ・ペルト:フラトレス
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容
ヴィオラ独奏:ウェンティン・カン
指揮:井上道義

  ミュンヘンの時にも触れましたが、クラシックのコンサートに出演者のキャンセルはつきもの。今回は、予定されていた指揮者のマーティン・ブラビンスがキャンセル。急遽、指揮者が変更。あわせてプログラムの一部も変更されて行われました。

 指揮者の井上は国内の主要なオーケストラでシェフを務めてきた我が国を代表するマエストロです。子どもの頃はバレエを習っていたそうですが、踊るように指揮をします。

 ヴィオラ独奏のカンは中国出身。パンフレット等には生年が記されていないのですが、キャリアから推測するとたぶんまだ20代。現在はスペインのマドリッドを拠点に活動しているそうです。ヴィオラ独特の柔らかくて暖かみのある音色は耳に優しく、聴いていて落ち着きます。この曲は管楽器は一般的な編成ですが、弦楽器はやや人数を少なくして演奏されました。その効果なのか、ヴィオラ独奏がオケの1つのパートであるかのように、全体の中によく溶け込んでいました。オケの音の中から気がつけばヴィオラの音が聞こえたり、いつの間にかヴィオラの音がオケの音と重なっていったり。CDで聴くと、録音がミキシングされて独奏部分が目立つよう聞こえてくるため、生演奏ならではの経験です。

 今回のプログラムはすべて20世紀に作曲された曲、言わば「現代音楽」だけをプログラミングしており、なかなか意欲的です。定期演奏会というのは、そのオーケストラの最も重要な演奏活動で、ここでもレパートリーや演奏水準でオケの実力が評価されます。こういうプログラムを組んで、なおかつお客さんが来てくれると言うことは、オケも聴衆の水準が高いと言うことでしょうか。

 後半は本来予定されていた曲をキャンセルして、井上のレパートリーの中から選んだ曲が新たに加えられました。
 初めて聴く作曲家で、予習しようにもCDもなく、あわててToutubeで探して聴いてみました。弦楽器と打楽器という珍しい組み合わせの短い曲です。やや悲しい雰囲気を感じさせる静かな曲です。今回のプログラムの中で最も心ひかれました。

 作曲者のペルトはエストニア生まれで、現在83歳。中世やルネサンス期の音楽を研究しながら、独自の様式を確立されたとのこと。古い宗教音楽のような雰囲気が漂いながらも、現代の響きを取り入れています。メロディーらしい部分はほとんどなく、むしろ、聖歌風の短いフレーズを強弱の変化をつけながら何度も繰り返すだけです。打楽器はクラベスという、拍子木のような打楽器をバスドラムの上で叩いて、両方を同時にならしています。単調な中にも深い精神性を感じました。

 9月から来年末くらいまでは、栄の芸術劇場コンサートホールが改修工事を行うため、名フィルの定期演奏会は全て金山の市民会館で行われます。栄のコンサートホールが1800席であるのに対して、市民会館は2200席。やや大きいため、席にはだいぶん余裕があるようです。たぶん、当時行っても十分に空いていると思います。「無料親子席」というのもあるようです(http://www.nagoya-phil.or.jp/news/news_2017_07_10_104124)いかがですか?

アンスバッハ・バッハ週間

 ニュルンベルク(Nuermberg)という街の名前はご存じの方も多いでしょう。その同じ行政単位、日本でいうと都道府県くらいの面積に相当する地域の行政上の中心地でアンスバッハ(Ansbach)という小さな街があります。ここで2年に1回、7月の中旬から8月始めにかけて《バッハ週間(Bachwoche)》と銘打った音楽祭が行われています。日本では「音楽の父」とされているヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach)の作品を中心にして、「週間」といいながらも1ヶ月弱の間、大小のコンサートやマスタークラス(プロを目指す若手音楽家向けのレッスン)、子ども向けの音楽教室などが開かれています。

 街の名前に”Bach”がつくからという理由だけらしいですが、すでに60年近く続いている音楽祭です。アンスバッハの街も静かで品のあるたたずまい。かつては神聖ローマ帝国内の有力な貴族が宮廷を構えて、その豪華な建物は現在も残されており見学することができます。ガイドブックにはほとんどで紹介されていない街ですが、旧市街は中世の面影を残し、レジデンツとともに見応え十分、隠れた名所です。

 バッハ週間でのコンサートの会場はアンスバッハ市内のいくつかの施設が使われますが、今回の2つのコンサートの会場はいずれもKirche St. Gumbertus(聖グンベルトゥス教会)。15世紀に造られた建物で、内部は木造、ミュンヘンの歌劇場同様に空調機器はありません。バルコニー席もあるため、客席数は約500でした。

8月4日:オルガンコンサート
8月5日:バッハ『ロ短調ミサ』

オルガンコンサート
 日本でオルガンというと、小学校などにある足踏みオルガンを思い浮かべる方の多いでしょう。しかし、ヨーロッパでオルガンとはパイプオルガンをさします。そして、教会には必ず設置されています。教会ごとにすべてオーダーメードされていて、建物のどの部分に、どのような規模のオルガンが設置されているかは、すべての教会で異なります。
St. Gumbertusのオルガンは、礼拝用の座席の向きに対して後方に設置されていて、演奏台(鍵盤の部分)もオルガンの直下に設置されています。したがって、オルガンコンサートはオルガンに対して後ろ向きに座って聴きます。紳士淑女たちが演奏者を観るわけでもなく、じっと目を閉じて聴き入ったり、何もない正面を正視しながら聴いたりと、不思議なものを見る思いでした。

 プログラムはいずれもバッハのオルガン曲で、礼拝用の合唱曲を編曲したものを含まれています。
オルガニストはWolfgang Zerer。残念ながらどんな経歴なのか分かりませんが、落ち着いた演奏でした。テレビでは演奏席をアップで映して、手や脚の動きがよく分かるのですが、今回は全く見えない位置にあって分かりませんでした。

Messe h-moll BWV 232
日本では一般に「ロ短調ミサ曲」と呼ばれています。

演奏は
ソプラノ:Robin Johannsen
アルト:Sophie Harmsen
テノール:Julian Pregardien
バス:Andreas Wolf
ウィンズバッハ少年合唱団
フライブルクバロックオーケストラ
指揮:Martin Lehman
を聴きました。

 一昨年、4月のイースターの時期に『マタイ受難曲』を聴きました。ロ短調ミサ曲と並ぶバッハの最高傑作とされ、国内でも比較的よく演奏されます。しかし、ロ短調ミサ曲はなかなか演奏される機会がなく、今回は非常に楽しみにしていました。

 この曲の合唱パートは多くは成人の合唱によって演奏されるため、音色などもっと幅広く豊かな響きがするはずです。しかし、少年合唱による均質な声での合唱は透明度が高く、これまで聴いたことのない響き。バッハの時代も、教会での合唱演奏の多くは少年合唱が担っていましたので、当時の人たちもこんな響きを味わっていたのでしょうか。

 オーケストラもバッハを始めとしたバロック時代の音楽の演奏に定評があり、すでに多くのCDもリリースしています。この団体は、バッハの時代の楽器と演奏法によって演奏します。今回の演奏を聴くに当たり、合唱とともに期待したところです。

 ソリストたちと少年合唱団も透明感のある声で、教会全体に響き渡り崇高な気持ちにさせてくれます。オケも落ち着いた響きで、声楽を邪魔することなくしっかりと支えていました。また、所々で現れるソロも、渋い音色で会場の雰囲気と合わせて、バッハの時代にタイムスリップしたような気分でした。

バイエルン国立歌劇場3

 2日目の《アンドレア・シェニエ》は19世紀末のイタリアオペラで、この時代を代表する作品とされていますが、上演頻度はそれほど高くありません。フランス革命前後のパリを舞台に、同名の実在の詩人を主人公とする物語。革命側に立っていたシェニエが、ロベスピエールの恐怖政治を批判して処刑されるまでを描いています。あらすじはまた改めて。

 主な登場人物は3人で、
Andrea Chénier(アンドレア・シェニエ、詩人):Jonas Kaufmann(ヨナス・カウフマン、テノール)
Maddalena di Joigny
(マッダレーナ・ディ・コワニー、コワニー家令嬢):Anja Harteros(アニア・ハルテロス、ソプラノ)
Carlo Gérard
(カルロ・ジェラール、コワニー伯爵家に仕える召使。フランス革命後は革命政府の高官(ジャコバン派)):Ambrogio Maestri(アンブロージ・マエストリ、バス)
指揮はOmer Meir Wellber

 この日が今年の音楽祭のフィナーレ、千秋楽ということもあり、トップ歌手が起用されました。3人とは言え、これだけの歌手が顔をそろえた舞台を生で見る機会はもうないかもしれません。主役を演じたカウフマンはミュンヘン出身ということもあってか、終演後のアンコールは7回。

 演奏者の「アンコール」とは、改めて演奏する場合をさすこともありますが、ここで言う「アンコール」は出演者が舞台へ出てきて観客に挨拶することをさします。こんな感じです(↓)
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 カウフマンは現在世界で最も人気のあるテノール歌手と言っていいでしょう。2年前の日本でのリサイタルのチケット代は目が飛び出るような価格です。もちろん、理由のあることで、端正なマスク、柔らかくふくよかな声質、絶妙のビブラートなど、同じレパートリーを持つ他の歌手たちと比較すると、人気のある理由がよく分かります。特に、弱音から初めてクレッシェンドしていくときの表現は涙が出そうになるほど心がわしづかみにされます。

 公式HPはここ(http://newalbum.jonaskaufmann.com)です。興味のある方はご覧下さい。

 隣にはウィーンから来たというやや年配のご婦人が2人。カウフマンの追っかけをされているようで、どのような旅程で来られているのか分かりませんが「カウフマンは旅行してでも聴く価値があるわ」とのこと。「でも、日本はちょっと遠いわね」とも言われましたが。

 終演後、楽屋口で待っているとマエストリ(下の写真)とハルテロスは出てきましたが、カウフマンは別の出口からこっそりと出たとのこと。彼目当てで待っていた多くの女性ファンががっかりしていました。千秋楽後のパーティーの約束でもあったのでしょうか。
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バイエルン国立歌劇場2

 バイエルン国立歌劇場、ドイツ語ではBayerische Staatsoper、州立歌劇場とよばれることもあります。ドイツは連邦国家ですから国の下の行政単位は州”Staat”で、アメリカとよく似ています。したがって、州単位で憲法があり、多くの法律があり、首相がいて、もちろん議会があります。外交や防衛は国が担い、基本的な教育や刑法、民法の枠組みは全ての州で同じでしょうが、いろんな制度が異なっているようです。組織としての歌劇場も州が管理、助成して成り立っているようで、やはり「州立」なのでしょうが、もともとがバイエルン王国の「国立」であったことなどから、「国立劇場」とよばれることが多いようです。ややこしいのですが、建物自体は”Bayersches Nationaltheather”で、文字通り「バイエルン国立劇場」です。ドイツ国内ではベルリンの歌劇場と並ぶ規模と実力を備えています。

 ミュンヘン市の中心部、旧王宮の建物と連続するようにつくられています。正面玄関はギリシャ建築を思わせます。”LIVE”の横断幕が出ていますが、さえないですね。わかりにくいですが、男性はタキシード、女性はドレスでびしっと決めた人を大勢見ました。
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 内部は、1階のアリーナ(平土間)席、2階以上は壁面のバルコニー席で、左側が舞台です。バルコニー席の中央や舞台のすぐ横で2つの階が1つになった部分は貴賓席。かつては国王を始めとするVIPたちが座ったのでしょう。現在は通常の座席としてしかるべき料金を払えば予約できます。私たちはちょうど中央の貴賓席の少し横、鑑賞するには非常にいい席ですが、席のグレードは上から3番目くらいです。一番高いのは1階の前方です。
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 天井やバルコニーには漆喰彫刻が施され、シャンデリアが輝いています。下の写真は幕間の舞台で、舞台下がオーケストラピットです。

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バイエルン国立歌劇場1《続き》

 《ホフマン物語》のあらすじを簡単に記します。

第1幕(プロローグ)
 ドイツ・ニュルンベルクにあるルーテル酒場。近くの歌劇場ではモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》が上演され、歌姫ステラが歌っています。ホフマンが友人のニクラウスと酒を飲みながらステラを待っている。街の有力者(顧問官という肩書きが着いている)であるリンドルフはステラの従僕を買収して、ステラからホフマンに宛てたラブレターを買い取る。ホフマンは酔っ払って、過去の3つの恋物語を語り始める。ここでは冒頭のリンドルフと、最後にホフマンが歌うアリアが聴き所。

第2幕:オランピア
 物理学の教授の家。ホフマンは娘のオランピアを窓越しに見て一目惚れ。一方で、ホフマンはコッペリウスという怪しげな商人から買ったメガネをかける。夜会が始まり、メガネをかけたホフマンはオランピアの美しさと軽やかな歌声に魅了され、一緒に踊る。ところが、オランピアは踊りが止まらなくなり、ついに壊れてしまう。オランピアは教授がつくった機械仕掛けの自動人形でした。なんと言ってもオランピアのアリアがききどころ。超絶技巧で、人間離れしたかのような(すなわち人間ではなく機械だからこそ歌えるような)アリアはこのオペラで最も有名。

第3幕:アントニア
 ホフマンはミュンヘンにいる恋人アントニアを訪ねる。アントニアは歌手だった母の影響で歌うことが好きだが、病気のために父親から歌うことを禁じられている。ホフマンと再会したアントニアは、愛の歌を歌う。医師のミラクルが現れて、アントニアを歌うようにそそのかす。亡くなった母親の亡霊が現れて、同様に歌えと誘うため、アントニアは体力の限り歌い、最後にはなくなってします。この幕ではアントニアがアリア、母親の亡霊やミラクルとともに三重唱など何度か歌声を聴かせてくれます。歌手が歌手の役を演じるという場面で、叙情的な表現力が問われます。

第4幕:ジュリエッタ
 舞台はヴェネツィア。ホフマンとニクラウスが娼婦ジュリエッタの館へ。ここで歌われるニクラウスとジュリエッタの二重唱が《ホフマンの舟歌》として知られています。その後、魔術師のダペルトゥットが大きなダイヤモンドを娼婦のジュリエッタに見せて気をひき、ジュリエッタにホフマンの影を盗むようにそそのかす。ホフマンはジュリエッタの虜になり、恋敵と決闘。ジュリエッタはホフマンの影を奪ってダペルトゥットとどんどらで去って行く。

第5幕(エピローグ)
 再びニュルンベルクのルーテル酒場。ホフマンは3つの失恋話を語り終え、酔いつぶれている。《ドン・ジョヴァンニ》は終演しステラがやってくるが、酔いつぶれたホフマンを見て、リンドルフと立ち去っていく。友人のニクラウスは実はミューズ、つまりギリシャ神話に登場する芸術、音楽の女神。ミューズがホフマンに霊感を与え、ホフマンがミューズをたたえて終わる。

 舞台のつくりはいずれも簡単で、わかりやすい演出でした。また、登場人物が多いのですが、プロローグとエピローグのリンドルフ、第2幕のコッペリウス、第3幕のミラクル、第4幕のダペルトゥットは、いわば悪役。バスでドスのきいた声が理想。2幕から4幕のヒロインはいずれもソプラノ、ホフマンの友人のニクラウスは役としては男性ですが、ミューズも同じ歌手が歌い、女神であるため歌うのは女性、メゾ・ソプラノです。この他に、ルーテル酒場の亭主役、アントニアをつくった物理学者、アントニアの父親、ジュリエッタの恋敵と、多くの歌手が登場します。

バイエルン国立歌劇場1

 7月の終わりからドイツに行ってきました。目的はいろいろありますが、名付けて『ミュンヘン・オペラフェスティバルとアンスバッハ・バッハ週間を鑑賞し、バイエルン・フランケン地方の歴史と自然を満喫する旅』。ちょっと欲張りすぎて消化不良になりましたが、歴史ある歌劇場で世界トップの歌声を堪能し、教会でのオルガン・コンサートを聴くなど日本では絶対に味わえない貴重な体験でした。

 ヨーロッパの音楽シーズンは通常秋から初夏にかけてですが、オフシーズンである夏にも場所やテーマを限定して「音楽祭」と銘打って特別の演奏、上演が行われることがあります。ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場(または州立歌劇場)(Bayerische Staatsoper)は19世紀初めにつくられた宮廷歌劇場を起源とする施設、団体で、毎年7月いっぱいを「ミュンヘン・オペラフェスティバル」として、他の劇場なども使いながら多くのオペラを上演しています。

 今回は、最後の2日間の上演である
7月30日:オッフェンバック作曲《ホフマン物語》
7月31日:ジョルダーノ作曲《アンドレア・シェニエ》
を観てきました。

 この歌劇場は内外ともに非常に豪華で、客席数は2,000を超えてドイツで最大とか。ホールの音響もすばらしく、歌手の声がよく通ります。バルコニー席の3階でしたが、舞台からそれほど離れておらず、一体感があります。価格は出演するソリストによって変わりますが、日本の演奏団体(二期会など)による上演とだいたい同じくらいでしょうか。バイエルン国立歌劇場は今年の秋に来日公演(たぶん東京だけ)がありますが、現地の2倍から4倍の価格です。

 当日感じた唯一の欠点は空調機器が設置されていないこと。当日はミュンヘンにしてはかなり暑い日(たぶん最高気温は34度くらい?)で、ホール内はムンムンして舞台で演じる歌手たちはさぞつらかったのではないでしょうか? 旅行中に泊まったホテルでもエアコンは設置されていませんでした。日本でも北海道では家庭にクーラーはないそうですが、だいたい同じくらいの気温でしょう。

 『ホフマン物語』は、ドイツの詩人であるETA・ホフマンの短編小説をモチーフにしたオペラです。作曲者のオッフェンバックはフランス人で、台本もフランス語。オペラでは珍しいオムニバス形式の作品です。作品中で最も有名なのは「ホフマンの舟歌」。第4幕の冒頭で歌われる名曲で、聴けば分かる方もいるのではないでしょうか? 

 プロローグとエピローグを含めた5幕構成で、主人公のホフマンはすべてに登場しますが、2幕から4幕でそれぞれヒロインが異なります。また、1幕と5幕、さらに2幕から4幕でそれぞれ異なった役どころの悪役が登場します。あらすじは別の機会にまとめるとして、感想だけ簡単に記します。

 配役は
Hoffmann(ホフマン):Michael Spyres
Nicklausse
(ニクラウス)/ Muse(ミューズ):Angela Brower
Lindori
(リンドルフ)/ Coppélius(コッペリウス)/ Dappertutto(ダペルトゥット)/ Miracle(ミラクル):Nicolas Testé
Olympia
(オランピア):Olga Pudova
Antonia
(アントニア)/ Giulietta(ジュリエッタ)/ Stella(ステラ):Diana Damrau(ディアナ・ダムラウ)
指揮:Constantin Trinks

 ヒロインはいずれもソプラノですが、それぞれ異なった声質や表現力を求められます。1人の歌手がすべてを演じることはあまりなく、今回も第2幕のオランピア(コロラトゥーラ・ソプラノ)と、それ以外を別の歌手が歌いました。第2幕のオランピアはコロラトゥーラ・ソプラノ、第3幕のアントニアはソプラノ・リリコ、第4幕のジュリエッタはソプラノ・スピント、さらにエピローグ(プロローグにも登場しますが歌うことはありません)に登場するステラはソプラノ・リリコ?と、それぞれに別の歌手を当てることもあるほど、求められるものに違いがあります。悪役は4人出てきますが、バスで多くは1人がすべての役を演じます。

 今回の売りは悪役をアブダラザコフという、今売り出し中のバス歌手が歌うことでした。オペラでソリストのキャンセルはよくあることで、1週間ほど前にキャンセルとなり、今回歌った歌手は代役です。さらに、アントニアとジュリエッタ、ステラを歌うはずだった歌手も直前にキャンセル。代役は本来歌うはずの歌手よりも格下の歌手が勤めることが多いのですが、今回はドイツきってのソプラノ歌手であるダムラウ。まさか生で聴けるとは。

 ダムラウは以前に紹介したMETライブビューイングの《ロメオとジュリエット》でジュリエットを歌いました。オランピアを歌ったPudovaもすばらしかったのですが、やはり存在感が違います。一声出しただけで雰囲気が変わります。声量もすばらしく、また、役ごとの表現の違いも見事でした。ごく自然に声を出しているようなのに、客席の後ろまでしっかり届き、声量や声色の変化が手に取るように感じられました。期せずしてですが、すばらしい体験でした。

 終演後、楽屋口で待っていると(出待ちです)出演者が次々と出てきてサインや写真撮影に応じてくれました。日本では考えられないことです。ダムラウとも2ショットを撮りました。

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名フィル定期 第447回 ホルンの妙技

 今回は「6月定期」ですが、ややずれて7月1日でした。プログラムは
モーツァルト:交響曲第40番ト短調
リヒャルト・シュトラウス:ホルン協奏曲第1番ホ長調
リヒャルト・シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』
リヒャルト・シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』
ホルン独奏:シュテファン・ドール
指揮:小泉和裕
でした。

 なんと言っても2曲目、ベルリン・フィル首席ホルン奏者の実力を堪能しました。伸びやかな音色、完璧なテクニック、豊かな表現力、そして、演奏前後の謙虚な態度。前回のコンサート・マスターといい、どれをとっても超一流とはこうしたものかと、感嘆しました。今回の来日に関する情報はここにあります。

 作曲者のリヒャルト・シュトラウスは、同じシュトラウス姓ですが、ワルツ王として名高いヨハン・シュトラウスと血縁関係はありません。リヒャルト・シュトラウスはミュンヘン生まれ。すぐ南にはアルプス山脈がそびえています。きっと、本人にとってはなじみの風景なのでしょう。この曲の冒頭のホルンのファンファーレはまさにアルペンホルンそのものです。

 父親は当時の世界的なホルン奏者。毎日の練習の様子などから、ホルンという楽器についてよく知っていたのでしょう、その特性を余すところなく汲み尽くしています。作曲当時、楽譜を見た父親は演奏不可能と言ったそうですが、「お父さんが毎日の練習でやっている通りではないか」と言ったとか。確かに、金管楽器奏者が練習でよくやっているようなフレーズがたくさん含まれています。そうは言っても、それまでのホルンの曲にはないようなパッセージが多々あるようで、難曲であることには違いありません。

 吹奏楽をやっていた人は分かると思いますが、ホルン奏者はよく音を外します。名フィルの演奏でもよく外しているのを聴きます。難曲であればなおさらですが、私の耳では外したところなど一ヶ所もなかったように聴こえました。あれだけ速い動きの中で、実にすばらしいテクニックです。

 2014年1月の第409回定期演奏会では、元ベルリン・フィル首席ホルン奏者のラデク・ベボラークをソリストに迎えて同じリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第2番が取り上げられました。たまたま同じ作曲家の曲ですが、いずれも妙技を堪能できました。

 今回のテーマは『ベルリンのホルン』、もちろんベルリン・フィルの首席奏者を招いたがゆえのテーマですが、後半の交響詩でもホルンは大活躍します。特に、最後の『ティル』は、冒頭でのホルンのファンファーレは有名です。

 ところで、今回のプログラムはモーツァルトとシュトラウス。などこのような組み合わせなのかを少し穿ってみます。

 シュトラウスはモーツァルトを大変尊敬していた、あるいは大のモーツァルトファンでした。前回紹介した《ばらの騎士》というオペラはモーツァルトの《フィガロの結婚》というオペラのパロディのようなところがあり、「古き良き時代」への憧れだけではなく、モーツァルトに対するオマージュも含まれています。こうしたところから、2人の作品を並べてプログラムを組んだのだと思いますが、この2人にはいくつかの共通点があります。

 モーツァルトの時代からシュトラウスの時代まで、作曲家はオーケストラのための曲とオペラの両方を作曲しようとしていました。しかし、両方で多くの名曲を残せた作曲家はモーツァルトとシュトラウスだけです。そして、彼らの残したオーケストラ曲の名曲の中の名曲が今回のプログラムで取り上げられた
交響曲第40番(三大交響曲といわれる39,40,41番が最も有名ですが、その中の1曲です)と2つの交響詩、特に最後の『ティル』です。

 そして、モーツァルトは短命(36歳を目前にしてなくなっています)でしたが、交響曲第40番は32歳の時の作品、シュトラウスは85歳の長命(1948年になくなっています)を保ちましたが、『ティル』を作曲したのは31歳。もちろん、2人ともそれまでに多くの曲を書き、評価されていました。


 交響曲というのはきちんとした形式を決めて、論理的に形作っていくタイプの音楽です。映画の影響で、やや天真爛漫でとらえどころがないかのような印象を持たれているモーツァルトですが、39,40,41の三大交響曲は完成度が高く、形式を重んじる「古典派」を極めていると言っていいでしょう。個人的には41番の終楽章が大好きですが、シュトラウスも「最も偉大なもの。天国にいる思いがする」と語ったそうです。

 これに対して交響詩は音楽によって物語や情景、出来事を描いていく音楽です。『ティル』は、古来ドイツで語り継がれてきた民話です。シュトラウスは「スプーン1本でも音楽で表現できる」と言ったとか言わなかったとか。

 同じオーケストラ曲でも曲の性格、内容は全く正反対です。間にホルンの妙技をはさんで、音楽の懐の深さを感じさせてくれるコンサートでした。

 次回、7月の21,22日はメキシコ出身の女性指揮者(まだまだ珍しいので、あえて強調します)がお国ものを指揮します。また、モーツァルトも再び取り上げられ、あらゆる管楽器の協奏曲の中で最も有名でしょう、クラリネット協奏曲が演奏されます。ソリストはイタリア最高峰のオーケストラ、聖チェチーリア管弦楽団の首席クラリネット奏者です。

METライブビューイング《ばらの騎士》

 今シーズンの最終上映が終わりました。リヒャルト・シュトラウス作曲の歌劇《ばらの騎士》、3幕で実演奏時間3時間半、かなりの長丁場ですがあっという間に終わったような気がしました。

 あらすじはずいぶん前に書いたものですが、
ここを参考にして下さい。何を感じるかはその人に寄りますが、「時のうつろい」、「人の持つ愚かさ」などさまざまでしょう。台本を書いたのは、19世紀末から20世紀初めにかけて、ドイツを代表する作家であったホフマンスタールです。したがって、「文学オペラ」という言い方もできるでしょう。

 今回の配役は
元帥夫人:ルネ・フレミング
オクタヴィアン:エリーナ・ガランチャ
ゾフィー:エリン・モーリー
オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ

 フレミングもガランチャも、それぞれの役を得意として長く演じているようですが、今回の公演でともに役を卒業するとのこと。オペラの役にはそれぞれにふさわしい声質があります。しかし、人の声は年齢とともに変わっていくため、どんなに得意としていても生涯を通じて歌い続けられる、あるいは聴いてもらえるわけではありません。ふたりとも、それぞれの役としては現在を代表する歌手で、すぐに変わる人材が現れるとは思いませんが、将来に期待しましょう。

 今回は、2人の演唱が実にすばらしく、どんどん引き込まれていきました。また、彼女らに応えるかのように、オーケストラの演奏も実にすばらしく、聴き応えがありました。指揮者のヴァイグレを聴くのはたぶん今回が初めてだと思います。実直そうな風貌でしたが、歌手との呼吸を計りながらオケをうまく操っていたように思います。

 今回はこれまで長く使われてきた演出をやめて、新たな演出によって上演されました。あらすじにも書いたように、このオペラはベッドで2人が戯れているところから始まる演出がほとんどです。ところが、今回の演出はベッドルームは扉の向こうに隠され、前奏曲が終わるとオクタヴィアンが扉を開けて出てくるところから始まります。つまり、扉の向こうで何をしていたのかと想像をたくましくさせる演出。なかなか考えたものです。かえってどきっとさせられました。

 演出家はロバート・カーセンという、現在売れっ子のオペラ演出家です。実は今回の「ばらの騎士」の演出は数年前に別の歌劇場での演出を少し改訂して使われています。以前のバージョンと比べると、より練られているようで、非常にわかりやすくなっています。

 来シーズンの予定はすでに発表されています(
ここをご覧下さい)。プッチーニの「トスカ」、「ボエーム」やモーツァルトの「魔笛」など、有名作品も取り上げられており、初めての方にも楽しめるプログラムです。

名フィル定期 第446回 ベルリン・フィルのコン・マスのチャイ・コン

 今シーズン2回目、本来は5月中にあるべきだったのでしょうが、出演者の都合なのか、6月最初の週末に。テーマは《サンクトペテルブルク/ロシア革命》で、プログラムは
吉松隆:鳥は静かに…
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
ショスタコーヴィチ:交響曲第12番二短調『1917年』
ヴァイオリン独奏:ノア・ベンディックス=バルグリー
指揮:川瀬賢太郎

 今回のハイライトは2曲目、ヴァイオリン協奏曲です。ソリストはあのベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターです。2014年に第1コンサートマスターに就任した、現在32歳の俊英。すらりとした長身で、まるで子ども用のヴァイオリンを持っているようでしたが、初演に先立って「演奏不可能」と断られたという難曲をいとも簡単に弾いている姿は多くの女性を魅了したのではないでしょうか。

 彼らのような超一流の演奏を聴くといつも感じることですが、楽器(声も含めて)の音の大小と強弱は決して同じではありません。今回も、楽譜ではおそらくp(ピアノ)またはpp(ピアニッシモ)であっても、弱々しい音がしているわけではなく、小さな音ではあってもすぐ近くで鳴っているように聴こえます。f(フォルテ)あるいはff(フォルテッシモ)であろう部分は、もちろん大きく聞こえますが、決して頑張って引いているわけではなく、様子は小さい音の時のかわらず。ヴァイオリンの場合に非常によくわかりますが、歌手の歌声でも全く同様です。

 チャイコフスキーは稀に見るメロディーメーカーだと思いますが、どの曲も非常に哀愁を帯びたような情感を感じる演奏がほとんどです。今回は指揮者もソリストも若いせいでしょうか、明るく軽やかな雰囲気を感じました。もちろん、随所に「ロシアの大地」を感じました。

 後半のショスタコーヴィチの交響曲第12番の表題は「ロシア革命」を表しています。ちょうど100年の節目になる今年を記念して取り上げられました。通常の交響曲の形式を踏まえ4楽章構成で、特に第1楽章と第4楽章は大音量を響かせ聴きごたえ十分でした。

 次回定期は6月30日と7月1日で、名フィル音楽監督である小泉和裕の指揮でモーツァルトとリヒャルト・シュトラウスです。ソリストは今回と同様、ベルリン・フィルの首席ホルン奏者であるシュテファン・ドールです。(詳細はここをご覧ください

METライブビューイング《エフゲニー・オネーギン》


 5月21日、今シーズンの9作目
チャイコフスキー:歌劇《エフゲニー・オネーギン》
を見て来ました。
 原作はプーシキンの同名の韻文小説。ロシアでは誰もが知る作品で、一部分は暗唱するのが当たり前と、出演者が語っていました。

 主な出演は、
エフゲニー・オネーギン:ペーター・マッテイ
タチアナ:アンナ・ネトレプコ
でした。
 タチアナを歌ったネトレプコはウクライナ出身で、現在最高のソプラノ歌手。昨年3月の来日公演(記録はここです)も聴きに行きましたが、存在感が違います。やや太ったようで、そのためかどうか声質も少し野太くなっていました。今回の作品ではあまり高音部がないのか、かつて別の作品(『ランメルモールのルチア』など)で聴かせてくれたのような輝かしい響きはありませんでしたが、演技力には磨きが掛かっています。
3年半前にもライブ・ビューリングで上映され、このときのタチアナも今回同様にアンナ・ネトレプコ。録画を持っているので事前に聴いていこうと思っていながら時間がとれずにかないませんでした。記憶を頼りに改めて聴き、視比べてみようと思います。

 オネーギンのマッテイはスウェーデン人ですが、演技力がすばらしく、METライブ・ビューイングではたびたび出演しています。数年前のロッシーニの《セビリアの理髪師》でのフィガロ役が印象に残っています。

 次回作は今シーズンの最後で、
リヒャルト・シュトラウス作曲の歌劇《ばらの騎士》、私の一番好きなオペラです。主な登場人物は4人、今回のキャストは、現在考え得る最高のメンバー。性別、世代の異なるため、必ず誰かには感情移入できるでしょう。どれに最も親近感を持つかはみる人次第。何人かで観に行って、互いの感想を出し合うのも楽しみ方の1つかと。

名フィル定期 第445回 シドニー/シューベルト

 愛知県下には常設のプロのオーケストラがいくつかありますが、その中で最も歴史があり、全国レベルで活動しているのが名古屋フィルハーモニー交響楽団(略称:名フィル)です。およそ10年ほど前から定期演奏会の会員として、毎月の演奏会を聴きに行っています。定期演奏会は、古くは「予約演奏会」といって、予め聴衆を募って演奏会を開く形式。現在は年間予約して、毎回同じ席で聴けて、いろんな特典を付けているケースが多いようです。

 名フィルの定期演奏会は毎年4月から翌年の3月までを1シーズンとして、年間のテーマを設定してプログラムが決めるという、世界的にも珍しい形式をとっています。今年のテーマは《音楽の都市・都市の音楽家シリーズ》と題して、名古屋の姉妹都市てであるシドニー、メキシコシティー、南京、ロサンジェルス、ミラノを中心に、それらの都市ゆかりの出演者、曲目を取り上げてプログラムが決められています。

 第1回目の今月のテーマは「シドニー」、シドニー出身の指揮者を招き、シドニー出身の作曲家の作品が取り上げられました。また、この作品に関連してシューベルトの交響曲、そして、オーストラリアのかつての宗主国であるイギリスを代表する作曲家であるエルガーの代表作がメインです。

 プログラムは
シューベルト:交響曲第7番ロ短調《未完成》
ハインドソン:弦楽四重奏と弦楽オーケストラのための幻想曲《ライヴ・アンド・ナイティンゲール》
エルガー:エニグマ変奏曲(原題の日本語訳は「独創的主題による変奏曲」です)
弦楽四重奏:ウェールズ弦楽四重奏団
指揮:ニコラス・ミルトン

 第1曲目はあまりにも有名です。表題は作曲者が付けたわけではありませんが、かつて同名の映画が作られたこともあり、広く知られています。1度は全曲を通して聴いてみるのもいいのではないでしょうか。かくいう私も、学生時代に自分たちで演奏こそすれ、生を聴いたのは初めてかもしれません。

 交響曲は一般に4つの楽章からなるオーケストラ曲ですが、《未完成》が示すように楽章が2つしかなく、3つ目の楽章の冒頭部分の作曲者自筆譜が残されているだけで、未完とされています。なぜそうなったかはおそらく永遠の謎でしょう。ただ、現存の2つの楽章だけで十分にすばらしい楽曲であり、頻繁に演奏されます。やや陰鬱な表情で始まり、ずっともやがかかったようなまま進みます。時折明るい日差しが差し込むような瞬間もありますが、最後までもやは晴れず。

 第2楽章には有名なクラリネットとオーボエのソロがあります。一番の聴き所で、名フィル、それぞれの首席奏者の演奏も期待に違わぬものでした。

 2曲目は日本初演、つまり、国内でこれまで演奏されたことのない作品です。作曲者のマシュー・ハインドソン(Matthew Hindson)は現在のオーストラリアを代表する作曲家とのこと。今回の楽曲は、弦楽四重奏をソリスト代わりに使うという珍しいスタイルで、2001年に作曲された曲。シューベルトがもし現代に生きていたらどんな曲を作っただろうかという問題意識で、弦楽四重奏曲第15番の第1楽章をモデルにしてポピュラー音楽のリズムや和音を取り込んで作曲されています。冒頭は原曲の弦楽四重奏曲のままですが、その後オーケストラが入ったところから硬軟、強弱、明暗など、様々な対比が描かれていたような気がします。非常におもしろい演奏でした。

 ゲストの弦楽四重奏団は、「ウェールズ」というイギリスの地方の名称が付けられていますが、日本人の若手のグループです。オーストラリアにも「ニューサウスウェールズ」という地名もあります。

 休憩をはさんで、メイン・プログラム。作曲者のエルガーは20世紀前半に活躍したイギリスの作曲家。行進曲『威風堂々』の方が有名ですが、今回演奏された『エニグマ変奏曲』は作曲者の出世作です。

 「変奏曲」とは、冒頭で短い、多くは単純なメロディーが奏され、このメロディーを変奏、つまり少しづつ変化させた曲を次々と繰り出していく楽曲です。ピアノを習っていた方はモーツァルトの『きらきら星変奏曲』を発表会などで演奏したことがあるのではないでしょうか。

 タイトルの「エニグマ;enigma」とは、ラテン語で「謎」の意。日本では『変奏曲“謎”』とよばれることもあります。「謎」の意味は「この曲には小さな謎と曲全体に画された大きな謎がある」と作曲者自身が語ったことに由来しています。冒頭のテーマははややメランコリックな色合いで、これ自体謎めいた雰囲気ではあります。エルガーの語った、「小さな謎」は変奏曲のそれぞれに付されたタイトル。多くは作曲者の周囲の人々のイニシャルやニックネームで、それぞれの人たちを音楽で表現しています。確かに、各曲ごとに全く異なった表情で、オケを構成する楽器群の音色や得意な表現を堪能することができます。各曲が誰のどのような部分を表現しているかなど知らなくても、「オーケストラ」を十分に楽しむことのできる名曲でしょう。名フィルの演奏も、指揮者の棒に操られるかのように、充実した響きを聴かせてくれました。フィナーレにはオルガン(パイプオルガン)も入り、音の厚みが増して聴き応えがありました。

 エルガーのいった「大きな謎」は未だ解明されていないそうです。今回のプログラムは、「未完成」の謎とかけてかけての選曲かもしれません。

 来月の定期は、5月の最終金曜とよく6月の第1土曜にかけてですが、日本人作曲家の作品と、チャイコフスキーの名曲、ヴァイオリン協奏曲、そして、ロシア革命100周年を記念するショスタコーヴィチの交響曲第12番『1917年』です。

METライブビューイング《椿姫》

 METライブビューイング《椿姫》
先週土曜日から、名駅・ミッドランドスクエアシネマ1で
ヴェルディ:歌劇《椿姫》
が上映されています。午前と夕方の2回上映です。

 《椿姫》はイタリア語の原題は”La Traviata”、日本語題名も正式には原題をカタカナ表記して《ラ・トラヴィアータ》といいます。”traviata”はイタリア語で「堕落する、道を踏み外す」を意味する”travare”の名詞形の女性形がですから、『道を踏む外した女性」という意味です。《椿姫》はこのオペラの原作であるアレキサンドル・デュマ・フィスの小説”La Dame aux camelias(直訳は「椿の花を持つ女」)”の日本語題名です。

 おそらく世界で最も上演頻度の高いオペラの1つで、非常に人気があります。ストーリーのわかりやすさ、内容の普遍性、音楽のすばらしさ、どれをとってもぬきんでています。オペラ歌手にとってもやりがいのあるようで、主役のヴィオレッタ役はソプラノ歌手にとっての憧れとのこと。何度聴いても、視ても新しい発見のあるオペラです。

 主な登場人物は3人。役割もはっきりいて、このわかりやすさも人気の要因でしょう。今回は主役のカップルに新進気鋭の若手歌手が抜擢されていて
ヴィオレッタ・ヴァレリー(パリの高級娼婦)、ソニア・ヨンチェヴァ(ソプラノ)
アルフレード・ジェロモン(南仏・プロバンスの旧家出身の青年):マイケル・ファビアーノ(テノール)
の2人。2人とも30代前半でしょうか。もちろん、中心はなんといってもヴィオレッタ。第1幕からほとんど出ずっぱりです。初めのうちはややセーブしていたのか、やや単調な気がしましたが、第1幕最後のアリアから盛り上がってきて、第2幕、第3幕では気迫や声量だけでなく、表現力がすばらしい。客席のあちこちから鼻をすするような音がたびたび聞こえてきました。特に女性の方は感情移入されたのではないでしょうか。今後が楽しみです。

 もう1人の
ジョルジョ・ジェロモン(アルフレードの父):トーマス・ハンプソン(バリトン)
はベテラン。現代を代表するバリトン歌手で、やはり安心して聴いていられます。

 ストーリーなどはここを参考にして下さい。

 次回はゴールデンウィークの後半からの1週間で、モーツァルトの『イドメネオ』です。

METライブビューイング《ルサルカ》

 少し時間がたってしまい、やや記憶も薄れてきています。3月中旬に今シーズン6作目の
ドヴォルザーク:ルサルカ
が上映されました。キャストは
主役の水の妖精・ルサルカ:クリスティーヌ・オポライス(ソプラノ)
ルサルカに恋をする王子:ブランド・ジョヴァノヴィッチ(テノール)
森の魔女・イェシババ:ジェイミー・バートン(メゾソプラノ)
外国の王女:カタリーナ・ダライマン(ソプラノ)
水の妖精・ヴォドニク(ルサルカの父親):エリック・オーウェンズ(バスバリトン)
指揮:マーク・エルダー
演出:メアリー・ジマーマン
メトロポリタン歌劇場合唱団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団。

 ストーリーはちょうど「人魚姫」と同じです。ドヴォルザークはチェコの出身ですが、チェコを含めてヨーロッパ各国に同様のストーリーの民話が残されているようです。それらをあわせて、チェコの有名な詩人が台本をつくり、ドヴォルザークが曲を付けた作品。『新世界』や『アメリカ』など、器楽曲のイメージが強いドヴォルザークですが、歌劇も10作残していて、この《ルサルカ》が最も上演頻度が高いようです。

 ストーリーを簡単に紹介すると、
第1幕:森の池に済む水の妖精・ルサルカが通りがかったその国の王子に恋をして、人になって愛し合いたいと父親に相談。森の魔女であるイェシババの力を借りて人の姿に。代償として声を失います。王子は人になったルサルカに一目惚れ。始まりの部分でルサルカが歌うアリア《月に寄せる歌》が最も有名です。叙情的で実に美しく、メロディーメーカーであるドヴォルザークの面目躍如たる部分です。
第2幕:館に連れ帰って、さそく結婚式。ところが、全く口をきいてくれないルサルカに嫌気がさした王子は、祝いに現れた隣国の王女に口説かれて心うつり。悲しむルサルカを父親が迎えに来ます。最も登場人物が多く、バレエも加わって華やかな部分です。アリアに重唱にとオペラの醍醐味が味わえます。
第3幕:森に帰って悲しむルサルカのところに、王子が「忘れられない」とやってきます。王子はルサルカとの口づけを求めますが、これは王子の死につながるといいながらも、ルサルカは王子に口づけ。王子は死に、ルサルカも池の底へ。

 演出はオーソドックスな舞台装置でわかりやすく、演奏も充実していました。これまでに見た映像では、ルサルカは妖精らしく、かわいく、あるいは妖艶に描かれていましたが、今回はややシビアに人、王子に接しているように見えました。オポライスは売り出し中のソプラノ。声が澄んでいて、聴きようによってはやや冷たくも感じされます。うまく個性を生かして、王子、ひいては人間界に対する不信を表現していたように思います。

 このオペラは「自然対人」の構図で描かれることも多いようで、今回もそういう目で見ると自然に対する人間の身勝手さや傲慢さのような、現在の我々に問いかけてくるような面を持っている気もします。作曲当時、台本作者や作曲家がどのように考えたかは分かりません。歌詞もあるので台詞のままに理解することもできるのですが、音楽が付くことで抽象化され、より普遍的なテーマとして理解させてくれます。オペラの持つ力ですね。

 次回は4月8日から、ヴェルディ作曲《椿姫(ラ・トラヴィアータ)》です。おそらくオペラの中で最も有名な作品です。登場人物も少なく、ストーリーもわかりやすい。音楽的にもなじみやすい作品で、実演奏時間も2時間余と初めての方にもそれほど無理がないと思います。午前中と夕方の2回上映ですし、行きやすいのではないでしょうか? 新学期が始まっていますが、時間をつくって是非。

名フィル定期 第444回:ブルックナー交響曲第8番

 今月の名フィル定期は先週末(3月17,18日)で、
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
指揮:小泉和裕
でした。

 シーズンの締めくくりは大曲、1曲ですが、4楽章構成で演奏時間は約1時間半。交響曲の中でも傑作中の傑作。宇宙を表現しているかのような雄大な曲です。学生時代にオケでやったことがあり、それなりに思い入れもあるのものの、かつてはどこがいいのかよく分かりませんでした。これは8番に限らず、ブルックナーの全ての交響曲に対して同様に感じていました。年齢を経たからか、この10年くらいはややのめり込み気味です。特に、名フィルの定期では毎年必ずと言っていいほどブルックナーの交響曲が取り上げられ、その都度予習をかねていろんな演奏を聴き、また、名フィルの演奏も毎回すばらしいからかもしれません。

 作曲者のブルックナーは1824年、オーストリアのリンツ近郊の生まれ。同じくオーストリア生まれではヨハン・シュトラウス2世が1歳下、チェコのスメタナとは同い年です。また、少し年上にワグナーやヴェルディ、少し年下にブラームスやサン=サーンスがいます。ブルックナーは若くしてリンツの聖フローリアン修道院(付属図書館が有名です。宿泊もできます)のオルガニストになり、その後ウィーンに出て大学で作曲の先生をしながら、自らも交響曲や宗教音楽を作曲しました。オーケストラの曲としては10曲の交響曲のみと言ってよく、一般にはあまり有名とはいえませんね。

 どの交響曲も長く、やや重たいですが、教会でオルガンが鳴っているかのような壮大な響きが特徴です。そして、じっくり聴いていると内省的になり、人生や社会を始めいろんなことを考えさせてくれます。ベートーヴェンのように直接に訴えるものは感じませんが、音楽に大きな力があることを実感させてくれます。

「作曲」と書くと「メロディーをつくる」ことのように受け取ってしまいますが、英語では”compose”で、「構築する」という意味。作曲家も同様 に”composer”です。つまり、「作曲する」ということは、メロディーやリズム、和音を組み合わせて「音楽にする」行為ということです。ベートーヴェンの曲、特に交響曲第5番などをきくとよく実感できます。ブルックナーの音楽も全く同様で、短いメロディーの断片やフレーズを次々と積み重ねて大きなまとまりができあがっていく様子が非常によくわかります。

 交響曲第8番を生で聴くのは今回で2回目。今回の名フィルも大いに期待していました。期待に違わぬと言いたいところですが、今回はやや緊張感に欠けていたような気がします。シーズン最後、音楽監督の指揮にやや気負いすぎていたのでしょうか。この雰囲気は客席にも届いていたのでしょうか、前半、1,2楽章でやや雑音も耳に付きました。

 一番好きなのは第3楽章(アダージョ:荘重にゆっくりと、しかし引きずらないように)で、ここでこそじっくりと哲学的になるべきなのですが、やや深みに欠けたような気がします。むしろ、第4楽章の構築美が見事に表現された演奏でした。

 来月から新シーズンです。初めての指揮者や若いソリストが次々と登場し、世界各地の音楽を取り上げてくれます。4月はシドニー出身の指揮者が同郷の作曲家の作品を日本初演します。そのほかに、有名なシューベルトの「未完成交響曲」が演奏されます。

名フィル定期 第443回:ロシアの音楽

 名フィルの2月定期は先週末(2月24,25日)に行われ
ショスタコーヴィチ:交響詩『十月革命』
ハチャトゥリアン:フルート協奏曲(ヴァイオリン協奏曲の編曲)
プロコフィエフ:カンタータ『アレクサンドル・ネフスキー』
フルート独奏:上野星矢
メゾ・ソプラノ:福原寿美枝
指揮:川瀬賢太郎
でした。

 指揮者の川瀬はこれまでにも何度か紹介しましたが、1984年生まれ、新進気鋭と言っていい年齢ですが、音楽作りは丹念で若さを感じません。一方で指揮台の上で飛び上がってフル姿は若々しさを感じます。名フィルでは定期演奏会の他、各地での特別演奏会でも指揮をしています。今回は、名フィル事務局の方がツイッターで「今シーズンで最もカロリーが高い演奏会」とたとえたとおり、こってりとしたヘビー級のプログラミング。確かにずっしりときました。

 今回はいずれも20世紀ロシアまたはソ連の時代に活躍した作曲家で、それほど有名な曲はありません。それだけに、生で聴くのは最初で最後かもしれない曲ばかり。貴重な機会でした。

 『十月革命』とはつまり、ロシア革命のこと。1967年の50周年記念に作曲されたそうで、祝祭的な部分もありますが、作曲者はかなりニヒルな意味合いも込めて作曲したのだとか。今の日本人が演奏したり聴いたりするときに、あまり深い意味を詮索してもしょうがないかもしれません。むしろ、現実の社会を思い浮かべると、引用されているロシア民謡に哀愁を感じ、打楽器などの大音量にむなしさを感じます。管楽器が大いに活躍する曲ですが、全体がよくまとまっていて、安心して聴ける演奏でした。

 2曲目の協奏曲は、元来はヴァイオリン協奏曲ですが、20世紀を代表するフルーティストであるフランスのピエール・ランパルがフルート用に編曲した曲です。オケの部分は同じだそうで、ソロの音域を少し変えたり、カデンツァをいれたりしています。ソリストにとんでもない超絶技巧を要求する曲で、予めCDで聴いてみて、本当にできるのだろうかと不安にもなりました。叙情的に聴かせると言うよりは、ややアラっぽく感じるような音の動きや、激しい動きが随所にある曲です。上野は名フィルで川瀬と2度目の協演で、息もよく合い、落ち着いてしっかりと演奏していたように思います。フルートの音色は奏者によってかなり差があり、彼の音はややかすれたような音で、曲の雰囲気によく合っていたように思います。願わくば、もう少し大きな音が出ると、より迫力が増したかもしれません。

 ハチャトゥリアンという作曲家は初めて耳にした方も多いかもしれません。1903年生まれで1978年になくなっています。カスピ海の西、アルメニアの出身です。曲の中にはアルメニアの民謡なども多く引用されているとのこと。吹奏楽をやっていた方なら、アルフレッド・リードの『アルメニア・ダンス』をご存じでしょう。何となくにた雰囲気を感じる曲です。

 3曲目は、エイゼンシュタインというソ連が誇る名監督の同名映画のために作曲された曲をアレンジしたもの。映画は見たことがありませんが、13世紀の実在のロシアの豪族が他民族の侵略を打ち破ったという故事を描いていて、アレキサンドル・ネフスキーはロシアでは歴史上の英雄に数えられる人物だそうです。

 カンタータとは合唱や独唱を伴う管弦楽曲全般を指していいますが、この曲は混声合唱にメゾ・ソプラノの独唱が加わっています。全部で7曲からなる組曲形式で、侵略者に対する怒りや戦いに立ち上がる仲間を鼓舞する激しい部分は、金管楽器や打楽器をふんだんに使って非常に迫力があります。また、100名を超える大合唱もホールを揺るがすようなすばらしい声量で圧倒されました。そして、戦いにつきものの多くの死と悲しみを歌うメゾ・ソプラノの福原が秀逸。淡々と歌っているようでも、聴いているものの腹の底に響いていくるような声。悲しみが深いときと言うのは、決して大げさにはならないとのでしょうね。世界中で多くの方が同じような悲しみに暮れているのだと、改めて感じさせてくれる演奏でした。

 今年は世界史上の有名な2つの来事に関するメモリアルイヤーです。1つは1917年のロシア革命100周年、もう一つは1517年の宗教改革500周年。誰もが知る有名な出来事ですから、これらに纏わる音楽もたくさんあります。4月から始まる新シーズンでは、
ショスタコーヴィチの交響曲第12番『1917年』
メンデルスゾーンの交響曲第5番『宗教改革』
が取り上げられます。

METライブビューイング《ロメオとジュリエット》

 先週土曜日から名駅・ミッドランドスクエアシネマ1で
METライブビューイングの今シーズン5作目である
グノー:歌劇『ロメオとジュリエット』
が上映されています。

 題名の通り、シェイクスピア原作の悲劇を基にしたオペラです。作曲者のグノーは19世紀に活躍したフランスの作曲家。管弦楽分野ではあまり有名ではありませんが、歌劇ではこれまでにも紹介したことのある『ファウスト』を作曲しています。期せずして、いずれも非常に有名な文学作品が原作です。

 原作を基にした、あるいは翻案した映画も作られていますし、ストーリーは皆さんご存じの通り。今回は演出も新しくなり、シンプルでわかりやすい舞台でした。主役を演じた2人、ジュリエット役のディアナ・ダムラウはドイツ人ソプラノで高音域を得意としています。ロメオ役のヴィットーリオ・グリゴーロは美しく張りのある声のテノール、非常に情熱的な歌いっぷりもあって人気があります。

 全体は5幕構成、原作のうちから有名な場面だけをつないで非常にわかりやすくなっています。
舞台は14世紀のイタリア・ヴェローナ。名家であるモンタギュー家とキャピレット家は激しく対立し、ことあるごとにしないで争っています。
 第1幕:モンタギュー家のロメオが友人と連れだって、キャピレット家の仮面舞踏会へ忍び込むと、ジュリエットと出会って互いの身分に気づかずに恋に落ちる。登場したジュリエットのアリアをダムラウが踊りながら見事に歌唱。
 第2幕:舞踏会の夜。有名なバルコニーの場面。主役2人の二重唱です。ここでも、2人が激しく動きならも乱れることのない見事なデュエットでした。
 第3幕:主役2人は両親に内緒でローラン神父を頼り、極秘に結婚式を挙げます。ここでも二重唱。見事でした。結婚式からの帰り(?)、1人になったロメオがモンタギュー家とキャピレット家の家来達のけんかに巻き込まれ、ロメオはキャピレット家の1人を殺してしまい、居合わせたヴェローナ大公から追放を言い渡されます。
 第4幕:ロメオがヴェローナを去る前にと、結婚した2人が初夜を過ごす。ここでの二重唱は聴きもの。今回の演出は割とあっさりしていましたが、濃厚なベッドシーンを売りにした演出もあります。ジュリエットは父親の命令で別の男性・パリス伯爵との結婚を強いられており、ローラン神父に救いを求める。仮死状態となる薬を飲んだジュリエットはパリス伯爵との結婚式の最中に倒れ、周りのものはみんな死んだと信じます。
 第5幕:キャピレット家の礼拝堂の中。ジュリエットが死んだと聴いたロメオが現れ、ジュリエットの傍らで毒を仰ぎます。ロメオが苦しんでいるときにジュリエットが目覚め、互いの愛を確認し合う。ここでのデュエットが泣かせます。ロメオの死を悟ったジュリエットは短剣で自らを刺してともに天国へ旅立つ。

 原作にあるような2人の死後の場面はありません。登場人物もかなり絞られていて、大人?として登場するのはジュリエットの父親と侍女、ローラン神父だけ。いずれも存在感があり、それぞれのアリアも聴き応えがありました。特に、ジュリエットの父親であるキャピレット伯を歌ったローラン・ナウリは所々で剽げたような歌唱、仕草を見せて、がんばっている主役2人を見て熱くなった気持ちを休ませてくれました。彼はフランス人のバリトン歌手。コミカルな役からからシリアスな役までこなすマルチタレントです。

 今作は午前と夕方の2回上映で、金曜日までやっています。ストーリーが分かっていると入りやすいと思いますので、時間のある方は是非。

 次回はドヴォルザークの『ルサルカ』。チェコ語ですが、ちょっと悲しいメルヘンです。3月18日から上映されます。

METライブビューイング ヴェルディ《ナブッコ》

 先週土曜日から今シーズンの4作目である
ヴェルディ作曲:歌劇《ナブッコ》
が上映されています。

 ヴェルディは1813年生まれのイタリアの作曲家。今シーズン第1作目の《トリスタンとイゾルデ》の作曲者であるワーグナーと同い年で、ヴェルディはイタリアオペラの、そしてワーグナーはドイツオペラのそれぞれの19世紀における到達点を築いた作曲家です。

 ヴェルディの作品としては、この後4月に上映される《椿姫》が最も有名ですが、今回の《ナブッコ》はヴェルディにとってのオペラ第3作に当たり、彼の出世作として知られています。

 物語は旧約聖書に取り上げられているいわゆる《バビロン捕囚》を題材とした歴史劇ですが、男女の三角関係や親子の愛憎を織り交ぜて、迫力のある音楽で描き出しています。このオペラの中で最も有名な曲は、独唱ではなく、合唱曲。《行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って》の意の歌詞で始まる静かな曲です。イタリア第二の国歌とも言われており、劇中で聴くと、非常に感動的な名曲です。

 キャストその他は
ナブッコ(バリトン):プラシド・ドミンゴ
アビガイッレ(ソプラノ):リュドミラ・モナスティスルカ
フェネーナ(メゾ・ソプラノ):ジェイミー・バートン
イズマイエーレ(テノール):ラッセル・トーマス
ザッカーリア(バス):ディミトリ・ベロセルスキー
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:エライジャ・モシンスキー
メトロポリタン歌劇場合唱団、同管弦楽団

 ストーリーを追いながら、聴き所やこの日の上演の感想をまとめておきます。

 舞台は紀元前6世紀のエルサレムと、隣国のバビロン。(エルサレムは当時のユダヤ人の国家であるユダ王国の首都、バビロンはユダの隣国バビロニアの首都)

 物語の前提として、エルサレムに住むヘブライ人(ユダヤ人)の王族の1人であるイズマイエーレはバビロニアとの交渉(たぶん和平交渉)のためにバビロンを訪れるが、交渉は決裂。このとき、バビロニア国王であるナブッコの娘2人がともにイズマイエーレに惚れ込んだようですが、イズマイエーレとうまくいったのは次女のフェネーナ。長女のアビガイッレは拒まれる。

 第1幕は、エルサレムにナブッコ率いるバビロニアの軍勢が迫って、ヘブライ人達がおびえる様子を合唱するところから始まります。ヘブライ人はナブッコの娘のフェネーナを人質にすることに成功。しかし、バビロニア軍はエルサレムに入城。登場後のナブッコ王を演じるドミンゴの演技がすばらしい。ここで、アビガイッレとナブッコ、そして主要キャストと合唱によるコンチェルタートがすばらしい。コンチェルタートとは、各ソリストがそれぞれ異なった歌詞とメロディーで歌うことで、仮に日本語であってもそれぞれの歌詞や歌声は聞き分けられませんが、迫力十分で、これぞオペラという場面です。ナブッコの率いる軍勢によってエルサレムは陥落。神殿も焼き払われ、ヘブライ人はバビロンへ連行されます。

 第2幕以降の舞台はバビロンの王宮。アビガイッレは自らの出生の秘密、ナブッコ王と正妻との子ではなく、奴隷と正妻との間の子であることを記した文書を見つけて衝撃を受ける場面から始まります。アビガイッレは、ナブッコ王が自分ではなく、妹のフェネーナに王位を譲るのではないかと考えます。そこへバビロンの大祭司が現れ、妹のフェネーナがヘブライ人を解放しようとしているのでやめさせてほしい、アビガイッレこそがナブッコの後継者になってほしいと要請。ここで、アビガイッレが父親の王位を奪うと誓うアリアは聴き応えがあります。一方で、イズマイエーレと愛し合っているフェネーナはユダヤ教に改宗。これらのことを知ったナブッコは激怒し、自らが神であると宣言して押さえつけようとすると、突然稲妻が走り集まったもの全てが倒れます。ナブッコも失神して王冠を落とした隙に、アビガイッレが王冠を奪いさります。

 第3幕の冒頭では、アビガイッレが稲妻にうたれたショックのいえないナブッコを言葉巧みに言いくるめて、ヘブライ人捕虜の処刑宣告書に署名させます。ここで言うヘブライ人はユダヤ教徒という意味で、改宗したフェネーナを含んでいます。ソプラノとバリトンの二重唱ですが、ナブッコの錯乱した様子をいかに表現するか、バリトン歌手の表現力の求められるところです。第3幕の最後に歌われるのがヘブライ人達の合唱、遠い故郷を思い、祈りを捧げるかのように歌う《行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って》です。イタリアでこのオペラが上演されるときには、ここは必ずアンコールされる、つまり2回歌われると言うことですが、今回の上映で大拍手を受けてのアンコールされました。特にアンコールのほうで涙腺が緩くなりました。

 第4幕の冒頭で、アビガイッレに幽閉されたナブッコが、フェネーナ達が刑場へ連行されるのを見て我に返り、ユダヤの神に許しを請います。その後、駆けつけた部下達とともに、ナブッコは救出に向かいます。フェネーナやヘブライ人達を助けたナブッコは、代わりにバビロニアの神であるベルの偶像を破壊するように命じると、偶像は勝手に壊れてしまいます。企みが破れたアビガイッレは自ら毒を仰ぎ、ヘブライ人達がナブッコをたたえる大合唱で幕。

 なにやら納得のいかない終わり方ではありますが、要所に配された合唱の迫力に圧倒されました。それほど上演頻度の高いオペラではないため、映像でもなかなか見る機会はありません。ナブッコはなかなか難しい役どころですが、名歌手ドミンゴのすばらしい演技に見せられました。

 次回は2月25日からで、グノー作曲の《ロメオとジュリエット》です。もちろんシェークスピアの名作が原作。ロメオ役は甘い声で人気急上昇中のヴィットーリオ・グリゴーロ、ジュリエット役は美しい声と高い技術で人気のディアナ・ダムラウです。

新進演奏家のコンサート

 先日(1月18日)に
《新進演奏家育成プロジェクト オーケストラ・コンサート》と題する演奏会が名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールでありました。

 タイトルの通り、若い演奏家にオーケストラとの協演の機会を設けようという企画です。全国7地区で、それぞれ地域に関わりのある若手をオーディションで選抜して、ソリストとして招いた演奏会です。今回は
モーツァルト:クラリネット協奏曲、クラリネット独奏:亀居優斗
グリーグ:ピアノ協奏曲、ピアノ独奏:川添由梨香
ウェーバー:ファゴット協奏曲、ファゴット独奏:多作幸介
ラロ:ヴァイオリン協奏曲《スペイン交響曲》、ヴァイオリン独奏:篠山春菜
指揮:梅田俊明
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団
でした。

 ソリストたちはもちろん全員20代(たぶん)。全員がオーディションの合格者といっても、楽器のバランスをとっているのでしょう。まだ大学在学中も居れば、かなり演奏のキャリアを積んでいる奏者も居て、実力にはやや幅があるように感じました。

 クラリネットの亀井はやや迫力不足。春日井市出身で、現在東京芸大の学生のようですから経験不足もあるかな。何となく線が細い。
 ピアノの川添は愛知県芸出身で、すでにドイツ留学を終えているようです。音がべたっとしていて、これまた音量がない。強く叩いているのでしょうが今ひとつ響いてきませんでした。ちょっと緊張していたのかな?第1楽章に??というところがありました。
 ファゴットの多作君は名フィルの首席奏者。実力も演奏経験も十分で、今更このような演奏会で?とも思ったのですが、今回は彼の演奏を聴くのが最大の目的でした。やはり、いつもやっている仲間同士、オケとの間がいいですね。うまく乗っている感じでした。ただ、楽器の性か、大きな音が出ないため、他の楽器と比べるとやや聴き劣りします。
 最後のヴァイオリンの篠山もまだ大学生。とは言っても、高校卒業後、いきなりオーストリアへ留学しているくらいですから、だいぶんステージ慣れしているようですし、迫力もあり聴き応えがありました。ただ、演奏中の姿勢や表現にやや癖があるかな? じつは選曲もちょっと癖があります。いろんな経験を積んでいくと、ただ「聴かせる」だけではない表現力が身につくでしょう。

 全体に残念だったのはお客さんの入り。演奏者がかわいそうなほどでした。高校生が団体で来ていたり、学生時代の友人、先輩後輩、親族などかき集めたのでしょうかちょっと・・・・。

 彼ら、彼女らが今後どのように成長していくのか楽しみです。

名フィル定期 第442回 

 今月の定期演奏会は先週末(1月13,14日)に行われ、プログラムは
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調
フランク:交響曲 ニ短調
チェロ独奏:山崎伸子
指揮:円光寺雅彦
でした。

 今回の指揮者・円光寺とソリスト・山崎はご夫婦です。5年前にもエルガーの協奏曲を協演されています(ここで紹介しています)。

 今回、前半に演奏されたドヴォルザークのチェロ協奏曲は、チェロ協奏曲の中で最も有名な曲です。チェロの超絶技巧がちりばめられ、聴き所満載です。ドヴォルザークらしい、ロマンティックで耳に残るメロディーもたくさんあり、親しみやすさも抜群です。

 山崎のチェロは決してテクニックをひけらかすのではなく、しっとり優しく胸にしみこむような演奏でした。オケも(指揮者もというべきか)、それを支えながら一緒になってドヴォルザークの世界を表現してくれました。

 木管楽器のアンサンブルは、ややここの楽器の音が際立ちすぎかと思いましたが、その分、演奏者の個性がよく分かりました。弦楽器は舞台の床を響かせたような、かなりしっかりした音がしていました。

 休憩後はメインのフランク。指揮者・円光寺の得意な曲だそうです。フランスの作曲家ですが、このように交響曲を作曲する当たりはドイツ的です。必ずしも有名な曲ではありませんが、いくつか印象的なメロディーがあり、一度聴くと耳に残ります。

 作曲家晩年の作品だけに、曲の構成は非の打ち所なく、第1楽章に出てくる主題(中心になるメロディー)が後半に入っても繰り返されながら、全体が展開していきます。短いモチーフを積み重ねるというのとは違いますが、考え抜かれた曲作りです。

 円光寺は非常に暖かい音をつくる指揮者で、いつも聴き終わってほっとするような気分になれる演奏をしてくれます。今回は得意曲だけに力が入ったのか、力んでいるようなところがありましたが、いつでも聴きたくなるような安心できる演奏でした。

 ところで、名フィルの定期演奏会では開演前にホールのホワイエで15分ほどの「ロビー・コンサート」が行われます。小さなアンサンブル形式の演奏を、団員の方の曲目紹介とともに聴かせてくれます。楽器の音や演奏している様子を間近で見聴きすることができます。管楽器はもとより、弦楽器奏者でも息づかいまで聴けて、毎回楽しみにしています。ウィーン・フィルの「ニュー・イヤー・コンサート」の向こうを張ったわけでもないでしょうが、今回は「新年」ということもあり、楽しいウィンナー・ワルツでした。

 来月は、若手指揮者・川瀬賢太郎の棒で、旧ソ連時代の作曲家3人、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアン、プロコフィエフの曲が取り上げられます。

名フィル定期 第441回 ドイツ2大B

 今月の名フィル定期は先週末(12月9,10日)に《アツモンのドイツ2大B》と題して、
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
ブラームス:交響曲第2番ニ長調
ヴァイオリン独奏:イリア・グリンゴルツ
指揮:モーシェ・アツモン
でした。

 指揮者のアツモンは今年85歳、1987年から1993年まで名フィルの常任指揮者を務め、その後、名フィル名誉指揮者としてたびたび指揮台に立ってこられました。世界的にも活躍してこられてきましたが、1週間後に行われる第9の演奏会とあわせて、今月の名フィルでの演奏会を最後に指揮者活動を引退されることになりました。今夏に急遽発表され、今回のプログラムも最後を飾るべく変更されました。

 タイトルの「ドイツ2大B」とは、クラシック音楽の世界で「ドイツ3大B」として取り上げられる、ドイツ出身である偉大な作曲家のうち、音楽史上の位置づけや一般的な知名度から上位3人を選ぶといずれも頭文字がB。バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)、ブラームス(Brahms)の3人ですが、このうち、オーケストラのレパートリーとしてはやはりベートーヴェンとブラームス。こんなところから、今回のプログラムが作られたのでしょう。

 2日連続のコンサートの2日目を聴きましたが、定期演奏会最後の指揮とあってオーケストラも聴衆も一体となってまれに見るすばらしい演奏でした。

 1曲目のベートーヴェンのソロを弾いたグリンゴルツは1982年サンクトペテルブルク生まれ。世界的にも注目されているヴィオリニストの1人です。ヒゲをたくわえた精悍な風貌からは想像もつかない繊細で、哀愁をおびた音色で奏でられるベートーヴェンはこれまで聴いたことのない演奏でした。
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 この曲は、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲と並んで3大協奏曲、さらにチャイコフスキーを加えて4大ヴァイオリン協奏曲とも称される名曲です。演奏頻度も高いのですが、残念ながら生で聴いたのは今回が初めてかもしれません。

 何種類か持っているCDを予習代わりに聴き込んでいきました。いずれも、ヴァイオリニストも力強く、オケもしっかりと鳴らした演奏で、圧倒されてばかり。迫力のある演奏を想像していましたが、完全に裏切られました。胸を締め付けるような演奏とは夢にも思いませんでした。オケも決して出しゃばることなく、ソリストをうまく下支えしながら、見事なアンサンブルを聴かせてくれました。特に第1楽章のなかほどで、ヴァイオリンソロがアルペジオを奏し、裏でファゴットがデュエットでメロディーを奏するところ(1度CDをお聞き下さい)では涙がこぼれそうに。いつものことながら、音楽の奥の深さを思い知らされました。

 ソリスト・アンコールは、
パガニーニ:24の奇想曲 作品1より第22番ヘ長調 マルカート
協奏曲とは一転して落ち着いた音色で、テクニックを見せつけるかのような曲でありながらもじっくりと聴けるすばらしい演奏でした。

 さて、この日のメインは後半のブラームス。指揮者・アツモンの大のお気に入りのようで、折に触れて取り上げているようです。

 ブラームスの4つの交響曲の中では最も明るく、さわやかな印象の曲です。ただ、演奏頻度は最も低いかもしれません。この曲も生は、学生オケのときの自分たちの演奏以外では、初めてかもしれません。文字通り、アツモンによる定期最後の演奏はたとえようのない名演でした。

 第1楽章が全体の半分近くを占めるくらい長いため、指揮者の技量が問われる曲ですが、バランスの悪さなどみじんも感じることはありませんでした。「最後」を意識したのか、オケの熱意がブラームスの情熱を上回るような演奏でした。第2,第3楽章は短いため、あっという間に終わりました。そして、終楽章(第4楽章)。後半は今思い出しても泣けてきます。一つ一つの音を慈しむかのように丁寧に奏して、オケが別れを惜しんでいることが伝わってきました。テンポも速く、音も細かく刻むところが多い部分ですが、全ての音をしっかりと手ですくって持ち上げているかのようにステージからホール全体に伝わっていきました。

 演奏終了後はオケからも聴衆からも拍手が鳴り止まず、今回の演奏に対してだけではない感謝が込められていました。

 次回は来年1月13,14日、ドヴォルザークのチェロ協奏曲とフランクの交響曲です。チェロ独奏は山崎伸子、指揮は円光寺雅彦(名フィル正指揮者)。お二人はご夫婦です。

METライブビューイング モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》

 先週の土曜日(12月3日)から今シーズンの2作目である
モーツァルト作曲:歌劇《ドン・ジョヴァンニ》
が始まっています。上映期間は1週間しかありませんが、今作は入場者が多く見込めるためか、午前10時からと午後7時からの2回上映です。

 今シーズンの上映作のなかでは有名な作品で、音楽もモーツァルトですから、耳なじみもよく、簡単に口ずさんだり、口笛でならしたりできるような簡単なメロディーもたくさんあります。

 ただし、物語はとんでもない話です。17世紀にスペインでまとめられた戯曲が基になっているようですが、それ以前から『ドン・ファン』という名の人物を主人公にした同様の伝説のような昔話はあったようです。

 さて、オペラの主人公であるドン・ジョヴァンニ、「ドン=Don」は貴族など身分の高い男性に付ける称号です。しかし、決して「貴い」人物ではなく、オペラ中で従者であるレポレッロが歌う、通称「カタログの歌」では
うちの旦那が愛した女は、イタリアでは640人、ドイツでは231人、フランスで100人、トルコで91人、そしてスペインではなんと1003人。この中には村娘あり、小間使いあり、町娘あり、それに伯爵夫人、男爵夫人、侯爵夫人、大公令嬢もいます。どんな階級の女もいます、年格好もさまざま、(中略) 金持ちであろうと、醜女であろうと、別嬪であろうと、とにかくスカートさえはいていればいいのです”
という人物です。
 
 オペラの中でも、3人の女性にいい寄っていて、友人であるドン・オッタービオの許嫁の部屋に忍び込んだり、中に当日結婚式を挙げる予定の村娘チェルリーナにまで手を出す始末。もちろん、懲らしめてもらわないとと収まりがつきません。最後は手にかけた老騎士の亡霊である石像につれられて地獄落ちです。


 全2幕、正味約3時間ですから、オペラとしてはやや長めでしょうか。今回の演出はオーソドックスというか、17~18世紀頃のヨーロッパを思わせる衣装で演じられていて、大きな場面転換もなく、音楽の流れに沿ってスムーズに物語が展開していきました。それぞれの歌手が持ち味を発揮して、すばらしい歌唱と演技に圧倒されるうちにあっという間に時間が過ぎていきました。

 メトロポリタン歌劇場は専属のオーケストラがすばらしいことでも知られています。上演は毎日行われていますので、弦楽器奏者の休みは3日か4日に1日くらいしかないかもしれません。かなりのハードワークを要求されると思いますが、この日の演奏も場面場面に応じて表情の違いがはっきりとしていて、非常にわかりやすい演奏でした。指揮者もメトロポリタン歌劇場の首席指揮者であるファビオ・ルイージ。腕や指の動きがきびきびしていて、演奏者から見て何を指示しているのかがすごくわかりやすいのだと思います。何もかもがうまく咬み合った、すばらしい演奏でした。

 次回は年明けですが、今シーズンは来年の6月まで残り8作品あります。特に有名で、ストーリー、音楽ともに初めての人にもわかりやすいのは4月にある
ヴェルディ:《椿姫》(デュマの同名小説を基にしています)

5月にある
チャイコフスキー:《エフゲニー・オネーギン》(プーシキンの同名小説を基にしています)
でしょう。
 物語としては、2月にある
グノー:《ロメオとジュリエット》
はシェークスピアの名作が基になっているだけにわかりやすいでしょう。そして、6月にある
リヒャルト・シュトラウス:《ばらの騎士》
は私が最も好きなオペラです。

METライブビューイング ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》

 欧米ではサッカーやラグビーなどのスポーツと同様に、音楽、少なくともクラシック音楽は毎年秋から翌年の夏の初めくらいまでが1つのシーズンです。多くの歌劇場やオーケストラが9月、または10月から翌年の5月か6月くらいまでを1つのシーズンとしてプログラムを組みます。

 ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場は、アメリカ国内はもとより、世界的に有名な歌劇場=オペラハウスで、優れたオーケストラと合唱団、そして劇場スタッフを抱え、有名なソリストを招いてレベルの高い公演を続けています。とは言っても観客の年齢層は高く、なかなか裾野が広がっていかないようです。何とかオペラの魅力を知らせてファンを増やそうと、オペラの舞台をハイヴィジョンで録画し、それを世界中の映画館で上映するという企画が10年前から始まりました。題して「Metroporitan high difinition」、日本ではMETライブビューイングとして松竹が配給しています。HPはここです()。名古屋では名駅のミッドランドスクエアシネマで上映されます。

 残念ながら初年度は気がつかずに見損ねましたが、2年目からずっと追いかけて、かなりの作品を見てきました。この場でもたびたび紹介していますので、「」で見てください。

 さて、今シーズンは11月始めに
ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』
で開幕しました。
 指揮は、サイモン・ラトル、現在ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督として有名です。

 ワーグナーという作曲家はオペラ以外はほとんど作品がないため、どれほど有名であるのかよく分かりませんが、劇中で用いられる曲の中には誰もが知る曲がたくさんあります。
『ローエングリン』の「婚礼の合唱」(一般に『結婚行進曲』と呼ばれています)、『ワルキューレ』の「ワルキューレの騎行」(映画『地獄の黙示録』などで使われました)、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の前奏曲(名大では入学式と卒業式のオープニングで、名大オケが演奏します)などは、誰もが耳にしていると思います。今回の『トリスタン』は、音楽史的には非常に有名な曲を含んでいるのですが、残念ながら、聴いて耳に残るというタイプのメロディーではありません。

 上映は全て1週間しかないため、この作品の上映はもう終わっています。ストーリーなどはライブビューイングのHPを見ていただくことにして、簡単に感想だけを記します。

 全3幕、4時間半に及ぶ大作で、題名の通り、トリスタン(男性、テノール)とイゾルデ(女性、ソプラノ)の2人が主役。ただ、今回はイゾルデ役のニーナ・ステンメというスウェーデンのソプラノ歌手がすばらしく、映像/録音とは言え圧倒されました。オケがかなり重厚なため、並みの声では聞こえません。声を長時間にわたって衰えさせないスタミナと切れない集中力、超一流の演奏を堪能しました。

 さて、次回は今週末から。モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』です。音楽的には非常に親しみやすく、初めて聴く方にも簡単になじめるものです。ストーリーは・・・・。とんでもない話です。オペラならではと言えばいえますが、まじめに見ると腹が立つだけです。全2幕、途中に休憩をはさんで3時間半、1日2回上映されます。

名フィル定期 第440回 ドイツ正統派

 今月の名フィル定期は11月18,19日で、プログラムは
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
ピアノ独奏:ゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz)
指揮:小泉和裕
でした。

 この日のプログラムは音楽監督になって2度目の指揮となる小泉が、おそらくこれまで何度も協演したことのあるピアニスト、オピッツを招き、オピッツ得意のブラームスで、クラシック音楽の王道であるドイツ音楽を披露し、同時に、バルトークの通称『オケコン』を取り上げて、オーケストラの能力を示したかったのでしょう。

 私の注目はやはり、ピアニストです。1953年生まれと、最近聴いたブロムシュテットやデームスよりは年下にあたりますが、これまで世界の超一流の指揮者、オーケストラと共演を重ね、ベートーベンやブラームスに関しては世界最高の演奏者の1人とされています。まさに、ドイツ音楽の正当な継承者というところでしょうか。

 演奏する姿は先日聴いたデームス同様に淡々としていています。演奏中に大きく腕を振り上げたり、天を見上げるような仕草などを見せるピアニストもいるのですが、どうしても好きには慣れません。オピッツは演奏前後でもオーケストラや観客席に対して丁寧に挨拶をし、まじめな人柄を感じさせます。終演後のサイン会でも、笑顔を絶やさず握手をして、日本語で「ありがとうございます」と返されている言葉にも優しさがあふれていました。

 ブラームスは弱冠20歳の時にシューマンに見いだされますが、直後にシューマンは自殺未遂を図るなど精神的に病み、しばらくして亡くなってしまいます。ブラームスはピアノ協奏曲を2曲しか書いていませんが、今回演奏された第1番はちょうどこの頃に作曲されました。ブラームスはシューマンの残された家族、妻クララと子ども達をよく支えたと言われます。ブラームスは14歳年上のクララに対して恋愛感情を抱いていたようで、様々な憶測があります。精神的にはいろいろ悩みがあったようですが、ピアノ協奏曲第1番には、変な暗さは感じられません。むしろ、将来への希望や情熱がほとばしり、所々に伸びやかな、あるいはおおらかな雰囲気を感じます。一方で、ブラームスはピアノの名手でもあっただけに、ソロパートは難曲としてしられています。第1楽章ではトリルが多用されていますが、右手の親指と薬指でオクターブを引きながら、その薬指と小指の間でトリルを奏するという部分があります。

 オピッツの演奏は確かな技術による演奏の上で、随所で音色を変化させながらブラームスの音楽に内包される多様な感情を表現し、50分という大曲ながら、会場の集中力を切らせることがありませんでした。

 指揮者の小泉はほとんどの曲を暗譜で指揮します。指揮者の楽譜にはどこでどのような指示を出すかなど、詳細に描き込まれているはず。それをあえて見ずに指揮するのは相当に自信がないとできません。協奏曲は独奏者とあわせる必要があるため、なおさらです。今回は、その難しい協奏曲を暗譜で指揮していました。両者は何度も協演があるのでしょう、互いに一度も顔を見合わせたりすることはありませんでした。全てを以心伝心であわせているあたり、ベテランならでは。

 休憩後は20世紀のハンガリーの作曲家、バルトークの傑作です。題名の通り、オーケストラに含まれている楽器が次から次へソロを演奏します。もちろん、互いのアンサンブルを聴かせたり、ハーモニーを響かせたりする部分もあり、オケにとっての難曲です。前半のいい雰囲気のまま後半に入ったように思いますが、弦楽器の音の厚みがやや足りず。編成が大きいだけに、もう少しホール全体がなっているかのような、響きの広さがほしかったところです。

 終演後にはオピッツ氏のサイン会があり、最後まで粘って一緒に写真を撮ってきました。
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オール・モーツァルト・プログラム

 先週の半ば(11月9日)ですが、格安のチケットが手に入り、オール・モーツァルトプログラムを楽しんできました。

 名古屋銀行が主催するチャリティーコンサートで、愛知県芸術劇場コンサートホールで座席指定ですが、わずか¥1,000。プログラムは
モーツァルト:交響曲第1番
モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番
モーツァルト:交響曲第41番《ジュピター》
ソリスト・アンコールは
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番
オーケストラ・アンコールは
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414より第2楽章 アンダンテ[ピアノ独奏版]
モーツァルト:セレナード第13番《アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク》から第1楽章
ピアノ独奏:イェルク・デームス(Jörg Demus)
指揮:梅田俊明
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団

 この日のメインはなんと言ってもピアニストであるデームス、またまた巨匠の登場です。1928年ウィーン近郊の小さな街(ザンクト・ペルテン;Sankt Pölten)の生まれ。幼少期にウィーンで音楽活動をはじめ、現在もなお高く評価されているとのこと。モーツァルトやベートーベンの他、シューベルトやシューマンなどドイツ、オーストリアの作曲家を中心に、CDもたくさん出されており、私もシューベルトの歌曲の伴奏などで聴いたことがあります。少し歩行などが不自由のように見受けましたが、ピアノの演奏は問題なし。日本にもよく来られているようで、今回も何カ所かでリサイタルなどがあるのでしょう。

 演奏スタイルは、ほとんど肘から先しか使っていないのではないかと思えるほどで、鍵盤に指をただ置いているだけのような弾き方です。風貌はやや取っつきにくい感じがあるのですが、まるで子どもがおしゃべりしているかのような、かわいらしく、ぽんぽんした音色。ピアノだけが演奏する部分では自由にテンポを動かしながら、本当に子どもが遊んでいるかのよう。ただ、オケとあわせるべきところでは互いに聴き会いながらぴったりと寄り添って進んでいくところなど、老練なところも感じました。

 デームスは現在一般に使われているピアノだけではなく、古いタイプのピアノも演奏するそうで、そうした奏法を生かしているのかもしれません。

 オケの演奏では、モーツァルトの最初の交響曲、なんと8歳の時に作曲した第1番と最後の交響曲33歳(なくなる3年前)で作曲した第41番。偶然ですが、第1番の第2楽章で使われている音型が第41番の第4楽章でも使われており、なにやら因縁めいたものも感じさせる選曲です。交響曲第1番は決して演奏頻度は高くありません。一昨年の定期でも聴くことができましたが、こんなには約2回目があろうとは。

 指揮者の梅田はNHKのクラシック番組などで指揮している様子などを何度か見ているのですが、生は初めてです。テレビでは特徴を聴き取ることはできませんでしたが、生で聴いてみると非常に柔らかく、暖かみのある音色が印象的でした。41番は非常に壮大で力強い音楽です。それ故に、ギリシャ神話の最高神であるゼウス(ローマ神話でユピテル、その英語表記がジュピター)の名を冠して呼ばれています。梅田の指揮では、強さが猛々しい強さを示すのではなく、優しく包み込むような懐の大きさを示すように聴こえました。

 前回の記録がブログにありませんでしたので、プログラムだけ載せます。
 2014年11月19日、プログラムは
ブリテン:4つの海の間奏曲(歌劇『ピーター・グライムス」より)
モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調『ジュノーム』
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調『悲愴』
ピアノ独奏:広瀬悦子
指揮:ベン・ジャーノン
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団
でした。

歌劇《ノルマ》

 11月3日、皆さんは学園祭でしたね。文化の日だからと言うわけではありませんが、久しぶりに生のオペラを観に行きました。

 チェコのプラハ国立歌劇場の引っ越し公演で
ベッリーニ作曲《ノルマ》(全2幕)
指揮:ペーター・ヴァレントヴィッチ
演出:菅尾友
管弦楽:プラハ国立歌劇場管弦楽団
合唱:プラハ国立歌劇場合唱団
主な配役
ノルマ(部族長の娘で巫女):エディタ・グルベローヴァ
ポリオーネ(ローマの地方総督):ゾラン・トドロヴィッチ
アダルジーザ(若い巫女):ズザナ・スヴェダ
オロヴェーゾ(部族長):オレグ・コロトコフ
休憩をはさんで約3時間の公演でした。

 物語は平たく言えば、三角関係がもつれ、最後は元の鞘に収まるものの、二人が命を絶ってしまうという悲劇です。昼メロにもならない様な筋ですが、そこはオペラ。見応え、聴き応え十分で、作曲者であるベッリーニの代表作です。

 ベッリーニは19世紀の初めに活躍したイタリアのオペラ作曲家。当時はベートーヴェンなどよりも人気があったかもしれません。しかし、短命で、作品も少ないため、現在上演される作品は今回の《ノルマ》の他は2作程度でしょうか。

 詳しい筋は後ほど紹介することにして、今回の目玉は主役であるノルマを歌ったエディタ・グルベローヴァです。ソプラノ歌手として世界的に有名で、今年69歳。正直言って全盛期はとっくに過ぎていますが、一度聴いてみたかった歌手です。もう来日公演はないと思っていたところ、いい機会に恵まれました。今年のプラハ国立歌劇場の引っ越し公演で上演される《ノルマ》全6回のうち、おそらく3回は彼女が歌っているのではないでしょうか(プログラムではダブルキャストになっていたので、たぶん)。うまく、名古屋があたってくれました。

 主役であるノルマは第1幕の途中で登場して、いきなり最も有名なアリア(『清き女神よ』)を歌います。あまりにも有名なアリアで、会場の誰もが注目していたでしょう。さすがに、いきなりはしんどかったのか、やや期待外れでした。声の押しが弱く、息も続いていないかのように感じるところがありました。しかし、進みにしたがって少しづつ調子が出てきたのでしょう、第2幕からは声の張りもでてきて、低音から高音までまんべんなく響き、表現力とも相まって、迫力がありました。声量こそ若い歌手にはかないませんが、ピアニッシモでの安定性など技術の高さは随所に感じました。第2幕終盤からはほとんど歌いっぱなしですが、他の歌手の声やオケの音にかき消されることなく、しっかりと通って聴こえてきました。芯のある声が出ている証拠でしょう。

 《ノルマ》は主役の有名なアリアのためもあり、非常に人気のあるオペラです。ただ、主役であるノルマの歌唱の難易度が高く、上演機会はそれほど多くありません。国内で、それも名歌手の生演奏に接することができ、大変幸せでした。

 グルベローヴァの全盛期の声や姿は録音や録画で楽しめます。三大テノールで有名なパヴァロッティとの共演など名演も数えきれません。たぶんYouTubeでもたくさん見つかるのではないでしょうか。

 名古屋でオペラを上演するとなると、愛知県芸術劇場の大ホールです。ここは一応オペラ用ではありますが、空間がやや大きすぎるため、客席への声の届き具合があまりよくありません。これまでいろんな席で聴きましたがどこも今ひとつ。今回はチケットを買ったのが2日前ということもあり、一般的によいとされている席は取れませんでした。やや仕方ないかと思って買った4階席、初めて聴く場所でしたがなかなかどうして、舞台から一直線に声が届いているようで、十分に楽しめました。

バンベルク

 ブロムシュテット氏の指揮を紹介しましたが、演奏したオーケストラとその所在地についても簡単に触れておきます。

 バンベルクはドイツ南部、バイエルン州にあり、州都ミュンヘンの北、特急列車で2時間ほどのところに位置する人口7万人余の街です。11世紀に立てられた大聖堂を中心に発展した宗教都市で、中世の面影がよく残っているそうです。これらの建物は第2次大戦による破壊を免れ、旧市街全体は世界遺産(文化・自然遺産)に登録されています。一般的なガイドブックなどではそれほど大きく取り上げられていませんが、見所満載のすばらしい街のようです。来年あたり、是非とも行ってみたいものです。

 オーケストラは、ナチス・ドイツがチェコを占領していた頃にチェコ内のドイツ系住民によって設立された楽団が前身で、戦後、ドイツ国内に戻った人たちを中心にして設立されたようです。街の規模に比して、これほどのオーケストラがあるのは非常にうらやましいですね。もちろん、ドイツ国内でも珍しく、戦後の活動の中で優秀な指揮者によって鍛えられたことが大きいようです。CDを数多く出しており、HMVのサイトでは200枚ほどがヒットしました。興味のある方は一度ご覧ください。

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団

 11月、いよいよ本格的な芸術シーズンです。まずはオーケストラのコンサートから。

 11月1日、栄の愛知県芸術劇場コンサートホールで
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
バンベルク交響楽団
の来日公演を聴きに行きました。プログラムは
ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調『田園』
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調
アンコールも同じく
ベートーヴェン:序曲『エグモント』
でした。

 この日の主役はオケではなく、指揮者。御年89歳で世界的に活躍する指揮者としては知る限り最高齢。30分立っているだけで、飛行機に乗って日本に来るだけでもとんでもないことだと思いますが、指揮者として大勢の一流音楽家を率いて、ときに1時間を越える大曲を指揮する姿には、崇高さすら感じます。ブロムシュテットは20年くらい前にシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)との来日公演を聴いたことがあります。颯爽とした指揮姿を何となく覚えておりますが、その後はNHK交響楽団に毎年客演指揮しており、テレビで拝見しております。時折笑顔を見せながらいかにも楽しそうに指揮する姿が印象的で、年齢を感じさせないこぎみよいテンポとリズムをはっきりさせたわかりやすい演奏で多くのファンがいます。不肖、私も大ファンでして、今回久しぶりに生でお姿を拝見できました。

 今回の来日公演では、私の大好きなブルックナーの交響曲第7番を取り上げた演奏会もあるようですが、名古屋ではクラシック音楽のゴールデンプログラムとも言うべき2曲。おまけに、アンコールまでベートーヴェンの序曲。オール・ベートーヴェンプログラムでした。こんなプログラムを聴く機会はなかなかありませんが、ドイツのオーケストラによるドイツ音楽を堪能しました。

 曲の詳しい解説は省きますが、ともにベートーヴェンが35歳の時に作曲し、同時に初演されました。第5番は『運命』という表題で知られていますが、これは後年に付けられたもの。日本では『運命』交響曲のほうが通りがいいですが、ヨーロッパではむしろ表題を付けずに表記されることがほとんどです。冒頭があまりにも有名ですが、全曲(約35分)を通して非の打ち所のない名曲中の名曲です。これに対して、『田園』はベートーヴェン本人の命名です。5楽章構成で、交響曲としてはやや異質ですが、交響曲に表題を付け、具体的なイメージを表現した画期的な作品です。

 両曲ともCDでも、そして生でも何度も聴いたことのある名曲。ですが、いつ聴いても新鮮で、常に初めて感じることが何かあります。名曲の所以でしょう。今回は、同じメロディーを弦楽器と管楽器が一緒に奏するような場合の調和のしかた、それぞれが単独でハーモニーをつくる場合の響きの違いなど、オーケストラの個性・特徴とも相まって、随所に新しい発見がありました。今後も何度も聴く機会があると思いますが、心に残る名演の1つです。

 この数年、同世代、あるいはもっと若い年齢の大指揮者が続けて亡くなっており、非常に寂しい思いをしています。ブロムシュテット氏には是非一日でも長く活躍していただき、数年後に再会したいと思います。

名フィル定期 第439回(続き)

 少し時間が空きましたが、この日のメインプログラム(多くは休憩後に演奏される曲)である、
シベリウス作曲 交響曲第1番ホ短調
です。

 ジャン・シベリウスは1865年フィンランド生まれの作曲家で、交響詩「フィンランディア」で有名です。刺激的なリズムによるファンファーレを思い浮かべるかたも多いでしょう。

 たぶん、オペラ以外のほとんどのジャンルの曲を作り、19世紀後半から20世紀前半を代表する作曲家の1人です。特に、フィンランドでは国民的英雄とされています。「フィンランディア」には中間部の静かなメロディーの部分に歌詞が付けられ、「第二の国歌」だそうです。中学校の音楽の教科書に載っていたのをご存じの方もあるのでは?

 さて、シベリウスは全部で7曲の交響曲を作曲しています。今回演奏された第1番は1899年に初演されており、若々しさを感じるとともに、後年の作品にある何かを凝縮したような重たい感じはあまりありません。

 この日の演奏は、ラフマニノフの後で気力が続かないかなと心配したのですが、全くの杞憂でした。さすがは日本を代表するプロフェッショナル達ですね。非常に充実した中身の濃い演奏でした。決して激しい曲ではないのですが、指揮者とオケがぶつかり合っているようにも感じました(もちろん、いい意味で)。 

 この曲は演奏頻度はあまり高くなく、家で聴く機会もほとんどありません。自分でも「ここを」をポイントを絞って聴くことができなかったため、感想もありきたりのことしか書けませんが、「いつまでも浸っていたい」を感じることのできるすばらしい演奏でした。

 11月の定期は18、19日。音楽監督である小泉和裕の指揮で、
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
です。ピアノ独奏はゲルハルト・オピッツ、淡々とした演奏のスタイルですが、ドイツものを得意としているピアニスト。プレトニョフ同様に、現代の巨匠と言っていい1人です。また、2曲目は、通称「オケ・コン」と呼ばれ、オケの様々な楽器が独奏楽器のように活躍する難曲。期待が膨らみます。

名フィル定期 第439回(つづき)

 前回に続いて今月の名フィル定期です。

 第1曲目の作曲者である藤倉は名フィルの「コンポーザー・イン・レジデンス」にはよい日本語訳がないようですが、作曲家を招聘し、運営方針などの意見をもらったり、定期的に新曲も提供してもらう契約をしている場合に、その作曲家に対して用いられるようです。国内の他のオケでもいくつかは同様の作曲家を抱えているようですが、名フィルでは藤倉が第1代目で、今シーズンが3年目(?)で、来年度からは新しい作曲家を招聘する予定が決まっています。

 藤倉はこれまでに何曲か名フィル定期で取り上げられてきました。個人的な体験などを基に得たインプレッションを曲につなげていることが多いような気がします。今回の「レア・グラヴィティ」、日本語訳の題名はないようですが、強いて訳せば「低重力」でしょうか。数年前に生まれた子どもさんが、お母さんのおなかの中にいたときに、おなかの中=羊水の中に浮かんでどんどん大きくなっていく様子をイメージして作曲したそうです。理解しがたいところもありますが、20分弱ほどの曲の中で、一つ一つ独立しているかのように感じたパーツがだんだんと1つにまとまっていくような印象を持ちました。これが「成長」をイメージしているとすれば、何となく分かったような気がします。ただ、当日のパンフレットに掲載された作曲者自身の解説では、浮遊感も表現したとのことですが、残念ながら私にはそれほど感じられませんでした。

 音楽自体は、口ずさめるようなメロディーがあるわけではなく、映画のBGM、場合によっては効果音のような響きが連続しています。オケの編成は標準的なもので、特別に使われているのはオーボエ・ダモーレ(オーボエの類縁楽器で、オーボエよりもやや大型、楽器名はイタリア語で「愛のオーボエ」の意)とコンガ(キューバの民族楽器で、縦長の打楽器)とゴング(インドネシアの民族楽器で、銅鑼を小さくしたような形で音階があります)。

 現代音楽は敬遠されがちです。私も「分かった」といえることはほとんどないし、例えば、車を運転しながらきけるような曲でもないため、なかなか自分から聴こうという気持ちには慣れません。ただ、ベートーヴェンにしても、モーツァルトにしても、そして、ラフマニノフにしても、彼らは彼らが生きた時代の現代音楽の作曲家であり、その時代に受け入れられていたのです。時代が違うとはいえ、やはり同時代を共有するという意味ではできるだけ触れる機会をつくりたいものです。この点で、地域のオーケストラが積極的に取り上げているのは非常にすばらしいことだと思います。

名フィル定期 第439回 ヴィト×プレトニョフ:ラフマニノフとシベリウス

 10月の名フィル定期演奏会は、先週末(10月21日、22日)に愛知県芸術劇場コンサートホールであり、プログラムは
藤倉大:レア・グラヴィティ
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調
シベリウス:交響曲第1番ホ短調
ピアノ独奏:ミハイル・プレトニョフ
指揮:アントニ・ヴィット

 今回はピアニストが超大物ということもあり、前売券も完売(実際には空席もありましたので、企業などのまとめ買い分の席でしょうか)。期待に違わず、3曲とも全てすばらしい演奏でしたので、少しずつまとめておこうと思います。

 今回の目玉であるミハエル・プレトニョフは1957年、ロシア生まれ。21歳でチャイコフスキー国際コンクールに優勝、現代最高のピアニストの1人とされています。同時に指揮者、作曲家でもあり、世界中の超一流オケと共演しているようですが、日本のオケと協奏曲を演奏するのは珍しいと思います。

 プレトニョフは10年前にいったんピアニストとしての活動を停止していますが、その後お気に入りのピアノに出会い、活動を再開。そのピアノが日本のKAWAIです。今回もカワイ製グランドピアノ(SK-EX)を特別に持ち込んでの演奏です(芸文には、たぶんスタンウェイとヤマハしかないと思います)。楽器のせいなのか、演奏者のタッチなのか、実に澄んだ音で、これまでに聴いたどのピアニストとも違い、音楽の奥の深さを改めて実感しました。

 今回演奏されたラフマニノフの協奏曲第2番はフィギュア・スケートでもおなじみで、皆さんもなじみのあるフレーズがあると思います。しかし、ピアノは超絶技巧の連続で、難曲中の難曲です。これまでに生で何度か聴いていますが、ピアニストは一生懸命弾いているなというのがよく分かる演奏ばかりでした。しかし、プレトニョフの演奏は、大げさな身振りがないのはもちろん、テクニックを振りかざしたり、「がんばっているな」と思わせたりするところは全くなく、実に淡々としたもの。こんな演奏があるのかと、驚きました。持っている技術が高いがゆえに、その技術を感じさせないということでしょうか。

 この曲はロシアの大地を感じさせるような、郷愁たっぷりの演奏をよく聴きます。今回の演奏はこれらとは全く異なり、変な思い入れを排除していて、むしろ聴衆に自由に受け取ってもらいたいということなのかと思える演奏でした。ピアノはやや硬質な澄んだ音を並べ、オケも大音量でまくし立てるのではなく、室内楽的な響きで応えていました。

 協奏曲は一般的に急・緩・急の3楽章構成です。この曲も、第1楽章こそ、それほど速いテンポではありませんが、第2楽章を緩徐楽章とし、第3楽章は速いテンポの曲です。第1楽章はややピアノとオケの息が合っていないという感じがしましたが、第2、第3楽章は非の打ち所のないすばらしい演奏でした。

 オケの手綱は指揮者が握っていますが、ピアノが主役のこの曲でオケの役割を実にうまく演じさせていたともいます。指揮者のヴィットとプレトニョフはたぶんこれまでにも何度か協演の経験があるのでしょう。アイコンタクトすらないままでも、ピアノとオケを実にうまく結びつけていました。

 協奏曲の後は普通はソリスト・アンコールで、短いソロの曲を演奏してくれます。プレトニョフはアンコール嫌いなのか、普通は何も弾かずに終わるようですが、今回、それも土曜日だけは特別に
ラフマニノフ:幻想小品集から、第2曲「鐘」
をアンコールを演奏してくれました。これもよかった。浅田真央がいつかのオリンピックで使った曲ですので、ご存じの方も多いでしょう。

 プレトニョフはピアニストとして非常に広いレパートリーを持っています。今回の来日でも何度かリサイタルを開いているようです。次は是非ともショパンやベートーヴェンを聴いてみたいと思います。

名フィル定期第438回定期 『山猫』とギター協奏曲

 9月の名フィル定期は月初めの3日、
ニーノ・ロータ:交響組曲『山猫』
カステルヌオーヴォ=テデスコ:ギター協奏曲第1番 ニ長調
ドヴォルザーク:交響曲第7番 ニ短調
指揮:ガエタノ・デスピノーザ(Gaetano D’ESPINOSA)
ギター独奏:朴葵姫(Kyuhee PARK) 

 今回はあまり有名ではない曲ばかりだったせいか、お客さんの入りは今ひとつでしたが、珍しいギター協奏曲や有名なイタリア映画のいわばサウンドトラックを前半においたプルグラムは、イタリア人指揮者らしい。2度と生ではきけないような曲が並ぶ魅力的なプログラムでした。

 映画「ゴッド・ファーザー」の音楽(『愛のテーマ』など)はご存じの方も多いでしょう。20世紀イタリアを代表する作曲家で、とりわけ映画音楽の分野でよく知られたニーノ・ロータ。元々は本格的なクラシック音楽の作曲家で、協奏曲などもつくっています(かつて名フィル定期第347回(2008年5月)でも『トロンボーン協奏曲』が取り上げられました)。映画音楽では、今回の『山猫』の他、フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』や『道』などが有名です。

 『山猫』はルキノ・ヴィスコンティ監督(『郵便配達は2度ベルを鳴らす』や『ベニスに死す』などが有名)の映画(1963年公開)で、19世紀半ばのシチリアでの貴族社会の繁栄と没落を描いた作品です。原作となる小説があり、時代背景などがよく分かります。映画では、青年貴族を演じるアラン・ドロンのはつらつとした演技が印象的ですが、ニーノ・ロータの音楽は映画の主題に沿ったのか、豪華絢爛な雰囲気の中にも何となく陰りが感じられます。特に映画のオープニングに使われ、今回演奏された組曲の冒頭を飾る音楽が分かりやすいと思います。

 2曲目は珍しいギター協奏曲です。ギターという楽器(もちろん、アコースティックギターです)は皆さんご存じの通り、それほど大きな音量が出せる楽器ではありません。したがってオーケストラに埋没してしまうため、そもそもオケとの協奏曲はそれほどつくられておらず、ロドリーゴの『アランフェス協奏曲』(名フィルでは第370回定期で取り上げられています)が有名な以外は、演奏機会もほとんどないと思います。

 今回取り上げられた曲はギター協奏曲の中では比較的よく知られているようで、手持ちのCDでは「3大ギター協奏曲」と題して、アランフェス協奏曲とともにカップリングされています。作曲者のカステルヌオーヴォ=テデスコはニーノ・ロータの一世代前の作曲家、といっても活躍したのは20世紀の半ば。イタリア生まれですが、ユダヤ系ということで、第二次大戦をはさむ難しい時期に生き、ファシズムの台頭を逃れてアメリカに渡っています。(余談ですが、”テデスコ;tedesco”はイタリア語で”ドイツ人”という意味です)

 ギター協奏曲第1番は当時の有名なギター奏者のために作曲されたもの。メロディーもわかりやすく、非常に聴きやすい曲です。

 今回のソリストである朴は1985年韓国生まれ。数々の国際コンクールで優勝した後、日本を中心に活動しているようです。一音一音がはっきりとしていてテクニックの高さを感じました。また、ギターの音量を考慮してか、オケは小編成で、まるで室内楽のような演奏スタイル。どちらかというとオケがギターを支えていると感じるでしたが、ギターとオケとのかみ合いもよく、1曲目が大編成であっただけに、さわやかな時間でした。

 ソリストアンコールは
ローラン・ディアンス: タンゴ・アン・スカイ
という曲でした。高度な技巧を要求する曲のように聴きましたが、決して技術を見せつけるのではなく、じっくり聴かせてくれたような気がします。(前日の演奏会ではタレガ作曲『アルハンブラの思い出』を演奏したようです。聴きたかった(; ;)) 演奏会終了後にはCDの購入とあわせてサイン会があり、写真撮影にもにこやかに応えてくれました。
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 後半はメインであるドヴォルザーク。交響曲ではなんといっても第9番《新世界から》が圧倒的に有名。今回演奏された第7番は、作曲者40代の頃の作品で、前後には愛国的な作品も手がけていただけに、チェコ(あるいはボヘミア)の雰囲気を感じさせる隠れた名曲。前半の2曲とは切り離して楽しむつもりでしたが、さすがはイタリア人指揮者というべきか。「チェコ臭さ」を排除して、あっさりと、どちらかといえば楽天的な純音楽としての交響曲に仕上げてくれました。手持ちのCDがチェコの有名な指揮者によるチェコのオーケストラの演奏で、「チェコ臭さ」にどっぷりとつかっていただけに、新鮮な驚きでした。オケも指揮者の要求に応えていたのでしょう、弦楽器がよく響き、管楽器も充実したハーモニーを聴かせてくれました。一方で、第3,第4楽章が気に入っているのですが、全奏での迫力も堪能できました。

 来月は10月21,22日、フィギュアスケートでもよく取り上げられるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が演奏されます(詳細はここ)。ソリストは世界的な名ピアニスト(誇張ではありません)であるミハイル・プレトニョフ。正直言ってよく名フィルに来てくれたなと思うような大物、”必聴”です。彼のリサイタルだとチケット代は3倍以上すると思います。

 また、9月22日から名古屋港でアッセンブリッジ・ナゴヤというイベントがあり、24日・土曜日の夕方に名フィルのコンサートがあります。ジャン=マルク・ルイサダという、こちらもフランスの名ピアニストとベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を共演します(詳細はここ)。このコンサートは無料です。時間のある方は是非。

名フィル《コバケン・スペシャル》 ヴェルディ:レクイエム

 暑いさなかにはあまりオーケストラのコンサートもありません。名フィルの定期演奏会も8月はなし。埋め合わせというわけではありませんが、8月11日に名フィルの
『コバケン・スペシャル2016』で
ヴェルディ作曲『レクイエム(Messa da Requiem)』
を聴いてきました。
指揮:小林研一郎(名フィル桂冠指揮者)
ソプラノ:安藤赴美子
メゾ・ソプラノ:清水華澄
テノール:西村悟
バス:妻屋秀和
合唱:岡崎混声合唱団、岡崎高校コーラス部

 「レクイエム」は「死者のためのミサ曲」とされることが多いのですが、元来はキリスト教カトリックにおける典礼音楽で、死者の安息を願って行われるミサ(カトリックにおける最も重要な典礼儀式)の音楽です。歌詞はラテン語の典礼文として決められています。ただ、19世紀半ば以降、宗教的な意味を離れて死、または死者を悼むために「レクイエム」の名を冠して、様々な詩を利用して作曲されることが多くなっています。

 カトリックの典礼音楽としての「レクイエム」は冒頭で
Requiem aeternam dona eis, Domine: et lux perpetua luneta eis.
主よ、彼らに永遠の安息を与え、彼らを絶えざる光もて照らし給え」(井上太郎著「レクイエムの歴史」より)
と歌われるため、最初の語をとって『Requiem』と題されます。

 多くの作曲家が作曲していますが、「3大レクイエム」として特によく知られているのがモーツァルト、ヴェルディ、フォーレの3人の作品。中でも、モーツァルトとヴェルディの演奏頻度が高く、それぞれ「モツレク」、「ヴェルレク」と略して呼ばれ、国内でもいろんな機会に演奏されています。

 今回は独唱者の質が高く、また合唱もかなり練習を積んでいるようで、よくまとまっていました。オケは長年にわたって親密な関係を築いてきている指揮者との共演ということもあり非常に充実した演奏でした。全体で約1時間半に及ぶ大曲ですが、長いと感ずる前に終わってしまいました。

 ヴェルレクの中で最も有名なメロディーは、第2曲「怒りの日:Dies irae」の冒頭でしょう。CMなどのBGMでも使われていて、必ずどこかで耳にしているはずです。打楽器を含めたオケ、合唱がともにフォルティッシモで奏し、ホール全体がなっているかのような大音量で迫力満点。

 ソリストのうち、ソプラノの安藤は3年前に歌劇「蝶々夫人」で聴きました。ホール全体によく通る
美しい声質。当日はやや体調不良とのことで、後半で少し声が裏返ったり、レティタティーボの歯切れが悪くなったりしていました。他の3人のうち、清水と西村はどこかで聴いたような気がするのですが、自分の記録にないため分かりません。いずれもすばらしい演奏で、特に西村はテノールらしく透き通ったよく通る声質。まだ若さを感じますが、これからが楽しみです。妻屋は現在国内最高のバス歌手、太く下から響いてくる声に圧倒されました。

 指揮者の小林についてはこれまでにも何度か紹介しているので今回は省きます。もう70を越えているはずですが、30年前と変わらない指揮ぶりです。ここの楽器を際立たせる手腕もさすがです。数年前にコバケン・名フィルの『モツレク』を聴いていますが、オケの充実ぶりもあり、今回のほうがすばらしかったと思います。

名フィル定期 第436回 モーツァルトとラヴェル

 6月のの名フィル定期(6月17,18日)はモーツァルトとラヴェル、18世紀と20世紀の鬼才の代表作が取り上げられました。

 プログラムは
モーツァルト:歌劇《魔笛》序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調
ラヴェル:ラ・ヴァルス
ラヴェル:バレエ《ダフニスとクロエ》第1組曲、第2組曲
ピアノ独奏:アレクサンデル・ガジェヴ
指揮:高関健

 前半は序曲に協奏曲という、オーケストラのプログラムとしてはかなり古典的なスタイル。とは言え、天才モーツァルト晩年の傑作です。やや小ぶりの編成で、弦楽器もそれほどビヴラートをかけずに、素朴な音色にきこえました。もともと歌劇の序曲は、幕が上がる前で観客席がまだざわついている中で、「これから話が始まるよ」、「こんな感じの話だよ」と前触れするような意味で演奏されるもの。この《魔笛》序曲はまさにコンサートの冒頭にふさわしい、華やかなファンファーレで始まり、聴衆をわくわくさせてくれるような楽しい曲。今回の演奏は決して派手ではありませんが、聴くものに心構えを促すような演奏でした。

 今回の指揮者、高関は国内を中心に活躍している指揮者。楽譜をじっくりと読み込んで、とことん極め尽くすタイプではないかと思います。数年前の名フィル定期(第386回定期)ではブルックナー交響曲第7番という、1時間を越える大曲を寸分の隙もなく構築したこれ以上ないほどの名演でした。

 モーツァルトは当時、ピアノの名手として知られ、自ら作曲したピアノ曲を演奏して好評を博していました。このピアノ協奏曲第27番は、そんなモーツァルトにとって最後のピアノ協奏曲。なくなる9ヶ月前に初演されました。《魔笛》は死の3ヶ月前に初演されました。

 ピアニストは昨年浜松で行われた第9回浜松国際ピアノコンクールで優勝、そのご褒美のような意味で今回のソリストに抜擢されました。弱冠20歳での優勝、イタリア生まれで、幼い頃からオーケストラと協演していたとのこと。

ガジェヴのピアノのの音は非常に丸く、軽く弾みます。あるいは、噴水から吹き上がる水滴のようにわき出ては、はじけていきます。いかにもモーツァルトらしい、生き生きとした演奏でした。これに対して、オケは吹き出した水に濡れた芝生のように、しっとりとした下地をつくっていたように感じました。ピアノの音色とのコントラストが非常に印象的でした。こうした音色を作り上げることも指揮者の仕事。

 ソリストが優勝した浜松国際ピアノコンクールでは、今回指揮をした高関が協奏曲の指揮者を務めていたようですので、お互いに手の内を知った上でのプログラミングなのでしょう。

 浜松国際ピアノコンクールについてはここを参考にして下さい(http://www.hipic.jp/hipic/

 少し時間がたって記憶もおぼろ、字数の過ぎていますのでラヴェルは割愛します。

 7月は名フィル名誉指揮者のティエリ-・フィッシャーが登壇、ラフマニノフの交響曲第2番、1度聴いたら忘れられないメロディーがの続く傑作。さらに、ラフマニノフと同時代のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲。こちらは若手有望株の女性ヴァイオリニストの登場です。

名フィル定期第435回 ショスタコーヴィチ

 5月20、21日は名フィルの5月定期で、
ショスタコーヴィチとシュニトケという、旧ソ連時代を代表する作曲家2人が取り上げられました。プログラムは
ショスタコーヴィチ:バレエ『黄金時代』組曲から「序奏」、「ポルカ」、「踊り」
シュニトケ:ヴィオラ協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ロ短調
指揮:ドミトリー・リス
ヴィオラ独奏:アンドレア・ブルガー

 ショスタコーヴィチ(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich、1906-1975)は比較的有名な作曲家です。旧ソ連を代表する作曲家あり、評論や研究の対象としても取り上げられることも多いようです。曲調にもやや癖のようなものがあるため、演奏家や聴き手にもやや好き嫌いがあると思います。有名な作曲ジャンルは、なんといっても交響曲。好き嫌いは別にして、20世紀最大の交響曲作曲家です。

 ショスタコーヴィチの作品の中で最も有名なのは今回演奏された第6番の直前に作曲・初演された交響曲第5番です。第4楽章の冒頭などはBGMに使われたりしているため、聴けば「あれか」という方も多いでしょう。今回演奏された第6番はやや、というよりも非常にマイナーで、生で聴くのはもちろん初めて(かつ、最後かも?)です。名フィルとしても演奏会で取り上げるのは今回が初めてとのこと。

 これまで交響曲第5番やヴァイオリン協奏曲など、何曲かは実演を聴く機会もあり、CDでも予習をかねて聴き重ねてきてはいるのですが、ショスタコーヴィチはどうも苦手で、どうも入り込めないところがありました。ところが、今回事前に聴き込んでみると、これまでほどではなく、実演も非常にしっかりと受け止めることができました。いろいろな経験のせいなのか、曲のせいなのか、とりあえず聴ける曲の幅が広がってきたようです。

 交響曲というのは多くは4つの楽章からなり、特に第1楽章はソナタ形式というしっかりとした形式で作曲するというのがある程度暗黙裏の規則があります。しかし、この曲は3楽章で、ソナタ形式でつくられた楽章が第1楽章ではなく、第3楽章である。楽章の長さも第1楽章が非常に長いく、第2,第3楽章が短くアンバランスであると、かなり常識はずれなスタイルです。直前の第5番は作曲者の個人的な出来事に対する節目(不倫の清算とか)として作曲され、第1楽章から第4楽章に向けて、陰鬱な雰囲気から快活な曲調へと大きく変化していくところに大きな特徴があります。これに対して、この第6番は全体に明るく、ときに稚気に飛んだ雰囲気があります。作曲者自身は「春の喜びや若さの気分が伝えられたらと思う」と語っているようですが、その真意は不明のままだそうです。

 交響曲第6番は、比較的静かで甘美、ときに物憂げな雰囲気の漂う第1楽章、一転して、明るく展開し、やや諧謔的にもきこえる第2楽章、そして、管楽器が大活躍して躍動感あふれる第3楽章と、楽章ごとに曲調が全く異なっています。

 今回の指揮者はロシアのウラル・フィルハーモニー管弦楽団というオーケストラで長く指揮者を務め、このオケの実力を飛躍的に高めたとして、評価されているとのこと。もちろん、お国ものであるショスタコーヴィチも得意としているようで、今回のような選曲になったのでしょう。名フィルの指揮は初めてですが、しっかりと手綱を引いて、管楽器のアンサンブルはもちろん、弦楽器も縦の線がしっかりとそろい、全ての楽器がよく鳴っていて、「オーケストラ」という楽器を感じました。まさに、「名伯楽」。演奏の質もさることながら、彼のおかげでショスタコーヴィチに対する見方が変わったかもしれません。

 今回のコンサートでショスタコーヴィチとともに取り上げられたシュニトケ(Alfred Schnittke、1934-1998)はドイツ系ユダヤ人で、旧ソ連のヴォルガ側河畔の街に生まれて、モスクワで教育を受けた後に作曲家として成功、晩年はドイツに移住し、ハンブルクでなくなっています。生没年からも明らかなように、いわゆる現代音楽に分類される作曲家で、今回初めて聴きました。CDを聴くにせよ、生演奏を聴くにせよ、非常に集中力を要求する曲です。一般的な協奏曲同様に、3楽章構成ですが、楽章間でポーズをとらず連続して演奏します。口ずさめるようなメロディーが全くないまま、30分あまりを聴くというのはなかなか大変です。独奏者も終始眉間にしわを寄せて演奏していました。

 ヴィオラ(viola)という楽器もあまりなじみがないかもしれませんが、ヴァイオリンを少し大きくしたような楽器で、音域もヴァイオリンよりもやや低め、チェロよりも高めです。ヴァイオリンに比べると音色はやや暗め。ふくよかで滋味あふれるという言い方もできます。オーケストラでの役割はやや地味で、協奏曲もそれほど多くはありません。ただ、名フィルの定期演奏会ではこの数年でも3回(?)取り上げられています。

 今回の独奏者も指揮者同様にロシア人で、昨年東京で行われたヴィオラのコンクールでの優勝者。たぶん、優勝の特典(?)の1つとして、名フィルとの協演が決められたのでしょう。テクニックはもちろんすばらしいと思いますが、表面をなぞるような演奏ではなく、内面をしっかりと見つめて何かをつかもうとする姿勢を感じました。指揮者のリードがあってのことだろうと思いますが、オケとも寄り添いながらじっくりと聴かせてくれました。

 来月は6月18,19日、モーツァルトとラヴェルです。

METライブビューイング《蝶々夫人》

 GW明けで上映されたMETライブビューイングは
プッチーニ作曲:歌劇《蝶々夫人》
題名はご存じの方も多いでしょう、明治時代の長崎を舞台にした名作です。ヨーロッパの作曲家の作品で日本を舞台にした歌劇は他にもないわけではありませんが、本格的に日本人や日本の情景を描いた作品は《蝶々夫人》が唯一と言っていいでしょう。

 あらすじはここにまとめたので見ていただくことにして、やはり主人公である蝶々夫人と相手役のピンカートンの2人の歌唱を注目していました。前回の《マノン・レスコー》に続いて、
クリスティーヌ・オポライス(ソプラノ、蝶々さん)
ロベルト・アラーニャ(テノール、ピンカートン)
の2人です。

 第1幕最後の2人の二重唱は息もぴったりと合い、幻想的な演出と相まってオペラの魅力を堪能できました。また、第2幕は第1場と第2場の間で休憩を入っていますが、第1場の方では蝶々さんは約1時間をほとんど出ずっぱりで歌います。相当の体力が要求されると思いますが、有名な「ある晴れた日に」の他、聴かせどころ、泣かせどころで聴くものの心をつかむ見事な歌唱でした。

 蝶々さんを歌ったオポライスはプッチーニを得意としているようで、昨年は《ラ・ボエーム》というプッチーニの代表作でヒロインのミミを歌っています。今回の蝶々さんは非常に高音域を要求するようですし、第1幕では15歳、第2幕では18歳の役。若々しさも演じなければいけないため、歌手を選びます。オポライスはまだ30代前半かと思いますが、まさに適役。今後レパートリーをどのように広げていくのか楽しみです。

 ピンカートン役のアラーニャは1963年6月生まれ、現代を代表するテノール歌手(たぶん5指には入る)です。男性は歌手寿命の長い人が多いためまだまだこれからですが、少し前の抜けるような明るさは少し薄らいだ気がします。ただ、表現力はさすが。おそらく20代半ばくらいに設定しているであろうピンカートンになりきっていたように思います。これまでにいろんな役を歌っているのを聴いていて、記憶にあるのはいずれもモテ男役ばかり。ご本人の顔立ちや声質からすると当然かもしれませんが、いかにも楽しそうです。

 メトロポリタン歌劇場のライブビューイングシリーズは毎年文化の日の週に始まり、5月末か6月初めまで、現地上映より3週間ほど遅れますが、10作品が上映されます。来シーズンの予定もすでに発表されました(ここ)。メジャーな演目から新作まで、ベテラン歌手から若手と幅広くそろえられています。

名フィル定期第434回 新シーズン開幕、小泉の『家庭交響曲』

 名古屋フィルハーモニー交響楽団、通称「名フィル」は東海地方で最初に設立されたプロオーケストラで、今年が創立50周年。数年前から定期演奏会の会員として毎月の演奏会を聴きに行っております。スポーツなどと同様に、1年ごとの「シーズン」で、名フィルは日本の会計年度にあわせて4月−3月です。

 今年は創立50周年の記念シーズンにあたるわけですが、音楽監督も交代し、新監督として小泉和裕氏が就任、オーソドックスでありながらもバランスのよいプログラミングと、若手、巨匠とすばらしいソリストを迎えて非常に楽しみです。

 先週末(4月15,16日)の名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールでの演奏会は、今回はシーズン最初であり、小泉氏の就任披露公演として
ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調
リヒャルト・シュトラウス:家庭交響曲
の2曲でした。

 これまでにも小泉が振ったコンサート(たぶん名フィルのみ)は何度か聴いていますが、その中で最も充実した(という表現がぴったりのような気がします)演奏でした。聴きに行ったのは15日・金曜日の方で、まさに就任後最初のコンサート。本人も気合いが入っていたでしょうが、オケもその気合いを受け止めて十分に自分たちの音楽を表現しているようでした。

 ベートーヴェンの交響曲第4番を生で聴くのは昨年の中津川でのコンサート(感想はここ)と2年連続ですが、わずかに2回目。非常に演奏頻度の低い曲です。ベートーヴェンの場合は他の交響曲があまりにも有名すぎるため、やむを得ないですが、決して音楽的に劣っているわけではありません。今回も予習として何度かスコアを見ながらCDを聴いてみました。同時代の他の作曲家の曲などをいくつか知っていると、その独創性には驚かされます。

 この交響曲はベートーヴェンが36歳の時に初演されています。名フィルの演奏は、小泉の指揮もあってか、非常にきびきびとしていて若き作曲家の意欲を感じさせてくれる演奏でした。特に弦楽器がしっかりとなっていました。昨年あたりから弦楽器の音に張りが出てきたような気がしていましたが、今後が大いに期待できます。

 後半の『家庭交響曲』は大編成(この日の演奏は総勢96名でした)の難曲として知られています。曲は作曲者の「家庭」の様子を描いた標題音楽で、リヒャルト・シュトラウスの作曲家人生の前半を代表する傑作です。演奏時間40分あまりで、同時代の交響曲としてはやや短めですが、全体が単一楽章であるため、途切れずに演奏されます。指揮者を含めて演奏する方も聴く方もかなりしんどいです。

 決して口ずさめるようなメロディーがある訳ではありませんが、高い集中力をもった演奏でした。小泉のダイナミックな指揮姿も目を引きましたが、聴衆の耳をつかんで離さない名演でした。同時になっている音が非常に多い曲ですが、各パートの音がしっかりと聞こえるため、音色やアンサンブルの響きの違いも堪能することができました。

 上のような理由もあって、この曲も滅多に演奏されることはありません。もう一度聴くことがあっても、今回以上の演奏に出会えるかどうか。

 『家庭交響曲』ではオーケストラには珍しく4本ものサックスが用いられています。ソプラノ、アルト、バリトンに加えて、今回始めて見ましたがバス・サックスまで。また、オーボエ・ダモーレ(oboe d’amore)という楽器も使われています。名前の通りオーボエの親戚ですが、やや低い音域を担当し、ややくぐもってはいてもふくよかな音色です。曲中では作曲者の息子を表す主題などのメロディーを演奏します。楽器名の意味は「愛のオーボエ」、ぴったりの名称かもしれません。

 ベートーヴェンは1770年生まれで1827年に亡くなっています。交響曲第4番は1806年初演。これに対してリヒャルト・シュトラウス(ワルツの父であるヨハン・シュトラウスおよびワルツ王であるヨハン・シュトラウスⅡ達と区別するために、ともにフルネームで呼ぶことが多い)は1864年生まれで1949年に亡くなっていて、『家庭交響曲』は1904年初演。100年でこんなにも音楽が異なるのかと驚きましたが、19世紀という時代を感じました。

METライブビューイング《マノン・レスコー》

 現在、名駅・ミッドランドスクエアシネマで今シーズンのMETライブビューイングの第7作目、プッチーニ作曲の歌劇《マノン・レスコー》が上映中です(金曜日まで)。

 先週土曜日に見に行きました。オペラ作曲家として有名なプッチーニの作品の中ではややマイナーな作品ですが、彼の出世作でもあり、その後の作品の萌芽を見るようなところが随所にあります。

 18世紀のフランスのアベ・プレヴォーという作家の同名小説を基にしています。ヨーロッパでは非常に有名らしいのですが、日本では同時代のフランス人、例えばユゴーやバルザックのほうが有名です。詳しいストーリーはWebサイト(ここ:http://www.shochiku.co.jp/met/program/1516/)を見ていただくとして、要するにファム・ファタルと彼女に翻弄される男の悲劇。もちろん主人公マノン役は美人で相手役のデ・グリューもかっこいい青年という設定。今回マノン役を歌ったクリスティーヌ・オポライスと相手役デ・グリューを歌ったロベルト・アラーニャ(実年齢はともかくとして)はまさにうってつけで、見事な歌唱でした。

 次回は5月、ゴールデンウィーク明けで今回と同じくプッチーニ作曲の歌劇《蝶々夫人》、長崎を舞台とした悲劇。蝶々夫人は今回マノンを歌ったオポライス、ピンカートン役は今回のデ・グリュー役のアラーニャ。偶然ですが同じ組み合わせです。

ボッティチェリ展、ダ・ヴィンチ展、カラヴァッジョ展

 3月最後の週末(27,28日)に欲張って東京へ行って3つも美術展を見て回りました。盛りだくさんで完全に消化不良でしたが、年末にイタリアで堪能したルネサンスを中心とした芸術に改めて触れることができました。

 今年は日本とイタリアの国交樹立150周年にあたるようで、記念した企画の一環のようです。『ボッティチェリ』展(Webはここ:http://botticelli.jp)は国内では初めてのボッティチェリの回顧展になるそうですが、東京都美術館で4月3日まで。『レオナルド・ダ・ヴィンチ~天才の挑戦』展(Webはここ:http://www.davinci2016.jp)は江戸東京博物館で4月10日まで。もうすぐ終わってしまいます。『カラヴァッジョ』展(Webはここ:http://caravaggio.jp)は国立西洋美術館で6月12日までです。いずれも他への巡回はないようです。興味のある方は是非Webサイトをご覧下さい。

 見応えがありましたが、今回最も見たかったのは『ダ・ヴィンチ』展の「糸巻きの聖母」と「鳥の飛翔に関する手稿」です。また、カラヴァッジョの明暗を強調した絵画も是非とも見たかったので非常に満足しました。

 ダ・ヴィンチは15世紀後半から16世紀に活動していますが、若い頃から鳥、あるいは空を飛ぶことにあこがれを持っていたようです。ウフィッツィ美術館で見た『受胎告知』の大天使ガブリエルの翼の表現など、観察力とあの時代にそれを正確に表現できる描写力はやはり天才です。今回は具体的にどうやって飛ぼうとしていたのか、彼のアイデアの一端を「手稿」、要するにメモ書きを通して感じました。とても「見た」とはいえませんが、買ってきた図録には展示された「手稿」全ての写真と訳が掲載されているので、時間のあるときにゆっくりと読み込みたいと思います。

 ダ・ヴィンチは自分のアイデアを元に実際に「飛行機」をつくり、弟子に飛ばせています。今でいえば「鳥人間コンテスト」に出場するようなものですが、見事に失敗。以後、2度と試みることはなかったそうです。

 『カラヴァッジョ』展では、同時代の風俗を描いた絵画を多く見ることができましたが、その中に、当時使われていた楽器が描かれています。こうしたことから当時非常にポピュラーであった「リュート」という楽器のコンサートが西洋美術館内でありました。

 リュートはギターとよく似ていますが、起源は中央アジアの「バルバッド」という楽器で、西に行ってヨーロッパに渡ってリュートに、東に行って中国や日本では「琵琶」として現在に至っています。いずれもネックのヘッドの部分が折れ曲がっているところが共通しています。ギターと違って複弦ですが、音量は小さめ、響きも弱く、可憐でしとやかな感じがします。琵琶はバチで弾きますが、リュートは指(ツメ?)で弾きます。シェークスピア劇のような中世を舞台にした映画を観たことのある方であれば、何となく分かってもらえるのではないかと思います。CDで聴くことはあっても、生で聴く機会はほとんどできないので貴重な体験でした。もっといろんな曲、演奏を聴いてみたいですね。

世界一の歌声:アンナ・ネトレプコ

 先週火曜日(3月15日)にソプラノ歌手のコンサートを聴きに行ってきました。私にとっては今年前半のハイライトです。これまでにもMETライブビューイングで何度か紹介していますが、現代最高のソプラノ歌手と言っていいでしょう、アンナ・ネトレプコと彼女の夫君でテノール歌手であるユーシフ・エイヴァゾフの2人のコンサートです。

 スピーカーを通してしか聴いたことのない世界一の歌声を生で聴けました。第一声を聴いたときには鳥肌が立ち、彼女独特のクリーミーな歌声にうっとりし、声量と迫力に圧倒されました。

プログラムは
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
チレア:歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」より
私は神の卑しい僕です”(ネトレプコ)
チレア:歌劇「アルルの女」より
ありふれた話(フェデリコの嘆き)”(エイヴァゾフ)
ヴェルディ:歌劇「イル・トロヴァトーレ」より
穏やかな夜~この恋を語るすべもなく”(ネトレプコ)
ああ、あなたこそ私の恋人~見よ、恐ろしい炎を”(エイヴァゾフ)
ヴェルディ:歌劇「アッティラ」序曲
ヴェルディ:歌劇「オテロ」より
二重唱”すでに夜も更けた”(ネトレプコ、エイヴァゾフ)
(休憩)
プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」より
ある晴れた日に”(ネトレプコ)
マスネ:歌劇「ウェルテル」より
オシアンの詩”春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか”(エイヴァゾフ)
ジョルダーノ:歌劇「アンドレア・シェニエ」より
亡くなった母を”(ネトレプコ)
5月のある晴れた日のように”(エイヴァゾフ)
プッチーニ:歌劇「マノン・レスコー」間奏曲
ジョルダーノ:歌劇「アンドレア・シェニエ」より
貴方のそばでは、僕の悩める魂も”(ネトレプコ、エイヴァゾフ)
指揮:ヤデル・ビニャミーニ、管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 オペラのアリアばかりのプログラムで、ちょうど演奏会形式での上演を模したもの。通常のオケのコンサートで歌手が歌う場合には指揮者の横にじっと立って歌うのですが、今回は舞台上を動き回り、オペラでの演技さながらに、役になりきって持ち前の表現力を十分に見せてくれました。

 舞台上での存在感やふるまい、ピアニッシモであっても、後ろを向いていても十分にホール全体に響く声、曲によって声質や表情を使い分け、何をとってもすばらしい。人気、実力ともに世界一であることを見せつけられました。

 バックにオケが鳴っているので、音量だけで勝負すれば人の声の方が必ず負けてしまいます。しかし、聞こえるかどうかは音量だけの問題ではなく、倍音をどれだけ鳴らすかによって決まります(詳細はまた別の機会に)。したがって、ピアニッシモの声であってもオケの音に打ち勝って十分に聴かせることができます。

 今回の公演は、3月いっぱいかけてのアジア・ツアーの一環。日本では名古屋で1回やったあと東京で2回やるだけ。プログラムはほぼ同様のようですが、最近の彼女のオペラでの役と同様に、ヴェルディなどなめらかで重たい声を要求する曲ばかりです。ネトレプコは、若い頃は軽やかに高音を操るような曲を歌っていましたが、年齢とともに少しずつレパートリーを変えてきていています。同じ音域、彼女は「ソプラノ」ですが、歌い方や声質は作曲家や役柄によってかなり違いがあり、歌手ごとに得意不得意があります。ネトレプコは自分の声質の変化と役柄をうまくあわせて、常に自分に合ったレパートリーを採り上げてキャリアを築いているような気がします。40代半ばですが、ちょうど円熟期に入ったところかな? 

終 演後にはサイン会も。非常に陽気でとても楽しそうなご夫婦です。中央の赤いドレスで手を振りかけてくれているのがアンナ・ネトレプコ、右側のすごいジャケットがユーシフ・エイヴァゾフです。

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METライブビューイング:《トゥーランドット》

 先週末からプッチーニの遺作《トゥーランドット》が上映されています。METの演出は1987年から使われている「これぞオペラ」という名舞台。豪華絢爛で、文字通り「非日常」を体験できます。

 音楽はどれも印象的で、一回聴くと頭に残る曲がたくさんあります。ずいぶん前ですが、トリノオリンピックのフィギュアスケートで優勝した荒川静香が使った「誰も寝てはならぬ」も《トゥーランドット》第3幕で歌われる名曲です。

 ライブビューイングで取り上げられるのは2度目、前回(ここに感想を書きました)も満席だったのですが、今回も満席。女性客が圧倒的でした。

 あらすじは以前書いたのでここ観て下さい。今回の注目はリューを歌ったアニータ・ハーディング。若手のホープです。上演後も最も拍手が大きかったでしょうか。透明感のあるソプラノで、悲恋の女性にぴったりです。アニータは以前に《カルメン》のミカエラ役を歌っていました。どちらも理想の女性です(^_^;) 

 次回と次々回とプッチーニが続き、4月始めに《マノン・レスコー》、ゴールデン・ウィーク明けに《蝶々夫人》(2009年に別のキャストで上映されました)。どちらもわかりやすいストーリーで、聴き所満載です。

名フィル定期(第432回):チェコの音楽

今月の名フィル定期は先週末(2月20,21日)。先月の定期が名演だったので、今月はやや見劣りして聞こえてしまうのではないかと心配して出かけました。プログラムされている曲のタイプが全く異なるため比較はできませんが、今回も十分に聞き応えのある演奏会でした。

プログラムは「物語の再編」と題して
ヤナーチェク作曲(マッケラス編):歌劇《利口な女狐の物語》組曲
マルティヌー作曲:オーボエ協奏曲
ドヴォルザーク作曲:交響曲第8番ト長調
オーボエ独奏:ラモン・オルテガ・ケロ
指揮:ロリ—・マクドナルド

タイトルとマッチするのは第1曲目。タイトルにとらわれるより、今回はすべてチェコ出身の作曲家による作品として楽しみました。また、指揮者のマクドナルドは定期では今回が3回目、名フィルともだいぶなじみが出てきて、毎回異なったタイプの曲を取り上げて非常にしっかりとまとめ上げた演奏を聴かせてくれます。過去2回は2014年4月(第390回)と2014年3月(第411回)です。

ヤナーチェクは19世紀から20世紀初めに活躍した作曲家で、今回取り上げられたオペラ《利口な女狐の物語》の他、村上春樹の小説で有名になった「シンフォニエッタ」などが知られています。このオペラは題名の通り動物が主役、もちろんヒトが扮するのですが、狐の他、イヌや鶏なども登場し、ヒトとの駆け引きを繰り広げるストーリー。演出によっては子ども向けのようにも見えますが、かなり社会性の高い作品です。オペラとしての上演頻度はそれほど高くありませんが、今回演奏された管弦楽だけによる組曲版はわりととりあげられるようです。

オペラ全体のエッセンスをうまくまとめていて、ストーリーを知らなくても何となく情景が浮かんでくるような曲です。

第2曲目の作曲者マルティヌーは20世紀の作曲家、時代に翻弄され、チェコからフランス、スイスと渡り歩き、第2次大戦中はナチスににらまれていたそうで、最後はアメリカへわたり生涯を終えています。非常にたくさんの曲を作っていて、今回演奏されたような協奏曲も30曲ほど作っているそうです。

今回演奏したケロは1988年スペイン生まれ、現在はミュンヘンのオーケストラで活躍する若手のホープです。すでにCDも何枚か出しており、将来が楽しみです。オーボエという楽器は管楽器の中で最も古くからオーケストラに加えられた楽器で、ダブルリード故にか、演奏者による音色の違いがかなりはっきりする楽器でもあります。ケロのオーボエは、かわいらしいというか、愛らしいというか、親しみやすい音色です。時として弱々しく感じることもありましたが、決して音が小さいとか響きが弱いということではなく、遠くまでよく通り、目の前で演奏してくれているかのよう。オケは非常に小さな編成で、オーボエを周りから支えるようにもり立てていました。この曲ではピアノも使われていて、オケの中央でよく活躍します。オケの曲としては非常に珍しい編成です。

恒例のソリスト・アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲の中の1曲をオーボエソロで。ケロはバッハの曲を入れたCDも出しており、かなりお好きのようですね。

さて、休憩後のメインは『ドヴォ8』。年末にフィレンツェのクリスマス・コンサートで聴いた曲です。チェコの大地と自然を感じさせる名曲ですが、次から次へとメロディーが流れるように続き、楽器の組み合わせも変わり、ドヴォルザークらしさを感じます。

指揮者とオケの雰囲気が変わり、指揮者のタクトに対するオケの反応が非常に敏感で、前半の2曲と比べると濃密に練習を重ねたことをうかがわせます。

この曲は第1楽章の雰囲気が気に入っていますが、広大な大地を表すような弦楽器の響き、森の静けさや鳥の鳴き声をうかがわせる木管楽器群、そしてトロンボーンのコラール。チェコの田舎の風景を想像させる見事な表現でした。第4楽章では金管楽器群が大活躍しますが、決して大きな音でうなるわけではなく、ホール全体を響かせるような広がりを感じました。

来月(3月11,12日)は今シーズンの締めくくり、常任指揮者ブラビンス得意のラフマニノフ。ソリストもブラビンスお気に入りの上原彩子(岐阜県出身で、1990年のチャイコフスキー・コンクールの覇者です)。常任指揮者としてのブラビンスの任期も今季限り、ラスト・コンサートです。興味のある方は是非聴きに行かれては? 名演間違いなしです。

バレンタイン・コンサート

 2016/02/14はバレンタインデー、1週間早く2月7日に伏見のしらかわホールでの
「ウィーン&ベルリン・フィル首席親子のバレンタインコンサート」
を聴きに行きました。コンサートの題名の通り、世界トップのオーケストラであるウィーン・フィルハーモニーとベルリン・フィルハーモニーの首席クラリネット奏者を務めるオッテンザマー親子によるコンサート。


 エルンスト・オッテンザマー(Ernst Ottensamer、お父さんです、ウィーン・フィル首席クラリネット奏者)、ダニエル・オッテンザマー(Daniel Ottensamer、長男、ウィーン・フィル首席クラリネット奏者)、アンドレアス・オッテンザマー(Andreas Ottensamer、次男、ベルリン・フィル首席クラリネット奏者)の3人でクラリネット・トリオとして2005年にThe Clarinetts(ザ・クラリネッツ)というグループをつくり活動しています。とてつもない親子ですね。

この日のピアノ伴奏は菊池洋子、注目の若手ピアニストです。

 この日のプログラムは
モーツァルト作曲のオペラのアリアをクラリネット三重奏に編曲したもので
歌劇「皇帝ティートの慈悲」より”私は行くが、君は平和に”
歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」より”風は穏やかに”
歌劇「後宮からの逃走」より”どんな責め苦があろうとも”

 ヴェルディ作曲のオペラの名旋律をアレンジしたもの
ロヴェレーリョ:歌劇「椿姫」のモチーフによる幻想曲
フランツ&カール・ドップラー:歌劇「リゴレット」のモチーフによる幻想曲(ピアノ伴奏付のクラリネット三重奏曲)
(吹奏楽でフルートをやっていた人はいませんか? フランツ・ドップラーは「ハンガリアン田園幻想曲」の作曲者です。)

 ロッシーニ作曲の歌曲をアレンジした
「音楽の夜会」から「踊り」

 休憩を挟んだ後半は映画音楽やミュージカル音楽をアレンジしたメドレーで
レーヘル:マンハッタン・スウィート、ウッディ・クラリネッツ
チブルカ:ブロードウェイ・インプレッションズ
ボンファ:オルフェの唄
コロニー:テイク・ファイブ

 そして、アンコールは
コレニー:ザ・ピンキークラリネッツ
ドビュッシー:「小組曲」より“小舟にて”
ベシェ:小さな花

 どの演奏も高い技術と音楽性に裏打ちされたすばらしいものでした。特に、ピアニッシモでの響きがすばらしい。弱い息を吹き続けて音量や音程を維持するのは非常に難しいのですが、難なくやってのけて、最後は音がまさに消えるように。また、家族だからというわけでもないでしょうが、息が合っているとはこういうことを言うのかと、感じました。幼い頃から家族でこんな風に遊んでいたのでしょうね。

 クラリネットのコンサートですが、アンコール二曲目はダニエルとアンドレアス兄弟によるピアノ連弾、さすがに見事な演奏。2人とも小さい頃から習っていたのでしょうが、玄人はだしとはまさに彼らのようなことをいうのでしょう。また、コンサート終了後はサイン会。長蛇の列でしたが、時折見せる笑顔が印象的でした。
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 サイン会の様子です。左側手前からダニエル、アンドレアス、エルンスト、その奥のショールを掛けた女性がピアノの菊池洋子さんです。

イタリアでのコンサート

 昨年末に10日間ほどイタリアに旅行してきました。ミラノに入り、ボローニャ、フィレンツェ、ローマと巡り、4回のコンサートに行くことができました。今回の旅行のテーマは「ルネサンスの歴史と芸術を堪能する」ことだったのですが、やっぱり音楽ははずせません。本場のオペラを堪能するというわけにはいきませんでしたが、いずれも普段の音楽生活にはない貴重な体験でした。

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月21日 ミラノ・スカラ座
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 残念ながらオペラのコンサートも聴けませんでした。同日夜にはヴェルディの《ジャンヌ・ダルク》が上演されたのですが、あまりにも高額チケットでやむなくあきらめました。今シーズンのオープニングと同じ演目です。オープニング公演をNHKが1月末に放送しましたので、それで我慢します。かわりに、隣接する「スカラ座博物館」に行ってきました。写真はスカラ座正面。外観は決して豪華ではありませんが、中は別世界です。


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月24日:フィレンツェTeatro Verdi(ヴェルディ劇場)での「クリスマスコンサート」
Orchestra della Toscana
(トスカーナ管弦楽団)によるコンサートで、プログラムは
レスピーギ:ヨハン・セバスチャン・バッハの3つのコラール
デイヴィス:A spell for Green Corn(日本語題名がありません)
ドヴォルザーク:交響曲第8番
ヴァイオリン独奏:アンドレア・タッキ
指揮:ドナート・レンゼッティ
 イタリアオペラの巨人のであるヴェルディの名を冠しているこの劇場は日本では余り知られていませんが、フィレンツェでは規模の大きな劇場です。今回聴いたオーケストラはこのヴェルディ劇場を中心に活動しているようで、フィレンツェはトスカーナ州の州都ですから、地域を代表するオーケストラのようです。オケの規模はあまり大きくなかったのですが、コンサート冒頭にオケの代表の方のスピーチに対して客席から大きな拍手がありましたので、地域に密着した活動を続けているのでしょう。


 プログラムの中でクリスマスらしいのは第1曲目のバッハ。バッハの宗教曲のメロディーを生かして、イタリアの作曲家・レスピーギがオーケストラ用にまとめたものです。2曲目はヴァイオリン独奏を伴う曲で、作曲者は現役です。典型的な現代音楽で、やや聞きにくかったのですが、ヴァイオリニストはこのオーケストラのコンサートマスターを務めている方のようで、終わった後は大拍手でした。


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 ホールは「馬蹄形」と言われるヨーロッパに多くある形で、客席はご覧のように1階平場席(アリーナと言います)と後方とサイドの桟敷席(ボックス席とも言います)から成っています。ここでは後方2階席の最前列中央の席が取れました。ほぼ満席で、地元の方が大部分のようでしたが、我々のような観光客、日本人のグループもおられました。

ドヴォルザークと言えば「新世界から」ですが、ここで演奏された交響曲第8番は「新世界からの」ほどではないにせよ、ドヴォルザークらしさがよく現れた交響曲です。郷愁を感じさせるメロディが次から次へと現れ、チェコに行ったような気分にさせてくれます。フィレンツェのクリスマス・コンサートでなぜこの曲が選ばれたのか分かりませんが、演奏後は大きな拍手が送られていました。


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月25日:フィレンツェSt Mark's English Churchでの歌劇「ラ・ボエーム」(抜粋)
 会場となったのはアルノ川南岸の小さな教会。後で知ったことですが、建物自体の歴史は1500年代にまで遡ることができるという由緒あるもので、メディチ家の宮殿の一部でもあったそうです。その後、マキャヴェッリの所有となり、美しいネオ・ルネサンス様式に改築されたとのこと。ルネサンス期のメディチ家やマキャベリと同じ空間を共有できたとは、もっとよく見ておけばよかった。

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 開演前(左)の様子を見ると、ホールの規模がよく分かります。客席は100席に満たなかったと記憶してます。終演後(右)にはおきまりの出演者勢揃いでの挨拶。歌手が目の前です。

 「ラ・ボエーム」は主要な登場人物が男性4人、女性2人必要ですが、今回は最も中心になる男性2人と女性2人にしぼり、セットもほとんどない抜粋版、本来オーケストラが演奏する部分はピアノ、さらに、ストーリーの解説を付けて約1時間ちょっとに短縮して行われました。
 ストーリーは省きますが、天井が低く奥行き、横幅もあまりない小さな教会ため歌手の声が大きく響き、圧倒されました。特に男性歌手の迫力は、他ではきっと体験できないでしょう。

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月27日:ローマ、ローマ歌劇場:バレエ「くるみ割り人形」
ローマの中心部にあるTeatro dell’Opera di Roma、首都を代表する劇場でクリスマスシーズンの定番、チャイコフスキーの傑作を、何と最前列のほぼ中央で観ました。実はバレエを生で見るのは初めて。いきなり海外で?とも思ったのですが、日程がちょうど合ったので思い切って予約しました。本当は後方の(安い)席のはずだったのですが、Webで申し込んでから1ヶ月近く何の連絡もなかったので催促してみたら、料金そのままで2グレードアップの(たぶん一番高い)席が回ってきました。お隣(最前列中央)は”I’m a chairman”とおっしゃっておられました。ローマ歌劇場のしくみは知りませんが、たぶん運営の責任者グループのメンバーの方でしょう。
バレエといえば他にも有名な劇場はたくさんあるのですが、世界のトップレベルのバレエダンサーによる演技と歌劇場附属のオーケストラによる演奏の感動は一言では言い表せません。テレビで観てもすばらしいと思いますが、自分の目の前であんなに動いているということが信じられませんでした。
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最前列中央から客席後ろを見たところです。パノラマ写真ですので形はややいびつですが、典型的な馬蹄形ホールです。写真の両端がサイドの桟敷席の最前列です。

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月29日:ローマ、All Saints Church, Main Hallでの室内楽コンサート
ローマ市街の北東部にある教会。フィレンツェで行った教会に比べると大きなホールでしたが、作られたのは19世紀の後半。コンサート会場としてよく利用されているようです。有名なスペイン広場のすぐ近く、帰り道に見てきました(工事中でしたが)。
プログラムは、ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」(全曲)、演奏はConcerto Baroccoという小さなグループです。皆さんよくご存じの「春」をはじめとするイタリア・バロック音楽を代表する名曲です。編成はヴァイオリンソロ、ヴァイオリン2パート、ヴィオラ、通奏低音(一般的にはチェロとチェンバロ)で、ソロ以外の人数は決まっていませんが、今回は各パート一人ずつ、通奏低音もチェロ一人にチェンバロパートはチェンバロ音の電子オルガンでした。各パートの音が一つづつしかないため、弦楽四重奏にソロが入っているような演奏。ちょうどバロック時代やその後のサロンでのコンサートも同様なスタイルだったのでしょう。会場は席数も100席足らず、演奏者までの距離も近く、楽器の音を手ですくい取っているようで、時間があっという間に過ぎていきました。「四季」は全部で40分ほどの曲ですので、アンコールが2曲。いずれもヴィヴァルディの同編成の曲だと思いますが、題名は分かりません。
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 ところで、このヴィヴァルディの肖像画をご存じでしょうか。下の絵をどこかで見た覚えのある方も多いと思いますが、これはボローニャにある国際音楽資料博物館(Museo internazionale e biblioteca della musica di Bologna)にあります。
 ボローニャでは歌劇場でオペラを見るつもりだったのですが、公演自体がキャンセルされてしまいかなわず。代わりというわけではありませんが、博物館を見学してきました。写真撮影は自由にできたのでヴィヴァルディを記念に。
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名フィル:ハイドン・チクルス

今回は定期演奏会以外の名フィルのコンサートを紹介します。

オーケストラの活動の中心はあくまでも『定期演奏会=Subscription concerto(予約演奏会の意)」ですが、これら以外にもオケ主催の特別コンサートが多く企画されています。今回紹介するのは、名フィルが数年前から名古屋・伏見のしらかわホールでひらいている「ハイドン:ロンドン・セット・チクルス」です。

「チクルス」とは特定の作曲家の曲を連続して演奏する演奏会のこと、ハイドンは晩年にロンドン2回訪れて、そのために作曲した曲を集中的に演奏しています。今回はそんなハイドンのロンドン時代の曲の中から交響曲を中心に組み立てた連続演奏会の最終回です。プログラムは
いずれもハイドンの作曲で
 交響曲第98番 変ロ長調
 ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、ファゴットのための協奏交響曲 変ロ長調
 交響曲第104番 ニ長調
指揮と2曲目でのヴァイオリン独奏:ライナー・ホーネック
いずれも2曲目の独奏で、チェロ:鈴木秀美、オーボエ:山本直人(名フィル首席奏者)、ファゴット:ゲオルギ・シャシコフ(名フィル首席奏者)

今回指揮とヴァイオリン独奏を務めたライナー・ホーネックは名フィルの客演コンサートマスターとして年に数回来演していますが、あのウィーン・フィルの首席コンサートマスターです。ヴァイオリンの演奏は何ともあでやかな音色で、決して強く主張しているわけではないにもかかわらず、常に存在感があります。

ハイドンは「交響曲の父」とか「古典音楽の父」とか呼ばれていますが、1732年生まれでモーツァルト(1756-1791)よりも一世代上。「音楽の父」であるバッハ(1685-1750)ともオーバーラップしています。1809年になくなっていますので、モーツァルトよりも長く生き、ベートーベン(1770-1826)ともかなり重なります。事実、ハイドンはモーツァルトと親交があり、ベートーヴェンにとっては師匠に当たります。

ハイドンは交響曲というジャンルを確立して、後の世代に受け渡します。そして、それ以上にクラシック音楽の様々なジャンルや形式、例えば、弦楽四重奏や協奏曲、ソナタ、オーケストの編成を確立したところに偉大さがあります。この「形式」は19世紀の音楽家たちから、音楽を志すものであれば必ず身につけるべきものとして、つまり、音楽上の「古典」と考えられるようになります。これが、ハイドンを中心とした時代の音楽を「古典派」といい、クラシック音楽全体を「クラシック=古典」とよぶことにつながっています。ゆえに、「交響曲の父」であり、「古典音楽の父」です。

さて、今回演奏された3曲はいずれもハイドン晩年の傑作揃い。ただ、同じ交響曲でもこれまでに紹介したブルックナーやブラームスなどとは違い、すっきりと整った形ではあるものの、「こみあげてくるもの」は全く感じません。きちんと箱に収まっていて、決して何かを主張しているわけではないなという音楽です。古典派たる所以ですが、その分、いい演奏であれば安心して音楽に浸っていられます。

オーケストラの編成は普段の定期演奏会などに比べると小編成、1stヴァイオリンが10人(2曲目では8人)、以下、2ndヴァイオリン8人(同6人)、ヴィオラ6人(同4人)、チェロ5人(3人)、コントラバス3人(同2人)でした。ハイドンの時代はさらに半分くらいだったと思います。大音量で響かせるのではなく、ひとつひとつの音をきれいに鳴らして、メロディーのうつくしさや楽器同士の音の混じり合いを大切にした演奏でした。音の出始め、変わり目も全体がしっかりとそろっていて、楽器間の音のバランスも絶妙でした。ホーネックの指揮振りはやや??でしたが、練習はかなり厳しいそうです。世界トップのオーケストラで培ったものを伝えてくれているのでしょう。確かにこの数年の名フィルの技量、特に弦楽器の充実振りには目を見張るものがあります。

ホーネック以外の演奏者を簡単に紹介します。チェロの鈴木秀美さんは日本を代表するチェリストの1人、特に古楽器としてのチェロ演奏家としては国際的にも高い評価を得ています。名フィルには指揮者としてもたびたび共演しています(
第357回名フィル定期)し、室内楽アンサンブルを率いての演奏会も名古屋で頻繁に開かれています(古楽器のアンサンブル)。

オーボエとファゴットはいずれも名フィルの首席奏者が担当されました。いつも見ている顔なのですが、2人の音色の特徴を楽しむことができました。

名フィル定期(第431回):尾高のブル9

12月の記録が全く付けられなかったのですが、これらは改めて書いてみようと思います。今回は、先週末(1月15日金曜日)の名フィル定期についてです。

今回のテーマは《変容の前》、プログラムは
リヒャルト・シュトラウス:23弦楽器のためのメタモルフォーゼン
ブルックナー:交響曲第9番
指揮:尾高忠明
でした。

1曲目のリヒャルト・シュトラウスの「23弦楽器のためのメタモルフォーゼン」は、ヴァイオリン10、ヴィオラ5、チェロ5、コントラバス3と楽器数が指定されており、全員に独奏があるようです。したがって、同じヴァイオリンでも全員の楽譜が異なっていて、それぞれが別々の譜面台の前に座っています。有名な曲ですが、全員の技量とアンサンブル能力を問われる難曲、演奏頻度はそれほど高くありません。ベートーヴェンの《英雄》第2楽章のテーマ、葬送行進曲を引用していて、そのフレーズが少しずつ「メタモルフォーゼ=変容」していきます。全体に陰鬱で、死を感じさせる曲です。第二次大戦末期に作曲され、戦後初演されました。戦争の悲劇とドイツの荒廃を表したのかもしれないし、自らの死の予感もあったのかもしれません。少し明るくなる瞬間もあって救済の予感も感じますが、30分弱の演奏時間の間、演奏者にも聴衆にも高い緊張を強いる曲、終わった後の数秒間の静寂で聴いた方たちは何を考えたのでしょうか。私は指揮者の指の先をじっと見ていました。

2曲目のブルックナー「交響曲第9番」は、作曲者の遺作。第4楽章は断片が残されているのみで、完成した3楽章までで演奏されます。シューベルトの《未完成》と同じような扱い方です。ブルックナーはオーストリア・リンスの生まれで、当地の聖フローリアン教会のオルガニストを務めていたこともあり、曲全体がオルガンの響きのようなところがあります。

この交響曲は、ブルックナーの他の交響曲のように華々しくなるところはほとんどなく、オケが淡々と響いているという感じの曲です。死を予感しながら作曲したのだろうと思いますが、決して暗くなるのではなく、全体として魂の救済を感じさせてくれます。3楽章で約1時間、この曲も一貫して高い集中力を要求します。聴衆の緊張は何度か切れそうになりましたが、演奏がそれを引き戻してくれ、ホール全体が一体になったような感じでした。1曲目と同様に曲が終わった後の静寂も見事でした。

指揮者の尾高はこの数年、毎年名フィルの定期を指揮していますが、毎回緻密に作り上げたすばらしい演奏を聴かせてくれます。今回はその中でも特にすばらしい演奏。ちょうど阪神・淡路大震災から20年、日々の仕事や生活に追われているとつい忘れてしまう大切なことを思い出させてくれた名演でした。

名フィル定期(第429回)

少し時間がたってしまい、やや印象がぼけてしまいましたが、今月の名フィル定期(11月6、7日)を紹介します。
今月のテーマは「ブラームスの新陳代謝」、プログラムは
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
ブラームス(ベリオ編曲):クラリネット・ソナタ第1番
ニールセン:交響曲第5番
クラリネット独奏:ダニエル・オッテンザマー
指揮:キンボー・イシイ
でした。

先月に続いてのブラームス、月をまたいでいますがタイプの異なる曲を聴けて堪能できました。

ブラームスはバッハ、ベートーヴェンと並んで「ドイツ3大B」と称され、クラッシック音楽の中心地であるドイツを代表する作曲家です。ただ、クラシック音楽にあまりなじみのない方には他の2人と比べるとピンとこないかもしれません。「ハンガリー舞曲」などは聴けば誰でも分かると思います。また、交響曲第3番第3楽章は映画「さようならをもう一度」(イングリッド・バーグマン主演)で使われて有名になり、BGMなどでもよくかかっています。





さて、今回の2曲目は元々はクラリネットとピアノのための曲のピアノパートをオーケストラ用に編曲して、協奏曲に仕立てたものです。原曲に比べると、当たり前ですが、より雄大で音に厚みがあります。室内楽と管弦楽の違いがはっきりと分かります。同じ曲でありながら、いろんな側面を楽しめるのもクラシック音楽の醍醐味です。

独奏者のダニエル・オッテンザマーはウィーン・フィルの首席クラリネット奏者。昨シーズンには彼の弟であるアンドレアス・オッテンザマーが共演しています(ウィーバーのクラリネット協奏曲第1番)。弟のほうはベルリン・フィルの首席クラリネット奏者。恐ろしい兄弟です。実は彼らのお父さんもウィーン・フィルの首席クラリネット奏者で、数年前に共演しています(ウィーバーのクラリネット協奏曲第2番)。世界屈指のクラリネット奏者、音色、表現力ともにすばらしく「聴き惚れる」という言葉以外に見つかりません。特に高音を弱音で長く伸ばしている音は、天から光が降ってきているかのようでした。

ニールセンはデンマークの作曲家、フィンランドの作曲シベリウスと同年生まれで、今年が生誕150年です。メモリアルとして取り上げられたのでしょう。決して有名な作曲家ではありませんが、北欧を代表する交響曲作曲家です。名フィルの定期ではすでに4番(2011年第383回)、3番(2014年第409回)を聴いていますが、取り上げられる頻度は非常に高いといっていいでしょう。非常に充実した演奏でした。CDで聴いている限り、口ずさめるメロディーもそれほどなく、なかなか取っつきにくい曲です。しかし、生演奏の力でしょうか、音の中心に引き込まれているように、いつの間にか音楽に入り込んでいました。

指揮者のキンボー・イシイは名前の通り日系で、子どもの頃は日本で育ったそうです。たぶん日本語も話せて、オケとのコミュニケーションもスムーズだったのでしょう。特にニールセンの演奏では、オケの音をよく引き出しながら、存分にタクトを振るっていたように感じました。他の作曲家、モーツァルトやベートーヴェン、あるいはチャイコフスキーやラヴェルなどでどんな音作りをするのか聴いてみたいものです。

12
月はホルストの『惑星』。平原綾香の『ジュピター』の原曲です。

METライブビューイング:《イル・トロヴァトーレ》

毎年紹介していますが、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のライブ映像をもとに、映画館でオペラを楽しむMETライブ・ビューイングが今年も始まりました。今年で10シーズン目、名古屋ではミッドランド・スクエア・シネマで朝10時からの上映(1週間続きます)ですが、年々お客さんが増えています。敷居が高いと感じる方も多いでしょうが、洋画を字幕付で観るのが苦にならない人であれば、後は音楽になじめるかどうかです。

さて、今シーズンのオープニングは
ヴェルディ:歌劇《イル・トロヴァトーレ》
イタリア・オペラの巨星の傑作の一つです。《椿姫》はご存じの方もいらっしゃるでしょう。ほぼ同時期に作曲された歌劇で、《椿姫》同様に社会の底辺にいる人たちを主人公に据えた愛憎劇です。「イル・トロヴァトーレ」とは「吟遊詩人」と言うこと。スペインを舞台に、ロマ(ジプシー)の若者とお城の中で王妃に仕える女官との恋愛と、そこに横やりを入れる貴族。さらに、ロマの若者とこの貴族は政治的には敵対する関係にあり、最後は若い男女が共に命を落とすという悲劇。

先週土曜日から始まっていますが、ちょうど文化の日に観に行きました。
今回の配役中、最も注目していたのは
女官であるレオノーレ役のアンナ・ネトレプコ。現代最高のソプラノ歌手で、たぶん今が最も脂がのっているときではないでしょうか。元々は高音を軽やかに響かせる歌い方を要求される役どころを多く演じていましたが、この2,3年で方向を変えたのか、重たい声と高い表現力を要求される役どころにシフトしてきています。昨年は同じくヴェルディの《マクベス》のマクベス夫人(シェークスピアの《マクベス》をご存じの方は、マクベス夫人の役柄は想像が付くでしょう)を演じ、大絶賛されました。

彼女の演奏(歌唱)は期待に違わぬと言うか、スクリーンとスピーカーを通してですが、圧倒されました。こういう演奏を聴くと、ますますのめり込んでいきそうです。

11
月16日(月)(15日深夜)午前0時10分から、NHKEテレで
ヴェルディ:歌劇《椿姫》(主役のヴィオレッタ役はアンナ・ネトレプコ)
が放送されます。ザルツブルク音楽祭という有名なイベントでの公演です。演出がわかりにくいかもしれませんが、アンナに注目して聴けばそんなことも気にならないでしょう。

チェコ・フィル:『新世界から』他

芸術の秋、コンサートは目白押し。海外からのメジャーなオーケストラや演奏家も続々と来日しています。今年は出費がかさんだため、秋のシーズンはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団一つにしました。

11月1日、日曜日ということもありコンサートはマチネ、昼間のコンサートで2時開演。プログラムは
スメタナ:連作交響詩《わが祖国》から「シャールカ」
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調「新世界から」
指揮:イルジー・ビエロフラーヴェク(芸術監督・首席指揮者)
ピアノ独奏:ダニール・トリフォノフ

名前の通り、チェコを代表するオーケストラ。日本での通称はチェコ・フィル。創立120年だそうで、創立公演を指揮したのは何とドヴォルザーク。独特の音色と表現力を備えた世界トップクラスのオーケストラです。CDはいくつか持っていますし、テレビでも何度か観ているのですが、生は今回が初めて。「ビロードのような」と形容される弦楽器の響きや素朴でありながらもしっかりとした主張のある木管楽器群の音色など、聴き惚れている間に過ぎた2時間でした。

チェコ音楽の父であるスメタナの代表作が6つの交響詩からなる《わが祖国》です。祖国とはもちろん「チェコ」のことです。「モルダウ(ヴァルタバ)」は一度は耳にしたことがあるでしょう。この曲は《わが祖国》の第2曲目です。(「モルダウ」はドイツ語名で、チェコ語では「ヴァルタバ」)チェコ・フィルの本拠地であるルドルフィヌム、別名ドヴォルザーク・ホールはプラハの中心、ヴァルタバ川のほとりにあります。今回演奏された「シャールカ」は「わが祖国」の第3曲目で、チェコの伝説上の女性の名前。ある男性に失恋した恨みをすべての男性に向けて晴らそうとしたそうで、やや不気味に始まり全体として勇壮な雰囲気です。

チェコ・フィルの演奏は一つ一つの音が立っていて、響きにも無駄がない(変な表現ですが他に見つかりません)。特に弦楽器は一つ一つの音の
輪郭がはっきりしていて、全く曖昧さのなく、聴いていて非常に心地いい響きでした。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴くのは今年2回目。1年間に同じ曲を2回も聴くのは珍しいのですが、独奏者も昨年のこの時期に聴いています。追いかけてみたいピアニストだと感じていたのですが、4月に聴いた小山実稚恵さんとの聴き比べができて、有意義でした。

曲の説明は省きますが、ピアニスト泣かせの難曲です。まだ駆け出しのピアニストとヴェテラン指揮者の組み合わせは、やはり指揮者のリードのもとでピアノがオケと一体になって、舞台がロシアの大地のようでした。

昨年聴いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のとき同様に、やや硬質な音で一つ一つの音がはっきりとしていて、ダイナミックな弾き方と相まって、迫力のある演奏でした。演奏後の顔つきはけっこうかわいらしいのですが、ピアノに向かっているときには目つきが厳しかったです。チェコはロシアのように広くはありませんが、ユーラシア大陸の平原の国。高い山があるわけでもなく、また同じスラブ系ですし、共通するものがあるのでしょう。指揮者+オケは余裕というのか、ピアノを包み込むかのように進んで一体感を作っているような演奏でした。

ソリスト・アンコールはトリフォノフ自身が作曲した「ラフマニアーナ第1番」

休憩後、メインは「新世界」、第2楽章のコール・アングレ(イングリッシュ・ホルンとも言います)のソロは「家路」のメロディ。誰もが知る名曲です。この曲は学生時代にやったこともあり、また、CDなどでは何度も聴いているのですが、生演奏を聴く機会はそれほどなく、今回で2回目だと思います。チェコ・フィルにとっては十八番中の十八番、たぶん全員がリハなし、かつ暗譜で演奏できると思います。1回しか聴いていないわけですが、どこかがマンネリになっているとか、気を抜いているとか、全く感じさせず、客席の集中を引きつけてやまないすばらしい演奏でした。第2楽章のコール・アングレのソロも全く非の打ち所がありません。また、この楽章の最後に弦楽器パートのトップだけで演奏する部分があり、そこから終わりまで、時間でわずか2分ほど、楽譜でおよそ20小節は絶品。これまでに聴いたすべての演奏の中でも最高のアンサンブルでした。

管楽器の音や弦楽器のソロなどは生で聴くとCDほどに大きな音で聞こえないのですが、チェコ・フィルの管楽器、特にクラリネットやファゴット、コール・アングレなどは目の前で吹いているかのように大きな音で聞こえました。もちろん、他の楽器の音を邪魔するわけではなく、しっかりと聞こえていると言うことです。よほど芯がしっかりしているのでしょう。

オーケストラアンコールは何と3曲もあり
スメタナ:歌劇《売られた花嫁》から「三つの踊り」より”スコーチュナ”
メンデルスゾーン:交響曲第5番第3楽章
スメタナ:歌劇《売られた花嫁》から序曲

《売られた花嫁》序曲はやるかなと思ったのですが、大サービスで、チェコを堪能、是非ともプラハ・ルドルフィヌムで定期演奏会を聴いてみたい者です。

チェコ・フィルの来日公演は全国で10公演ほどあるようです。このうち、11月4日のNHKホールでの公演は11月15日(日)午後9時からNHKEテレの《クラシック音楽館》で放送されます。演奏されるのは
スメタナ:連作交響詩《わが祖国》全曲
です。指揮者のインタヴューもあるはずですので、楽しみです。

小山実稚恵リサイタル:ゴルトベルク変奏曲

先週の土曜日(10/17)、これまでも何度かきいているピアニスト・小山実稚恵さんのリサイタルに行きました。名古屋・栄の宗次ぐホールです

12年間、半年に1回ずつ、それぞれにテーマを決めて行われる連続コンサートで、今回が20回目。今年がご本人のデビュー30周年ということもあり、2と3にかけたプログラムです。

プログラムは
シューマン:花の曲
J.S.
バッハ:ゴルトベルク変奏曲(アリアと30の変奏曲)
ピアノ独奏:小山実稚恵

小山さんは1982年のチャイコフスキー・コンクール3位、1985年のショパン・コンクール4位、この2大国際ピアノコンクールで共に入賞している唯一の日本人です。

さて、バッハのゴルトベルク変奏曲は、冒頭に演奏される「アリア」を基にして次々と変奏が続くもので、題名の通り「変奏曲」。最後に改めて冒頭のアリアが演奏されるため、アリア2曲と変奏30曲、テンポの指定が曖昧で人によって差がありますが、およそ70分程度、演奏はもちろん暗譜。演奏する方も聴く方もそうとうの集中力を要する大曲です。

全部で32曲あるわけですが、そもそも冒頭のアリアが32小節で作られています。また、30ある変奏は3曲ずつがひとまとまりで、その3曲目にカノン(輪唱のような形式の曲)が置かれ、カノンも順に音をずらして始まるように作曲されています。そもそも「3」は三位一体を示しています。(バッハは教会のオルガニストで、キリスト教の教義に対する造詣も並々ならぬものがあったそうです) このように、バッハの音楽は非常に数学的、あるいは幾何学的に構築されているところに大きな特徴がありますが、ゴルトベルク変奏曲はその代表のような曲です。

聴いていると心が静まるような気がするので、折に触れてCDをかけています。どちらかというと感情的にならない淡々とした演奏が好みです。元々チェンバロのために書かれた曲ですし、音量の幅を大きくしないような演奏がむいていると思うのですが、この日の小山さんの演奏は全く違いました。クレッシェンドやディミネンドがあちこちにあり、タッチも激しく、ドラマチックな演奏でした。これまでに聴いたことのないタイプ演奏、一緒に聴きに行った友人は「人生を感じた」そうです。順風満帆、紆余曲折、ピアノという1つの楽器の表現力のすばらしさを実感できました。

ゴルトベルク変奏曲はCDの数に比べると演奏機会は少ないような気がします。たぶんテクニックよりも、どのように演奏するかが難しいのでしょう。したがって、気安くリサイタルなどで取り上げるという分けにはいかないのかもしれません。

小山実稚恵さんはCDもたくさん出されていますし、名古屋やその周辺でもよくコンサートを開かれています。来年1月には岡崎市でリサイタルがあります。お近くで興味のある方は是非。

名フィル定期(第428回):イムラギモヴァノのヴァイオリン独奏

今月の定期は先週末(10日・土曜)、テーマは「バッハを温ねて新しきを知る」。なにやら大げさなタイトルですが、3曲のうち2曲でバッハの曲の一部が引用されています。今回の注目は2曲目でヴァイオリン協奏曲とメインのブラームスです。

プログラムは
ルクー:弦楽のためのアダージョ
ベルク:ヴァイオリン協奏曲『ある天使の思い出に』
ブラームス:交響曲 第4番 ホ短調
ヴァイオリン独奏:アリーナ・イムラギモヴァ
指揮:クリスティアン・アルミンク

第1曲の作曲者・ルクーは今回初めて聞いた名前でした。19世紀後半の作曲家でわずか24歳で亡くなっています。早熟の天才といっていいのでしょう。しかし、弦楽器を主役とした曲が中心のようですが、やはり残された曲は少ないようです。その中で、今回演奏された弦楽合奏のための小品が最も演奏頻度が高いそうです。10分ちょっとの曲ですが、いろんな表情を感じることができます。音楽史的にはロマン派後期にあたり、非常に聴きやすい音楽です。演奏はやや小編成の弦楽合奏、指揮者も指揮棒を持たず、オケのアンサンブルにゆだねているかのような様子も見られました。最近実力が上がってきている名フィル弦セクションの表現力が発揮されていました。また、ヴァイオリン、ビオラ、チェロと各首席奏者のソロも聴き応えがありました。

2曲目のベルクは20世紀初頭に活躍した作曲家で、いわゆる現代音楽、音楽史的には新ウィーン派で、12音音楽の担い手です。この曲も決して聴きやすいものではありません。家の中で掛け流すというタイプではないだけに、生演奏で集中して聴けるのは貴重です。

この曲を生で聴くのは2度目。前回は大ヴェテランの独奏(名フィル第361回定期でオーギュスタン・デュメイの独奏)でしたが、今回は若手。独奏するアリーナ・イムラギモヴァはまだ30歳ですが、バッハから現代物まで幅広いレパートリーを持ち、録音なども高く評価されている天才です。彼女の演奏を聴くのも2度目(名フィル第385回定期でショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番)ですが、前回同様に、はち切れそうな勢いや力強さを感じました。

曲のタイトルになっている「ある天使」とは、作曲者ベルクの友人の娘さん、小児麻痺を患っていたようで、幼くしてなくなりました。バッハが作曲したコラールを題材にして作曲されたそうですが、全体に鎮魂を感じさせる重い曲調です。演奏するにはしっかりと腹を据えないとなかなか音も出せないような雰囲気ですが、独奏とオケが一つになって決して深刻になりすぎることなく聴かせてくれました。

2楽章構成で、あわせて約25分。ヴァイオリン独奏は最初から最後までほぼ弾きっぱなし。そうとうの集中力と体力が必要です。残念だったのはアンコールしてくれなかったこと。金曜日にはあったようなのに。演奏中に聴衆の咳や物音が何度かあったので、ご機嫌を損ねたかな?

メインの交響曲第4番は、ブラームスの最高傑作でしょう。それ以前の交響曲とはややスタイルが異なるところもあるのですが、第4楽章でバッハのカンタータのフレーズをもとに変奏曲形式で曲を組み立てています。前回のベートーベン交響曲第3番の第4楽章と同じ発想ですが、変奏のしかたが全く異なり時代の変化を感じさせてくれます。

ブラームスはクラシック音楽になじみのない方にはあまりなじみはないかもしれません。「子守歌」や「ハンガリー舞曲」など聴けばすぐに分かる曲もいくつかつくっています。交響曲などの管弦楽曲に共通するのは、やや哀愁をおびた曲調であることでしょうか。ただ、聴いているうち中からほとばしる情熱を感じます。元気はつらつではないのですが、芯に熱いものを持っている作曲家です。

今回はどちらかと言えばこの熱いものを前面に出したような演奏でした。指揮者のアルミンクは知的なイケメンという感じで、前半の2曲がややクールな演奏だっただけに、このブラームスには少し驚きました。後半の弦楽器の音にざらつきを感じましたが、第1楽章冒頭(やや暗く始まります)の音はぞくっとするような響きを感じました。どんなに聴き慣れた曲でも必ず新たな発見があるのが名曲たる所以でしょう。

名フィル定期(第426回):展覧会の絵

7月の定期演奏会は最終週末(7月24日、25日)、仕事の都合でいつもの土曜日ではなく、金曜日に振り替えて聴きに行きました。

『オーケストレーションの魔術師たち2』と題して、
リムスキー・コルサコフ:スペイン狂詩曲
ムソルグスキー(ラスカトフ編):歌曲集『死の歌と踊り』(日本初演)
藤倉大:歌曲集『世界にあてたわたしの手紙』(委嘱新オーケストレーション・バリトン+オーケストラ版 世界初演)
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲『展覧会の絵』
バリトン独唱:サイモン・ベイリー
指揮:マーティン・ブラビンズ

3回続けてブラビンズ&名フィルの演奏会を聴きに行くことになったわけですが、彼の指揮は何をしたいのか、どこを聴かせたいのかがはっきりしていて、非常にわかりやすいという気がします。したがって、たくさんの音が重なっているにもかかわらず、一つ一つの楽器の音がはっきりと聴こえ、随所でCD鑑賞では気づかなかった音が聴こえます。今回のようなプログラムではその良さがはっきりと現れていて、実に楽しいコンサートでした。

さて、今回は「初演」とされる曲が2曲もあります。かつてはオーケストラのコンサートは作曲家たちの作品披露会でもありましたので、ほとんどが「世界初演」。過去の名曲がプログラムの中心になったのはこの数十年くらいではないでしょうか。

今回取り上げられた2曲の歌曲集は、いずれもピアノ伴奏付として作曲されたものをオーケストラ伴奏用に編曲したものです。いずれも現代の作曲家がアレンジしているので、オーケストレーションは華やか、そして打楽器群が大活躍します。観ているだけでも十分楽しめる曲です。しかし、何よりすばらしかったのは独唱のバリトン。正確には、バス・バリトンといって、通常のバリトンよりもやや深い声質で、やや深刻な内容の歌詞をじっくりと聴くのにむいています。今回のムソルグスキーの「死の歌と踊り」は、「子守歌」、「セレナード」、「トレパーク」、「司令官」と題された4つの歌詞がそれぞれ、子ども、恋人、農民、兵士の死を歌ったもの。ロシア語は話しているところを聞いていると非常にくせのある音にきこえるのですが、音楽に乗せると非常に美しく響きます。今回の歌手はイギリス人ですが、非常にレパートリーが広いようで、ロシア語も見事に表現していました(たぶん)。

メインの『展覧会の絵』は以前に紹介したとおりピアノ曲の編曲版です。最初に編曲してこの曲を有名にしたのが今回演奏されたラヴェル版です。この編曲が圧倒的に演奏頻度が高く、録音も数え切れないくらい出ています。よくあるたとえですが、ピアノ版がモノクロの水墨画や版画なら、このオケ版は油彩画。色彩はもちろんのこと、筆のタッチ、絵の具の重なり具合など油絵を鑑賞するように聴いているといろんな音が聴こえ、表情が見えてきます。オケ版ではほぼすべての管楽器にソロがあり、珍しいところではテューバやサキソフォンでしょうか。特にテューバのソロは通常よりも高音域を用いるため難曲です。

ブラビンスのタクト(本番での棒の振り方だけではなくリハーサルでの指示も含めて)は、おそらく何をどうすべきかがはっきりしていて、音量やテンポ、表情の付け方など演奏者の共通認識がしっかりとできているのだろうと思います。毎回の演奏は、明らかにこれまでの名フィルの水準を超えていて、確実にレベルアップしていることが分かります。もちろん、いろんな不満はありますが、それらば来シーズン以降の新音楽監督・小泉和裕に期待しましょう。

8月は北半球ではシーズンオフ。名フィルも通常の活動はほとんどなく、次回定期は9月4日、5日。来期新音楽監督である小泉の指揮で〈アート・オブ・ヴァリエーション〉と題して、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』他です。

市民会館シリーズ:R.シュトラウス&モーツァルト

土曜日(7/18)は
名フィルの市民会館シリーズ〈マーティン・ブラビッシモ!Ⅱ〉で、プログラムは
R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』
モーツァルト:クラリネット協奏曲
モーツァルト:セレナード第13番ト長調『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』
R.シュトラウスと:楽劇『ばらの騎士』(演奏会用組曲)
クラリネット独奏:橋本杏奈
指揮:マーティン・ブラビンス

残念ながらソリスト・アンコールはありませんでしたが、最後に
ヨハン・シュトラウス:トリッチ・トラッチ・ポルカ
が演奏され、ウィーンの空気を感じる楽しいコンサートでした。

リヒャルト・シュトラウス(R.シュトラウス、1864ー1949)はミュンヘン生まれ、音楽史的には後期ロマン派に分類されるドイツの作曲家。ウィーン生まれでワルツ王と呼ばれるヨハン・シュトラウスとは全く血縁関係はありません。R.シュトラウスはモーツァルトを非常に敬愛していたようで、プログラムの最後に演奏された『ばらの騎士』はモーツァルトの有名な歌劇『フィガロの結婚』と設定が非常によく似ており、オマージュとして作曲したといわれています。また、第1曲目のタイトルになっている「ドン・ファン」とはヨーロッパに古くからある伝説の登場人物。理想の女性を追い求めてさまようというストーリーです。モーツァルトも同様の話を基にして歌劇『ドン・ジョヴァンニ』を作っています。したがって、今回のプログラムのテーマは結局は『モーツァルト』ということになるのでしょうか。

R.シュトラウスの音楽の特徴は大編成のオーケストラによって音色と音量の幅、そしてハーモニーによって感情と情景を表現するところにあると思います。音色や音量の幅が大きく、音楽の造りも複雑です。指揮者の腕の見せ所でもあり、オケの能力も試されます。一度生で聴くと分かるのですが、いかにも『オーケストラを聴いている』と実感できる音楽です。名フィルの定期では毎年1曲は取り上げられていますので、是非生で聴いてみて下さい。

さて、今回の注目は第2曲目のクラリネット協奏曲。吹奏楽でクラリネットをやっていたかのもいらっしゃるのではないでしょうか。クラリネットを独奏楽器とするオーケストラ曲の中で最も有名なものです。メロディーも耳に入りやすく、誰が聴いても楽しめる名曲中の名曲です。今回のソリスト・橋本は2年前の定期演奏会でも共演(感想はここ)。そのときななじみのない曲でピンとこないところもあったのですが、今回はどこを聴いてもすぐにそれと分かる曲。期待に違わぬすばらしい演奏でした。この曲は「クラリネット協奏曲」と題されていますが、元々は「バセット・ホルン」というクラリネットの原型になったような楽器のために作曲されたもの。その後、バセット・ホルンがほとんど演奏されなくなり、現在のクラリネット用に手を加えられたようです。しかし、最近ではバセット・ホルンを用いて演奏できるように再度手を加えた楽譜もあるようで、今回、橋本はバセットホルンを用いて演奏しました。

バセット・ホルンはCDなどでは聴いたことがあるのですが、生は初めて。クラリネットよりも長いため、より低い音が出ます。音色はクラリネットほど明るくないのですが、柔らかくて深みがあります。高音、中音、低音で全く音色が異なり、橋本の演奏はこの音色の違いをうまく使って、表現に幅がありました。弱音でも音の勢いがあり、若々しく華やかなモーツァルトでした。

最後に演奏された組曲は、「ばらの騎士」というオペラの曲を抜粋して、作曲者自身が演奏会用に編集し直したもの。原曲は3幕もので実演奏時間3時間近い大曲。18世紀中葉のウィーンの貴族たちの館を舞台にした悲喜こもごもの物語。私が最も好きなオペラです。今回演奏された組曲は3年前に定期演奏会でも取り上げられました。抜粋版ですが、舞台の情景を彷彿とさせる構成。演奏も管楽器、特にホルンがしっかりと鳴り、どこを聴いてもわくわくさせてくれるものでした。

モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』(
ここここ)とR.シュトラウスの楽劇『ばらの騎士』(ここ)はともにMETライブビューイングでも上映されており、感想を書きましたので、興味のある方は是非。

名フィル市民会館シリーズ:ソリスト

今回のソリストについて一言。
ニキータ・ボリソグレブスキーは1985年・ロシア生まれ。ヴァイオリニストとしては、もう若いという年でもありませんが、2007年のチャイコフスキー・コンクールで第2位を獲得しています。今回のソリスト・アンコールは
イザイ作曲無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番から第4楽章
でした。イザイは自身がすぐれたヴァイオリニストで、ヴァイオリンのための曲を多く作曲し、必須のレパートリーのようです。

さて、2007年のチャイコフスキー・コンクールのヴァイオリン部門で第1位だったのが日本人の神尾真由子。実は、彼女がチャイコフスキー・コンクールに出るおよそ1年前に名フィルと共演しています。今回のプログラムと同じくシベリウスのヴァイオリン協奏曲(とシベリウスの交響曲第2番)。音楽に真摯に向かい合い、集中力を切らさずに最後まで演奏した姿を今でも覚えています。実にすばらしい演奏でした。名フィルの交響曲第2番のほうもこれまでに聴いた名フィルの演奏の中ではベスト10には入る名演でした。

また、2007年のチャイコフスキー・コンクールのヴァイオリン部門で第3位だった有希・マヌエラ・ヤンケも2012年7月に聴いています。これも名フィルの特別演奏会で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でした(ここ)。

名フィル市民会館シリーズ:シベリウス生誕150年記念

オーケストラの活動の中心はホームグラウンドとするコンサートホールでの定期演奏会ですが、日本国内のオーケストラはこれ以外にも地域にあるホールで定期的にコンサート行っているところが多いようです。名フィルは、定期演奏会は名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールですが、金山の名古屋市民会館大ホールでも年に4~5回、「市民会館名曲シリーズ」、文字通りの名曲コンサートを行っています。

今年は、常任指揮者の名前をもじって〈マーティン・ブラビッシモ;Martyn Bravissimo!〉と題した4回シリーズです。第1回目は昨日(7/15)、「シベリウス生誕150年記念」。
プログラムはいずれもシベリウス作曲で交響詩『フィンランディア』
ヴァイオリン協奏曲ニ短調
交響曲第2番ニ長調
ヴァイオリン独奏:ニキータ・ボリソグレブスキー
指揮:マーティン・ブラビンス

シベリウスはフィンランドを始めとする北欧を代表する作曲家。第1曲目の『フィンランディア』は学校の鑑賞曲にもなっていて聴いたことのある方も多いでしょう。また、後半部分は歌詞が付けられて、合唱曲としても親しまれています。(シベリウスの顔写真は日本シベリウス協会のHPをご覧ください

『フィンランディア』は帝政ロシアに抑圧されていたフィンランドの独立運動の一環として作曲されたもの。現在でもフィンランドの第二の国歌として歌い継がれている曲です。日本語の合唱曲では「雲わくしじまの森と、静かに輝く水、野の花やさしく香る平和の郷」という歌詞のようですが、フィンランド語では「立ち上がれスオミ(フィンランドのこと)よ、おまえは世界に示した。他民族による支配をはねのけたこと、圧政に屈しなかったことを」という意味の歌詞が付いているそうです。

ところで、今回の演奏は名古屋の菊里高校と明和高校のいずれも音楽科の生徒たちがメンバーとして加わっています。オケにとっては地域の教育への貢献、音高の生徒たちにはいい経験になったのではないでしょうか。彼ら、彼女らの誰かは数年後には名フィルのメンバーに加わったり、あるいはソリストとして共演したりしているかもしれません。楽しみです。


2曲目のヴァイオリン協奏曲は、古今のヴァイオリン協奏曲の中でも名曲中の名曲、難曲中の難曲です。3楽章構成で約40分の曲ですが、ソロ・ヴァイオリンは技巧的にも多くを要求されていることが素人の耳でもよく分かります。室内楽曲のようにオケの各パートの音もよく聞こえてくるように作曲されており、ソロ・ヴァイオリンはオケと対等に渡り合いながら自分を表現しなければなりません。今回の演奏は、ソロ・ヴァイロインとオケが互いによく聴き合って、共に一つの音楽を作りだしていこうとする気持ちがよく伝わってきました。CDで聴いているだけではわからない、息づかいを感じました。

コンサートの締めくくりはやはり交響曲。シベリウスは7つの交響曲を作曲していますが、この2番が最も有名です。やはり、聴き応えがあるからでしょう。そして、北欧らしさ、森と湖の音を感じるからかもしれません。4楽章構成で約45分。第1楽章はまさに「森と湖」、目をつむって聴いていると、シベリウスの耳になった気分です。第3,第4楽章では音楽が大きく展開しながら、大地を感じさせるおおらかなメロディー。ときにブリザードのような響きを感じます。一緒に行った知り合いは、ここで「オーロラを見た」とのこと。名フィルの演奏でこんなに自然の響きを感じたことはありませんでした。そして、すべてのパートの音量にバランスがとれていて、CDではなかなか聞こえてこなかった音までもがすっきりと耳に入ってきました。そして、どの音も無機的ではなく、『オーケストラ』という楽器が奏でているような演奏。
まさにBravissimo(イタリア語で〈とてもすばらしい〉の意)!

〈マーティン・ブラビッシモ;Martyn Bravissimo!〉シリーズの第2回目は明日(7/18)。モーツァルトとリヒャルト・シュトラウスです。

「展覧会の絵」の原曲:メジューエワ・ピアノリサイタル

6/26(金)に伏見の電気文化会館・コンサートホールでのピアノのリサイタルを聴きに行きました。

ピアニストのイリーナ・メジューエワはロシア生まれで、現在日本在住で活躍中。CDもたくさん出していて、国内のレコードアカデミー賞なども受賞していて、高く評価されています。(彼女の公式HPはここ

一流のピアニストのコンサートは年に1,2回聴きに行っていますが、毎回いろんな違いを感じます。演奏スタイルや音色の違いはもちろんですが、客層も時として大きく異なります。なんと、今回のコンサートでは男性のお客さんが非常に多く、場を間違えたかと思うくらいでした。

メジューエワのピアノの音はこれまでに聴いたことのないタイプでした。特に、前半にプログラムされたショパンの音は不思議な響きに満ちていました。音にしっかりとした芯があり、その周りをいろんな色でくるんだような音。艶があるというのはとは違い、つかもうとしても逃げてしまうようなところもあります。こうしたところが男性を虜にしているのでしょうか? 1音1音が大きな塊になっているため、全体にボリュームがあります。テンポが速く、音量も大きなところではかなりの迫力を感じました。

ポロネーズ、ノクターン、ワルツ、バラードと、ショパンのピアノ曲を代表する形式を1曲ずつ。ふだん自分で聴くときは、同じ形式の曲ばかりがまとまったCDをかけることが多いため、今回のようなプログラムで聴くとタイプの違いもよく分かり楽しめました。特に、日本語では「夜想曲」と訳されているノクターンは、音色と情感が見事に一致し、陶酔。また、「譚詩曲」と訳されるバラードは、ときに悲しげに、ときに激しく、ショパンの人生を象徴するかのような曲であり、演奏でした。

今回のコンサートの目的は、後半に演奏された「展覧会の絵」。曲名をご存じの方は多いと思いますが、多くの方が耳にされているのは後年にラヴェルがオーケストラ用に編曲したものだと思います。原曲はロシアの作曲家、ムソルグスキーが作曲したピアノ曲です。題名の通り、展覧会(友人の画家の遺作展)で展示された「絵」にインスパイアされて作曲した曲による組曲形式。全体で40分ほどの大曲です。他の組曲を異なるのは、ちょうど展覧会場を巡るかのように、「プロムナード」と題された短い曲が挟まれていること。有名なメロディーですから必ずどこかで聴いたことがあるでしょう。組曲を構成する曲の中にはシビアなテーマの音楽もあるため、ちょうどいい息抜き、耳休めです。曲の構成は以下の通り。

プロムナード
1.こびと
プロムナード
2.古城
プロムナード
3.テュイルリーの庭(遊びの後の子どもたちの口げんか)
4.ビドゥオ
プロムナード
5.卵の殻を付けた雛たちの踊り
6.サムエル・ゴールデンベルグとシュムイレ
プロムナード
7.リモージュの市場
8.カタコンベ(ローマ時代の墓)
死者と共に死者の言葉で
9.バーバ・ヤガー ー 鶏の足の上に立つ小屋
10
.キエフの勇士たちの門

プロムナードをのぞいて10曲ある中で、最も心に残ったのは5曲目「ビドゥオ」。日本語では「荷車」または「牛車」と訳されますが、農奴たちの過酷な作業を彷彿とさせる音楽です。もとになった絵画は残っていないようですが、ロシア人の多くはイリヤ・レーピンというロシアの画家が描いた『ヴォルガの船曳』という絵(Wikiの紹介の中で観ることができます)をイメージするそうです。また、「カタコンベ」はローマに残る古代キリスト教徒の地下墓地。テーマとなった絵も残っていますが、迫害された人たちの頭骨が積み重なった壁が描かれています。ぐいぐいと迫ってくるものを感じ、心拍が上がりました。そして、終曲「キエフの門」はフィナーレにふさわしく、華やかで迫力満点。技術的にはトリルや装飾音、グリッサンドのほか、ペダルを多用して「楽器の王様」ピアノの威力を最大限に生かした大曲です。


ムソルグスキーは1839年ペテルブルク近郊の生まれで、もともと地主階級の出身。しかし、支配者としての立場というよりは常にはたらく人たちに目を向けていたようです。そうした中で、ロシア革命に向けて国内ですすむ社会変革の動きにも共鳴し、自分たちの経済的基盤が危うくなるにもかかわらず農奴解放には積極的であったとか。『展覧会の絵』には「ビドゥオ」の他にも「サムエル・ゴールデンベルグとシュムイレ」のようにユダヤ人たちを描いた曲など、当時の社会的弱者への温かいまなざしを感じます。

現在もそうですが、ロシア(あるいは旧ソ連)では合唱が非常に盛んです。ロシア正教の教会内では楽器を使ってはいけないそうで、そのために合唱あるいは声楽が盛んになったそうです。こういう背景があるのか、5曲ある「プロムナード」にはロシアで盛んな合唱の響きを感じるとところが目立ちます。楽譜を見ると、特に強弱記号などは何も付いていおらず、演奏家の音楽性が問われるところです。今回のメジューエワの演奏は、「人が歌うとこうなるな」と思わせる見事な構成でした。合唱の国で育ったがゆえのセンスかもしれません。

実は、今回のコンサートを聴きにいったのは、7月にある名フィルの定期演奏会で
ムソルグスキー作曲/ラヴェル編曲 組曲『展覧会の絵』
が演奏されるため、原曲を生で聴いてみたかったからです。

ファゴットの名曲も取り上げられています

今回は2つのコンサートを紹介します。いずれも同じ演奏家が中心になっています。5月にプログラムが気に入って聴いたコンサートと、そのときに見たチラシで興味を持って行ったコンサートです。いずれも『ファゴット』という楽器の名曲がプログラミングされていました。

ファゴットと言ってもご存じない方が多いでしょう。学生時代にオーケストラでやっていたもので、思いレたっぷりです。
Wikiではこんな説明があります(ここ) 『のだめカンタービレ』のパリ編をご覧になった方は、『バッソン』という楽器が出てきたのを覚えていらっしゃるでしょうか? 厳密には違う楽器なのですが、オケでは同じ位置を占めています。

5月2日名古屋・栄の宗次ホールで
Ludwig Chamber Players(1stヴァイオリン:白井圭 他)というアンサンブルのコンサートで、プログラムは
ロッシーニ(タルクマン編曲):歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲
モーツァルト:ファゴットとチェロのためのソナタ 変ロ長調 K.292
ニールセン:五重奏曲「かいなきセレナード」
シューベルト:八重奏曲 ヘ長調 D.803

そして6月13日中津川文化会館での『田中千香士音楽祭2015』特別公演で
レボリューションアンサンブル(指揮:白井圭)の演奏で、プログラムは
モーツァルト:ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調
ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調
ファゴット独奏:小山莉絵
ヴァイオリン独奏:白井圭
チェロ独奏:辻本玲

モーツァルトのファゴットとチェロのためのソナタはアマチュアでも十分に演奏できるため、私もかつてやったことがあります。なかなか聴く機会はありません。今回の演奏は『ファゴットとチェロ』ではなく、『ファゴットとコントラバス』によって演奏されましたが、原曲に比べると音色の対比からか、ファゴットがより強調されてきこえます。モーツァルトが若い頃、まだザルツブルグにいた時代に作曲された、素朴でかわいらしい曲です。
Youtubeでここにありますので、是非ご試聴を!

このコンサートのメインはシューベルトの八重奏曲。大好きな曲で、昨年の初めにはベルリン・フィルのメンバーによるアンサンブルを聴きに行きました(
感想はここ)。「ミニ・オーケストラ」のような編成で、今回のような小さなホールで聴くと、それぞれの楽器の音や奏者の息遣いまで感じられます。何度聴いても飽きません。

中津川でのコンサートは、例年は中津川の加子母にある『明治座』という古い芝居小屋で行われているそうです。今年は、耐震工事中とのことで、市役所横の大きなホールでの演奏会。指揮者が、ルートヴィヒ・チェンバー・プレイヤーズの中心である白井さん。しかし、目当てはファゴット協奏曲です。これも演奏される機会のほとんどない曲で、私も生で聴くのは今回で2回目。ファゴット独奏はドイツ生まれ・ドイツ育ちの日本人。若干24歳ですが、キャリアもなかなか。パワフルな反面、まだ若いかなと感じたところもありますが、マイナーな楽器をしょってこれからもがんばってほしいものです。同じ女性のファゴット奏者の映像がYoutubeにありましたの、
これまたご試聴ください(ここ)

メインはベートーヴェンの交響曲。9つあるベートーヴェンの交響曲の中では、おそらく最も演奏頻度が低いと思われます。直前に作曲された3番が交響曲の歴史を塗り替える大曲(通称「英雄」)。そして、このあとに作曲されるのが最も有名な第5番(通称『運命』)です。仮にベートーヴェンが『英雄』や『運命』を作曲しなくても、この4番だけで十分に名を残したことでしょう。音楽的には分かりやすい反面、いろんなものを詰め込んだ名曲です。これまでじっくり聞く機会がなかったのですが、予習のつもりでいろんなCDを聴いてみると、やはり「ベートーヴェンか」をうならざるを得ません。

名フィル定期(第434回):マーラー改訂のシューマン

5月の名フィル定期は22,23日、『マーラーの改訂』と題して、シューマン作曲、マーラー編曲による交響曲第3番をメインにして行われました。
プログラムは
メンデルスゾーン:序曲『静かな海と楽しい航海』
権代敦彦:子守歌ーメゾ・ソプラノ、ピアノ、児童合唱とオーケストラのための
シューマン/マーラー編曲:交響曲第3番変ホ長調『ライン』
指揮:川瀬賢太郎
メゾ・ソプラノ:藤井美雪
ピアノ:野田清隆
児童合唱:名古屋少年少女合唱団

『マーラー』の改訂となっていますが、今シーズンの統一テーマである『メタ』にあわせ、いずれの曲も引用やインスパイアーされた対象がはっきりした曲ばかり。

冒頭のメンデルスゾーンの序曲はゲーテの「静かな海(海上の凪)」と「楽しい航海(成功した航海」という2つの詩を素材として、描かれている情景を描いた音楽。ベートーヴェンも同名の詩をもとに混声合唱曲を作っているそうです。残念ながらゲーテの詩もベートーヴェンの合唱曲も知らないまま、コンサートをむかえました。

曲全体は大きく2つの部分に分けられ、前半は穏やかな気分で、後半はわくわくした気分で気楽に聴ける曲です。メンデルスゾーンが19歳の時の作曲で、みずみずしさも感じられる佳作です。名フィルも、若い指揮者(31歳)のタクトに応え、コンサートオープニングをさわやかに始めてくれました。

2曲目の作曲者・権代は1965年生まれ、私と同い年ですね。初めて聞いた作曲家で、カトリックの信仰に基づく音楽づくりが中心のようです。今回の曲は、予期せぬ事件によって幼い子どもを亡くした母親の手記の一節と旧約聖書の言葉をテキストに用いています。「歌」というよりも、音楽に乗せた「語り」と言った方がいいかもしれません。音楽的には現代音楽特有の複雑な音の羅列はなく、どちらかといえばハーモニーを味わえるもの。命の大切さを音楽を通して考えることができる一曲です。

ソロの藤井さんは広島在住。プログラムのプルフィールを見ると、被爆60周年を記念した歌曲の初演を担当するなど社会的な問題意識も高い方のようです。感情を抑えて、じっくりと語りかけるような叙唱が印象的でした。また、児童合唱の名古屋少年少女合唱団はヨーロッパの音楽祭などにも招待されている実力派。特に、群読のような部分が何度かあったのですが、一言一言がはっきりと聞こえ、よく練習されたすばらしいアンサンブルでした。

休憩後にシューマンの交響曲。第3番『ライン』は4曲あるシューマンの交響曲の中では最も有名でしょう。表題は作曲者本人の命名ではないそうですが、ライン河畔を散歩することが好きだったとのことで、「ライン川」をイメージしているかのような部分が随所に聴かれます。シューマンはピアノ曲や歌曲の評価が高く、「子どもの情景」などはよく知られています。ただ、オーケストラ曲についてはオーケストレーション(管弦楽法)に稚拙なところがあるといわれ、多くの指揮者や作曲家が手を加えています。スコアを見ながら聴いていると、同じ音型を多くの楽器でただ重ねているだけのようなところが随所にあり、音色的にもややおもしろみに欠けます。交響曲には珍しく5楽章構成で、3楽章、4楽章が何となく冗長で、CDで聴いていると途中で飽きてくることもあります。

今回演奏されたマーラー編曲版は、数あるアレンジの中でもっともよく演奏されているそうです。シューマンのオリジナルと聴き比べてみると、全体にすっきりしている一方で、音色のバリエーションが広がっているように聞こえます。生演奏の良さでしょうか、聴いていて途中で緊張が切れることもなく、シューマンの気づかなかった一面を教えてくれた気がします。

6月の定期は名フィル桂冠指揮者であるティエリ―・フィッシャーの指揮で、フランス音楽、有名な『ボレロ』を始めとしてラヴェルとドビュッシーです。

名フィル定期(第423回):マーラー交響曲第4番

名古屋に本拠を置くオーケストラ、名古屋フィルハーモニー交響楽団(名フィル)の定期演奏会を、この数年毎回聴きに行っております。名フィルは毎年4月から翌年3月を1シーズンとして、同プログラムで月に2日、定期演奏会(英語ではsubscription concert、直訳すると予約演奏会)を開いています。1シーズンごとにテーマを決め、異なった指揮者が独自のサブテーマで組んだプログラムが楽しめます。

今シーズンのテーマは
《メタ》、"meta"は接頭辞で「間に」「超えて」「高次の」などの意味を表します。生理学では循環器系のところで「後細動脈=メタ細動脈」というのを学ぶことになるでしょう。

さて、シーズン開幕の4月は
「自作・他作の転用」
と題して、プログラムは
コルンゴルト:組曲『シュトラウシアーナ』
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲ニ長調*
マーラー:交響曲第4番ト長調**
ヴァイオリン独奏:リチャード・リン*
ソプラノ独唱:市原愛**
指揮:円光寺雅彦

テーマの意味するところは、プログラムされた3曲がいずれも自分の曲や他人の曲の一部を引用、または転用して曲が作られているということです。

コルンゴルトという名はほとんどの方がご存じないと思います。1897年オーストリア帝国のブリュン(現在のチェコのブルノ)で生まれ、すぐにウィーンに移り、神童としてヨーロッパ中に知られる存在に。コルンゴルトはユダヤ人だったため、1930年代に入りナチスの台頭から逃れて渡米。そこでハリウッドからの委嘱でたくさんの映画音楽を作曲。アカデミー賞も受賞しているそうです。そして、自身が作曲した映画音楽を引用して作曲したのが今回の2曲目、ヴァイオリン協奏曲です。

弦楽器の静かな伴奏に乗って始まるヴァイオリン・ソロを聴いただけでまさに映画音楽。全体にロマンティックな雰囲気にもあふれていて、映画のシーンが浮かんでくるよう。全体はヴァイオリンとオケが存分に主張し合う協奏曲らしい音楽です。初演は1945年、セントルイス。同時代の他の作曲家と比べると、なじみやすい楽しい曲です。

ヴァイオリンソ・ロはアメリカ生まれ、台湾育ちのヴァイオリニスト、リチャード・リン。弱冠24歳ですが、ベテラン指揮者を相手に臆することなく十分に弾き込んで、時折笑顔を見せて自らの演奏を楽しんでいるようでした。逆に、指揮者とオケは若いソリストを励ますようにも感じました。

ソリスト・アンコールは、パガニーニ:「24の奇想曲」から第24番。一転して難曲中の難曲で、テクニックの高さを見せてくれました。

コルンゴルトは1957年に亡くなっていますが、その4年前に作曲・初演されたのが1曲目の「シュトラウシアーナ」、学生オケ用に作られたそうですが、ヨハン・シュトラウスⅡ世の曲を引用しながら、ポルカ、マズルカ、ワルツという舞曲に誂えた佳作です。ウィーンの大先輩へのオマージュでしょう。引用されているのは《騎士パスマン》というオペレッタだそうですが、聴いたことがないので残念。

シーズンオープニングにふさわしい、華やかでうきうきさせてくれるさわやかな演奏でした。曲中ではグロッケンシュピール(鉄琴)が活躍するほか、ハープやピアノの音色も印象的です。

休憩の後、この日のメイン、マーラー作曲交響曲第4番。
マーラーは1860年プラハ生まれ。コルンゴルト同様にユダヤ人で、生前もいろいろ苦労した人です。大曲ばかりのマーラーの交響曲の中では編成も大きくなく、4楽章構成。ただ、演奏時間は1時間弱あります。マーラー特有の陰鬱な雰囲気もなく、鈴の音で始まり、木管楽器のソロが入れ替わり立ち替わり。金管楽器の重い響きがなく比較的聴きやすい曲です。第一の聴き所は第2楽章の随所にあるコンサート・マスターのソロ。特に、通常の楽器(ヴァイオリン)だけではなく、調弦の異なる楽器を使って奏でるソロは実に不思議な音で、一聴の価値があります。この日の名フィル・コンサート・マスターは日比浩一さん。普段はやや音量が小さく、やや不満があったのですが、この日はホールによく響いていました。

この曲は第4楽章では『子どもの不思議な角笛』というドイツの民謡詩集の中に納められている「天上の生活」という詩をテキストとした歌詞=歌が入っています。元々は交響曲第3番のために作られた楽章をここへ持ってきたもの。歌詞は題名の通り、天国の生活の様子を描いたいて、すんだ美しい声質のソプラノ歌手が歌うことの多い曲です。独唱の市原を聴いたのは初めてですが、期待通り、優しく包み込むような歌声で、幸せな気分にさせてくだました。

第3楽章はオケだけですが、メロディーがとてもすてきです。第4楽章ともども優しさと暖かさを感じます。静かに淡々と進む音楽で、こういう曲の演奏が最も難しい。第1楽章ではお客さんにやや緊張を書くような雰囲気があり、ゴソゴソと物音もしたのですが、第3楽章はシ〜ンと静まりかえったように舞台の上と下が一体となったような雰囲気。演奏が聴衆の心をとらえている証拠です。こういう演奏に接すると、演奏が終わらずに、何時までも続いて欲しいと思います。

来月の定期は「マーラーの改訂」と題して、指揮者・マーラーが手を加えたシューマンの交響曲第3番です。

《湖上の美人》つづき

先日アップした感想&解説を見た知人からいろいろご意見を頂きましたので追加します。

まず、ライブビューイングのキャッチコピーは「オペラと恋は、やめられない」ではなく、「恋とオペラは、やめられない」でした。「と」は並列の助詞ですが、「恋」を先に持ってくることで、「オペラ」という趣味よりも「恋」という個人の感情のほうが大切だとほのめかしているのでしょうか? それとも、オペラは恋と同じくらい重きを置くに足ものであるといっているのでしょうか。

さて、ロッシーニの活躍した18世紀から19世紀初めにかけての時期時作曲されたオペラのうち、現在でも上演されるオペラのほとんどがイタリアオペラです。この時代のオペラを「ベルカント・オペラ」といいます。
ベルカント=bel canto、イタリア語で「美しい歌」
という意味です。はっきりとした定義があるわけではありませんが、「ベルカント唱法」という言い方でイタリア・オペラの理想的な歌唱法をさして使われます。また、18世紀終わりから19世紀初めのオペラで特徴的な高度な装飾技法を用いた歌唱法に対してベルカント唱法ということもあります。そして、こうした技術を駆使したオペラ全般を「ベルカント・オペラ」と呼んでいます。代表的な作曲家は、ロッシーニの他にドニゼッティやベッリーニでしょう。

今回のような超一流の歌手たちを生で聴いてみたいものです。 今回ライブビューイングで上映された映像は3月14日にMETで録画されていますが、この1週間前の同じキャストによる公演、もちろん生のフローレスを聴くために観に行った(観るために聴きに行った?)知人は、
「歌手たちの素晴らしさに鳥肌が立った」、「これが本場で観るスターたちのベルカントオぺラなのね~」、「身体が楽器である歌手たちの超絶技巧はまさに神業」とのことでした。

主人公はエレナ、メゾ・ソプラノのジョイス・ディドナートですが、ファンが多いのはジャコモ役のテノール、ファン・ディアゴ・フローレスです。昨日も彼の声のすばらしさに触れて、「これを聴きたさに劇場に足を運ぶお客さんも多いはず」と書きましたが、声だけではなく容姿もすばらしい。彼のOffiial siteはここです。

METライブビューイング《湖上の美人》

オペラは敷居が高いと感じる方も多いでしょう。確かに生のオペラはかなり高額ですし、良さが分かるには多少の知識と経験も必要です。しかし、そのストーリーは決して堅苦しいものではなく、誰でもなじめるような簡単な筋のものがほとんどです。NHKが深夜の放送枠で世界の有名歌劇場の公演をよく放送していますが、映画と一緒で、家でテレビ(録画)を見てもなかなか集中して鑑賞するというわけにはいきません。

現在、いくつかの有名歌劇場が生の公演をハイビジョン撮影して映画館に配信して安価に視聴できるようなサービスを提供しています。そのうち、最も成功しているのが、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のライブビューイング、英語ではMetroporinta Opera Live in High Difinition 。カメラ・アングルもよく考えられており、歌手のアップがあるかと思えば、真上やステージ下からの映像も見られます。文字通り「ライブ」で配信しているため、休憩時間も劇場と同様にあり、その時間には出演歌手たちのインタビューの他、バックステージ・ツアーのように舞台転換の様子や衣装部屋などを紹介してくれます。世界中の2000ヶ所以上の映画館にライブで配信されているようですが、日本では松竹が配信権をもっているようで、3週間ほど遅れて字幕を付けて1週間にわたって上映してくれます(HPはここです)。上映される映画館は限られていて、この辺りでは名駅のミッドランドスクエア・シネマだけですが、土、日は毎回ほぼ満席です。

欧米のオペラシーズンは秋から初夏にかけて。そろそろ終盤にさしかかっているわけですが、METライブビューイング2014-2015シーズンは全10作、先週土曜日から今週金曜日まで、シーズン第9作、
ロッシーニ作曲、歌劇《湖上の美人 ”La Donna del Lago”》全2幕
台本:アンドレア・レオーネ・トットーラ(イタリア語)
が上映されています。劇場ではほとんど原語上演ですが、洋画同様にスクリーンの下部に字幕が出ます。(歌劇場では前の座席の背もたれに字幕が出ます。また、日本では舞台両脇に電光掲示板をたてることが多いようです)

ストーリーはここを参考にして下さい。現実にはあり得ないおとぎ話のようですが、そこにリアリティを与えるのが音楽の力。原作は18世紀のイギリスの作家ウォルター・スコットの同名の叙事詩です。おそらく同時代をイメージして作られた話だろうと思います。スコットランドの田舎が舞台のため、決して豪華なものはなく、時代を感じさせるのは衣装のみ。それだけに、歌と音楽に集中できて歌手たちの声の競演を楽しむことができました。

ロッシーニは18世紀の終わりから19世紀にかけて活躍したイタリアのオペラ作曲家です。《セビリアの理髪師》の名前は聞いたことがあるかもしれません。今回の《湖上の美人》はそれほど有名な作品ではなく、DVDなどもほとんど発売されていないため、今回はほとんど予習なしで観に行ったので完成度の高さに驚きました。特に、4人の歌手、メゾ・ソプラノ2人とテノール2人の歌の妙技を心ゆくまで堪能できます。

特に注目していた歌手は、主役であるエレナがメゾ・ソプラノのジョイス・ディドナートと振られ役に当たるスコットランド王・ジャコモ役のテノール、ファン・ディアゴ・フローレス。ともに、コロラトゥーラという、オペラ特有の超絶技巧を得意としている代表的な歌手。さらに、ファン・ディアゴ・フローレスは透き通った伸びのある声色と高音も特徴で、これを聴きたさに劇場に足を運ぶお客さんも多いはず。

今シーズンの国内でのライブビューイングのキャッチコピーは「オペラと恋は、やめられない」ですが、もう本当にやめられません。

小山実稚恵 ラフマニノフ二大コンチェルト

日曜日(2015/4/5)に、名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールで
『小山実稚恵 ラフマニノフ二大コンチェルト』
と題したコンサートがありました。プログラムは
チャイコフスキー:歌劇《エフゲニー・オネーギン》より「ポロネーズ」
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調
ピアノ独奏:小山実稚恵
指揮:川瀬賢太郎
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団

毎年、CBCが主催して行われる《名古屋国際音楽祭》の今シーズンのオープニングコンサートでした。ピアニスト・小山実稚恵は今年がデビュー30周年を迎え、その記念コンサートとしての意味もあるようです。

先ずはピアニストの紹介を簡単に。小山は1959年生まれ、名実ともに日本を代表するピアニストで、有名なチャイコフスキーコンクールやショパンコンクールの審査員を務めています。特に、今回演奏されたラフマニノフなどのロシア音楽での評価が高く、CDもたくさんだされています。私も何度かリサイタルなどを聴きに行っています(
ここここ)が、非常に高い集中力で聴衆を惹きつけ、繊細さと力強さを併せ持つ表現力が特徴です。

さて、ラフマニノフは超絶技巧を特徴とするピアニストであり、今回演奏された2曲は彼の持つテクニックに独特のロマンティックな曲調が加わった名曲です。協奏曲というのはオーケストラに対してピアノを独奏楽器とする楽曲の形式です。この場合、オケはピアノの単なる伴奏ではなく、時に対等に、時にピアノが伴奏に回ってオケがメロディーを奏でることもあり、「楽器の王様」であるピアノと「最高の合奏形態」であるオーケストラの魅力をともに味わうことのできるスタイルです。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番はフィギュアスケートでもよく使わるため、ご存じの方も多いでしょう。3つの楽章からなり、全体でおよそ40分。ピアノはほとんど休むことなく両手を動かしています。テクニカルにも表現力という点でも難曲です。この日の演奏は、ピアノもオケも息を合わせ全く隙のないものでした。ピアノとオケが入れ替わるようにメロディーを奏でるところなどでも両者が一つの楽器になっているかのよう。

コンサートホールは舞台の前方(つまり、指揮者を後ろから見る位置)だけではなく、側面や後方(指揮者を前から見る位置)にも座席があります。今回は、舞台後方、指揮者に対してやや右側の席でした。ピアノ協奏曲では、この座席はピアニストをやや後ろから見ることになるのですが、ちょうど鍵盤がよく見え、小山さんの手の動きをじっくりと観察できました。間断なく動き続ける指、ときに上を向き、ときにうつむき加減になってと曲調を全身で表現しているかのようでした。

ラフマニノフの協奏曲第3番はピアノ曲史上の最難曲の一つと言われています。ピアノが弾けない私には詳しく言えませんが、きこえてくる音の数とスピードだけで圧倒されます。このピアノに合わせるオケも大変だと思いますが、また両者を操る指揮者にも相当の力量を要求するでしょう。第1楽章はオケの前奏のようなメロディーを受けてピアノが始まります。楽章中で同じフレーズが3回出てきますが、毎回雰囲気が異なり、その音の大きさと形がすばらしかった。曲全体に対する繊細は¥名感受性の表れでしょう。また、第2楽章、一般に緩徐楽章といい、ゆっくりしたテンポで抒情的なメロディーオケが奏でるのですが、ピアノは非常に細かな動きを連続させます。この部分の両者の対比が見事でした。

オーケストラのコンサートでピアノ協奏曲が演奏される場合、普通は1曲だけ演奏します。プログラミングの考え方によりますが、なんといってもピアニストの技量と体力を考えると2曲も演奏させるのは酷です。特に、今回のようにいずれも難曲中の難曲である協奏曲を2曲も同時に演奏するとは。ピアニストの力量のなせる技です。さらに、この日はピアニストがアンコールとして
ラフマニノフ:プレリュード 作品32第5
を演奏してくれました。協奏曲とは打って変わって、胸にしみいるような味わいのある演奏。数回のコンサートを1回で堪能したような一夜でした。

名フィル定期第422回 下野竜也/ブルックナー1番

2014-2015シーズンの最終回(2015/3/28)は「巨匠の1番」と題して
松村禎三:交響曲第1番
ブルックナー:交響曲第1番ハ短調(ウィーン稿)
指揮:下野竜也
でした。

今回のプログラミングは交響曲を中心に据えて活動した作曲家の「1番」です。指揮者の下野竜也は40代半ばですが、国内では非常に売れっ子の指揮者。名フィルにも何度も客演し、非常にオリジナリティーのある選曲をするかと思えば、オーソドックスに交響曲を中心にして隙のない演奏を聴かせてくれる指揮者です。数年前にも同じくブルックナーの作品(交響曲第7番)で名演を聴かせてくれました。

さて、1曲目の松村の名前をご存じの方はほとんどいないでしょう。私も名前は知っていたものの。生演奏はもちろんはじめて。CDも今回の予習用に買うまでは持っていませんでした。松村は2007年に78歳でなくなった方ですので、まさに現代の作曲家。交響曲は2曲つくっているようですが、第1番は1965年初演。50年前ですね。

曲は打楽器が大活躍する一方で、メロディーらしいものはあまりありません。主題といえるようなフレーズもよく分からないため、いつもいろんな音が鳴っているという感じです。一般にイメージする典型的な現代音楽です。逆に言うと、いろんな楽器の組み合わせによるさまざまな響きを楽しむことができます。演奏者はさぞたいへんだろうなと思いますが、今回の名フィルの演奏は弦楽器の緻密なアンサンブルがすばらしかった。さらに、舞台の4分の1くらいを占めた打楽器、奏者7人の活躍も見事。これだけの打楽器奏者が舞台に載ることはめったにありませんから、それだけでも見物でした。

ブルックナーは交響曲を1番から9番まで書いています。本当は1番の前に2曲あるのですが、習作的であると言うことでほとんど演奏されることもなく、CDもあまりありません(私も持っていません)。9番までのなかではおそらく今回の1番が最も演奏機会が少ないのではないかと思います。若い頃にいったん作った(この状態のものをリンツ稿と言い、1番の中ではよく演奏されます)後、だいぶたってから自身で手を加えました(これがウィーン稿)。ブルックナーが最初にこの第1番を書き上げたのが40歳を過ぎてから。それまでは長く教会のオルガン奏者をしていました。そのためか、ブルックナーの曲には教会の中でオルガンが鳴っているような響きを感じます。しかし、今回の第1番は、ブルックナー自身の頭の中には教会の中でのオルガンの響きがしっかりと残っていたであろうはずなのに、後期の曲ほどには感じません。また、響きの重厚感や曲全体から感じる精神性という点でもやや弱い気がします。やはり、経験の違いなのでしょうか。

今回の名フィルの演奏は、響きの広がりと言うよりも、アンサンブルを重視して隙なく作り上げたという印象でした。悪い意味ではなく、全員の息が指揮者のタクトにぴたっと合っているすばらしい演奏でした。松村の交響曲同様に弦楽器がよくまとまり、さらに金管楽器の音色もよく練られていたと思います。

指揮者の下野竜也は若い頃に当時大阪フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者だった故朝比奈隆のもとで研鑽を積んでいます。さらに、その後は読売日本交響楽団で、スタスラフ・スクロヴァチェフスキーとともに活動をしています。両者はともに世界的なブルックナーの大家。下野がブルックナーで名演を聴かせてくれるのもお二人の薫陶のたまものでしょうか。

4月からは新シーズンが始まります。テーマは「メタ」。metaは接頭語で、~の後の、~の変化した、などの意味で使われます。チョイスされている曲は誰もが耳にしたことのある名曲なども取り混ぜて、ヴァラエティー豊かなプログラムです。第1回目は、4月24日と25日、コルンゴルトの『シュトラウシアーナ』、ヴァイオリン協奏曲とマーラの交響曲第4番です。

METライブビューイング《イオランタ》&《青ひげ公の城》

今週金曜日までですが、名駅・ミッドランドスクエアシネマでMETライブビューイングのシーズン第8作目
チャイコフスキー:歌劇《イオランタ》(全1幕・ロシア語、約100分)
イオランタ:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
ヴァデモン伯爵:ピュートル・ベチャワ(テノール)

バルトーク:歌劇《青ひげ公の城》(全1幕・ハンガリー語、約70分)
青ひげ公:ミハイル・ペトレンコ(バス)
ユディット:ナディア・ミカエル(ソプラノ)
が上映されています。
両作品ともにオペラとしては上演時間がやや短い作品のため、2本立て。オペラとしては非常に珍しい形態ですが、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場でも同日に2本立てで上演されています。

いずれも元々はおとぎ話として作られたものだそうで、ストーリーはいたって単純。ただし、おとぎ話というのは表面的な話の裏がいろいろあるようで、今回の2作もいろいろと考えることができそうです(ストーリーはここ)。ただ、今回の2作、《イオランタ》は初めて、《青ひげ公の城》は以前にテレビで1度観ただけ。十分に咀嚼できておりません(;。;)

心理劇的な側面を強調した評論もあるようですが、「オペラ」としてみるならやはり歌手たちのすばらしい歌声でしょう。《イオランタ》の2人はともに現代を代表するソプラノ&テノール。期待通りのすばらしい声を聴かせてくれました。主人公のイオランタは生まれながら目が不自由という設定。演技が大変だっただろうと思いますが、歌と演技が自然に解け合うようで見事でした。

《青ひげ公》は登場人物は2人のみ。1時間余を歌い上げると言うよりは語っているような調子でじっくりと聴かせてくれました。特にユディット役は薄衣一枚で文字通り体を張った見事な演技。みとれてしまいました^^; とてもきれいでした。

今回はロシア語とハンガリー語という、めったに聴くことのない言語です。ハンガリーには行ったことがあるのですが、ハンガリー語の雰囲気は全く記憶にありません。ロシア語は以前研究室にロシア人が留学してきていたので、何となく雰囲気は覚えています。ただ、会話と歌唱では全く違っています。会話は何となく濁ったような音が入っていて、ちょっと勉強したくらいでは聴き取れるようにはならないのではないかと感じるのですが、歌唱は非常にきれいな音で音楽によく乗っています。以前に聴いた《エフゲニー・オネーギン》同様に、チャイコフスキーの音楽のたまものかもしれません。


次回は4月11日から、イギリスの作家、ウォルター・スコットの詩を原作とするロッシーニ作曲《湖上の美人》です(ストーリーはここ)。また、来シーズン(2015〜2016)のスケジュールが発表されました(ここです)。

METライブビューイング《ホフマン物語》

3月は時間と気持ちにわりとゆとりがあるのですが、こういうときにライブビューイングなど毎週やってくれるとじっくりと予習して鑑賞できるのですが、今月は2本だけ。

先週土曜日からは
オッフェンバック《ホフマン物語》
が上映されています。
オッフェンバックは前回の《メリー・ウィドウ》のようなオペレッタをたくさんつくった作曲家。一番有名な作品は《天国と地獄(原題の直訳は地獄のオルフェオ)》。日本では幕切れのカンカン踊りの音楽が運動会などでよく使われています。《ホフマン物語》はオッフェンバックが最後につくった作品で、唯一のオペラです。

このオペラはエルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann)という18世紀から19世紀にかけて活躍したドイツの作家が書いたいくつかの小説を基にしたオムニバス形式のオペラです。私が知るかぎり、オムニバス形式のオペラは他にありません。全3幕にプロローグとエピローグが付いたもので、正味の演奏時間は3時間弱。

具体的な小説の内容は知らないのですが、作家と同名の主人公ホフマンが酒場で恋人を待つ間、酔って話す3つの失恋話。3人の全くタイプの異なる女性が登場しますが、歌手に求められる声質や歌唱のタイプも異なるため、多くは3人のソプラノ歌手がそれぞれを演じます。
ストーリーはMETのオフィシャルWebサイトの日本語解説(http://www.metopera.org/metopera/season/synopsis/hoffmann?customid=822)を見て下さい。

今回ホフマンを歌ったのは、現在世界中から引っ張りだこになっているテノール:ヴィットーリオ・グリゴーロ。三大テノールとして有名になった故ルチアーノ・パヴァロッティの再来と言われています。イタリア人だから(?)か、飲んだくれてくだを巻く様子や、失恋して呆然とする様子など、演技がやや大げさに見えるところもありましたが、声の美しさ、声量は見事。きっと生で聴いたら魂を奪われてしまうかもしれません。4月に来日予定。来日記念CDも発売予定とのことです。YouTubeでも歌っています(ここ

3人の昔の恋人のうち、一人目(第1幕)のオリンピアは実は自動からくり人形。不思議な眼鏡をかけさせられて、人間と思い込まされた末の喜劇のような失恋劇。このソプラノ役は人形が歌うということもあり、超絶技巧を伴ったアリアがあります。今回はエリン・モーリーという若いアメリカ人の歌手がものの見事に歌手くれました。最後に、普通は出さないはずの超高音を奇声のように張り上げて大拍手でした。最後の音は、五線譜でト音記号の上第二線のC(ド)の上のA(ラ)フラットです。

最もたくさん歌うのが第2幕に出てくるアントニアという女性。劇中でも歌手という設定ですが、病のため歌うことを禁じられています。ヒドラ・ゲルツマーヴァという、ロシア人のソプラノ歌手でした。エキゾチックな雰囲気の美人で、声質も非常に美しく、清々しい歌い方でした。残念ながら、この日は体調不良か、一番いいアリアは夢の中で聴いてしまい、感想が書けません(-_-;)。彼女はライブビューイング初登場だと思うのですが、これからもたびたび出てくるような気がします。

このオペラには各幕に一人ずつ、合計3人の悪役が登場します。第1幕ではホフマンに怪しげな眼鏡を売りつけ、第二幕ではアントニアに病を押して歌うことを進め、あげくに死に至らしめてしまいます。この悪役は一人の歌手が演じることが多く、今回はトマス・ハンプソンという現代を代表するバリトン歌手が歌いました。これまではつややかな歌声で主役級のヒーロー役を歌っているのを聴いていたのですが、今回は低音のドスをきかせて、腹黒い雰囲気を醸して、いい悪役振りでした。

ホフマンが話す失恋話のなかで、必ず一緒に出てくるのが友人であるニクラウス。実はミューズの変身した姿で、舞台上では男性役ですが、女性、メゾ・ソプラノが演じます。《ホフマン物語》は5年前(2009-2010シーズン)にもライブビューイングで取り上げられていて、そのときと同じ歌手、ケイト・リンジーがニクラウスを歌いました。前回聞いて注目をしていたのですが、その後順調にキャリアを広げているようでうれしくなりました。決して大柄ではないのですが、ほぼ出ずっぱりでいくつものアリアを歌いきる体力は恐れ入ります。これからが、ますます楽しみです。

ライブビューイングのHPでは《ホフマン物語》のリハーサル映像が公開されています(
ここ)。

今月は、月末から来月にかけて、
チャイコフスキー《イオランタ》とバルトーク《青ひげ公の城》、ともに1時間半ほどの短いオペラのため2本立てです。

名フィル定期(第421回):ロシアの1番、カリンニコフ交響曲第1番

先週土曜日(2月21日)はMETのあと、夜は名フィルの2月定期。今月は
【ファースト】シリーズ、『ロシアの1番』
と題して、
ムソルグスキー:聖ヨハネ祭のはげ山の夜(交響詩『はげ山の一夜』原典版)
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番
カリンニコフ:交響曲第1番
ピアノ独奏:ソヌ・イェゴン
トランペット:井上圭
指揮:アンドリス・ポーガ

今回はテーマの通り、いずれもロシアの作曲家。帝政ロシア時代からソ連の時代にかけて活躍した作曲家です。

ムソルグスキーはラヴェルが編曲した『展覧会の絵』で有名です(今年の7月定期で取り上げられます)。『はげ山の一夜』は中学校の音楽の時間などで聴いた方もいるでしょう。ただ、この曲は、作曲者が亡くなった後で、友人のリムスキー=コルサコフが手を加えたもの。今回演奏されたのはムソルグスキーが作曲したそのままの楽譜を使用しています。やや荒削りというか、洗練されていないなと感じる部分がかなりあるのですが、その分、より土俗的な感じがして迫力があります。

聖ヨハネ祭とは、イエス・キリストを洗礼した聖ヨハネの誕生日(6月24日)を祝うキリスト教のお祭り。キリスト教伝播以前のヨーロッパでは夏至の日にお祭りをしたところが多かったそうで、この両者を掛け合わせるようにした行事がその後を続いたそうです。夏至の夜には妖精や魔女たちが暴れるなどの迷信もあったようで、ムソルグスキーはこうした内容を題材としたオペラを企画して、この曲はその一部として使うつもりだったとか。オペラは結局完成せず、この曲もムソルグスキーの生前は演奏されることもなかったそうです。

この曲は打楽器や金管楽器が大活躍し、聴き応えがあります。演奏は出だしはまとまりがなく、えっと思うような始まり方だったのですが、途中からいつものアンサンブルが戻り安心して聴けました。前日の演奏を聴いていないので分かりませんが、何かぎくしゃくすることがあったのでしょうか?

私にとってショスタコーヴィチは苦手な作曲家です。好きな人はマニアックにはまっていくようですが、私はどうしても入れ込めないところがあります。ただ、この曲は変わった編成ではありますが、音楽的には聞きやすいと思います。

ピアノ協奏曲ですが、当初はトランペット協奏曲のつもりで書き始めたそうです。結局うまくいかずピアノを加え、実際にはピアノとトランペットの二重協奏曲です。オーケストラは弦五部のみ。トランペットの独奏は名フィル主席トランペット奏者の井上さん。柔らかくて優しい音色が印象的でした。

ピアノはかなり難しそうでしたが、オケともよく聴き合って、どのパートも決して出しゃばらずによくまとまった演奏でした。4楽章構成ですが、アタッカ(切れ目なく)で演奏されます。第2楽章にあたるゆっくりしたテンポの部分が何かを訴えかけるような曲調で、やや堅めのピアノの音が寂しげで耳に残っています。

今回の演奏で使用されたピアノは、ヤマハCF-X。多くのコンサートではスタンウェイが使用され、芸術劇場も2台か3台持っているはずですが、今回は特別にヤマハから貸与されたそうです。ピアニストのリクエストでしょうか。スタンウェイと比べると、やや硬く、透き通ったような音色がしました。ショスタコーヴィチの曲にはよく合っていて、適切な選択だったと思います。

さて、今回もメインはカリンニコフ。1966年生まれで1901年に亡くなっています。生前は作曲家としてほとんど売れず、貧しいまま若くして結核で亡くなった作曲家。今回演奏された交響曲第1番も死の5年ほど前に作曲され、生前は演奏されることもなかったそうです。貧困と病に苦しむ中で作曲されたはずですが、全体としては明るく、ほのぼのとした雰囲気を湛えています。残念ながら演奏機会はほとんどないようで、CDも10種類くらいしかありません。事前に買って聴いてみましたが、聴けば聴くほど優しくおおらかな気持ちにさせてくれるいい曲であることが分かってきました。

おそらく最初で最後に聴く生演奏だっただろうと思うのですが、指揮者のタクトのもとに一糸乱れぬすばらしい演奏でした。弦楽器の分厚い響き、木管楽器の音色とテクニック、そして金管楽器の輝きと、どれをとっても手持ちの2種類のCDの演奏を完全にしのいでいます。特に第2楽章での旋律の美しさや色彩感はもっと浸っていたいくらいでした。

指揮者はラトビア出身でたぶんまだ30代、スコアを細部までしっかりと読み込んで、カリンニコフの良さをしっかりと聴かせてくれたと思います。また、名フィルとも初顔合わせであるにもかかわらず、その特性をよく理解して、あれだけしっかりと鳴らせるのですからすばらしい才能の持ち主だと思います。これからもたびたび振りに来て欲しい指揮者です。

さて、3月の定期は27,28日(於:愛知県芸術劇場・コンサートホール)、『巨匠の1番』と題して
松村禎三:交響曲第1番
ブルックナー:交響曲第1番
いずれも初めての方にはやや難解ですが、春休みです。非日常を体験するにはいい機会です。
また、名フィルの主催公演ではありませんが、3月7日に春日井市民会館でモーツァルトを聴く演奏会があります。こちらはきっと耳に優しく、楽しく聴けると思います。

METライブビューイング《メリー・ウィドウ》

現在、ミッドランドスクエア・シネマでMETライブビューイング
レハール作曲《メリー・ウィドウ》(The Merry Widow、原語であるドイツ語ではDie lustige Witwe、『陽気な未亡人』ほどの意味でしょうか)
が上映されています。
先週土曜日(2月21日)に観に行きました。今回も満席。飽きの来ない楽しい話ですが、オペラとしてはそれほど有名ではないので、まさか(゜;)エエッ ライブ・ビューイングも人気が出てきたようです。詳しい情報はここです

さて、《メリー・ウィドウ》のような演目はオペラ(歌劇)ではなくオペレッタ(喜歌劇)と呼ばれます。オペラが基本的に台詞なしで上演されるのに対して、オペレッタにはかなり台詞が入り、登場人物が気持ちを表現したり、ここぞというやりとりの部分を歌います。ちょうどミュージカルと同じです。というよりも、ウィーンやパリではやったオペレッタがアメリカ・ニューヨークに渡ってミュージカルになったと言った方がいいでしょう。

レハール(1870-1948)は現在のハンガリー生まれで、プラハでドヴォルザークに作曲を学び、ウィーンで活躍しました。オペレッタが得意だったようで、《メリー・ウィドウ》を出世作として14作完成させています。オリジナルは歌も台詞もドイツ語ですが、今回の上演は英語版。アメリカではかなりポピュラーなようです。

さて、パンフレットを参考に簡単にあらすじを。
舞台は20世紀初めのパリ。架空の小国ポンテヴェドロ(多分にバルカン半島辺りを感じさせる)の在フランス大使であるツェータ男爵主催のパーティー。主人公のハンナ・グラヴァリは貧しい家庭の生まれながら、ポンテヴィドロ国の資産の大半を所有する大金持ちと結婚。結婚後すぐに死別し、莫大な財産を相続。ハンナが他国の男性と再婚すると国が破産しかねないと心配するツェータ男爵は、書記官の伯爵ダニロにハンナに求婚するように命令。しかし、ダニロは「恋はいつでもOK、婚約もしてもいいけど結婚はしないのが主義」と言って命令を拒否。実は、ダニロはかつてハンナと恋仲で、身分違いゆえに結ばれなかったという過去があります。決して恋心は消えていないものの、素直になれない。一方、ハンナもダニロを忘れておらず、流し目を送るもすんなりとは伝わらない。そんな最中に、ハンナはツェータ男爵の妻ヴァランシエンヌの浮気をかばってダニロの誤解を招いてしまいます。ダニロはお金に目がくらんだと思われたくないとか、いろいろ考えるのですが、最後は2人が結婚すると宣言してめでたしめでたし。

今回のキャストは
指揮:アンドリュー・デイヴィス 演出:スーザン・ストローマン

出演:ルネ・フレミング(ハンナ)、ネイサン・ガン(ダニロ)、ケリー・オハラ(ヴァランシエンヌ)、アレック・シュレイダー(カミーユ)、トーマス・アレン(ツェータ男爵)

実演奏時間は約2時間半。たわいもないストーリーですが、魅力的で口ずさみたくなるようなメロディーが随所にあり、とにかく飽きません。暗い雰囲気のメロディーは全くなく、最後までわくわく、どきどき。また、舞台や衣装も豪華絢爛で、ただ観ているだけでも楽しめます。ただ、今回の一番の注目はハンナを演じたルネ・フレミング。現代最高のソプラノ歌手の一人で、風格、声質ともにこの役にぴったり。是非とも彼女のハンナを見たい、聴きたいと思っていたので念願が叶いました。最も有名なアリアは特に第2幕で歌われる「ヴァリアの歌」。(ここにルネ・フレミングが若かりし頃に歌った映像があります。どうやら来日公演か?)

また、今回の演出を手がけているのはトニー賞などを受賞しているブロードウェイのミュージカルの専門家、さらに、主役2人に次ぐ役どころである男爵夫人ヴァランシエンヌ役を何とミュージカル女優が演じました。オペラ歌手の声とはやはり違いますが、見事。存在感があり、演技もさすがです。後半でパリの『マキシム』というキャバレーでカンカン踊りのシーンがあります。ここでは、普段はミュージカルで活躍している歌手たちがヴァランシエンヌ役の女優さんと一緒に歌とダンスを披露。まさにミュージカル、METのホールだけではなく、映画館の客席からも拍手が起こっていました。

第2幕の「ヴィリアの歌」や第3幕でハンナとダニロの二重唱「唇は黙し、ヴァイオリンは囁く」(ドミンゴ&テ・カナワのデュエットはここ、スタジオ録画です)などは、ルキノ・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で主人公アッシェンバッハが美少年タージオに出会う場面で使われているそうです。気がつきませんでした。

次回は3月7日から、オッフェンバック作曲《ホフマン物語》、パヴァロッティの再来と言われ、現在売り出し中のヴィットーリオ・グリゴーロ()が登場します。かっこいいです。ここを参考にしてください

モーツァルティック・バレンタイン

意味が分かりませんよね? バレンタインデーにモーツァルトを聴こうというコンサートです。2月14日土曜日に春日井市・高蔵寺にある春日井市東部市民センターでありました。ホールは500人くらいは入れ、扇形でちょうど古代の野外劇場を思わせるような形でした。もちろん屋内ですが。

プログラムは
ベートーヴェン:ロンディーノ
モーツァルト:セレナード第11番
モーツァルト/ハイデンライヒ編曲:歌劇《魔笛》(管楽合奏版)より抜粋
アンコールとして
モーツァルト/ハイデンライヒ編曲:歌劇《フィガロの結婚》(管楽合奏版)より抜粋
リヒャルト・シュトラウス/??編曲:交響詩《ドン・ファン》(管楽合奏版)より抜粋

演奏は木管楽器を中心とする八重奏で、オーボエ2,クラリネット2、ファゴット2、ホルン2のあわせて8人(後半はコントラバスを加えた九重奏)。演奏者はNHK交響楽団の首席オーボエ奏者である茂木大輔さんを中心に、NHK交響楽団や名古屋フィルハーモニー交響楽団などの管楽器奏者を交えた編成。今回だけの集まりだと思いますが、生ではなかなか聴けない曲、演奏形態だけに十分に堪能できました。

茂木さんはNHKが放送するN響の演奏会でいつも見ています。また、名フィルのメンバーも3人加わっておられましたが、私にとっては毎月の定期でおなじみ。非常に親近感のわくステージでした。コンサートでは、舞台上の演奏者の後にスクリーンを配して、それぞれの曲の紹介やモーツァルトの生い立ちの紹介など、あまりクラシック音楽、あるいは今回のような形態の演奏になじみのない人も飽きずに聴いていられるような趣向が凝らされていました。特に、後半の『魔笛』からの抜粋は、序曲のあと、オペラの筋書きにしたがって10曲が続けて演奏されましたが、曲の間にストーリー紹介が入り、オペラを知らなくても音楽を楽しむことができたのではないでしょうか。

私が最も聴きたかったのはモーツァルトのセレナードです。CDは何種類か持っていますが、未だ生演奏を聴いたことがなく、これでまた念願の1つがかないました。

今回のような編成は、管楽器の演奏形態としては非常に音色がまとまりやすく、きれいなハーモニーをつくることができます。その一方で、各楽器ごとに特異なフレーズや動き方が異なっているため、音楽のいろんな側面を楽しむことができます。今回の演奏も各楽器の個性が際立ち、また、各奏者のすばらしい音色を存分に楽しめました。特に、セレナードはクラリネットの活躍の目立つ曲ですが、名フィル・浅井さんの柔らかく暖かみのある音色が印象的でした。

木管楽器による八重奏の演奏形態はハルモニームジーク(ドイツ語でHarmoniemusik)と呼ばれ、18世紀後半から19世紀の前半、つまりモーツァルトやベートーヴェンが活躍した時代に流行したそうです。主に貴族の食事やお金持ちたちのパーティーの場での伴奏音楽として利用されました。食事の際に演奏されるため"Table music"とも呼ばれます。今回演奏されたモーツァルトのセレナードなどはその典型的な曲です。ベートーヴェンも同様の編成の曲を1曲だけつくっており、今回演奏された『ロンディーノ』はその一部が独立して演奏されるようになった曲です。

ハルモニームジークとしては、当時人気のあったオペラの一部を管楽八重奏(または九重奏)に編曲して演奏させて楽しむということも多かったようです。モーツァルトの有名なオペラはすべて編曲版があり、現在でも数多く録音されてCDとして発売されています。また、モーツァルトは自身のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』のなかの宴会のシーンで、『フィガロの結婚』のアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」のハルモニームジーク版を取り入れています。

この企画と連続して、3月7日に春日井市民会館で
生演奏と投影で綴る大作曲家の大傑作シリーズVol.1〜モーツァルト
が、今回中心になられた茂木大輔さんの指揮であります。(案内はここ) 私もいきます。きっと楽しいと思います。

《見つめて シェイクスピア!》展

週末(2015/02/15)に滋賀県立近代美術館でひらかれている《見つめて シェイクスピア!》展(HPはここ)を観に行ってきました。本命は琵琶湖大橋の袂、「なぎさ公園」の菜の花畑と美術館で展覧会に合わせてひらかれたコンサート『歌って、シェイクスピア!~シェイクスピアとエリザベス朝の音楽』でした。

菜の花畑はきれいだったのですが、行った時間には雨が降っており写真のように今ひとつの風景でした。菜の花畑がほとんど琵琶湖に面しており、本当は対岸の比良山系をバックにすばらしい一枚が撮れるはずだったのですが・・・・・。
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また、コンサートは入場無料だったからなのか、希望者殺到で整理券が早々になくなってしまったようで入場できず(>_<) 結局、扉の外から始まりの拍手だけ聴いて終わりました。

とは言っても、この展覧会は結構見応えがありました。シェイクスピアの戯曲の名場面を描いた絵画や版画、本の挿絵を集めた展覧会です。絵画よりも版画が多く、全体に色にあふれるというよりもモノトーンな雰囲気でした。作品は、ハムレット、オセロ、リア王、マクベスのほか、夏の夜の夢、あらし、ロミオとジュリエット、十二夜など、有名な悲劇や喜劇を中心に、それぞれの有名場面を描いたもの。それぞれの物語のあらすじの外、各場面についても簡単に説明が施されていましたので、それぞれのストーリーを知らなくともある程度は理解できるように配慮されていました。ドラクロアやシャガールなど有名な画家をはじめ非常に多くの作品でしたが、中には「これが版画か」と息をのむほどにリアルで、ドレスの光沢、肌触りまでもが伝わってくるような作品もありました。 やや目をこらしながら見て回ったためが、1時間あまりの鑑賞で非常に疲れました。
ポスターはこれ

シェイクスピアは1564年に生まれて1616年に亡くなっています。つまり、昨年が生誕450年、来年が没後400年。メモリアルイヤーが続き、いろんなイベントが開催されています。いつも紹介しているMETライブビューイングでも、2014-2015シーズンの開幕で《マクベス》が取り上げられました。NHK教育テレビで毎週水曜日の夜に放送されている『100分で名著』という番組をご存じでしょうか? 昨年の最後が《ハムレット》でした。いつかはと思っているのですが、演劇を見る機会がないのが残念です。

蛇足ですが、1564年生まれはガリレオ・ガリレイと同年、1616年没は徳川家康と同年です。

METライブビューイング《ニュルンベルクのマイスタージンガー》

METライブビューイングでワーグナー作曲《ニュルンベルクのマイスタージンガー》が先週土曜日から今週金曜日までミッドランドスクエア・シネマで上映されています。

前の週に行った名フィル定期のメイン・プログラムと同じ作曲家、リヒャルト・ワーグナーの作品。オペラですが台本も作曲家が自分で描いていて、音楽と言葉の一貫性を追求したワーグナーの初期の傑作。特に、悲劇ばかりをつくったワーグナーのほぼ唯一の喜劇。前回、ワーグナーは苦手だったと書きましたが、名フィルのおかげで少しなじめたのでしょうか、METの演奏に打たれたのでしょうか、最後はハッピー・エンドに涙しました。

舞台は16世紀半ばのドイツ・ニュルンベルク。今でこそそれほどの大都市でもなく、日本から観光で行く場所でもないかもしれませんが、当時は南ドイツ有数の自由都市。職人や商人のギルドによって街が栄えていたそうです。題名の『マイスタージンガー』とは、職人の親方であると同時に、アマチュアの歌手。歌手たちの組合のようなものもあったようで、職人同様にヒエラルキーもしっかりしてできていたそうです。日本語では「職掌歌手」とか「親方歌手」と訳されます。物語は、実在のマイスタージンガーであるハンス・ザックスという人物を中心に、マイスタージンガーを目指す若い騎士ヴァルターと恋人エヴァ、そしてそこへ横恋慕するマイスタージンガーやその他の歌手たちの物語。

わずか2日間の出来事を3幕構成に仕立てています。実演奏時間は4時間半、ライブビューイングでは、幕間のインタビューなどと休憩2回を加えて5時間半、現時の実際の上演では休憩2回を入れて6時間、現在頻繁に上演されるオペラとしてはおそらく最長でしょう。正直言ってかなり疲れました。でも、ミッドランドスクエア・シネマのホールはほぼ満席でした。

ハイライトはなんと言っても第3幕、ハンス・ザックスのアリア、5重唱、そして、最後のヴァルターのアリア。ヴァルターのアリアには本当に涙、涙・・・・。若者が苦労をして成長した姿を見るのは清々しく、頼もしいものです。

次は2月21日からでレハールの《メリー・ウィドウ》、楽しい喜歌劇。私の大好きな作品。主役はハンナという大富豪の未亡人ですが、演じるのはルネ・フレミング。現代最高のソプラノ歌手です。是非とも彼女のハンナを聴いてみたいと思っていました。念願が叶います。

ロイヤル・オペラ《アンドレア・シェニエ》

メトロポリタン歌劇場(MET)のライブ・ビューイングは何度も紹介していますが、同様の企画は他の有名歌劇場も取り組んでいます。パリ・オペラ座とロンドン・ロイヤル・オペラハウス(通称コヴェントガーデン歌劇場)はバレエでも有名な劇場で、オペラとバレエの両方をライブ・ビューイングしています。

今回はロイヤル・オペラハウスのライブ・ビューイングを紹介。一昨年から始めたようで、昨年から今年にかけてが2シーズン目(2014~2015シーズン)。すでに何作かの上映が済んでいるのですが、ここはMETのように1作を1週間続けての上映ではなく、1作1回きり。それも現地での上映の翌日の現地と同じ時間帯、つまり夜に上映。少し前ですがTOHOシネマズ名古屋ベイシティで観てきました。

ジョルダーノ作曲、イッリカ台本の《アンドレア・シェニエ》、フランス革命時に活躍した実在の詩人を主人公にした作品です。ちょうどプッチーニの名作《ラ・ボエーム》と同時期に初演され、大成功。正直言って、超有名と言うにはほど遠いですが、主人公・アンドレ・シェニエ(テノール)とその恋人・マッダレーナ(ソプラノ)を中心として聴き所満載のオペラです。

フランス革命後のロベスピエールの恐怖政治時代のパリが舞台。いったんは革命の中心を担い、活躍したシェニエも些細なことから反逆者の汚名を着せられます。恋人であるマッダレーナとパリから逃げ出したいのですが、横恋慕した憲兵のジェラールに密告されて逮捕・投獄されてしまいます。結局、2人ともが処刑場へ連れて行かれることろで幕。

4幕構成ですが、第3幕からは先が見えてきて、悲しい歌の連続。隣で観ていた女性はずっと泣いておられました。

主人公のシェニエを歌ったのはヨナス・カウフマン、現代最高のテノール。
昨シーズンのMETでマスネ《ウェルテル》を聴きましたが、実にすばらしい。容姿も文句なし。ファン、追っかけは世代を問わずあまたいるようです。

名フィル定期(第420回):ワーグナー《ワルキューレ》第1幕

ずっと名フィルの定期について記しておりませんでした。プログラムがあまりにも特殊で、しっかりとした感想が持てなかったことでやや書きにくく、サボってしまいました。

年明けということもあり、今回はしっかりと。

1月の第420回定期は「リングの第1日第1幕」と題して、常任指揮者:マーチン・ブラヴィンスの指揮で
リヒャルト・シュトラウス:セレナード変ホ長調
ブリテン:シンプル・シンフォニー
ワーグナー:楽劇《ワルキューレ》第1幕
 独唱 ソプラノ:スーザン・ブロック、テノール:リチャード・バークレー=スティール、バス:小鉄和広

《リング》とは、ワーグナーの大作《ニーベルングの指輪》のこと。これは連作オペラとも言うべきもので、ストーリーはずいぶん前に映画で話題になった『指輪物語』とよく似ています。オペラとしては、序夜、第一夜、第二夜、第三夜の4日かけて上演され、それぞれも長いのですが、全部で20時間くらいかかる超大作です。今回の《ワルキューレ、Die Warkule》は第一夜にあたり、3幕構成。全部で4時間くらいでしょうか。第1幕は1時間余。

ワーグナーの、特に《ニーベルングの指輪》のような中期以降のオペラの特徴は「無限音楽」といって、一つの幕の間中全く切れ目なく音楽が続くこと。こうした作品は「オペラ」とは言うものの、日本語では「歌劇」とは言わずに「楽劇」、ドイツ語で"Musikdrama"といいます。『ワルキューレ』第1幕も1時間余に渡って切れ目なく音楽が続きます。登場人物はわずか3人。合唱もなし。音楽も比較的べたっとした感じで、正直言って私は苦手です。

いや、苦手だったというべきかもしれません。「居眠り」覚悟で聴きに行ったのですが、やはり生演奏の力でしょう。眠くなるどころか「これがワーグナーか」と、まさに目からうろこが落ちる思い。終わった瞬間に「Bravo!!」 ブラヴィンス得意のワーグナー、ソリストも実力者をそろえ、なんと言ってもオケが気を吐いてくれました。今シーズン最高の演奏だったのではないでしょうか。

ワーグナーが苦手なのは音楽だけではありません。ワーグナー自身が「反ユダヤ主義」的な思想を持ち、これが20世紀に入りナチス・ドイツの国威発揚のために利用されていたことも、変な先入観をつくってしまい、どうも敬遠しがちでした。しかし、やっぱり「生演奏の力」は大きい。もっと素直に音楽と向き合うことが大切だと言うことを学びました。ブラヴィンスと名フィルに感謝!

名フィルもTwitterでいろんな情報を流してくれるのですが、今回のリハーサルでは、独唱者のバークレー=スティールさんと小鉄和広さんが、ともに名前にSteel=鉄が含まれるということで意気投合したとのこと。ついでにまた共演してください。

ワーグナーの作品は、オーケストラだけによる楽曲は勇ましい部分とロマンティックな部分を併せ持ついい曲です。《ワルキューレ》で最も有名なのは第三幕冒頭の『ワルキューレの騎行』。映画《地獄の黙示録》で有名になって以来いろんな場面で使われています。今回の演奏のつづきで、この部分を聴いてみたかったです。
『ワルキューレの騎行』は例えばここを聴いてください。)

さて、順番を戻して第1曲目のR.シュトラウスの《セレナード》はフルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラ・ファゴット1、ホルン4という管楽器のみ13名での合奏。オーケストラのやや規模の大きな曲の木管セクションのみの編成と考えればいいでしょう。単一楽章で10分ほど。しかし、テンポの変化や楽器の組み合わせ、メロディーの雰囲気が途中で何度関わります。20世紀に入ってから作られた曲ですが、非常に親しみやすい佳作です。今回生で初めて(たぶん最後?)聴くことができましたが、これも名演。すべての奏者が生き生きとして、息のあったすばらしい音を聴かせてくれました。管楽器の響きを堪能することができました。

作曲者であるリヒャルト・シュトラウスはモーツァルトを深く敬愛していたとのこと。実は、モーツァルトにも同じように管楽器13名による《セレナード》と題する曲があります。モーツァルトの《セレナード第10番 グラン・パルティータ》(通称 13管楽器のためのセレナード)で、編成は、オーボエ2、クラリネット2、バセット・ホルン2、ホルン4、ファゴット2、コントラバス1 です。バセット・ホルンとはクラリネットよりもやや大きい楽器で、太い音がします。コントラバスはたぶん低音を補強するために加えられたのでしょう。コントラ・ファゴットがなかったのかもしれません。モーツァルトの曲の方が構成はもう少し大きく7楽章構成で、40分を超える大曲。残念ながら生で聴く機会は未だありません。

2曲目のブリテン、イギリスの作曲家で1913年生まれ、1976年に亡くなっています。あまりなじみのない名前かもしれませんが、中学校などの音楽教室によく張ってある年表には『青少年のための管弦楽入門』が必ず取り上げられています。この曲は聴いたことがある方もいらっしゃるのでは? ブラヴィンスが英国出身ということもあり、取り上げられたのでしょう。これまでにも何度かブリテンの作品は定期演奏会で取り上げられており、大分なじんできました。

この曲も、Rシュトラウス同様に若い頃の作品ですが、弦楽器だけの編成。シンフォニー=交響曲と題されているだけあって4楽章構成で、ソナタ形式を取り入れています。第2楽章はピッチカートだけによる演奏、第3楽章は非常に哀愁をおびた雰囲気と、いろんな曲調を楽しむことができます。やや大編成でしたが、その分音の厚みと響きの深さに聴き惚れました。

管楽器だけ、弦楽器だけとあえて2曲取り上げたのは、ブラヴィンスは常任指揮者として、自らが率いるオーケストラの力量を見せたかったのでしょう。管も弦もすばらしかった。

今週末のMETライブ・ビューイングでは同じくワーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》が上映され、年初からワーグナーが続きます。

《カルミナ・ブラーナ》

カール・オルフという作曲家をご存じでしょうか。1895年ミュンヘン生まれで、20世紀の半ばから後半にかけて活躍し、1982年に亡くなっています。それほどたくさんの曲を残しているわけではなく、演奏会などでもそんなに取り上げられることはありません。ただ、この《カルミナ・ブラーナ》という曲は非常に有名で、コマーシャルのBGM などでも使われています。聴けば「あ、あれか」と気づく人も多いでしょう。
古い映像ですが、1989年12月31日、小澤征爾指揮、ベルリン・フィルハーモニーの演奏はここ

さて、この《カルミナ・ブラーナ》は「世俗カンタータ」と呼ばれるジャンルの曲で、独唱付のオーケストラと合唱のための曲です。演奏時間は1時間余、同じメロディーの繰り返しが多く、技術的にも難易度はそれほど高くないため、アマチュアのオーケストラや合唱団が取り上げることも多い曲です。

知り合いの知り合い(の知り合い?)が合唱団の一員として歌うということでチケットが手に入り、2回聴きに行きました。
 昨年10月12日:「岐阜秋の音楽祭2014」の一環として開かれた「第11回岐阜県オーケストラフェスティバル」での演奏会。岐阜市のサラマンカホールで、宮松重紀指揮の同フェスティバルオーケストラとカルミナ県民合唱団、サラマンカ少年少女合唱団、他。独唱:中井亮一(テノール)、山中敦子(ソプラノ)、大島幾雄(バリトン)、
 今年1月25日:名古屋シティーハーモニー ニュー・イヤー・コンサート。神田豊壽指揮の東海フィルハーモニーと名古屋シティーハーモニー、名古屋少年少女合唱団、他。独唱:内田恵美子(ソプラノ)、大久保亮(テノール)、春日保人(バリトン)

いずれも独唱者はプロですが、オケ、合唱ともにアマチュア。演奏水準は置いて、やはり生演奏の迫力、臨場感は何物にも代えられません。CDもいくつか持っていますし、ちょうど昨年中頃にNHK交響楽団が定期演奏会で取り上げたため、テレビでも放送され録画を持っています。それぞれ何度か聴いていますが、やはり楽器やヒトの身体から直接発せいられた振動を自分の耳でとらえて生じる感動は別物です。
(NHK交響楽団の定期演奏会のパンフレットに歌詞が掲載されています。同時に演奏された《カトゥリ・カルミナ》の歌詞も掲載されていますが、ともに《成人向け》です。(ここです。http://www.nhkso.or.jp/library/philharmony/Phil14Jan.pdf

楽曲の解説を少し。
カンタータ(伊:cantata, 独:Kantate, 仏:cantate、交声曲)というのは、単声(つまり、パートが1つだけ)または多声(たくさんのパートに別れて、複数のメロディを同時に歌ったり、和音をつくったりする)のための器楽伴奏付の声楽作品のこと。「世俗」と付いているのは、歌詞の内容が宗教的な、つまりキリスト教あるいは聖書の内容に依るのではなく、非宗教(=世俗)の内容であると言うことです。


カルミナ・ブラーナ(ラテン語: Carmina Burana)というのは、19世紀初めにドイツ南部バイエルン州にあるベネディクト会のボイレン修道院(ベネディクトボイエルン: Benediktbeuern)で発見された詩歌集のこと。ラテン語、古イタリア語、中高ドイツ語(ドイツ中部から南部にかけて使われていた古いドイツ語)、古フランス語などで書かれた詩が300ほどあるそうです。歌詞の内容は若者の怒りや恋愛の歌、酒や性、パロディなどの世俗的なものが多く、おそらくこの修道院を訪れた学生や修道僧たちによるものと考えられています。カール・オルフはこれらの詩の中から24編を選び、曲を付けました。「初春に」「酒場で」「愛の誘い」の3部構成で、その前後に序とエピローグがついています。1936年に完成し、翌1937年7月8日にフランクフルトのフランクフルト歌劇場で初演されています。曲には、『楽器群と魔術的な場面を伴って歌われる、独唱と合唱の為の世俗的歌曲 (Cantiones profanæ cantoribus et choris cantandæ comitantibus instrumentis atque imaginibus magicis、英訳例:Secular songs for singers and choruses to be sung together with instruments and magic images)(Wilipediaより)』という副題が付いているそうです。

METライブビューイング 《セヴィリャの理髪師》

現在、名駅のミッドランドスクエアシネマでメトロポリタン歌劇場(MET)のライブビューイングで
ロッシーニ作曲《セヴィリャの理髪師、Il barbiere di Siviglia》
が上映されています。
出演は

 フィガロ:クリストファー・モルトマン
 アルマヴィーバ伯爵:ローレンス・ブラウンリー
 ロジーナ:イザベル・レナート
 ドン・バルトロ:マウリツィオ・ムラーノ
 そのほか
演出:バートレット・シャー
指揮:ミケーレ・マリオッティ
管弦楽:メトロポリタン歌劇場管弦楽団

以前に紹介した《フィガロの結婚》の前段のお話し。ストーリーを簡単に紹介すると、
舞台はスペインのセヴィリャ(セビリア)。アルマヴィーバ伯爵はロジーナに一目惚れ。ロジーナも身分の高い青年とは知らずに恋心も抱いています。互いに何とかコンタクトを取ろうとするのですが、ロジーナは後見人であるドン・バルトロの監視下におかれて外出もままならず。しかも、ドン・バルトロは年の差をものともせず若いロジーナにご執心。伯爵はドン・バルトロ宅に出入りする理髪師のフィガロの助けを借りて、リンドーロという貧しい学生を装いロジーナと手紙を交換。さらに、変装してドン・バルトロ宅へ入り込み、ロジーナと互いの気持ちを確認し合います。ドタバタ喜劇のような騒動の後、伯爵が身分を明かすとドン・バルトロも逆らえず、若い2人はハッピーエンド。

何ともたわいのないストーリーですが、貴族が平民の助けを借りて物事を成し遂げるという筋は、やはり絶対王政下では許されないでしょう。しかし、このオペラがつくられたのはフランス革命後、すでにナポレオン戦争も終わり、市民階級が大きな力を持ち始めていた時期。1816年、ローマの歌劇場での初演は必ずしも大成功ではなかったようですが、直ちに評判となって、今日ではロッシーニの最高傑作として上演され続けています。

ロッシーニの音楽は非常に軽快、特に、アジリタと呼ばれる唱法やロッシーニ・クレッシェンドという独特のオーケストラの使い方は聴く者をわくわくさせてくれます。アジリタとはちょうど早口言葉のように速いテンポで刻むようにして歌詞を歌います。一息も長く、練習はたいへんだろうなと思いますが、今回のMETはなんと言っても超一流揃い。いとも簡単にやってのけ、そして聴く者の心を舞台に(スクリーンに)釘付けにしてくれます。また、今回の指揮者はこのライブビューイングでは初めて?の若手、イタリア人っぽい名前ですが、なかなかのイケメンです。オケをよくコントロールして、ロッシーニ独特の調子を見事に聴かせてくれました。

《セヴィリャの理髪師》は数年前にのMETライブビューイングでも同じ演出で上映されましたが、歌手は全く異なります。今回の歌手たちのほうがよりコミカルに、軽やかに歌い演じていたように思います。そして、ロジーナ役のイザベル・レナート、前回の《フィガロの結婚》ではケルビーノ役を歌っ
ています。若手のメゾ・ソプラノとして売り出し中というところでしょうか。非常にチャーミングで歌唱、演技ともに見事。私の次期恋人候補の一人です。

オペラに限りませんが、クラシック音楽の醍醐味は、同じ楽譜(オペラの場合にはさらに台本)でも演奏者によってまったくちがった演奏、つまり解釈を楽しめること。いろんな演奏を聴いているからこそ、自分なりの好みや意見もでき、そしてより理解が深まっていきます。世の中には感じ方や考え方の異なる大勢の人たちがいて、互いに知り合うことが互いを高め合うことにつながっていきます。何か共通するものを感じます。


次回のMETライブビューイングは2月7日から、ワーグナーの名作《ニュルンベルグのマイスタージンガー》です。

シュトイデ弦楽四重奏団:名大でのコンサート

昨日、名大の講堂でシュトイデ弦楽四重奏団のコンサートがありました。
プログラムは
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番《セリオーソ》
ラヴェル:弦楽四重奏
演奏:シュトイデ弦楽四重奏団(第1ヴァイオリン:フォルクハルト・シュトイデ、第2ヴァイオリン:ホルガー・グロー、ヴィオラ:エルマー・ランダラー、チェロ:ヴォルフガング・ヘルテル)

このコンサートは、名古屋大学の主催、愛知県立芸大の協力でいくつかの企業がスポンサーとなって開かれました。シュトイデ弦楽四重奏団はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターであるシュトイデを中心に、同じウィーンフィルのメンバーで構成されています。全員が40歳前後と若いメンバーで既に超一流と言っていいのですが、さらに将来を大いに期待されています。これだけのメンバーによるコンサートですが、スポンサーが付いているようで、無料。先週半ばに中日新聞にも案内が載りました。(日曜日に栄のコンサートホールでシュトイデ弦楽四重奏団のコンサートがあったようですが、S席は¥6,000でした)

さて、弦楽四重奏とは、上記のように4人の弦楽器によるアンサンブル。クラシック音楽で最も基本とされるスタイルです。ベートーヴェンが最も得意とし、それ以前のスタイルから大きく発展させた音楽ジャンルです。実は、超一流の弦楽四重奏を生で聴きのは初めて。同じ弦楽器ですから基本的には同じ音色でまとまるものという程度の知識しかなく、CDを数回聴いて臨みました。

確か同じ音色でまとまって響いてくるのですが、でもやっぱり個々の楽器の音は異なり(ヴァイオリン同士でも異なる)、ちょうど4人が会話をしているよう。でも、時折すべての楽器の音が重なって1つの音、ただし、4人個別の楽器の音とは別の音になって響く。ときに柔らかく、とき鋭く。ちょうど水墨画や版画がモノクロではあるが、微妙な濃淡や筆のタッチの違いでいろんなことを表現し主張するような感じといえばいいでしょうか。特にラヴェルの四重奏がはっきりと分かりました。ベートーヴェンはより内省的に、4人が四様にじっくり考えているかのよう。ラヴェルが山水画なら、ベートーヴェンは達磨図のような?。「じっくりと聴け」という感じでしょうか。

それぞれの楽器から音が出ているのですが、ちょっと目を離すと全体が1つの楽器としてなっているような気にさせられ、またじっと見るとそれぞれの音が聞こえてくる。CDでは絶対に分からない、大人数のオーケストラや一人が弾いているピアノを聴いていたのでは全く体験したことのない感覚です。主要な音楽ジャンルの中で弦楽四重奏だけは守備範囲に入っていませんでした。考え直さなくては。

今回のコンサートは「レクチャーコンサート」と銘打たれていたのですが、お話しはメンバー紹介程度。やや残念でした。ただ、コンサートの前に、県立芸大の学生相手の公開レッスンがあったようです。学生たちには夢のような時間だったでしょう。

名大では昨年あたりからかなりのレベルの演奏家によるコンサートが開かれており、先週も県立芸大の卒業生の方によるピアノのコンサートがありました。これも無料。

METライブビューイング:モーツァルト《フィガロの結婚》

今シーズンの2作目は
モーツァルト:歌劇《フィガロの結婚》
メトロポリタン歌劇場の新演出で、今シーズンのオープニングを飾った演目です。
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:リチャード・エア
出演
アマルヴィーバ伯爵:ペーター・マッティ(バリトン)
アマルヴィーバ伯爵夫人:アマンダ・マジェスキー(ソプラノ)
フィガロ(伯爵の使用人):インダール・アブドラザコフ(バリトン)
スザンナ(伯爵夫人の侍女):マルリース・ペーターセン(ソプラノ)
ケルビーノ:イザベル・レナード(メゾ・ソプラノ)

古今のオペラ作品の中でも特に有名な作品です。肩を張らずに見ることができるストーリーで、音楽もわかりやすくメリハリがきいています。従って、初めて観る方にも特にオススメ。
ストーリーはやや説明しにくいところがあるので詳細は別項(ここここ)に譲ります。登場人物が多く、ストーリーもやや複雑です。場面転換が多いため、時に散漫と言うか集中力が切れてしまうことがあるのですが、今回はMETの新演出で、とにかくスピーディ、全4幕、2幕と3幕の間に休憩が入るほかは、場面の転換のための暗転はなく、回り舞台を使って次々に話が続いていきました。そして、舞台のつくりや衣装も過度に派手になっていないため音楽に集中でき、時間の経つのを忘れて、気がついたらフィナーレ。休憩を入れて3時間半。あっという間でした。

モーツァルトのオペラは独唱、重唱が巧みに組み合わさり、登場人物が丁々発止を繰り広げていくところに大きな特徴があります。特に、「フィガロの結婚」は独唱や重唱に加わる歌手(役柄)が非常に多く、いろんな色の声を堪能することができます。

「フィガロの結婚」はフランスのボーマルシェという劇作家のつくった戯曲がもとになっています。ストーリーからも分かるように、庶民(使用人)が貴族をやり込める内容。フランス革命前に書かれたもので、フランスでは発禁処分に。モーツァルトは大胆にもこの作品をハプスブルク家=神聖ローマ皇帝のお膝元で上演したわけです。脚本を書いたのはロレンツィオ・ダ・ポンテという、モーツァルトと一緒にいくつかのオペラを仕上げた作家。このダ・ポンテの尽力もあり、ウィーンに続いてプラハでも上演して大成功を収めました。

ボーマルシェ作の「フィガロの結婚」は3つの連作の第2話。第1話が「セビリアの理髪師」です。これはロッシーニがオペラ化して大成功した作品で、今シーズンのMETライブビューイングでも来年1月に上映されます。「フィガロの結婚」で登場する多くの人物が「セビリアの理髪師」でも登場しています。ここでは。アルマヴィーバ伯爵が夫人となるロジーナに恋をして結婚するまでのドタバタが描かれています。

12月はこれも有名な
ビゼー:歌劇《カルメン》
です。今回、フィガロ訳を歌ったバリトンのインダール・アブドラザコフがエスカミーリョ(闘牛士)役で歌います。

左手のピアニスト

先週土曜日(11/8)、名古屋・栄の宗次ホールでの
『左手のピアニスト・智内威雄リサイタル』を聴きに行きました。プログラムは

サン=サーンス:エレジー
グリーグ(ヴィトゲンシュタイン編):エレジー(抒情小曲集第2巻より)
マスネ(田中&智内編):タイスの瞑想曲
ボルトキエヴィチ:詩人
ポンセ:前奏曲とフーガ
塩見允枝子:「架空庭園」より第2番
J.S.
バッハ(ブラームス&ヴィトゲンシュタイン編):シャコンヌ
コルンゴルト:2つのヴァイオリンとチェロ、左手のピアノのための組曲
ピアノ:智内威雄(ちないたけお)
ヴァイオリン:田野倉雅秋、渡辺美穂、チェロ:近藤浩志

智内さんのリサイタルを聴くのは2回目。この数年、ほぼ毎年宗次ホールでリサイタルを開かれています。現在40歳くらいだとおもいますが、大学卒業後のドイツ留学中に局所性ジストニアを発症し、ピアノを弾こうとすると右手の指が思うように動かない、あるいは意図しない動き方をしてしまうようになったそうです。従って、それまでのように両手でピアノを演奏することができず、左手だけでピアノを弾くするスタイルに変えて演奏活動を続けておられます。ジストニアについては後期の授業の中で取り上げます。

左手のためのピアノ曲と聞いてもピンの来ない方も多いと思います。多くのピアノの曲は両手で演奏することを前提に作曲されたていますから、適当に片手で演奏するわけにはいきません。そのため、あらかじめ左手のために作曲された楽曲、あるいは左手だけで演奏できるように編曲されたものを演奏することになります。なかなか想像しにくいとおもいますが、ただ片手で引けばいいというものではなく、成功している方はそんなにいません。今回のような演奏を聴くと、ピアノ曲の場合、音楽の価値は決して両手か、片手で決まるのではなく、音楽自体、演奏自体によっているということが実感できます。響きの豊かさ、そしてなんといっても音楽あるいは音を通して何を伝えようとしているかという気持ちが重要だということがよく理解できます。

智内さんは演奏活動だけではなく、左手あるいは片手で演奏するピアノ曲の楽譜の収集、普及を始め、自身と同じように一方の手がうまく使えないピアニストのための教育にも力を注いでおられます。

今年春にNHKのETV特集(?)で取り上げられました。


さて、今回のリサイタルの前半は智内さんのピアノ独奏。バッハから現代音楽まで幅広く取り上げられていて、常に耳に新鮮な響きが入ってくるような、緊張感のある時間でした。前半で最もすばらしかったのはやはりバッハ。この「シャコンヌ」はヴァイオリンのための独奏曲。17世紀初めに作られた古今の名曲の中でも特に有名な曲で、すでに19世紀にブラームスがピアノで何とか演奏したいと左手用に編曲しています。このブラームスの編曲を基に、20世紀に入って加筆されたものが演奏されました。原曲がもつシンプルではあるが、奥が深く、哲学的な雰囲気が見事に表現されていました。

後半は左手のピアノと弦楽器とのアンサンブル。作曲者は20世紀にドイツ、オーストリア、そしてアメリカで活躍した作曲家です。あまり有名ではありませんが、最近はいろんな演奏会で取り上げられています(来年の名フィル定期でも予定されています)。智内さんは大阪にお住まいのようですが、今回の弦楽器奏者たちはいずれも大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターや首席奏者たち。これまでにも共演を重ねているような感じでしたが、ピアノと弦楽器が取っ組み合っているような激しさがあるかと思えば、優雅なメロディーが奏でられてうっとりさせるような部分もあり、初めて聴きましたがいい曲です。各奏者たちの息もぴったりと合い、生演奏の醍醐味を感じさせてくれました。

ジストニアという病気は楽器演奏家に多く、たぶん練習のしすぎが一因ではないかと思います。しかし、左手のためのピアノ曲はプログラムにも名前が出ているヴィトゲンシュタインというピアニストがきっかけとなり多くつくられるようになりました。今年は第一次世界大戦が始まってちょうど100年目にあたりますが、ヴィトゲンシュタインはオーストリアのピアニストで、第一次大戦に従軍して右手を失います。戦争がいかにむごいものであるかを示していますが、ヴィトゲンシュタインはピアノをあきらめず、左手だけで演奏できる曲をラヴェルを始めとする当時の多くの作曲家に作ってもらったそうです。戦争という惨禍をまねいてはいけませんが、一方でこうした不幸に負けない強さを大いに学びたいと思います。

METライブビューイング:ヴェルディ《マクベス》

毎年紹介しておりますが、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のライブビューイングが開幕しました。世界最高クラスのオペラハウスが、ハイビジョン撮影した舞台を配信し、世界2,000ヶ所の映画館でライブで視聴できます。日本では松竹が配信権をもっているようで、3週間ほど遅れますが、字幕を付けて1週間にわたって上映してくれます。今シーズンの詳細はここで

今年はシェークスピアの生誕450年という節目にあたるということで、ヴェルディ作曲のマクベス、シェークスピアの4大悲劇の1つを基にしたオペラで開幕。先週土曜日から今週金曜日まで、名駅・ミッドランドスクエア・シネマで毎日10時からです。

さて、初日に見に行った《マクベス》、キャストは
マクベス:ジェリコ・ルチッチ(現代を代表するバリトン歌手、マクベスが当たり役)
マクベス夫人:アンナ・ネトレプコ(現代最高のソプラノ歌手)
バンクォー:ルネ・パーペ(現代最高のバス歌手)
マクダフ:ジョゼフ・カレーヤ
指揮:ファビオ・ルイージ(MET首席指揮者、現代を代表するオペラ指揮者)

題名の通り、マクベスが主役ですが、今回はなんといってもマクベス夫人、アンナ・ネトレプコの圧倒的な存在感の光る舞台でした。悪女の代名詞であるマクベス夫人になりきって、野心と欲を丸出しにして夫であるマクベスをけしかけて、良心の呵責にさいなまれ、最後には自滅する人間の心理を迷いなく表現していました。他の歌手たちも超一流がそろい、すべてにおいて期待通りの名演でした。(キャストたちの後の()内は決して誇張ではありません)

全体は4幕構成、第1幕は、スコットランドの武将のマクベスと同僚のバンクォーが戦の後で魔女と出会い、将来を予言されます。マクベスは「国王になる」と言われ、その旨を聞いた夫人は夫をそそのかします。ここで歌われるマクベス夫人のアリア(独唱)と、夫人とマクベスの二重唱が最初の聴き所。二人は自分たちの館に宿泊した国王を手にかけますが、すぐに後悔して再び二重唱で思いを吐露します。マクベス夫人:アンナ・ネトレプコの熱唱・熱演はの多くの方が持っている「オペラ」の概念を覆します。
第2幕では、マクベスは予言通り国王になります。しかし、同僚のバンクォーの息子が将来国王になるという予言を受けて不安になり、バンクォーと息子を暗殺しようとします。息子は逃がすもののバンクォー暗殺は成功。自らの国王即位の祝賀会でバンクォーの亡霊を見ておびえます。オーケストラだけの演奏とともに独唱あり、二重唱あり、合唱ありとオペラの魅力を堪能できます。
第3幕で、マクベスは改めて魔女に会って予言を聞きます。そこではシェークスピアの原作の通り、「女から生まれた者はマクベスを倒せない」、「バーナムの森が動かない限り王位は安泰」と告げられてマクベスは安心します。一方で、再びバンクォーの亡霊が現れます。ここでは魔女たちの合唱や演技が見物。
第4幕の冒頭はマクベスの暴政に苦しむスコットランドの民の合唱。ここはシェークスピアの原作にはないシーンです。リソルジメント(イタリア統一運動)の時期に生き、常に弱者の立場を忘れなかったヴェルディの面目躍如ともいうべき部分です。続いて、マクベスに妻子を殺されたマクダフのアリア。この後、場面は再びマクベスの館にもどります。罪の意識にさいなまれたマクベス夫人は夢遊病を病みます。ここのアリアも聴き所。夫人は狂死(原作ではテラスから飛び降りることになっています)しますが、魔女の予言を信じているマクベスは大きく構えたまま。しかし、女の腹を切り裂いて生まれたというマクダフによって倒され、前国王の息子マルコムが新国王について終幕。

オペラの多くは惚れた腫れたのはなしで、今でいうワイド・ショーネタがほとんど。今回の《マクベス》のような作品はやや異質です。しかし、人間の心理の機微を扱ったという意味では同じかもしれません。このオペラの台本を書いたのはフランチェスコ・ピアーヴェとアンドレア・マッフェイという当時の台本作家ですが、作曲家であるヴェルディの考え、意見がかなり入っています。したがって、音楽のみならず総合芸術としてのオペラ(歌劇)全体がヴェルディの作曲(作品)といってもいいでしょう。シェークスピアの原作を抜粋したストーリーですが、人間心理を描くという点では原作をしのいでいると思います。特に今回の演出は舞台全体を常に暗くして、観る者聴く者の注意を歌手と音楽に集中させるようにしています。この結果、否が応でも一点を見つめて聴き入るという態度にならざるを得ません。字幕付の映画ではありますが、歌手の表情や口元に目をやり、じっと音楽、歌に聴き入ることになります。休憩を入れて約3時間余、濃密な時間でした。

今後のスケジュールなどはここを見て下さい。今年中に上映されるモーツァルト《フィガロの結婚》、ビゼー《カルメン》、さらに年明けのロッシーニ《セビリアの理髪師》はいずれも音楽、ストーリーともにわかりやすい名作。オペラを見慣れない方にも無理なく鑑賞できると思います。

アルゲリッチ 私こそ、音楽!

名古屋・伏見ミリオン座で10月始めから上映されています(もうすぐ終わりかな?)。

監督:ステファニー・アルゲリッチ
マルタ・アルゲリッチ、アルゼンチン生まれのピアニストで、現代の巨匠といってもいいでしょう。1941年生まれ、「ピアノ界の女王」という人もいます。かくしゃくどころか、現役で世界中を飛び回っているようです。

この映画は映画監督でもある彼女の娘が撮ったドキュメンタリー。ただ、音楽家としての芸術活動を追うのではなく、あくまでもプライベートな姿、撮影者にとっての母親である一人の女性を記録するようなタッチでつくられています。アルゲリッチは極端なマスコミ嫌いで知られ、ほとんど取材を受けないそうですから、雑誌などでのインタビューというかたちでもなかなか生の言葉を聞くことはできません。映画中では音楽論というよりも、どのように音楽と向き合っているのかを垣間見ることができる会話も盛り込まれており、ふだんはCDやテレビを通して聴いているだけの音楽家に少し親しみがわきました。

マルタ・アルゲリッチには3人の娘さんがいます。監督を務めた三女のステファニーのほか、3人ともファミリーネームが異なります。いずれも映画中に登場していますが長女・リダ・チェン、次女・アニー・デュトワ。そして、この三女・ステファニーの父親スティーブン・コヴァセヴィッチも。なかなかわかりにくい家族、親子関係で、かなり特殊な人たちかなとも思いますが、プライベートな姿はただの人。決して別世界の人ではありません。

興味のある方は是非。

ロシアのオケによるチャイコフスキー

木曜日、夕方から名古屋・栄の芸術劇場・コンサートホールでワレリー・ゲルギエフ(Valery Gergiev)指揮によるマリインスキー劇場管弦楽団(The Mariinsky Orchestra)の演奏会を聴きました。

マリインスキー劇場は、かつてキーロフ劇場と呼ばれた帝政ロシア時代から続くサンクトペテルブルクにあるロシアきっての歌劇場です。ここのオケはコンサート活動も大せいにこなしているようで、お国もののプログラムを携えてよく来日しています。芸術監督であるワレリー・ゲルギエフは現在世界屈指の指揮者であり、イギリスやアメリカ、オーストリアなどの歌劇場やオーケストラともたびたび共演し、数多くのCDを出しています。ロシアのオケでロシアの音楽を聴いてみたくて行ってきました。

今回のプログラムは
シチェドリン:管弦楽のための協奏曲第1番「お茶目はチャストゥーシカ」
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調『悲愴』
ピアノ独奏:ダニール・トリフォノフ

1曲目の作曲者シチェドリンは現代ロシアの作曲家ですが、国内でも必ずしも評価は高くないとのこと。ただ、ゲルギエフはよく取り上げているようで、彼らのお得意のレパートリーなのでしょう。ロシアに伝わる民話を素材として、民族音楽やジャズなどいろんな要素を詰め込んで、オーケストラの様々な楽器が次々と活躍する楽しい曲です。ただ、プログラムの構成からすると、あくまでも前菜。まずはオケのウォーミングアップというところだったのでしょう。

今回の目的はもちろんチャイコフスキー。この2曲をゲルギエフ/マリインスキーは何度演奏したのでしょうか。たぶんリハなし&暗譜でも演奏できるくらい骨の髄にしみこんでいるのでしょうが、ゲルギエフの棒が文字通りオケを操っているかのごとく、一糸乱れぬ演奏でした。

チャイコフスキーは3曲のピアノ協奏曲を作曲していますが、30台半ばでつくったこの第1番が最も有名です。冒頭のホルンのファンファーレは必ずどこかで耳にしているでしょう。今回は2011年のチャイコフスキー・コンクールで第1位となったロシア期待の若手ピアニスト(1991年生まれで現在23歳)の独奏。チャイコフスキー・コンクールでの本選課題曲はこの協奏曲第1番です。

第1楽章が最も長く、ソナタ形式というしっかりしたつくりになっています。ピアニストの能力が最も問われる部分ですが、トリフォノフはやや硬質ながらも哀愁をおびた音でオケと渡り合いながら、しっかりと自分を主張しているようでした。一転して第2楽章は優雅な始まりで、ピアノもよく歌っていました(音楽用語でカンタービレといいます)。そしてリズミカルな第3楽章では軽やかで楽しげな音で、音が舞っているよう。そして、オケはピアノを決して邪魔することなく、しっかりと下支えしていました。

ピアノという楽器は鍵盤を叩けば音が出ますが、決して誰が引いても同じ音が出るわけではありません。また、ピアニストには曲ごとに、あるいは曲の部分によって音色を変えて演奏することが求められます。CDではなかなか分からなかっただけに、生演奏の醍醐味を味わった気がします。同時に、この曲がそれだけの技術と表現力を要求する難曲だということもよく分かりました。

ソリスト・アンコールはドビュッシーの小品。チャイコフスキーとは違い、繊細で流れるようなタッチが印象的でした。

演奏会終了後、サイン会がありました。ピアニストのトリフォノフはなんと!カタカナで「ダニール」と書いてくれました。たどたどしい字ですが、かわいい。色白でブロンドの好青年です。これからもたびたび来日してくれるでしょうから、追いかけてみたい音楽家がまた一人できました。

休憩後、メインの『悲愴』。
CD
では数え切れないくらい聴き込んでいる曲ですが、生で聴くといろんな発見があります。今まで気がつかなかった音や響きがきこえてきたり、何となくつながりが悪いなと感じていたところが全く気にならなかったり。今回の演奏では全く感じませんでした。今回聴いた席は2階席の前方、ステージ野分に当たる場所で、指揮者を真横から観ることができ、演奏者の多くの顔を見ながら聴いていました。演奏を観ながら聴いていることが重要なのかもしれません。

多くの交響曲同様に4楽章構成ですが、「悲愴」は形式的には一般的な交響曲の枠におさまらない、かなり特殊な曲です。作曲者が標題をつけたこと自体が、当時としては異例。ただ、タイトルの「悲愴」は日本語では非常に悲惨な状況を思い浮かべる言葉ですが、フランス語のPathétiqueの訳語です。ただ、このフランス語もチャイコフスキーが付けたロシア語のタイトルを訳した語。元々のロシア語では「情熱的な」という意味も含んだ言葉のようです。したがって、ただ「悲しい」曲ではなく、第1楽章や第3楽章での金管楽器を中心とした迫力のあるフレーズや木管楽器と弦楽器が激しくやり合う場面などむしろ興奮させられます。

この曲の中で最も「悲愴」なのは第4楽章。ただし、普通は明るく、華々しい雰囲気をもつ楽章ですが、「悲愴」では第3楽章にその役が当てられています。一般的には舞曲調あるいは緩徐なテンポでつくられることが多い第3楽章は、この曲では後半が行進曲風で、初めて聴くとここで曲全体が終わるかのように締めくくられます。そして、この後にもの悲しく始まる第4楽章が続き、慟哭のように激しくなった後、息絶えるかのように終わります。この第3,第4楽章の並び方がこれまでどうしてもしっくりしませんでした。しかし、今回の演奏を聴き、やはり第4楽章がここになければならないということがはっきりと分かりました。第3楽章と第4楽章が全く切れ目なく演奏され、また、第4楽章の表現が見事でした。指揮者・ゲルギエフの振り方も第4楽章だけ別の曲であるかのようにかわりました。ホール全体を包む緊張感はこれまで体験したことがないくらいでした。


名フィル定期(第416回):ドヴォルザーク・ピアノ協奏曲とマルティヌー・交響曲第1番

日本もヨーロッパも夏はシーズンオフ。8月は定期演奏会はお休みで、先週9月定期から再開されました。今月のテーマは
「チェコの1番」
プログラムは
スメタナ:歌劇『売られた花嫁』序曲
ドヴォルザーク:ピアノ協奏曲
マルティヌー:交響曲第1番
指揮:円光寺雅彦
ピアノ独奏:スティーブン・ハフ
でした。

チェコは昔から音楽どころとして有名だったようで、モーツァルトもプラハに何度か足を運び、大喝采を浴びました。現在もチェコ・フィルハーモニー交響楽団やプラハ国立歌劇場など有名な演奏団体が数多くあります。作曲家で有名なのはなんといっても、今回のプログラムにも入っているドヴォルザークでしょう。19世紀に活躍した作曲家ですが、交響曲第9番『新世界から』で有名です。この他、交響組曲『我が祖国』で有名なスメタナ、村上春樹の小説で有名になったヤナーチェクなどが知られています。

今回はマルティヌーという20世紀の半ばに活躍した作曲家の交響曲第1番がメインです。非常にマイナーな作曲家ですが、多作だったようで、協奏曲やバレエのための音楽なども書いています。チェコ生まれですが、若くしてパリに渡り、第2次大戦前にその言動がナチスににらまれたようで、迫害を逃れてアメリカに渡ります。この後の10年あまりが創作活動の絶頂期のようですが、今回演奏された交響曲第1番もちょうどこの時期の作品。戦争の影響なのか、全体に明るいとはいえない曲調です。特に第3楽章が胸を打ちます。死者への追悼なのか、悲劇に対する慟哭なのか測りかねますが、今きく我々にも過去の悲劇を繰り返してはならないという言葉がきこえてくるかのようでした。

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世紀の音楽はずっと「現代音楽』といわれ続けてきました。どの時代でも、同時代につくられれば『現代音楽』ですが、我々は、現代以前、つまり18、19世紀のメロディー中心の音楽を知っているだけに、現代音楽はなかなか入りにくいところがあります。マルティヌーも6曲の交響曲をつくっており、交響曲全集を買って事前に一通り聴いてみましたが、今回演奏された1番を含めて、口ずさめるメロディーはほとんどなく、楽器の組み合わせによるいろんな響きや、楽器独自のいろんな音の並びかたに特徴があります。映画音楽のような雰囲気を想像してもらえればいいと思います。今回のような機会がないと、聴こうかなとは思わないかもしれません。

今回の演奏会の目玉はやはりピアノ協奏曲と独奏者でしょう。
スティーブン・ハフ(Stephen Hough)は今回初めて耳にする名でしたが、すでにCDを50枚以上リリースしているそうで、母国イギリスでは「20人の現代の博学者」(エコノミスト誌)に選ばれるなど、ピアニストとしてだけではなく、作曲家、としても知られているようです。事前に5枚組のCDを買って演奏具合を聞いてみたのですが、あまり特徴がないかなという印象でした。しかし、生の演奏を観て、聴いてみると、大げさな身振りもなく、情に流されずにピアノという楽器と正面から向かい合って、真摯に音楽をつくっていると感じました。ドヴォルザークの音楽は非常に情緒的で美しいメロディをいかに歌うかがポイントだと思うのですが、感情的な表現ではなく、知的な表現の美しさが印象的でした。

彼のような人を英国紳士というのでしょうか、演奏は知的で冷静、舞台への出入りの際の歩き方にも隙がない。一方で、終演後にはサイン会に応じてくれ、それも、イスに座ってサインするのではなく、ちゃんと立って。その代わり一緒に写真を撮って欲しいと頼むと気軽に肩を組んでくれる気さくさ。かっこいいですね。

名フィル定期(第415回):ショパンピアノ協奏曲

少し間が空いてしまいましたが、今月の名フィル定期は
「ロシアとポーランドの1番」
と題して
プロコフィエフ:交響曲第1番『古典交響曲』
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番(ナショナル・エディション)
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲
指揮:ミハウ・ドヴォジンスキ
ピアノ独奏:小山実稚恵
でした。

暑い日でしたが、指揮者のドヴォジンスキはポーランド人、現在山形交響楽団の客演指揮者も勤めているとのことですが、名古屋の夏はどう感じたのでしょうか?

最初のプロコフィエフは1891年生まれのロシア人、ロシア革命の前後にいったんアメリカに出国をしますが、その後ソ連に戻って活躍します。
『古典交響曲』は作曲者26歳の時に作られた曲で、当時ハイドンなどを集中的に勉強していたのか、古典派の作曲家が20世紀に交響曲をつくったらこうなるだろうなどと考えて作曲したそうです。全体には舞曲のようなリズミカルな調子で、若々しさがあふれているようです。後に、プロコフィエフは『ロメオとジュリエット』というバレエ音楽を作曲しますが、この中に一部をアレンジして使っています。

プロコフィエフが26歳ということは、1917年。初演は翌年で、ちょうどロシア革命のまっただ中です。ろくに歴史を勉強せずに『ロシア革命』=暴力と破壊というイメージを持っている人が多いようですが、こんな明るくて躍動的な音楽がつくられていたわけですから、ジョン・リードの『世界を揺るがした10日間』で描かれているように、全体としては平穏に進んだことがよく分かります。

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曲目のショパンと3曲目のルトスワフスキは指揮者と同じポーランドの作曲家。
ショパンはあまりにも有名ですから説明の必要もないと思いますが、1810年生まれで、20歳の時にパリへ行き、その後ふるさとに帰ることなく39歳で亡くなりました。作曲した曲のほとんどがピアノの独奏曲。純粋のオーケストラ曲は1曲もなく、ピアノ協奏曲も2曲だけ。

今回演奏されたピアノ協奏曲第1番はワルシャワの音楽学校時代に作曲され、パリへ出る直前に自身のピアノ独奏で初演しています。ピアノ協奏曲はもう1曲あります(第2番)が、作曲順は第1番のほうが後です。ショパンがつくっただけにピアノパートが非常に目立ち、ついついピアノに耳がいってしまう曲です。もちろん、オケのパートにも聴き応えのあるソロがちりばめられ、特に第2楽章のファゴットのソロは聴き所。全体に、後年のショパンの曲にも共通する哀愁や寂寥が感じられる名曲です。

今回のシリーズの大きなテーマは「ファースト」です。第1番というだけでなく、このショパンの協奏曲では、楽譜も「ファースト」が使われています。実は、ショパンが亡くなった後でオーケストラパートには別人がかなり手を加えていたようで、最近の研究で、ショパンが作曲した当時の楽譜がほぼ再現され(ナショナル・エディション)、現在はこの原典版ともいうべき楽譜を使った演奏が増えているそうです。

今回の演奏会(7月26日)の前半2曲の演奏中には頻繁に携帯電話が鳴り、かなり集中をそがれました。たぶん、演奏者も同様だったでしょう。ピアニストはがんばっていたのですが、オケの演奏には首をかしげたくなる部分が散見されました。特に管楽器がうまく合わず、いつもの名フィルらしくない演奏でした。
途中の休憩中には聴衆の方が全体に対して注意を促す場面もありました。尊敬

そのおかげか、後半のルトスワフスキは非常に緊張感のある(オケだけではなく、聴衆も)、引き締まったいい演奏でした。聴衆の意気に、オケが堪えようとしていることがよく分かりました。これこそ、地域のオケ、ステージの上と下が一体となって演奏会をつくっているという感じがします。

名フィル定期(第414回):打楽器協奏曲とニールセン

今月の名フィル定期は
ビゼー:劇音楽『アルルの女』第1組曲
ホルト:打楽器協奏曲『騒音の卓』(日本初演)
ニールセン:交響曲第1番ト短調
ポストリュードで、細川俊夫:想起~マリンバのための

打楽器独奏:コリン・カリー
指揮:ティエリ―・フィッシャー

マイナーなプログラムの割にはお客さんの入りも悪くなく、実力とともに集客努力の成果が実っているようです。途中休憩時間に打楽器ソリストのサイン会もあり、プログラム後の「ポストリュード」もあり、盛りだくさんのコンサートでした。

アルルの女は有名な『ファランドール』や「メヌエット」(フルート独奏付)を含む第2組曲ではなく、マイナーついでではないのでしょうが、第一組曲。しかし、アルトサックスのソロを堪能。サックスはジャズや吹奏楽ではおなじみですが、オケでもフランスものなどにたまに入っています。須川展夫などに代表されるクラシック・サックスの甘く、かつ、渋い音色にはついうっとりさせられます。

打楽器協奏曲は初体験ですが、冒頭でボンゴ?を叩きながらホイッスルを吹いて始まったのには驚きました。題名ほど賑やかではなく、むしろいろんな打楽器の響きを楽しむような曲です。この曲は今回のソリストであるコリン・カリーのためにつくられたそうで、初演は前回指揮をした名フィル常任指揮者のマーティン・ブラビンス。したがって、常任指揮者の強い引きで実現したプログラムだと思います。もちろん、ティエリ―・フィッシャーも現代物は得意としており、この曲を指揮した経験もあるようです。

この曲の編成は現代音楽らしく変則的で、弦楽器はヴィオラ、チェロ、コンバス。ヴァイオリンはなく、普通、1stヴァイ、と2ndヴァイがいる場所にマリンバを始めとする打楽器が並びます。管楽器は、ピッコロ2本が両脇で立ち上がってソリストのように演奏し、フルート1本、オーボエ2本、クラリネット1本+バスクラリネット、ファゴット+コントラファゴット、金管楽器はホルン、トランペット、トロンボーン3本ずつにテューバ、さらに通常の打楽器の位置にシロフォン2,グロッケンシュピール2、ホープにチェレスタ。大切な独奏打楽器はとても全部かけません。中心はシロフォン(要するに木琴です)、その横にテーブルを置いて、いろんな楽器が置かれていて、後半でカデンツァのような部分で使われていました。

曲はオケだけで演奏する小曲をいくつか挟んで10曲からなり、シロフォンを中心にいろんな打楽器に関わる技巧を楽しむことができます。

メインのニールセンはフィッシャーの特異とする作曲家。ニールセンは交響曲を6曲つくっていますが、これで3曲目。かなりマイナーな作曲家だけに、ライブでの全制覇はきっと偉業ですが、ひょっとすると達成できるかも(^^)

ニールセンはデンマーク史上最高の作曲家とのこと、お札にも印刷されたことがあるそうです。1865年生まれ、亡くなったのは1931年。今回の交響曲第1番は作曲者にとって初めての本格的なオーケストラ曲のようで、1894年に初演されています。後半生につくられて交響曲5番、6番などは戦争体験を経ているためか、かなり暗く内向的ですが、この第1番は明るく快活です。同じ北欧・同い年のシベリウスほど寒くありません。管楽器のソロなどが活躍するのではなく、弦楽器を中心にアンサンブルを聴かせるタイプの曲です。今日の演奏は、フィッシャーらしく輪郭がはっきりとしていて、音の強弱もはっきりと付いたわかりやすい演奏でした。全体に奥行きのある響きをつくりだしていて聴き応えがありました。最近、弦セクションの音が分厚くなってきていますが、弦楽器がトゥッティで鳴らしているところに管楽器が入ってくるところなどでの音量のバランスが非常にうまくとれていて、ただ大きくならしているだけではなく、互いによく聴き合っているのがよく分かりました。また、第1楽章はかなり音量が大きくなり盛り上がって終わるのですが、ホール全体が鳴っているかのような響き。非常に満足です。

シーズンが変わったからか、弦、特にヴァイオリンの人の座る席がだいぶ替わっています。全体として若手が前に来ていて、ヴェテランが後。一般的にはうまい人から前のほうに座るのですが、世代交代を考えているのかもしれません。

来月は『ポーランドの1番』、有名なショパンのピアノ協奏曲第1番のオリジナル版が聴けます。独奏は日本を代表するショパン弾きである小山実稚恵です。

バッハ:オリジナル楽器による管弦楽組曲

今週はラ・プティット・バンド(La Petite Bande)というオーケストラを聴きました。このオケは30数年前に、ルイ14世の宮廷におけるオーケストラを再現することを目的に結成されています。使う楽器や編成、演奏方法などはできる限り当時を再現し、17世紀のフランス音楽を演奏していたそうです。徐々にレパートリーを拡大し、現在はベルギーを拠点に世界最高のバロック音楽のためのオーケストラとして活動しています。

今回は定評のあるバッハのオーケストラ曲から
管弦楽組曲全4曲とブランデンブルク協奏曲第5番
という5曲。全体で2時間を越える演奏、単調な繰り返しのようにもきこえる音楽ですが、飽きることなく引き込まれました。

題名だけではなかなか親しみを持ってもらえそうにないのですが、管弦楽組曲第2番第2曲《アリア(またはエール)》は、よく知られている「G線上のアリア」の原曲です。また、管弦楽組曲第4番の終曲やブランデンブルク協奏曲第5番もよくBGMなどで使われいます。

古楽器、またはオリジナル楽器については以前にも紹介をしました(例えばここ)が、16世紀~18世紀のその曲が作られた当時に使われていた、つまり作曲家が想定した楽器をさします。ヴァイオリンなどは見た目は基本的には今も変わりませんが、弦や弓、奏法は大きく異なります。木管楽器はキーが少なく、金管楽器はバルブが全くありません。したがって、指使いや音の出し易さという点では圧倒的に難しいはずです。音色も全体として柔らかみや暖かみに欠き、弦楽器などはガット弦(ヒツジの腸でできています。gut=腸)を使っていることもあり、特に金属的な響きを感じます。音量も小さめで、音に広がりがありません。編成も各パート1~2人程度、今回も最も大きな編成でも20人足らず、現在一般に利用される大ホールでの演奏には不向きです。

今回は、弦楽器はヴァイオリンが2パート、ヴィオラ、バッソ・デ・ヴィオロン(Basse de violon、ほぼチェロと同型、同音域の楽器です)、ブランデンブルク協奏曲のみヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ(Viooncello da Spalla、ヴィオラとチェロの中間くらいの大きさで、肩から提げて演奏)が加わります。ヴァイオリンのみ各2人で後はほぼ一人ずつ。弦楽アンサンブルのような編成で、音量はありませんが、迫力を感じました。木管楽器は曲によって編成が様々ですが、オーボエ、ファゴット、フルート。いずれも渋い音で、弦楽器の音とよく調和します。全体に、飾り気がなく自然で、優しさを感じました。そして、管楽器はもちろん、弦楽器も一つ一つの楽器が出す音を別々に聴き取ることができ、文字通り、一人一人の奏者の息づかいを感じらる演奏でした。

先週も名フィル定期は、19世紀後半から現在にかけての音楽、大ホールの舞台に所狭しと並び、pppからfffまで幅広いダイナミックスレンジを生かして訴えかけてくる音楽でした。一転してバッハは小編成で、音量の幅はほとんどなく、どちらかというと淡々と音が並んでいく音楽。向こうから感情に訴えてこない代わりに、こちらが十分に咀嚼すればいろんな味を楽しむことができるような気がします。

今回の公演で配られたパンフレットには、なんと楽団からカンパを訴えるチラシが入っていました。これまでベルギー政府から援助を受けて活動を続けていたようですが、これが打ちきられるとのこと。日本ではよく聞く話で、文化行政の貧弱さ=大規模開発や軍事費に余計なお金を使っている情けなさを痛感しますが、まさかヨーロッパの国でクラシック音楽に対する援助に大ナタを振るわれているとは驚きでした。文化や教育は直接利益を生むわけではありません。しかし、ここにどれだけの投資をするかは、その社会のもつ『力』を示していると思います。日本はもちろん、ヨーロッパの多くの国々にこの『力』がないとはとても思えません。残念です。

名フィル定期(第413回):マーラーの1番

先週末に行われた今月の名フィル定期は「マーラーの1番」と題して常任指揮者であるマーティン・ブラビンスの指揮で
ピッカード:16の日の出(委嘱新作・世界初演)
マーラー:花の章
ヴォーン・ウィリアスム:バス・テューバ協奏曲ヘ短調
マーラー:交響曲第1番ニ長調『巨人』
テューバ独奏:林裕人(名フィル奏者)
というプログラムでした。

ブラビンスは昨シーズンも高い水準の演奏を聴かせてくれ、常任指揮者として来てくれてよかったなと感じていたのですが、今回は私がこれまでに聴いた名フィルのコンサートの中でも最高です。もちろん、メインであるマーラーがすばらしかったのですが、バステューバ協奏曲もソリスト共々、世界水準ではないか思うほどの名演でした。

冒頭の新作の演奏の前に、《プレリュード》と題して作曲者自身の簡単な解説がありました。まさにprelude。作曲者のピッカードは指揮者・ブラビンスとは深い交流があるそうで、わざわざ名フィルのために新作をつくってくれたようです。彼は宇宙に非常に興味があるらしく、スペースステーションが90分で地球を一周し、一日に16回の日の出を体験することになるということをテーマに今回の曲を作曲したとのこと。それぞれを具体的に描いているわけではありませんが、神秘的な導入部、弦楽器のロングトーンの中での響く管楽器、そして何よりも多彩な打楽器の活躍。宇宙からの日の出だけではなく、地球がどんな風に見えているのかをいろんな想像をかき立ててくれました。

ブラビンスはこれまでイギリスのオケを中心に指揮して、50枚以上のCDを出しています。その多くは現代音楽、決して広く親しまれているわけではないジャンルを積極的に取り上げていることが今回の新作委嘱に結びついているのでしょう。

『クラシック音楽』もかつては「新作」を常に楽しんでいたのですが、いつの間にか「旧作」ばかりがプログラムに並ぶようになってしまいました。しかし、芸術が「新たな価値の創造」であるのなら、やはり新作が常につくられ続けていることがその分野の発展に欠かせないと思います。また、オーケストラという芸術団体にとっても、自分たち独自の価値を生み出していく上でも、自分たちのための曲というものは必須でしょう。

さて、今回はテューバという、珍しい楽器のための協奏曲が取り上げられました。楽器自体はご存じの方も多いと思います。しかし、どんな音がして、オケや吹奏楽ででどのようにはたらいているのかはなかなか知られていないでしょう。吹奏楽をやっていた方は分かると思いますが、ロングトーンや刻みの強拍を鳴らすことの多い楽器で、ほとんどソロはありません。したがって、テューバの独奏ときいてもぴんとこないのではないでしょうか。事実、テューバの協奏曲はほとんどなく、今回演奏されたヴォーン・ウィリアスムの協奏曲がその草分け、初演は1954年だそうですから、ほんのつい最近です。

冒頭はオケがオリエンタルな響きで始めますが、テューバ独特の丸く暖かみのある音で奏でるメロディーは心を和ませてくれます。また、あの大きな楽器でもこれだけできるのかという細かな動き。楽器の魅力と能力を十二分に引き出した名曲です。ソロを演奏した林は1990年生まれ、経歴を見ると中学校でテューバを始めたようです。もちろん吹奏楽でしょう。東京芸大在学中に21歳で名フィルの団員に。名フィル史上最年少の入団。天才といっていいのでしょう、将来が楽しみです。

さて、メインはマーラー。今回の『巨人・Titan』は表題が付いていることもあり、マーラーのつくった交響曲の中では有名で、演奏頻度も高い曲です。元々は5楽章の交響詩として構想され、前半に演奏された「花の章」が第2楽章に緩徐楽章として入っていました。最終的にこの部分を割愛して、緩徐楽章抜きの4楽章の交響曲というかたちでまとめられました。交響曲第1番は比較的若い時期に作曲されたということもあり、後期の暗く「死」を予感させる雰囲気はなく、どちらかというと、快活でユーモアも感じさせます。フィナーレも華々しく、終わった瞬間に「ブラボー」と自然に叫べるところも人気が理由でしょう。今回の名フィルの演奏もまさに「ブラボー」、割れるような拍手でした。

弦楽器の響きとマーラー独特のニュアンスがみごと。すべてのプレーヤーが指揮者の棒に操られているかのように一心同体となって音楽を紡ぎ出し、聴衆の心を完全につかんでいました。木管楽器も随所にソロがあり、みごと。また、短いメロディーを楽器を変えながらつなげていく部分では実にスムーズに音が流れ、お互いによく聴き合いながら演奏している様子が見て取れました。そして何よりもすばらしいのが金管楽器、特にトランペットとホルン。首席奏者はいずれも20代後半から30代前半で、国内ではこの世代を代表するプレーヤーです。前半の「花の章」ではトランペットのソロが醸し出す哀愁に聴き惚れましたが、「巨人」では力強く、かつ華々しく鳴り響き、また、ホルンは森でこだまする狩猟ホルンのような響きから7人が立ち上がって吹き鳴らす大音量まで、醍醐味を味わわせてくれました。