名フィル第486回定期
2021/01/25 格納先: 音楽の話題
緊急事態宣言下ではありますが、1月22、23日に行われました。土曜日に行きましたが、以前のように1席おきに着席するということにはなっていませんが、客席はかなり空いていました。やむを得ないとはいえ、オンライン配信などいろいろな工夫によって広く伝えられなかったのが残念です。財政的な援助や人的な支援が必要です。
今回は〈変容〉と題して、
テーマである〈変容〉とは、作曲者であるベートーヴェン自身が、自ら作曲したヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲したことを指しています。原曲は数あるヴァイオリン協奏曲の中でも名曲中の名曲。名フィルでは第441回定期で聴きました。CDも多数リリースされ、Youtubeでも簡単に見つけられるはずですから、ぜひ一度聴いてください。
さて、今回演奏されたピアノ協奏曲版は、ヴァイオリン協奏曲の成功もあって友人たちから勧められて編曲し、1年後には初演されています。独奏パートは、右手でヴァイオリンの旋律をほぼそのまま演奏し、左でが伴奏を付ける程度で、おそらくピアノ曲としてはそれほど難しくはないでしょう。しかし、オーケストラとのアンサンブルでの音色の対比はヴァイオリン協奏曲にはない魅力です。また、各楽章の後半に置かれた、カデンツァではピアノのために書かれた部分で、この曲の一番の聴きどころです。
独奏の北村はこれまで名フィル定期で2回聴いています(第359回でモーツァルトのピアノ協奏曲第9番、第369回でラヴェルのピアノ協奏曲)。春日井市出身で、名古屋の明和高校の卒業生です。記録を読み返すと、経験を積んだ後に表現力を求められるベートーヴェンを聴いてみたい、などと偉そうなことを書いています。10年を経て、このときの期待が現実のものになりました。もともと才能があるとはいえ、しっかりと精進した証でしょう。
北村のピアノは非常に優しく丸い音で、非常にロマンティックな演奏でした。時として蠱惑的な響きを感じました。演奏中に見せるややヒネたようなしぐさとも相まって、一夜でファンになった方もいたのではないでしょうか。それほど演奏頻度の多角はない今回の曲を掌中のものとし、オケの音をよく聴き、互いをよくわかりあった演奏だったと思います。次はブラームスやシューマン、あるいはプロコフィエフやバルトークなども聴いてみたい。
後半は、ともにポーランド出身の作曲家の作品です。〈変容〉がどこに生きているのか不明ですが、パヌフニクは1914年生まれ、ルトスワフスキは1913年生まれで、ともに90年代はじめになくっています。激変のポーランドを生き抜いたなかでは、人生も、そして編みだす音楽も〈変容〉せざるを得なかったことでしょう。
パヌフニクの曲を取り上げるのは、名フィルでは初めてのこととか。『カティンの墓碑銘』はパヌフニクの曲の中ではよく知られているようで、初演第二次大戦中のポーランド人捕虜の虐殺事件の犠牲者への追悼でもあり、作曲当時にナチスによるとされていたことから、全体主義への警鐘の意味も込められた曲です(その後の研究で、スターリンの命によってソ連軍によって実行されたことがわかっている)。
ヴァイオリンの高音を弱音で奏でることから始まり、木管楽器、そして弦楽器と重なっていくメロディーは、音楽というよりも、死者たちの語りに聞こえました。それは、悲しみであると同時に、思い出でもあり、さらには生き残った者たちへの励ましかもしれません。全体の音量は徐々に増していきますが、決して快活になることはなく、最後になにか考えることを求めて終わります。いわゆる現代音楽でもあり、口ずさめるようなメロディーはありません。しかし、全体の印象として心に残る曲であり、演奏でした。
メインの『管弦楽の協奏曲』もルトスワフスキの代表作。ハープ2台、ピアノにチェレスタ、打楽器も6人を要する大編成で、ポーランドの民族音楽のフレーズを取り入れながらも、あくまでのオーケストラの曲として、特に各楽器の特徴を楽しめるように作曲されています。音量もあり、どうしても打楽器に目が行きますが、今回の演奏では弦楽器がすばらしい。パートとしてまとまって、あるいは主席あるいは二人、三人、四人ごとに細かく演奏スタイルが支持されているようです。細かな音符を合わせるのは、プロとはいえそんなに簡単なことではないはずですが、ぴったりと合っていました。もちろん、管楽器の妙技の聴きどころです。
後半の作曲者二人は同世代ということもあり、互いに交流があったそうです。また、今回の指揮者・尾高は日本を代表する指揮者の一人ですが、父親の尾高尚忠は作曲家として著名で、パヌフニクとは交際があったそうです。そのような縁からの選曲かもしれません。
今回は〈変容〉と題して、
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲ニ長調(作曲者自身がヴァイオリン協奏曲を編曲)
パヌフニク:カティンの墓碑銘
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲
ピアノ独奏:北村朋幹
指揮:尾高忠明
テーマである〈変容〉とは、作曲者であるベートーヴェン自身が、自ら作曲したヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲したことを指しています。原曲は数あるヴァイオリン協奏曲の中でも名曲中の名曲。名フィルでは第441回定期で聴きました。CDも多数リリースされ、Youtubeでも簡単に見つけられるはずですから、ぜひ一度聴いてください。
さて、今回演奏されたピアノ協奏曲版は、ヴァイオリン協奏曲の成功もあって友人たちから勧められて編曲し、1年後には初演されています。独奏パートは、右手でヴァイオリンの旋律をほぼそのまま演奏し、左でが伴奏を付ける程度で、おそらくピアノ曲としてはそれほど難しくはないでしょう。しかし、オーケストラとのアンサンブルでの音色の対比はヴァイオリン協奏曲にはない魅力です。また、各楽章の後半に置かれた、カデンツァではピアノのために書かれた部分で、この曲の一番の聴きどころです。
独奏の北村はこれまで名フィル定期で2回聴いています(第359回でモーツァルトのピアノ協奏曲第9番、第369回でラヴェルのピアノ協奏曲)。春日井市出身で、名古屋の明和高校の卒業生です。記録を読み返すと、経験を積んだ後に表現力を求められるベートーヴェンを聴いてみたい、などと偉そうなことを書いています。10年を経て、このときの期待が現実のものになりました。もともと才能があるとはいえ、しっかりと精進した証でしょう。
北村のピアノは非常に優しく丸い音で、非常にロマンティックな演奏でした。時として蠱惑的な響きを感じました。演奏中に見せるややヒネたようなしぐさとも相まって、一夜でファンになった方もいたのではないでしょうか。それほど演奏頻度の多角はない今回の曲を掌中のものとし、オケの音をよく聴き、互いをよくわかりあった演奏だったと思います。次はブラームスやシューマン、あるいはプロコフィエフやバルトークなども聴いてみたい。
後半は、ともにポーランド出身の作曲家の作品です。〈変容〉がどこに生きているのか不明ですが、パヌフニクは1914年生まれ、ルトスワフスキは1913年生まれで、ともに90年代はじめになくっています。激変のポーランドを生き抜いたなかでは、人生も、そして編みだす音楽も〈変容〉せざるを得なかったことでしょう。
パヌフニクの曲を取り上げるのは、名フィルでは初めてのこととか。『カティンの墓碑銘』はパヌフニクの曲の中ではよく知られているようで、初演第二次大戦中のポーランド人捕虜の虐殺事件の犠牲者への追悼でもあり、作曲当時にナチスによるとされていたことから、全体主義への警鐘の意味も込められた曲です(その後の研究で、スターリンの命によってソ連軍によって実行されたことがわかっている)。
ヴァイオリンの高音を弱音で奏でることから始まり、木管楽器、そして弦楽器と重なっていくメロディーは、音楽というよりも、死者たちの語りに聞こえました。それは、悲しみであると同時に、思い出でもあり、さらには生き残った者たちへの励ましかもしれません。全体の音量は徐々に増していきますが、決して快活になることはなく、最後になにか考えることを求めて終わります。いわゆる現代音楽でもあり、口ずさめるようなメロディーはありません。しかし、全体の印象として心に残る曲であり、演奏でした。
メインの『管弦楽の協奏曲』もルトスワフスキの代表作。ハープ2台、ピアノにチェレスタ、打楽器も6人を要する大編成で、ポーランドの民族音楽のフレーズを取り入れながらも、あくまでのオーケストラの曲として、特に各楽器の特徴を楽しめるように作曲されています。音量もあり、どうしても打楽器に目が行きますが、今回の演奏では弦楽器がすばらしい。パートとしてまとまって、あるいは主席あるいは二人、三人、四人ごとに細かく演奏スタイルが支持されているようです。細かな音符を合わせるのは、プロとはいえそんなに簡単なことではないはずですが、ぴったりと合っていました。もちろん、管楽器の妙技の聴きどころです。
後半の作曲者二人は同世代ということもあり、互いに交流があったそうです。また、今回の指揮者・尾高は日本を代表する指揮者の一人ですが、父親の尾高尚忠は作曲家として著名で、パヌフニクとは交際があったそうです。そのような縁からの選曲かもしれません。
名フィル第九演奏会
2020/12/23 格納先: 音楽の話題
年末恒例となっているべートーヴェンの交響曲第9番の演奏会が、12月18、19日にありました。例年であれば、11月くらいから各地で行われていますが、残念ながら今年はその多くが中止となっています。有名な第4楽章の合唱はアマチュアでも十分に歌えることもあり、第九のためのアマチュア合唱団もあります。愛知県内だけでも10回以上開かれていたのではないでしょうか。オケはかなり難易度が高く、アマチュアでやろうとすると半年がかり。名フィルも毎年数回は演奏し、良い収入源になっていたはず。
土曜日の演奏会に行きました。合唱は例年はアマチュアの愛知県合唱連盟が百人以上の大編成を組むのですが、今年は東京混声合唱団というプロの合唱団に変更され、各パート7名ずつの合計28名という小編成でした。合わせてオケも1st ヴァイオリンが10名と、かなり小さな編成での演奏会でした。
合唱は通常はオケと同じ舞台上で、オケの後ろにひな壇を組んで載りますが、今回はステージ後方の客席に間隔をかけて整列。したがって、2回後方座席はチケットが販売されませんでした。それ以外の席はほぼ満席。演奏中に声を出すこともないため、演奏前後に気をつければ、会場名で何かが怒る心配はないでしょう。
さて、楽曲の解説のようなことはいろいろなところで論じられているため、わざわざ素人が語ることもありません。最近の演奏、特に若い指揮者は、必要以上に解釈したコッテリ濃厚よりも、できるだけ楽譜に忠実に、できるだけ作曲当時のスタイルに近い響きを求める傾向にあります。今回も、弦楽器があまりビブラートをかけず、管楽器も楽譜の指示に忠実にしたがっていたような気がしました。
そのためか、各楽器の音が非常によく聴こえ、同時に小編成ゆえにか、室内楽のような響きでした。特に、弦楽器は響きに透明感があり、その上に管楽器の音がよく乗っているように感じました
しかし、最も印象的だったのはティンパニ。楽譜の指示は他のパートと同じフォルテやフォルテッシモであっても、大きく響いていました。これらは指揮者の指示でしょうか。特に第2楽章では、自らの存在を誇示するかのような演奏でした。作曲者の意図もそこにあるのかもしれませんが、初めて聴いた人が後で他の演奏を聴くと、これまた驚くかもしれません。同様に、ティンパニと被ることの多いトランペットもよく響いていました。ベートーヴェンの時代とは楽器が違いますから、より明るく際立っていました。
注目の第4楽章は、オケと合唱が離れているにもかかわらず、完全に一体になって聴こえてきました。これまで聴いた演奏では、今から思うと、合唱に迫力はあるもののオケの上に乗っているだけ。これほどまでに合唱とオケの一体感を感じた演奏は今までにありません。今回にかける意気込みもあるでしょうが、やはりプロゆえの音楽に対する理解の深さ、あるいはこれがアンサンブルということなのでしょうか。
聴衆も皆さん大いに満足されていたのではないでしょうか。演奏終了後の拍手もいつもよりも大きかったのですが、一旦オケが舞台袖に戻った後も拍手が続き、改めて全員が整列することに。このような経験も初めてです。(ここを参考=> https://digital.asahi.com/articles/DA3S14740823.html?iref=pc_rensai_long_61_article)
ところで、今回一際目立っていたティンパニですが、譜面台も見当たらなかったし、譜面のページをめくっている様子もなかった。もしかして暗譜で演奏していたのか? Bravissiomo!!!
土曜日の演奏会に行きました。合唱は例年はアマチュアの愛知県合唱連盟が百人以上の大編成を組むのですが、今年は東京混声合唱団というプロの合唱団に変更され、各パート7名ずつの合計28名という小編成でした。合わせてオケも1st ヴァイオリンが10名と、かなり小さな編成での演奏会でした。
合唱は通常はオケと同じ舞台上で、オケの後ろにひな壇を組んで載りますが、今回はステージ後方の客席に間隔をかけて整列。したがって、2回後方座席はチケットが販売されませんでした。それ以外の席はほぼ満席。演奏中に声を出すこともないため、演奏前後に気をつければ、会場名で何かが怒る心配はないでしょう。
さて、楽曲の解説のようなことはいろいろなところで論じられているため、わざわざ素人が語ることもありません。最近の演奏、特に若い指揮者は、必要以上に解釈したコッテリ濃厚よりも、できるだけ楽譜に忠実に、できるだけ作曲当時のスタイルに近い響きを求める傾向にあります。今回も、弦楽器があまりビブラートをかけず、管楽器も楽譜の指示に忠実にしたがっていたような気がしました。
そのためか、各楽器の音が非常によく聴こえ、同時に小編成ゆえにか、室内楽のような響きでした。特に、弦楽器は響きに透明感があり、その上に管楽器の音がよく乗っているように感じました
しかし、最も印象的だったのはティンパニ。楽譜の指示は他のパートと同じフォルテやフォルテッシモであっても、大きく響いていました。これらは指揮者の指示でしょうか。特に第2楽章では、自らの存在を誇示するかのような演奏でした。作曲者の意図もそこにあるのかもしれませんが、初めて聴いた人が後で他の演奏を聴くと、これまた驚くかもしれません。同様に、ティンパニと被ることの多いトランペットもよく響いていました。ベートーヴェンの時代とは楽器が違いますから、より明るく際立っていました。
注目の第4楽章は、オケと合唱が離れているにもかかわらず、完全に一体になって聴こえてきました。これまで聴いた演奏では、今から思うと、合唱に迫力はあるもののオケの上に乗っているだけ。これほどまでに合唱とオケの一体感を感じた演奏は今までにありません。今回にかける意気込みもあるでしょうが、やはりプロゆえの音楽に対する理解の深さ、あるいはこれがアンサンブルということなのでしょうか。
聴衆も皆さん大いに満足されていたのではないでしょうか。演奏終了後の拍手もいつもよりも大きかったのですが、一旦オケが舞台袖に戻った後も拍手が続き、改めて全員が整列することに。このような経験も初めてです。(ここを参考=> https://digital.asahi.com/articles/DA3S14740823.html?iref=pc_rensai_long_61_article)
ところで、今回一際目立っていたティンパニですが、譜面台も見当たらなかったし、譜面のページをめくっている様子もなかった。もしかして暗譜で演奏していたのか? Bravissiomo!!!
名フィル第485回定期
2020/12/14 格納先: 音楽の話題
年の瀬も押し迫ってきましたが、今月は定期演奏会と「第九演奏会」の2回のコンサートがあります。
今シーズンの定期演奏会は「生誕250年記念、トリビュート・トゥ・ベートーヴェン」シリーズとして、ベートーヴェンあるいは何らかのゆかりのある選曲によってプログラミングされています。12月はベートーヴェンの誕生月です。先週、11日、12日の定期演奏会は「快活」と題して、
シャブリエ:田園組曲
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番
ラヴェル:クープランの墓
ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調
ヴァイオリン独奏:辻彩奈
指揮:マキシム・パスカル
でした。
予定されていたプログラム、ソリストから変更されたのですが、非常に面白い演奏会でした。
指揮者のパスカルはフランス人、東京のオケも指揮する予定があるようですが、頑張ってきてくれたようです。1985年生まれ、期待の新人というところでしょうか。全身を使ったダイナミックな指揮ぶりは、耳だけでなく目も奪われました。相当に体が柔らかくないと、あんな式はできないでしょう。指揮者というよりもアスリートです。
シャブリエは19世紀後半に、ラヴェルは20世紀前半に活躍したフランスの作曲家。この時代のフランスのオーケストラ曲は管楽器が活躍し、色彩感豊かな響きが特徴です。今回取り上げられた2曲も、もちろん管楽器が際立つ曲ですが、今回の演奏は弦楽器も含めて楽器ごとの音がはっきりとしていて、室内楽のような雰囲気を感じました。あれだけ激しく動きながら、リピートも含めてちゃんとスコアをめくりながら指揮できるのは驚きでした。
シマノフスキーはポーランド出身の作曲家で、19世紀後半の生まれ。ちょうどシャブリエとラヴェルの間の時代を生きた世代。そもそもほとんど聴いたことがない作曲家ですが、今回演奏された協奏曲は晩年の作品です。陰鬱にはじまり、独奏ヴァイオリンの激しい動き、そしてソリストの全身を使った演奏は、感じ口ずさめるようなメロディーもなく、オケと対話するというよりも、互いにやり合っているかのよう。
メインのベートーヴェンの8番は、ベートーヴェンの交響曲としては明るく、躍動的。今回のテーマの通り「快活」な曲です。フランス者の響きが耳に残っていたからなのか、冒頭のトゥッティの響きは衝撃でした。「さあ、ベートーヴェンだぞ」と言っているかのようでもありましたが、曲全体の弦楽器の響きが野生的に聞こえたのが印象的でした。曲全体も強弱がはっきりとして、古楽器による演奏のようでした(パスカルの先生はグザヴィエ・ロトという、古楽も得意とする指揮者だから当然かな)。今回はオケの編成がやや小振りということもあり、ベートーヴェンの時代はこんなだったのかとも思わせる演奏でした。個人的には管楽器のソロに注目していましたが、むしろオケ全体の響きの中に溶け込むように聞こえました。若手指揮者の、常識にとらわれない解釈というところでしょうか。これまでに生、録音を含めて数え切れないほどのベートーヴェンを聞いてきましたが、その中でも飛び抜けて印象深い演奏でした。
ところで、シャブリエの田園組曲は耳馴染みの良い響きで、郊外の風景が思い浮かぶようでした。日常とはこういうものと表現しているようにも聞こえました。2曲目のシマノフスキは、その激しさもあり、ひたすら苦難に耐え忍んでいるよう。最後になってやっと元気が取り戻せます。
ラベルは、フランスバロックの巨匠であるクープランの墓碑に擬えて、第一次大戦で戦死した友人たちを偲ぶ曲。全体が舞曲調の曲でまとめられているためか、犠牲者への追悼というよりも、ともに生きた姿を懐かしんでいるのかのようでもありました。
そして、最後のベートーヴェン。作曲者にとって充実した時期の曲で、確かに快活な印象を与える曲ですが、今回の演奏を聴いていると、決してうわついた明るさではなく、苦難に打ち勝った自信あるいは力強さを感じさせてくれました。
指揮者のパスカルは、この時期に来日するからには、彼なりの考えがあってのことでしょう。全身で音楽を表現し、 オケに伝えている指揮ぶりももちろんのこと、今回のプログラミンあるいは演奏に、若いながらも深い信念を感じました。是非とも別のプログラムでも聴いてみたいものです。毎年来てくれないかな。ヨーロッパではオペラも 振っているようですし、
ところで、ソリストの辻を聴いたのは今回で2回目です。462回定期ではショスタコーヴィチを聞かせてくれました。

今シーズンの定期演奏会は「生誕250年記念、トリビュート・トゥ・ベートーヴェン」シリーズとして、ベートーヴェンあるいは何らかのゆかりのある選曲によってプログラミングされています。12月はベートーヴェンの誕生月です。先週、11日、12日の定期演奏会は「快活」と題して、
シャブリエ:田園組曲
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番
ラヴェル:クープランの墓
ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調
ヴァイオリン独奏:辻彩奈
指揮:マキシム・パスカル
でした。
予定されていたプログラム、ソリストから変更されたのですが、非常に面白い演奏会でした。
指揮者のパスカルはフランス人、東京のオケも指揮する予定があるようですが、頑張ってきてくれたようです。1985年生まれ、期待の新人というところでしょうか。全身を使ったダイナミックな指揮ぶりは、耳だけでなく目も奪われました。相当に体が柔らかくないと、あんな式はできないでしょう。指揮者というよりもアスリートです。
シャブリエは19世紀後半に、ラヴェルは20世紀前半に活躍したフランスの作曲家。この時代のフランスのオーケストラ曲は管楽器が活躍し、色彩感豊かな響きが特徴です。今回取り上げられた2曲も、もちろん管楽器が際立つ曲ですが、今回の演奏は弦楽器も含めて楽器ごとの音がはっきりとしていて、室内楽のような雰囲気を感じました。あれだけ激しく動きながら、リピートも含めてちゃんとスコアをめくりながら指揮できるのは驚きでした。
シマノフスキーはポーランド出身の作曲家で、19世紀後半の生まれ。ちょうどシャブリエとラヴェルの間の時代を生きた世代。そもそもほとんど聴いたことがない作曲家ですが、今回演奏された協奏曲は晩年の作品です。陰鬱にはじまり、独奏ヴァイオリンの激しい動き、そしてソリストの全身を使った演奏は、感じ口ずさめるようなメロディーもなく、オケと対話するというよりも、互いにやり合っているかのよう。
メインのベートーヴェンの8番は、ベートーヴェンの交響曲としては明るく、躍動的。今回のテーマの通り「快活」な曲です。フランス者の響きが耳に残っていたからなのか、冒頭のトゥッティの響きは衝撃でした。「さあ、ベートーヴェンだぞ」と言っているかのようでもありましたが、曲全体の弦楽器の響きが野生的に聞こえたのが印象的でした。曲全体も強弱がはっきりとして、古楽器による演奏のようでした(パスカルの先生はグザヴィエ・ロトという、古楽も得意とする指揮者だから当然かな)。今回はオケの編成がやや小振りということもあり、ベートーヴェンの時代はこんなだったのかとも思わせる演奏でした。個人的には管楽器のソロに注目していましたが、むしろオケ全体の響きの中に溶け込むように聞こえました。若手指揮者の、常識にとらわれない解釈というところでしょうか。これまでに生、録音を含めて数え切れないほどのベートーヴェンを聞いてきましたが、その中でも飛び抜けて印象深い演奏でした。
ところで、シャブリエの田園組曲は耳馴染みの良い響きで、郊外の風景が思い浮かぶようでした。日常とはこういうものと表現しているようにも聞こえました。2曲目のシマノフスキは、その激しさもあり、ひたすら苦難に耐え忍んでいるよう。最後になってやっと元気が取り戻せます。
ラベルは、フランスバロックの巨匠であるクープランの墓碑に擬えて、第一次大戦で戦死した友人たちを偲ぶ曲。全体が舞曲調の曲でまとめられているためか、犠牲者への追悼というよりも、ともに生きた姿を懐かしんでいるのかのようでもありました。
そして、最後のベートーヴェン。作曲者にとって充実した時期の曲で、確かに快活な印象を与える曲ですが、今回の演奏を聴いていると、決してうわついた明るさではなく、苦難に打ち勝った自信あるいは力強さを感じさせてくれました。
指揮者のパスカルは、この時期に来日するからには、彼なりの考えがあってのことでしょう。全身で音楽を表現し、 オケに伝えている指揮ぶりももちろんのこと、今回のプログラミンあるいは演奏に、若いながらも深い信念を感じました。是非とも別のプログラムでも聴いてみたいものです。毎年来てくれないかな。ヨーロッパではオペラも 振っているようですし、
ところで、ソリストの辻を聴いたのは今回で2回目です。462回定期ではショスタコーヴィチを聞かせてくれました。

名フィル第484回定期「浪漫」
2020/11/18 格納先: 音楽の話題
先々週末、11月6、7日に行われた名フィル11月定期は、「浪漫」と題して、ベートーヴェン後の音楽史でロマン派とされる時期の代表的な作曲家の作品が取り上げられらました。プログラムは
ワーグナー:歌劇『リエンツィ』序曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調
シューマン:交響曲第4番ニ短調
ヴァイオリン独奏:三浦文彰
指揮:小泉和裕
序曲、協奏曲、そして交響曲と並ぶオーケストラコンサートの王道のようなプログラムです。
『リエンツィ』はワーグナーの初期の作品で、いわば出世作品。歌劇としては6時間に及ぶ大作とかで、上演される機会もほとんどなく、残念ながら映像でも見たことはありません。序曲を聴く限り、後のこってりしたワーグナーらしさはあまり感じませんが、それだけにコンサートの冒頭には向いているのでしょう。序曲は単独でよく演奏されるようです。学生時代にもやったことがあります(私は舞台にのりませんでしたが)。
大編成のオーケストラ、特に金管楽器が活躍する曲です。もう少し迫力があるかと思いましたが、あっさりとした演奏でした。むしろ、次のヴァイオリン協奏曲の抒情性を引き立てる意図だったかな。
協奏曲は本来、アリーナ・ポゴストキーナ(http://www.alinapogostkina.de)というドイツのヴァイオリニストが独奏する予定でしたが、来日の目処が立たず、三浦文彰(https://avex.jp/fumiaki-miura/live/)に変更されました。三浦は412回定期でシベリウスのヴァイオリン協奏曲を独奏しました。その時の音色は覚えていませんが、当時の使用楽器は1748年製ガダニーニ、今回は1704年製のストラディヴァリウスでした。楽器の良さもさることながら、滋味豊かというか、心に染み込んでいくような音色でした。
ブルッフは1838年生まれ、ワーグナーやシューマンよりも25年ほど遅れて生まれています。ブラームスやチャイコフスキーと同世代ですが、それほど知名度は高くありません。オーケストラのコンサートでも、このヴァイオリン協奏曲以外はほとんど取り上げられることもないのではないでしょうか。とはいえ、印象的なフレーズが散りばめられた、この時代、ロマン派を代表する名曲です。
ヴァイオリンには重音が随所にあり、技術的にどの程度の難易度かよくわかりませんが、必須のレパートリーのようです。今回は若い奏者を、オケがうまく盛り立てていました。CDでも何度も聴いていますがが、やはりホール全体に響き渡る独奏ヴァイオリンの音には敵いませんね。オケとの掛け合いも非常に立体的で、生演奏の醍醐味を十分に味うことができました。
シューマンは、まさに「これぞロマン派」という作曲家です。大好きな作曲家の一人ですが、交響曲は4曲をつくっているだけです。今回演奏された第4番は、順序としては2番目に作曲された交響曲で、妻クララとの結婚の翌年に、彼女の誕生日に贈られ、年末に初演されたそうです。残念ながら芳しい評判が得られず、お蔵入りとなり、10年後に改定された後出版されたようです。
4つの楽章が切れ目なく演奏されます。ややつかみどころが無いと感じることもあるのですが、非常にメロディかるで、聴いているうちに熱くなっていきます。所々に現れるソロも効果的で、特にヴァイオリン(コンサートマスター)のソロや、チェロとオーボエによる重奏は秀逸でした。CDでは何度も聴いていても所詮はながら聴きばかりでなかなか集中してできませんが、目の前での演奏はやはり別物。第3楽章から第4楽章へ続く部分などは、はっとさせられました。後で読むとプログラムの楽曲解説でも触れられていましたが、ベートーヴェンの交響曲第5番の第3楽章から第4楽章へ続く部分と非常によく似ています。シューマンが意識してそのように書いたのかどうかは分かりませんが、高い緊張感はやはり生でこそ味わえる物だったのでしょう。
また、今回の演奏では第4楽章の終結部がきいたことがなくらい速いテンポでしたが、妙にしっくりと腹に落ちました。これもライブだからこそなのか、指揮者の指示にオケもしっかりとついていき、圧巻でした。
来月は12月11、12日。ベートーヴェンの交響曲第8番をメインに、フランス音楽が楽しめます。そして、18、19日は交響曲第9番です。
ワーグナー:歌劇『リエンツィ』序曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調
シューマン:交響曲第4番ニ短調
ヴァイオリン独奏:三浦文彰
指揮:小泉和裕
序曲、協奏曲、そして交響曲と並ぶオーケストラコンサートの王道のようなプログラムです。
『リエンツィ』はワーグナーの初期の作品で、いわば出世作品。歌劇としては6時間に及ぶ大作とかで、上演される機会もほとんどなく、残念ながら映像でも見たことはありません。序曲を聴く限り、後のこってりしたワーグナーらしさはあまり感じませんが、それだけにコンサートの冒頭には向いているのでしょう。序曲は単独でよく演奏されるようです。学生時代にもやったことがあります(私は舞台にのりませんでしたが)。
大編成のオーケストラ、特に金管楽器が活躍する曲です。もう少し迫力があるかと思いましたが、あっさりとした演奏でした。むしろ、次のヴァイオリン協奏曲の抒情性を引き立てる意図だったかな。
協奏曲は本来、アリーナ・ポゴストキーナ(http://www.alinapogostkina.de)というドイツのヴァイオリニストが独奏する予定でしたが、来日の目処が立たず、三浦文彰(https://avex.jp/fumiaki-miura/live/)に変更されました。三浦は412回定期でシベリウスのヴァイオリン協奏曲を独奏しました。その時の音色は覚えていませんが、当時の使用楽器は1748年製ガダニーニ、今回は1704年製のストラディヴァリウスでした。楽器の良さもさることながら、滋味豊かというか、心に染み込んでいくような音色でした。
ブルッフは1838年生まれ、ワーグナーやシューマンよりも25年ほど遅れて生まれています。ブラームスやチャイコフスキーと同世代ですが、それほど知名度は高くありません。オーケストラのコンサートでも、このヴァイオリン協奏曲以外はほとんど取り上げられることもないのではないでしょうか。とはいえ、印象的なフレーズが散りばめられた、この時代、ロマン派を代表する名曲です。
ヴァイオリンには重音が随所にあり、技術的にどの程度の難易度かよくわかりませんが、必須のレパートリーのようです。今回は若い奏者を、オケがうまく盛り立てていました。CDでも何度も聴いていますがが、やはりホール全体に響き渡る独奏ヴァイオリンの音には敵いませんね。オケとの掛け合いも非常に立体的で、生演奏の醍醐味を十分に味うことができました。
シューマンは、まさに「これぞロマン派」という作曲家です。大好きな作曲家の一人ですが、交響曲は4曲をつくっているだけです。今回演奏された第4番は、順序としては2番目に作曲された交響曲で、妻クララとの結婚の翌年に、彼女の誕生日に贈られ、年末に初演されたそうです。残念ながら芳しい評判が得られず、お蔵入りとなり、10年後に改定された後出版されたようです。
4つの楽章が切れ目なく演奏されます。ややつかみどころが無いと感じることもあるのですが、非常にメロディかるで、聴いているうちに熱くなっていきます。所々に現れるソロも効果的で、特にヴァイオリン(コンサートマスター)のソロや、チェロとオーボエによる重奏は秀逸でした。CDでは何度も聴いていても所詮はながら聴きばかりでなかなか集中してできませんが、目の前での演奏はやはり別物。第3楽章から第4楽章へ続く部分などは、はっとさせられました。後で読むとプログラムの楽曲解説でも触れられていましたが、ベートーヴェンの交響曲第5番の第3楽章から第4楽章へ続く部分と非常によく似ています。シューマンが意識してそのように書いたのかどうかは分かりませんが、高い緊張感はやはり生でこそ味わえる物だったのでしょう。
また、今回の演奏では第4楽章の終結部がきいたことがなくらい速いテンポでしたが、妙にしっくりと腹に落ちました。これもライブだからこそなのか、指揮者の指示にオケもしっかりとついていき、圧巻でした。
来月は12月11、12日。ベートーヴェンの交響曲第8番をメインに、フランス音楽が楽しめます。そして、18、19日は交響曲第9番です。
名フィル第483回定期「遺書」
2020/10/14 格納先: 音楽の話題
先週末、10月10、11日のコンサートは指揮者とプログラムと一部が変更になりましたが、旧ソ連・ロシアの作曲家の作品のプログラムでした。
今回からオケも男性は燕尾服で、通常モードの演奏会です。
シチェドリンは1932年生まれ、ご存命です。そもそもめったに演奏される作曲家ではありません(ここを参考に)が、2008年に初演されたこの曲はベートーヴェンのメモリアルイヤーだからこそ演奏されたのでしょう。
タイトルにある“ハイリゲンシュタット“はウィーン近郊の町で、現在はホイリゲなどが有名です。30歳を超え難聴が深刻になったベートーヴェンは、当時保養地として発展していただきハイリゲンシュタットに滞在したときに、兄弟に当てて遺書を認めます。「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれ、現地の博物館に自筆の手紙が保存されています。
しかし、この遺書は自殺を思いとどまり、むしろ絶望から立ち上がり芸術家として生きて行く決意表明のような内容でした。この遺書を書く直前に作曲したのが先月のプログラムにあった交響曲第2番、そして、この後で有名な交響曲第3番を始め後世に残る傑作を次々つくっていきます。
シチェドリンも、妻がユダヤ人だったこともあり旧ソ連の体制下で迫害を受けたそうです。この曲で描かれているのは、ベートーヴェンに自らの生き方と人生を重ねているようです。重く暗く始まりながらも明るく変化していきます。交響曲第5番を思わせるモチーフは連続します。
メロディカルな曲ではありませんからやや聴きにくいですが、聴けば聴くほど味わいがわかってくるような、深みのある一曲でした。
ショスタコーヴィチはご存知でしょう。1906年9月生まれ。交響曲第5番は、日本では『革命』の表題で知られています。ヨーロッパではこのような表題はつけませんが、ショスタコーヴィチの最高傑作でしょう。吹奏楽版に編曲された『祝典序曲』も有名です。
ヴァイオリン協奏曲は2曲作っていますが、第1番は演奏頻度も高く、これまでにも聴いたことことが、第2番はなかなか聴く機会はありません。調性がヴァイオリンには向いていないらしく、また、長大で難解なカデンツァが理由でしょうか。
オイストラフという、当時のソ連を代表するヴァイオリニストのために作曲されただけに、ソリストが中心になっています。第1楽章と第3楽章に壮大なカデンツァ、オケの伴奏を伴わず独奏者だけで自由に演奏するフレーズは、聴きごたえ十分でした。
独唱者の荒井は名フィルの客演コンサートマスターでもありますが、日本を代表するヴァイオリニストであると同時に、ショスタコーヴィチ演奏の第一人者でもあります。何をどう意識したのかわかりませんが、あまり深刻にならず、誰もがショスタコーヴィチを受け入れられるように配慮されたようにも聴こえました。
ソリストアンコールは、やや異例ですが、デュエットでした。長年の友人とのことで、主席チェロ奏者の太田さんと、シチェドリン(荒井英治編曲)の『アルベニスの様式で』でした。かなり高度な技巧をちりばめた楽しい演奏でした。
休憩を挟んでのメインプログラムは、ショスタコーヴィチの交響曲。15曲つくった交響曲の中で、第5番を除けば演奏頻度が高い曲です。1945年夏に作曲され、秋に初演されています。ベートーヴェンやドヴォルザーク、マーラー、ブルックナーと名だたる交響曲作曲家の「第9番」はすべて大曲で、かつ傑作とされています。終戦を寿ぐ意味もあり、壮大な曲を期待されたようですが、あえて皮肉ったのか、ディヴェティメントのような軽いタッチの曲です。
ディヴェルティメントは、喜遊曲と訳され、18世紀後半、モーツァルトなどが活躍した時代にサロンの音楽としてもてはやされました。小編成で、管楽器を含む場合にはソロが大活躍します。
初演の評判は悪かったようですが、海外では人気を得て、現在に至っています。5楽章、30分程度、ショスタコーヴィチ独特のシリアスな響きもあまりなく、管楽器のソロを随所に織り交ぜたなじみやすい曲です。
広上の指揮は一度見たら忘れない動きかた、振り方をしますが、協奏曲では比較的おとなしい振り方でした。一方、交響曲は曲調もありますが、彼独特の踊っているような振りぶり。もちろん、一つ一つに意味があり、オケをしっかりと束ねた隙のない演奏でした。第9番を演奏する場合の他の編成が分かりませんが、今回は比較的小さめの編成でした。全体の音がしっかりとまとまり、弦楽器の響きといい管楽器のソロといい、穴がありませんでした。
第4楽章には長大なファゴットのソロがあり、最大の聴きどころでしょうか。オケの曲の中で、これほどに長い、それも他の楽器の音が混じることのないファゴットのソロは他にはないでしょう。今回は首席奏者のゲオルグ・シャシコフ(ブルガリア出身)が担当、いい音でした。
広上さんが振った時はオーケストラアンコールがいつもあるような気がします。今回はショスタコーヴィチ:タヒチ・トロット 作品16[原曲 ユーマンス:二人でお茶を]でした。なんと、ヴァイオリンの荒井さんがチェレスタをお弾きになりました!!どういう契約をしたんだろうか?
来月は、11月6、7日で
- シチェドリン:ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書〜管弦楽のための交響的断章
- ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第2番嬰ハ短調
- ショスタコーヴィチ:交響曲第9番ホ長調
- ヴァイオリン独奏:荒井英治
- 指揮:広上淳一
今回からオケも男性は燕尾服で、通常モードの演奏会です。
シチェドリンは1932年生まれ、ご存命です。そもそもめったに演奏される作曲家ではありません(ここを参考に)が、2008年に初演されたこの曲はベートーヴェンのメモリアルイヤーだからこそ演奏されたのでしょう。
タイトルにある“ハイリゲンシュタット“はウィーン近郊の町で、現在はホイリゲなどが有名です。30歳を超え難聴が深刻になったベートーヴェンは、当時保養地として発展していただきハイリゲンシュタットに滞在したときに、兄弟に当てて遺書を認めます。「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれ、現地の博物館に自筆の手紙が保存されています。
しかし、この遺書は自殺を思いとどまり、むしろ絶望から立ち上がり芸術家として生きて行く決意表明のような内容でした。この遺書を書く直前に作曲したのが先月のプログラムにあった交響曲第2番、そして、この後で有名な交響曲第3番を始め後世に残る傑作を次々つくっていきます。
シチェドリンも、妻がユダヤ人だったこともあり旧ソ連の体制下で迫害を受けたそうです。この曲で描かれているのは、ベートーヴェンに自らの生き方と人生を重ねているようです。重く暗く始まりながらも明るく変化していきます。交響曲第5番を思わせるモチーフは連続します。
メロディカルな曲ではありませんからやや聴きにくいですが、聴けば聴くほど味わいがわかってくるような、深みのある一曲でした。
ショスタコーヴィチはご存知でしょう。1906年9月生まれ。交響曲第5番は、日本では『革命』の表題で知られています。ヨーロッパではこのような表題はつけませんが、ショスタコーヴィチの最高傑作でしょう。吹奏楽版に編曲された『祝典序曲』も有名です。
ヴァイオリン協奏曲は2曲作っていますが、第1番は演奏頻度も高く、これまでにも聴いたことことが、第2番はなかなか聴く機会はありません。調性がヴァイオリンには向いていないらしく、また、長大で難解なカデンツァが理由でしょうか。
オイストラフという、当時のソ連を代表するヴァイオリニストのために作曲されただけに、ソリストが中心になっています。第1楽章と第3楽章に壮大なカデンツァ、オケの伴奏を伴わず独奏者だけで自由に演奏するフレーズは、聴きごたえ十分でした。
独唱者の荒井は名フィルの客演コンサートマスターでもありますが、日本を代表するヴァイオリニストであると同時に、ショスタコーヴィチ演奏の第一人者でもあります。何をどう意識したのかわかりませんが、あまり深刻にならず、誰もがショスタコーヴィチを受け入れられるように配慮されたようにも聴こえました。
ソリストアンコールは、やや異例ですが、デュエットでした。長年の友人とのことで、主席チェロ奏者の太田さんと、シチェドリン(荒井英治編曲)の『アルベニスの様式で』でした。かなり高度な技巧をちりばめた楽しい演奏でした。
休憩を挟んでのメインプログラムは、ショスタコーヴィチの交響曲。15曲つくった交響曲の中で、第5番を除けば演奏頻度が高い曲です。1945年夏に作曲され、秋に初演されています。ベートーヴェンやドヴォルザーク、マーラー、ブルックナーと名だたる交響曲作曲家の「第9番」はすべて大曲で、かつ傑作とされています。終戦を寿ぐ意味もあり、壮大な曲を期待されたようですが、あえて皮肉ったのか、ディヴェティメントのような軽いタッチの曲です。
ディヴェルティメントは、喜遊曲と訳され、18世紀後半、モーツァルトなどが活躍した時代にサロンの音楽としてもてはやされました。小編成で、管楽器を含む場合にはソロが大活躍します。
初演の評判は悪かったようですが、海外では人気を得て、現在に至っています。5楽章、30分程度、ショスタコーヴィチ独特のシリアスな響きもあまりなく、管楽器のソロを随所に織り交ぜたなじみやすい曲です。
広上の指揮は一度見たら忘れない動きかた、振り方をしますが、協奏曲では比較的おとなしい振り方でした。一方、交響曲は曲調もありますが、彼独特の踊っているような振りぶり。もちろん、一つ一つに意味があり、オケをしっかりと束ねた隙のない演奏でした。第9番を演奏する場合の他の編成が分かりませんが、今回は比較的小さめの編成でした。全体の音がしっかりとまとまり、弦楽器の響きといい管楽器のソロといい、穴がありませんでした。
第4楽章には長大なファゴットのソロがあり、最大の聴きどころでしょうか。オケの曲の中で、これほどに長い、それも他の楽器の音が混じることのないファゴットのソロは他にはないでしょう。今回は首席奏者のゲオルグ・シャシコフ(ブルガリア出身)が担当、いい音でした。
広上さんが振った時はオーケストラアンコールがいつもあるような気がします。今回はショスタコーヴィチ:タヒチ・トロット 作品16[原曲 ユーマンス:二人でお茶を]でした。なんと、ヴァイオリンの荒井さんがチェレスタをお弾きになりました!!どういう契約をしたんだろうか?
来月は、11月6、7日で
- ワーグナー:歌劇『リエンツィ』序曲
- ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲(独奏:三浦文彰)
- シューマン:交響曲第4番
- 指揮:小泉和裕